1−2
二つのため息が湯気の中で小さく響いた。
「なあ、『郷に入れば郷に従え』って言葉、知ってはる?」
「『風呂に入れば風呂に従え』って、知ってはる?」
幻惑するようなズレを挟んで、二つの口が動いた。
不思議な二人だった。丸ぽちゃの柔らかい顔に、洋風な鼻筋のライン。アップにしている髪はやたら活気のあるブロンド。瞳はカラコンを入れたみたいに濃い藍色。
さくらは眉一つ動かさずに答えた。
「二人とも、まだまだ執行委員会の自覚が足りないわね! それを言うなら『わが任務に一片の悔いなし!』よ」
「任務で暴走するのは、ただの自己満足やで」とローズ。
「任務に溺れるのは、ただの自慰行為やで」とマリー。
「失礼な! 暴走? 溺れている? ローズ、マリー! 人を病人みたいに揶揄するのはやめてちょうだい!」
今一度、顔を見合わせた二人は、諦めにも似た表情でさくらをしばし見つめた。
「ほなら、この際——」
「——はっきり言わせてもらうけど」
「何?」
首まで湯に浸かったまま、ローズとマリーは声を揃えて言った。
「「あんたの格好、まるっきりの変態やん」」
水面から突き出た二本の人差し指が、まっすぐさくらを指さしていた。
相変わらず仁王立ちをやっている彼女の頭には、スクリーンヴァイザー付きのヘッドセット。首には大型スマートフォン。左の下腕にはベルトで固定したキーボード付きの完全防水パームトップまで装着されている。
まさに国際大企業のトップエリートも恐れ入りそうな重装備だ。
が、注目すべきはさくらの手首から先だった。
彼女がずっと油断なく構えているのは、アサルトライフルのような、サブマシンガンのような黒い凶器。
本物と見せかけて水鉄砲——なんて安穏な落ちではなさそうだ。何しろ、両肩から袈裟懸けになってるマガジンベルトには、光沢も生々しい銃弾がびっしり並んでいる。このまま世界のどんな紛争地にだって飛んで行けそうな装備である。
さらに視点を下にずらすと、腰にも斜めにガンベルト。ヒップホルスターにはリボルバーっぽい拳銃らしきもの。
ここまでだけで、そのまま温泉でくつろぐにはいかがなものか、と色々な意味で突っ込みたくなる装いだが、多分ローズ&マリーがいちばん言いたいのはそこでもなく。
マガジンベルトとガンベルトは、さくらの裸体に直接巻かれていた。
特殊弾頭なのだろうか、ベルト幅は異様に細く、三センチほどしかない。そんなスリムな三本線が、無造作な斜め掛けながら、狙い澄ましたように両胸の頂点と足の付け根をギリギリの幅だけで隠している。
ピンポイントのカバーだから、バストの盛り上がりはほぼ丸見えだし、ビキニラインだってほとんどくっきりである。
ある意味——いや、あらゆる意味で、ミリタリー雑誌の妄想系萌えキャラそのものだった。隠し方のやらしさだけでなく、柔肌と弾丸との強烈な対比が、暴力的なエロスを全開させている。加えてベルト様のものが全身にまとわりついているという、フェティッシュ趣味の淫猥さ。
これならいっそすっぽんぽんでいてくれた方が、とは、ローズ&マリーでなくても胸に抱く感想であろう。
二人に変態呼ばわりされて、さくらが自分の首から下に目をやった。しげしげと我が身を観察してから、一言。
「どこが?」
双子の姉妹がうめき声を漏らした。そのまままっすぐ水没する。
「沈むな!」
泡の中心へ両手を差し入れて二人を引っぱり出そうとするさくら。不意に、その背後の湯煙で、白い人影がゆらりと立ち上がり、声を出した。
「さくら……どうしたの?」
呼ばれた少女ははっと振り向くと、どこから取り出したのか、高級そうなワインレッドのバスタオルをささっと人影に巻きつける。女湯の中でも、この人の裸身は軽々しく人目にさらしてなるものか、と言わんばかりだ。それから改めて騎士のようにうなだれ、目を伏せて答える。
「いえ、特には……」
たった今目が覚めたような表情で、現れた少女が周りを見回した。ヘアタオルの下で、黒い瞳がリスの子供のように、キラキラと興味の光を放っている。くっきりほっそりした眉も、表情豊かに好奇心を露わにしていた。
「どこかでヘンタイとか、誰か言ってなかった?」
「い、いえ、何かの間違いかと……」
「そう? 確かこの辺で——」
「ご、ご興味を持たれるようなことは、何もありませんので……」
どうやら今まで、さくら達の後ろでずーっとぼんやりしていたらしい。なおもきょろきょろしている少女を、苦り切った顔のまま、さくらが横目で見つめていた。
「ぶは〜! 負けたー」
「はーっ! 勝ったー。……あれ、ユリユリが復活してはる」
成り行きで潜水競争をしていたらしい姉妹が、物珍しげにバスタオルの少女を見た。
「どーしたん? いつもぼんやりさんのユリユリが」
「いつもふぬけのような優理枝っちが」
「あなた達! 控えなさい! もう、何なの、総務に向かってその口の聞き方は!」
青筋を立てるさくらの横で、優理枝と呼ばれた少女は、ローズピンクの唇をくいっと引いて愛嬌よく微笑んだ。
「うん、ちょっと……。ねえねえ、さっき誰かヘンタイとか何とか言ってなかった?」
「「あー、それなら……」」
「うををををををっ!!!」
腹の底からの雄叫びをあげて、さくらが突進した。ローズとマリーの首へラリアートをかけ、もろともにしぶきを上げて湯の中へ飛び込む。一度水面下に没したさくらは膝で半身を起こし、なおも双子を水底に押さえ続けた。ばしゃばしゃばしゃ、と八本の手足がせっぱ詰まった渦を作る。さくらの目は本気だった。
「さくら? やっぱりさっきの——」
「私は変態ではありません!」
「え?」
「あ?」
甲高い叫び声が湯煙を切り裂いたのは、その時だった。女子高生のおふざけではない、突発的な非常事態を示す、本物の悲鳴。
「!!」
一瞬で身を立て直し、さくらが走った。銃身の水を振り払いながら、首の端末へ何事かがなり立てる。遅れて、こちらも事態を悟ったローズ&マリーが続く。
問題が起きているのは大浴場の反対側らしかった。新来の客らしい二十代っぽい女性数名が、半分パニックになって騒ぎ立てている。前も隠さないで、血相を変えてパラパラと脱衣場へ走っていきさえした。間を置かず、拡がるように悲鳴が伝染した。まず女子高生達が、さらには常連のおばちゃん達まで、反対側の壁面からわらわらと逃げ散りつつある。
「何事ですの!?」
同心円の中に飛び込んださくらは、唖然とした。まだ真新しい、洒落た古代ローマ風の浴場の大理石に、醜悪なぷよぷよした生き物が群れなして跳ね回っていた。十数匹はいるだろうか。一匹のサイズで両手のひらにいっぱいぐらいだから、かなりの大型だ。
あり得ないことだ。この場所に、この大きさ、この数で現れるなど。仮に何者かの仕業にしろ、そもそもこんな温水の中に、これが生存できるはずはない——。
非現実的な不気味さと恐怖で、女達は蒼白だった。放心したようにさくらがつぶやいた。
「なんでこんな所にカエルが……」
それからはっと気がつくと、まなじりを逆立てて双子の姉妹に怒鳴った。
「ローズ! マリー! 直ちに排除して!」
「え、ええー!?」
「いややあ、こんな大きいのお……」
「つべこべ言ってないで! 全部殺していいから!」
言いながら、サブマシンガンをカエルの群れに向けた。無造作に引き金を引く。信じがたいことに、銃口からは本当に弾が連射された。ぱぱぱぱ、と乾いた音が浴場に乱反射し、新たな種類の悲鳴と混乱が沸き起こった。
「ささささ、さくら! ここ、こんな所で——」
「大丈夫。軟式ゴム弾ばかりだし、炸薬は最低限にカットしてます」
「でででも……やーっ飛び散ったぁー!」
「ぐちょぐちょやんかぁ! やめてえーっ!」
「急いで! こんな、こんなもの、優理枝様が目にしたら——」
「きゃ——————っ!!」
ひときわ裏返った絶叫が湯面に響き渡った。少女達が、おばちゃん達が、ローズとマリーが背後を振り返る。うっと呻いて、最後にさくらも。
「ゆ、ゆ、優理枝様……」
「あ……あああ……ああ……」
取り憑かれたように大きく目を見開きながら、バスタオルの少女がよろよろと近づいてくる。さくらは銃口を沈黙させたまま、ただ硬直していた。
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