第1章 少女の異常な愛情

1−1 (ここまでのあらすじ付き)



ここまでのあらすじ


 主人公・峰間翔雄みねまとびおの幼馴染み、湯塩真知ゆしおまちは、なんと、男の娘キャラであったのだった。








第1章 少女の異常な愛情


 大浴場は一面の湯気に煙っていた。

 ほどよい暗がりの中には、品の良いインセンスの香りもそこここに漂っている。

 奥まったその一角では、古代彫刻風のライオンが大口を開け、だばだばと豊かな濁り湯で、ゆったりとした調べを聞かせている。

 そんな、何もかもが癒やしのために整えられた、気遣いあふれる空間を。

 全面ピンクに塗り替えるような嬌声が、なにはばかることもなく、湯面にふんだんにふりまかれていた。

「や〜ん、マリーちゃんのここ、すべすべぇ」

 艶々でねっとりのアニメ声。その上湿っぽいエコーがかかっているもんだから、一層幼く妖しげにそのセリフは響いた。

 ちゃぴ、ちゃぴ、と戯れるようなその水音も、肌をなで回す微妙な手つきを教えているようで、何かいやらしい。

「きゃん! もう、おイタはいややってえ! くすぐったあい!」

 ほとんど区別が付かない別の声が、しぶきに紛れて漂ってくる。湯煙の中、白い肌のソフトフォーカスが右に左に戯れた。

「こっちもすべすべぇ。うふっ」

 ちゃぼん、ちゃぼん。

「ちょっとお、ああん、そんなところぉ」

 ぴちゃぴちゃ。ぴちゃぴちゃ。

 じきにぱしゃぱしゃが、じゃばじゃばになり、だんだんせっぱ詰まった暴れ方になってくる。きゃっきゃっという熱帯小動物のような鳴き声も交じり出し、水音はさらにエスカレートした。

「あっ、や、だめー!」

 脇腹あたりを攻めていた少女が、さらに深みへ手を差し入れようとしたらしい。受け側の少女が本気で抵抗した。


 じゃぱじゃぱじゃぱ。ざばざば。

 じょっぽーん!


 ひときわ重たい音がして、つかの間、その場に沈黙が下りる。数秒後、ばーっと大げさに息を吐き出しながら、湯気を割って二人が水面から躍り出てきた。それから同時に顔を見合わせ、キャキャキャキャとまっ黄っきに笑いさざめく。

 すぐに性懲りもなく、くんずほぐれつを再開する。今度はお互いがお互いを責め合っているようだ。

「ローズ! マリー! いい加減にしなさい!」

 鋭い声が水面を打った。二人の絡み合いがピタリと止む。声の方向へきょとんと振り向いた少女達の顔は、ほとんど瓜二つだった。

「っとにもう、他のお客さんの迷惑でしょ! いくら本番直前の最後の休養だからって、ここは遊泳プールではありませんのよ!」

 浴槽の中で、三人目の少女が仁王立ちしている。偉そうな態度だけれども、じゃれあっていた二人とそれほど違う年齢には見えない。

 彼女の名は卯場うばさくら。花も恥じらう十七歳、或摩あるま聖泉せいせん学院高等部の二年生。

 ヒステリックな表情が邪魔をしているが、さくらの容貌はある種一本通った美しさが備わっていた。ぱっと見には険があるものの、切れ長の双眸は強い意志を感じさせる。つやつやした黒髪のショートカットが、ほっそりした面立ちに似合っていた。引き締まったスタイルも見事だ。やや小柄ながら、ぴっちりした筋肉質の体躯がボーイッシュな容貌と見事にマッチしている。

 完璧である。浴槽内にあるまじき、異様なその装いを除けば。

優理枝ゆりえ様もいらっしゃるんだから、少しはお側に仕える者としての……な、何? 何なの、その目は?」

 一度顔を見合わせた二人の少女は、さくらの全身を上から下までまじまじと眺め、同時に肩をすくめると、別の話題を探す素振りでぐるっと前後左右を見回し、言った。

「そやけど、みんなやってるやん」

「みんな暴れとるやん」

 まるでそのセリフが合図だったように、五メートルほどの至近距離からフクロテナガザルみたいな奇声が上がった。さくらと同年輩の女子高生たちが、バタ足競争に興じているのだ。かと思えば、その反対側からひときわ重たそうな波が押し寄せる。発生元は、その先でのトドのごとき重量級娘たちのレスリングマッチだった。

 ここは「萌えの湯」、中央大浴場。或摩聖泉学院の経営元、香好かずき観光コーポレーション所有の温泉センターである。テニスコート四面分ぐらいあるひょうたん型の大型浴槽では、団体客らしいおばちゃん集団や落ち着いた常連客に混じって、女子高生が多数はしゃぎ回ってる。ほとんどは、さくらと同じ高等部の生徒達だ。

 上品な温泉マナーとはとても言えない光景だが、大人の客達にはそれほど迷惑そうな素振りはない。心得たようにすましているか、悟ったように無視しているのが大半だ。中には、娘と思しき生徒と湯の中で歓談しているおばさん達までいる。

 当然ではあった。「萌えの湯」は学院付属のような施設だし、ここしばらくの学院が短縮授業なのは、住人や常連さんにはすでに知れ渡っていた。それ以前に、小娘どもがだだっ広いスペースで騒ぐぐらい、大して問題にならない、と言うのもあったが。

「周りは周り! 分かってるの!? 明日は『或摩オータム』初日なのよ! 本番なのよ!」

 六甲山の北側に広がるここ、或摩温泉街では、毎年十月半ばに「或摩オータム」なるイベントが開催される。香好コーポレーションはその主催企業。加えて、聖泉学院は滝多緒学園と同じく、中高一貫の観光科主体の職業学校だ。当然、学院の生徒も実習の名目で多数イベントに関わっている。

 さくら達は執行委員会、つまり他校で言うところの生徒会の中心メンバーだ。実のところ、執行委員会の業務は平凡な中高生の生徒会活動にあるまじき内容ばかりなのだが、今のさくら達はとりあえずイベント屋稼業に専念している。ここ数日など、ほとんど学院に泊まり込みの毎日だ。

 今日、金曜日はイベント前日。これから夕刻、さらに明日未明にかけて、準備作業もクライマックスを迎える。

「もう秒読み段階なのよ! おまけに、ただでさえ近年は敵が多いんだから! たとえ大浴場の中でも、一時たりとも油断は——」

 左のレスラー達から、うがーっと吠え声が沸き起こった。一人あたりさくら三人分の質量がありそうな筋肉娘のペアが横倒しになり、高波がまともに降りかかった。

「——許されないのよ!」

 濡れそぼった前髪を額に張り付けつつ、さくらが胸を張る。周囲の喧噪にも逆巻く温水にも彼女の全身は揺らぎさえしない。あくまで新人を叱るお局様の態度である。




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