浮気された死に戻り令嬢は婚約破棄を目指しますが、実は……

青によし

死に戻り令嬢は婚約破棄を目指します

 走る。走る走る走りまくる。

 だけど、荒々しい息遣いと足音がどんどん迫ってくる。


「魔物が……助けて!」


 叫んだところで誰も助けてはくれない。なぜならば、一緒にいた従者達はすべて魔物に襲われてしまったから。魔物がたびたび出没する辺境の領地に飛ばされた時点で、こうなる可能性はあった。だけど、一日目にして襲われるとか不運すぎないだろうか。

 こうなったのも、元はといえばあの浮気王子のせいだ。

 絶対に許さん!という憤りを胸に抱いたまま、私の意識はぷっつりと途絶えたのだった。



**********


「はっ!」


 目が覚めた途端に広がったのは、柔らかな朝の光。窓から差し込むすがすがしい明るさに目を細める。


「私、魔物に襲われてたはずじゃ……」


 混乱のままに周りを見渡すと、慣れ親しんだ自分のベッドの上だった。いったいどういうことだろうか。

 困惑していると、ノックと共に私の侍女をしていたニーナが入室してきた。


「おはようございます。ユスティーナお嬢様」

「……お、おはよう?」

「どうして疑問形なんですか。ほら、今日は王立学園の入学式なんですから、もう起きて支度なさらないと」


 ニーナが苦笑いしながら、王立学園の制服を出してくる。


「もしかして、今日、私は入学するの?」

「……? えぇ、そうですよ。まだ寝ぼけていらっしゃるんですか」


 呆れた様子でニーナが笑う。どうやら騙している訳ではないらしい。というか、彼女が私を騙す理由もないけれど。

 もしかして、いや、もしかしなくても、今日が王立学園の入学式ならば、私は15歳に戻っているのではないだろうか。魔物に襲われて死んだ(?)のは18歳なので約3年分戻っていることになる。


 そもそも、なぜ私が魔物に殺される羽目になったかというと、婚約者が別の女性と駆け落ちをしてしまったことが原因だ。そのせいで駆け落ち女性の婚約者だった男性が、何故か私に対して怒り狂ってきて、辺境の地に飛ばされたというわけだ。理不尽すぎる!!!


 普通ありえない話だ。そもそも、私の婚約者はそのへんの貴族じゃなくて、この国の皇太子であるシベリウス殿下だったのだから。(ちなみに私はこうみえて公爵家の娘である)

 つまりあやつは私を捨てるだけでなく国をも捨てたのだ。なんて無責任なのだろう。

 もちろん政治的に決められた婚約だし、恋愛感情なんてものはお互いになかったのは認める。でもそれはお互い様ってやつだろう。

 それに国のために頑張ろうって、一緒に勉学に励みながら過ごしてきた時間で暖めた友情みたいなものはあったと思うし。


 だからこそ、私は本当に裏切られたとショックを受けた。18歳で王立学園を卒業し、さぁ本格的に王妃教育が始まりますねって時だったから。


 あと、駆け落ちした女性も問題。なんと第二王子であるサリュ殿下の婚約者・エリサ様だったのだ。このサリュ殿下は複雑な立場のせいか、ちょっと気難しい性格をしている。だから、信頼していた兄が自分の婚約者を奪って逃げた&自分の婚約者に捨てられたという事実に、大層衝撃を受けた。というか衝撃過ぎて闇落ちした。


 そして、闇堕ちした彼はもはや冷静な判断力など持ち合わせてはいなかった。まぁ私もそのときは駆け落ちされたことに傷ついて茫然自失だったから、まともに人の話なんか聞こえちゃいなかったけれど。サリュ殿下が何か喚いていたことだけは覚えている。恐らくは、なぜ兄上をちゃんとつなぎ止めておかないんだ!ってところだろうか。

 いやいや、もしそうだったら、それ君にそのままお返ししたいよね。私に言わせれば、君こそなんで婚約者のエリサ様を捕まえておかなかったんですか??である。

 まぁそんな反論出来るはずもなく、皇位継承権一位に繰り上がったサリュ殿下は「俺の前から消え失せろ!」と、問答無用で私を魔物が頻出する辺境の地へと飛ばしたのだ。


 だけど運命のいたずらか、私は15歳に戻ってきた。巻き返しのチャンスである。

 私はカッと目を見開きベッドから降りた。


「ニーナ、気合いを入れて支度をしなくてはね。だって入学式、始まりの日なんですもの」


***********


 入学式、講堂に集まった新入生の中にサリュ殿下とエリサ様もいた。私を含め同い年なのだ。ちなみにシベリウス殿下は二つ年上の三年生である。

 さて、ここからが運命の分かれ道。私の思いつく案は二つだ。


 一つはシベリウス殿下とエリサ様が恋に落ちないように邪魔をすること。

 もともと二人に面識はあったけれど、親しく言葉を交わすようになったのは王立学園に入ってからだった。毎日同じ場所に通うのだから必然と言えば必然かもしれない。

 だけど、何だか気が進まなかった。だって浮気したのは事実だし、三年後の駆け落ちを防げたとしても、もっと先で駆け落ちするかもしれない。放っておけば恋に落ちる二人なのだから。そんな不安な思いをずっと抱えながら生きるのなんて嫌だ。


 だから、私はもう一つの案を採用することにした。シベリウス殿下との婚約をさっさと破棄するのだ。

 浮気王子などとは縁を切り、新しい人生を歩む。シベリウス殿下も正式にエリサ様と婚約できるし一石二鳥ではないか。


 ただここで問題になるのが闇落ち王子たるサリュ殿下だ。彼の心のフォローをしなければ、また私に理不尽な怒りをぶつけてくるかもしれない。彼の様子には注意しなくては。

 彼に関しては、私を辺境の地へと飛ばした恨みはあるけれど、やっぱり同じ被害者だという気持ちの方が大きい。そもそも、シベリウス殿下達が浮気しなければ、サリュ殿下はあんなことしなかったわけだし。

 あのまま死んでいたらこんな風には思えなかったかもしれないけれど、今の私はちゃんと無事に生きているから。


「方向性は婚約破棄に心のケアね、よし」

 私は気合いを入れるために小声でつぶやく。

「ユスティーナ様、どうかなさいましたか」


 親友のイレーネ様が不思議そうにしていた。彼女は少々天然系の可愛らしい子だ。もっとも、私がこう言うと『あなたに言われたくありません』と反論されるけれど。どうしてだろうか? 私は天然でも可愛くもないのだが。


「イレーネ様、どういう場合に婚約破棄になると思いますか?」

 私は真面目に問いかける。

 するとイレーネ様の表情が固まった。

「ええと……何を答えても怖いことになりそうなんですけどぉ」

 イレーネ様が何故か涙目で困った表情を浮かべた。

「怖いことにならないために聞いているのですけど?」

「ぐいぐい来るぅ……。何故そんな質問をされるのか分からないですが、そうですね……まぁ、婚約相手の嫌がることをする、とか?」

「それは不敬罪に問われないですか」

 私が問い重ねた瞬間、イレーネ様の眉間に思いっきり皺が寄った。

「……例えば、もしも、考えたくはありませんが、仮に、相手がシベリウス殿下だとしたら不敬罪になるでしょうね」

「やはり。では、別の案はありませんか」

「やはりって言ったぁ。確実じゃん。もうこれ答えたくないぃぃぃ」

 イレーネ様は手で顔を覆ってしまった。

「泣き言いわずに、ほら、考えて」

「じゃあ……結婚したくないと思われるほど嫌な人になるとか」

「なるほど。相手に何かしたら不敬罪ですが、自分が勝手に嫌な人になる分には不敬罪になりませんね。参考になりました。ありがとうございます、イレーネ様」

「あの、何をするおつもりです? お願いですから変なことする前に私に相談をしてくださいね」

「いえいえ、そんなご迷惑をおかけするわけにはいきません。お気持ちだけで十分ですよ」

「ちがーう。暴走しないでください、まだ学園生活は始まったばかりなんですから」


 さっそうと歩き出す私の後ろで、イレーネ様が何か言っている。だが、思考の海に泳ぐ私には聞こえていないのだった。



***********



 それからの学園生活、私は嫌な人になろうと頑張った。


 図書館で姦しくしゃべっていた女子生徒達に「あなた達、ここは子供の遊び場じゃないのよ。黙りなさい」と嫌みったらしく言ってみたり。

(何故か周りで静かに本を読んでいた人達に頭を下げられたけど)


 伯爵令嬢が男爵令嬢にお茶を掛けて嫌がらせをしている場面をみて、これはお手本だわ、すぐに真似をせねばとその場で「あーら、手が滑ってしまいましたわ」と伯爵令嬢にお茶をぶっかけてみたり。

(何故か見ていた人達に拍手されたけど)


 いろいろ思いつくことをしてみたけれど、何も変わった気がしない。誰もが今まで通りに、いや、より親しげに話しかけてくれる。何故だろう??


「イレーネ様、率直にお伺いしたいのですが。私、嫌な人になれていますか?」

 ぶっふぉ!とイレーネ様が飲んでいたお茶を吹き出した。ゴホゴホと咳き込んでいるので、そっと背中を撫でてあげつつ、はたと気付く。

「イレーネ様、それはお手本にせよということですね。確かに目の前でされたらあまり気分は良くありません。どのタイミングでお茶を吹き出したら良いでしょうか」

「ち、違いますよ、ユスティーナ様! これは単純に驚いて咳き込んでしまっただけで、むしろお手本にされそうなことに私は少々心の痛手を負っています……」

 イリーナ様がしゅんとしながらハンカチで口元を押さえている。


 私は困っていたのだ。こんなに頑張って嫌な人になっているはずなのに、シベリウス殿下はなかなか婚約破棄を言い出さないから。

 真面目な方だから言い出しにくいのだろうけど、すでにシベリウス殿下とエリサ様が学園内で一緒にいる姿はたびたび目撃している。シベリウス殿下の心がエリサ様に移りつつあるのは確実だろう。


「ユスティーナ様はたぶん、嫌な人になるのは無理だと思います」

「そ、そんなことないわ。極悪の嫌われ者の悪女になって、さっさと殿下から願い下げてもらわなくてはいけないんですから」

「ユスティーナ様とは真逆の存在になるだなんて、どうしてなんです? 私達親友ですよね、何か困りごとがあるなら話してください」

 イリーナ様が私の手をきゅっと上から握ってきた。その温かみにじんわりと涙がにじんできてしまう。


 魔物に殺される未来から逃れようと一人で頑張ってきたけれど、正直進展しなさすぎて心が折れそうだった。イリーナ様に頼っても良いのだろうか。3年後から戻ってきたなんて荒唐無稽な話、信じてくれるだろうか。


「実は――」


 私は三年後に起こった駆け落ち事件と、それに伴って飛ばされた辺境の地での死を話した。すると、イリーナ様は驚いた表情を浮かべたが、なんと信じてくれたのだ。友よ……持つべきものは浮気婚約者ではなくあなただった!


「まぁ確かにユスティーナ様はどちらかというと元気いっぱいな愛玩動物系、かたやエリサ様は儚げ美人系……殿方が守ってあげたくなるのは後者が多いでしょうねぇ」

 うんうんと、イリーナ様は納得したように頷いている。

「愛玩動物系?」

「そうです。ユスティーナ様は元気いっぱいな子犬ですね」

「それは……喜んで良いことなのかしら?」

「うーん、癒やされたい人にはもってこいでしょうが、自尊心を満たしたいタイプの殿方は『自分が守ってあげないとこの人は立っていられない』と思わせる儚げな方が……ごほん、もうはっきり申し上げますね。シベリウス殿下は完璧に自尊心を満たしたいタイプとお見受けします」

 イリーナ様、急に開き直ったかのように直球で言ってくれるではないか。


 けれど、確かにそうかもしれない。私はシベリウス殿下と共に立つ存在にならなければと思っていたから、助けてもらおうとか守ってもらおうなんて思ったこともないし。そのあたりに、浮気をされた要因があるのだろうか。だが、次代の王妃として守ってもらう前提ではいけないと思うのだが。


 でもまぁ、もう知ったことではない。今更シベリウス殿下好みになろうという気も起こらないし。逆に私が好みのタイプでないのなら、余計に婚約破棄したいという気持ちが膨れ上がるだけだ。


「では本気でシベリウス殿下との婚約を破棄なさりたいのですね」

「えぇ、もちろん。でも、どうしたら穏便に婚約破棄できるのでしょうか」

「……(婚約破棄の時点で穏便さのかけらもないんだけど、このあたりに気がつかないのが天然のユスティーナ様らしいわ)……ゴホン、では浮気の証拠を見つけて、シベリウス殿下に婚約破棄しないと国王様や王妃様に言いつけますよって脅すとか」

 何やらごにょごにょと前半言っていたのが気になるが、まあいい。それより提案内容の方が重要だ。

「なるほど。向こうが悪いという証拠があるから、シベリウス殿下も強気に出られないですものね。良い手です。さっそく証拠をつかみに行ってきます!」

「あ、お待ちを。一人では心配ですから私もお連れくださ…………行ってしまったわ」


 新たな道筋が見えたことが嬉しくて、私はよく二人を見かける中庭へと走り出す。後ろのほうでイリーナ様が何やら言っているけれど、きっと私に対する激励に違いない。

 ありがとう、友よ。

 私は華麗かつ穏便に婚約破棄をやり遂げます!



************


 それ以降、私は空き時間にこっそりシベリウス殿下とエリサ様の浮気の証拠を掴むべく尾行している。すると、ある人物とよく遭遇するようになった。

 今日も中庭の東屋で語らっているシベリウス殿下とエリサ様を、木陰からそっと見張っていたら彼はやってきた。


「お前また見てるのかよ」


 このちょっと口の悪い御方は、なんと第二王子のサリュ殿下だ。そう、闇落ちしたあげく私を辺境の地にとばした酷いやつである。


「そういうサリュ殿下こそ、お暇なのですか?」

「別にぃ、婚約者の浮気をのぞき見てる変な奴を見に来ただけだし」

「……それは誰のことでしょうか」

「きょろきょろすんな、お前以外に誰がいるんだよ」

「いたっ」


 サリュ殿下にピンとおでこを指ではじかれて、思わず声が出てしまった。

 本当に王子殿下なのだろうか、柄が悪い。暴力反対! ちょっとした冗談なのに。それに婚約者の浮気をのぞき見てるのはあなたも同類では??と思うのだが。

 でもここでそれを指摘する勇気はなかった。だって、またおでこをはじかれかねないから。


「それより、あの二人、恋人の距離感だと思いませんか?」

「まぁ近いな」


 エリサ様に駆け落ちされて闇堕ちしたくせに、意外とあっさりとした反応である。


「口づけとかしてくだされば証拠になるのに」

「……お前、浮気の証拠を見つけたいのか? 浮気してない証拠じゃなくて?」


 サリュ殿下が不思議そうに首を傾げている。

 あぁそうか。サリュ殿下はまだ浮気だと信じてないから、余裕ぶっているに違いない。

 よし、ここで少し心の準備をさせよう。サリュ殿下の心のケアを怠っては闇堕ちしてしまうかもしれないのだから。

 おそらく、前回は駆け落ちされたときに浮気されたと気付いたから驚いたのだ。事前にもしやと思っていれば、いざ浮気を知ったときに少しは衝撃も和らぐはず。


「コホン。良いですか、サリュ殿下。人の心とはままならぬもの。いけないと分かっていても求めてしまうものなのですよ」

「急に謎ポエム? お前って話すとちょっと印象変わるよな」


 サリュ殿下と私は、前回の人生では挨拶程度の仲だった。学園に入学してもさほど話したことはなかったので、もし今回のように話して交流していたら、あの追放は回避出来ていたのだろうか……。今となっては分からないけれど。


「印象変わりましたか? どのようにです?」

「すました優等生から変なやつへ」


 それは素直に喜べないなと苦笑いするしかない。


 ちなみにサリュ殿下は不安定な立場ゆえに気難しい性格だと言ったが、それは母親が関係している。彼の母は異国の出身なのだ。褐色の肌に濡羽のような黒髪が素敵な方だと聞いたことがある。とてもエキゾチックで誰もが振り返る美人だったと。

 サリュ殿下本人も母親譲りの褐色の肌をもち、でも髪は王室に多い白銀というオリエンタルな美貌の持ち主だ。まつげなんかもバサバサで、近くで見ると美形オーラにのまれそう。私としては、適度な距離を保って鑑賞したいという感想だ。


 あ、今はサリュ殿下の美麗さは関係ないことなので置いておいて。話を戻そう。


 サリュ殿下の母親は、正妃ではない上に儚く亡くなられてしまった。通常であれば母方の親族が後ろ盾になるのだが、異国から第二夫人として輿入れの為、サリュ殿下には後ろ盾となる人がいない。それゆえ自衛の意識が高く、彼はとがったナイフとでも言うような性格をしていた。

 後ろ盾がないから頼れるのは兄であるシベリウス殿下だけ。つまり、サリュ殿下はシベリウス殿下を心底信頼していたのだ。そのせいで、裏切られた反動も酷かったのだろう。


「お前はさ、自分の婚約者が裏切っているかもなんて、嫌じゃないのか?」


 サリュ殿下がぽつりと問いかけてきた。先ほどまでのからかうような雰囲気は消えている。


「もちろん嫌に決まっています。でも、自分に心が向いていないのを承知で一生を共にするかと思うと、それはそれで嫌だなとも思うのです。だから我慢して一緒にいるくらいだったら、一緒になる前に言って欲しい」

「……ふーん」


 どこか納得のいかないような不満げな相槌だ。


「お互いに愛のない政略結婚でも、最低限の誠意は必要ですよ」

「お互い……お前は兄上のこと好きなんじゃないのか?」


 サリュ殿下がハッと目を見開いた。そんなに過剰反応するところだろうか。びっくりするではないか。


「いえ、シベリウス殿下に恋愛感情は持ち合わせていませんね。友人のような、戦友のような、そんな情ならありますが」

「そう……なのか。恋愛の好きではないのか」


 なんだか目に見えて安堵しているのだが何故だろう。


「それにですね、シベリウス殿下もきっと悩んでいると思うのです。あの方は根が真面目ですから、婚約者である私と結婚しなくてはならないと分かっている。でも、心がエリサ様に惹かれ始めてしまった。頭ではいけないと分かっていても心がエリサ様に揺れてしまう状態なのでしょう」


 だからこそ、シベリウス殿下はぎりぎりまで国のために私と結婚しようとしていたのだろう。でも、結局はエリサ様を想う心を抑えきれず駆け落ちしたのだと想像がつく。

 真面目だからこそ自分の気持ちを誤魔化せない不器用な人なのだ。白か黒かどちらかしかありえなくて、灰色は受け入れられないのだろう。


 まぁだからと言って、私がそれを許せるかどうかは別問題だ。前回のようなことになるのだけは勘弁したい。だからこそ、ここはさっさとエリサ様を好きだと認めさせて私との婚約は破棄してもらわないと。


「じゃあさ、お前は自分のためにも兄上のためにも、婚約が白紙に戻ってもいいって考えてるのか?」


 サリュ殿下は真っ直ぐな眼差しで私を射抜いてくる。その真剣さに思わず気圧されそうになるが、ぐっと己を保つ。ここで怯んでいてはいけない。サリュ殿下には私の心意気を知っていてもらわなければ。だって私と彼は今同じ立場にいるのだから。


「はい。シベリウス殿下に好きな人が、それもすぐ側にいるエリサ様なのだと分かっていて、政略結婚とはいえ割り切れますか? 私は無理です」

「……」

「今だったらまだ間に合います。結婚後だとしたら流石に我慢するしかありませんし」

「そうだな、国王と王妃が離婚だなんて外聞が悪すぎる」

「そうです。それにエリサ様であれば王妃として身分も申し分ありませんし、何より愛があります。きっとシベリウス殿下をお支え出来ると思うのです」

「それがお前の、ユスティーナの気持ちなんだな」


 あっ……初めて私の名を呼んだ。

 今まで『お前』だっただけに、なんだか認められたような気分だ。


「はい」

「ならば尊重しよう。俺も概ね同意だ」


 サリュ殿下は木の影から出ると、つかつかと東屋の二人のもとへと歩いていく。


 はっ? 何をする気?!

 私は冷や汗を垂らしながら木の幹からはみ出るようにして、サリュ殿下の動向を見守る。


 サリュ殿下が右手をまげて軽く会釈をした。


「歓談中に失礼します」

「ど、どうした?」


 サリュ殿下達の声が聞こえてくる。

 やましい気持ちがあるせいか、シベリウス殿下の声が慌てているように感じた。


「エリサ殿、申し訳ないが婚約を解消したい」

「えっ、サリュ殿下、急にいかがされたのです」


 エリサ様の驚いたような声がするが、私も驚きだ。私が言い出すならまだしも、あのサリュ殿下が言い出すなんてどういうことだ。駆け落ちのせいで闇堕ちしたくらいエリサ様のことが好きだったんじゃないのか?


「急ではないし、ずっと考えていた。今踏ん切りがついたところだ。それに、エリサ殿もその方がいいのでは?」


 サリュ殿下はシベリウス殿下の方を見た。

 シベリウス殿下とエリサ様は気まずそうに顔を見合わせている。


「ですから兄上も、ユスティーナ殿との婚約を白紙に戻していただきたい」


 もしかして、私の話を聞いてこんなことを?

 闇堕ち王子と憤っていたけれど、それは環境のせいで、もともとのサリュ殿下は優しい方なのかもしれない。ちょっと口は悪いし柄も悪いけれど。


「し、しかし、これは僕達の独断で決められることではないだろう」

「でも、兄上はユスティーナ殿よりもエリサ殿と人生を歩みたいとお思いなのでしょう?」

「それは……もし仮に思っていたとしても口に出してはいけないことだ」


 あきれたもんだ。口に出さなくても、二人きりで毎日会うという行動をしている時点でもう察するべきだろう。あれ、シベリウス殿下ってこんなに頭悪そうな人だったっけ? これが世間でよく言われている『恋は盲目、人を駄目にする』ってやつ?


「さようですか。ですが、俺はエリス殿との婚約は破棄します。彼女は素晴らしい女性ですから、すぐに新たな婚約者が名乗りでるでしょうね。でも残念、兄上はユスティーナ殿という婚約者がいるので手も足も出ない」


 サリュ殿下が煽っている。とても楽しそうだ。逆にシベリウス殿下は絶句したまま、どんどん真っ青になっていくけれど。


「では兄上。俺は婚約破棄のことを伝えに父上のところへ向かいますので、お先に失礼します」


 慇懃無礼な様子でサリュ殿下は頭を下げると、シベリウス殿下に背中を向けた。

 そのときだった。


「待ってくれ!」


 ついにシベリウス殿下が陥落した瞬間だ。

 サリュ殿下がにやりと笑ったのが見えた。



**************


 その後は、予想外にもとんとん拍子で婚約破棄が進んだ。本人達がみんな納得していることが大きかったみたいである。

 そして、さすがに皇太子の婚約者が不在では困るという流れになったが、そこはエリサ様がなるということで、まぁ外聞は良くないが仕方ないか、というところに国王様達も落ち着いたのだ。


 結局、私は自分の力では何にも出来ず、サリュ殿下に全部任せてしまった形だ。婚約破棄するぞと意気込んでいたのに、少々情けない。

 でも、これでシベリウス殿下とエリサ様が駆け落ちすることはなくなった。それに伴って、サリュ殿下が闇落ちすることもない。つまり、私は怒り狂ったサリュ殿下に辺境の地へ飛ばされることもないのだ!


 ありがとう、サリュ殿下!!

 前回の世界ではとんでもない人だと恨んでもいたが、今回は感謝してもしきれない。私の中で好感度は爆上がりである。




 晴れて自由の身になった私は、サリュ殿下とよくお茶をするようになった。


「シベリウス殿下とエリサ様は今日も仲良しでしたねぇ。この国の未来も安泰です」

「そうだな。だが、俺は婚約者がいなくなったせいで周りがうるさいんだが」


 やれやれとばかりに、サリュ殿下はため息をついた。


「……やはりエリサ様を手放したこと、後悔しているのですか?」


 私が婚約破棄をしようと考えていることを言わなければ、サリュ殿下はあんな行動はしなかっただろう。私のせいかと思うと心苦しい。


「後悔はしていない。だが、この歳で婚約者がいないと体裁が保てないから困ったなぁ……あぁ困った困った」


 サリュ殿下が私を見ながらいたずら小僧のようにニヤニヤしている。

 あれ、そんなに深刻な感じじゃないようだ。単純に婚約者がいなくて困っているから助けろ、ということらしい。それを私に向かって言うということは……


「まさか私がサリュ殿下と婚約するってこと?!」


 驚きすぎて大声を出してしまった。


「うるさっ。相変わらずお前は騒がしいな」

「騒いだのは申し訳ないですが……いやしかし……」


 私とサリュ殿下が婚約したら、結局、兄弟で婚約者を入れ替えただけではないか。そんなのあり??


「俺はさ、素のお前を見ていると飽きない。面白い人生を過ごせそうだと思ってるから、まぁ考えてみてくれ」


 そう言うと、サリュ殿下は少し照れくさそうな表情をした。初めて見る顔に、なんだかこっちも照れてしまいそうだ。


「か、考えておきます」

「あぁ、じゃあまた明日」

「はい……また明日」


 私はサリュ殿下の背中を見送りながら、今のやりとりを高速で思い返していた。


 シベリウス殿下との婚約が決まったときは幼すぎて何も感じなかった。でも、今は胸がドキドキして、顔が熱い。どうしよう、こんな気持ち初めてだ。

 サリュ殿下は闇落ちした前回のことがあったから、最初は警戒もしていたけれど、話していくうちにいろんな面を知ることが出来た。何より、シベリウス殿下といるより自然体でいられる気がする。思い切り笑ったり、怒ったり、拗ねたり、彼の前だったら遠慮なく自分のままでいられる。


 うん。二度目の人生、サリュ殿下の婚約者になるのも悪くないかもしれない。




**************


ある男の独白。


あいつにユスティーナはもったいない。

いつも笑顔で、子犬のように元気で可愛らしいユスティーナ。

俺の顔色ばかりうかがっている女に興味はない、あの偽善者になすりつけてやろうと思った。


屈託のない笑顔を向けてくれるユスティーナが欲しくてたまらない。

彼女の魅力を分かっている俺こそが彼女にふさわしいんだ。

だから早い段階で円満に婚約を解消できてよかった。


ユスティーナはあいつのことが好きなんだと思っていたから、未練を断ち切らせるための荒療治で、駆け落ちでもしてもらおうかと思っていたからなぁ。

さすがに目の前からいなくなったら、あいつではなく俺を見てくれるだろうと思って。

でも、駆け落ちをそそのかさなくても、全てが俺の望む方向へと転がってくれた。


今のユスティーナは俺を見てくれている。俺と話をしてくれる。

なんて素晴らしいんだ。

もし俺を見てくれなかったら、何をしでかすか分からなかったから。

そんなことにならずに済んで良かった。

これからは大切に守ってやるから、俺のことだけを見ていろよ。


俺だけのユスティーナ。

手に入らないなら、殺してしまいたいくらい愛している。

だから早く、俺のつくった檻の中に入っておいで。




(了)


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