第21話 勇者の望み

 フォルトが来てから一階は彼が掃除していた。

 蝶子は彼に二階への立ち入りの許可は出さなかったものの、上だけ埃っぽいのも体に差し障るかもと、二階も人が住む場所に整えてはおいたのだ。

 とある一室以外は。


「ここだよ」


 言いながら、蝶子はその部屋の扉を開く。


「……これは――」


 神殿育ちのフォルトが言葉をなくす。

 それはそうだろうと蝶子は納得した。

 扉一枚隔てたその部屋の中は、乱雑の一言に尽きる。


 きれい好きで整然とした神殿で育ったフォルトからしてみれば、部屋の状況は驚きだろう。そう思うと、蝶子は内心慌てて「場所はきちんと把握してるんだよ」と言い訳するように呟いてしまった。


「そ、そうか」


 頷きながら、フォルトはきょろきょろと部屋の中を見回す。


 書き殴られたあとが見える紙、壁に貼り付けられた地図には無数の印が記入され、文字が直書きされている。


「あ、落書きじゃないよ、メモ……覚え書き。きちんと意味があるの」


 勢い余ったのと余白が足りなかったため、地図上に記された文字はそのまま横へと伸び、壁の一部にまで及んでいることに目をとめたフォルトに、蝶子は誤解なきようにと説明する。


 天井には変わった色の草花がつるされており、机の周りには瓶詰めの砂に色のついた石。読みかけの本。

 本は机や棚だけではなく、新しいものと古いものが入り交じって床にまで所狭しと積み上げられているのを、フォルトが整頓したそうに少しうずうずと手を動かしていた。


「あ、それは関連ありそうな本ごとにまとめているから……」

「うっ……そうか……――ん、これは、棒? ああ、上の草花を下ろすときに使うのか」


 蝶子が止めると、残念そうに項垂れたフォルトだが、机の横に立て掛けてあった布で巻かれた棒状のものに目をとめた。

 質問というより、自問自答で納得した様子だったので、蝶子はフォルトが部屋を見回す邪魔をせず口を閉じていた。

 ひととおり見回した後、フォルトが呟いた。


「えぇと、なんというか……この部屋は……」

「怪しい部屋」

「う……」

 

 なんと言ったものかと迷っていたフォルトにかわり、蝶子が言う。

 言葉に詰まったフォルトは正直だ。

 こんな部屋を見て「素敵な部屋」とか「オシャレ」とか言い出したら、そっちのほうがどうかと思う。ここは、誰が目にしても「怪しい部屋」だろう。

 だが……。


「でも、ここには私の夢と希望が詰まっているの」

「夢と希望……?」

「さっき、女神様に会う方法を探してるって言ったよね――女神様に会って、元の世界に帰る……その方法を探すための手がかりを集めた部屋が、ここなの」

「つまり……君にとって、大事な場所なんだな。……それなら、俺の立ち入りを制限したのも当然か」


 部屋を見せても、立ち入らせても、それでもなおフォルトは蝶子を気味悪がっていなかった。

 それに密かに蝶子が安堵しているとは気付かず、フォルトは納得したように頷くと「それにしても、すごいな」と感心した口ぶりで呟いた。

 

「よく、ひとりでこれだけ集められた」

「時間だけは有り余ってるから」

「――っ」


 昼も夜もない自分にはどうってことない。

 なにげなく答えたつもりだった蝶子が、直感で言葉選びを間違えたと悟る。

 フォルトの顔が一瞬、辛そうに歪んだのが目に入ったからだ。


「あ、あの、別に悲観しているわけじゃなくて……ただ、魔王を倒せば帰れるはずが、ダメになったから、それなら女神様に会ってお願いするしかないって思って、それなら私、今暇だからできるじゃんって思っただけで……」


 ダメだ。

 なにか言えば言うほど、こんがらがっていく。

 だが、フォルトは蝶子の支離滅裂な言い訳を聞くと、少し驚いたように目を見開き、それから笑った。


「君が慌てているのは、貴重かもしれない」

「え、だって、フォルトさんが困った顔したから」

「……俺のため?」

「フォルトさんのためっていうか……フォルトさんには笑っていてほしいから……私のためだよ……」


 そう。ただのワガママだと蝶子が呟くと、フォルトは片手で目元を覆い、天を仰いだ。


「…………破壊力」

「? 私、なにも壊してないよ」

 

 蝶子は首を傾げた。

 ちょっと意味が分からない。


「ああ、分かってる。気にしないでくれ、俺が勝手に舞い上がってるんだ」

「?」

「――それで、俺にこの部屋を見せてくれたってことは……なにか、力になれることがあるのか?」

「う、うん。……いいの? 気味悪くない?」

「なんでだ? ――こんな大事な事に、俺を頼ってくれて嬉しいよ」


 笑うフォルトに、蝶子は安心した。


「……ありがとう」

「礼を言うのは早いぞ。俺が役に立つか分からないんだからな。で、なにを聞きたいんだ?」

「あのね、今、本を持ってくるから……」


 いそいそと机に置いておいた本を取りに行く蝶子は、フォルトが少しだけ寂しそうな顔をしたことに気付かない。


「あ、ここだとごちゃごちゃしてるし暗いから、下に持っていくね。先に降りてて」

「そうだな。……ここにいると、片付けたくてうずうずしてくるから、俺もそうした方がいいと思う」

「これでも、どこになにがあるかは把握してるんだよ? 本当だよ?」

「だから、勝手には片付けないさ。……いつかはやるけどな」


 磨き抜かれたお掃除術で勝手に動かされたら、分からなくなって困るが……一緒にならその心配もないし……。

 それに、いつかはということは……まだ先があるということだ。


「うん、いつかは」


 蝶子は抵抗なく頷く。


「先に戻って、お茶の準備をしとく」


 とんとんとん。

 フォルトが階段を降りる音がする。


 彼の気配が完全に二階から一階へ移動すると机の横に立て掛けてある布の一部が、ぼんやりと淡い光を放った。

 語りかけるような、数度の点滅。

 それに気付いた蝶子は、ちらりと目を向けると頷いた。


「うん。フォルトさんは、いい人だよ」


 ――蝶子の呟きは、部屋の中で静かに消えた。

 同時に、一階でお茶の準備をするフォルトの独り言を聞く者も誰もいない。


「……そうだよな。帰りたいのが、当然だよな……」

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