第14話 【幕間】近、颯太との出会い〜最終戦〜


 校舎の三階の窓から近の後に窓を乗り越えて、その横にへたり込んだ颯太が呟く。


「よ、よかったあ……足、……」


 だが、その颯太の傍らで、近は自分があの状況から無傷でここにいる事が、未だに信じられない。


(ゆ……夢じゃ、ない……?!)


 支えが曲がって空中へ投げ出された時の絶望感。

 死ぬ、と確信した時の恐怖と諦め、浮遊感。


 そう、近はようやく思い出していた。

 あの状況から助かる可能性があった事を。


 それは、蘭や和樹との遊びの中で、幼い近が身につけたもの。


 が、ふいに投げ出された近が助かる保証などどこにもなく、下手を打てば中途半端に落下して酷い大怪我をしていたかもしれないのである。

 

 親友那佳達がいなければ、見苦しく喚いていただろう。

 その悲痛な表情が辛うじて近にそれをこらえさせた。


 近は、助けて、死にたくないと叫びながら落ちる事を、せめて那佳達の心の傷にしないよう、やせ我慢しただけなのだ。

 

 カタカタと震える俯く近に、颯太は声を掛けた。


「あの……違ったらごめんなさい!……自分から……?」


 近は即座に、ぶんぶんと首を横に振る。

 それをを見た颯太が、ほうっ、と息を漏らした。


「事故だったんですね……。僕、今日学校見学してまして……トイレを探してて。で、何か騒がしいなって窓から上を見たら……倒れてくる背中が見えて」


 近は、改めて思った。 

 無事だったのは、奇跡でしかない、と。


 驚くような身のこなしをするこの男の子が、偶然にここにいた。

 助けようと手を伸ばしてくれた。

 そうでなかったら、今頃は。


「ありがとう、ございます……ありがとう、ありが……」


 懸命に礼を言う近の目から、涙が零れ落ちていく。

 そして、颯太の制服の袖を力いっぱい掴んだ近。


「う、うう……怖かった、怖かったよぉ!私、死ぬって……!那佳と笹の葉ともう会えないんだって……!そんなの、やだよ!やっぱり、やだ、よぅ……」


 声を上げて泣く近を見つめる颯太は、大切な誰かの名前を呼んだのだろうと思い、自分を掴む近の腕をそうっとさすり続けたのだった。




 ●


 

 

 その頃。


 那佳と笹の葉は、力が抜ける全身を叱咤しながら、時折転がり落ちながら。

 涙を流しながら、全力で一階へと向かっていた。


 走りながら那佳が救急車を呼び、笹の葉が御付きの長に連絡を入れている。


(お嬢様お嬢様、お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様ぁ!)

(助かる!間に合う!助かる!間に合う!間に合え!)


 それぞれの想いを胸に一階にたどり着いた二人。


 一瞬だけ顔を見合わせ。

 覚悟を決めて、頷いて。

 玄関から外へと飛び出した二人。


 だが。


 二人が思い描いた、最悪の光景はどこにもなかった。

 

「え?」

「お、お嬢……?!」


 二人は屋上を見上げて、落ちたであろう場所やその近辺を探す。

 だが、近の姿はない。


 もしかしたら。

 もしか、したら。


 一縷の望みに、二人は大声を張り上げる。

 

「お嬢様ー!!」

「お嬢っ!お嬢ー?!」


 すると。


「那佳!!」


 その頭上からの声に、上を見上げた二人。


 そこには。


 そう、そこには。

 颯太に掴まって窓際に佇む近がいた。


「「!!!」」


 那佳と笹の葉は、はじかれた様に駆け出した。



 ●



 颯太の目前で、座り込んで抱き合う三人。


「おじょうさばあああ!よがっだ、いぎでだああ!」

「おじょおおお!づぎじんだらごろすうううあああ!」

「なが、さざのばあああああああ……ぶええ?!」

 

 喜びにむせび泣く三人を見、立ち上がろうとする颯太。


 が、近が颯太の袖をぎゅう!と掴んで離さない為に、座る。


 と、そこに。


「遠鳴!」


 よろよろと、羽遊良はゆらが手を伸ばしながらやってきた。


 那佳、笹の葉が涙を拭いて、ふらり、と立った。


「貴女が手を下そうとしたお嬢様は、この御方によって命を……命……を!だが貴女は、貴様は許……さん!!」

「お前は、命の何たるかをわかっていない。死ね。お嬢を害そうとした。死ね。お嬢は助かった。死ね。殺す殺す殺す殺す殺す殺す、この身に変えても殺す」


 二人の、紛うこと無き殺意が膨れ上がった。


「遠鳴……そんな、そんなつもりじゃなかった。だが、私のせいで……お前の命は……。どんな、罰でも受ける。許せとは言わない」

「「……ほう?」」


 廊下に正座し悄然と頭を下げる羽遊良に、那佳と笹の葉が片眉を上げる。


 そしてそれぞれが武器を取り出し、羽遊良に歩み寄ったその時。


 近が、二人を止めた。


「那佳、、待ちな……待って」

「お嬢様、何故?!」

「待たない、聞けない、コイツはまたやる」

「いいから!私が話すっ……て言って、ます」


 そんな近に、那佳と笹の葉は悔しげに下がる。

 近は颯太に掴まりながら、羽遊良の側でしゃがんだ。


「右京院。これで手打ち」

「え?」


 ぱぁん!!


 廊下に、乾いた音が響き渡った。

 頬を張られた羽遊良の身体が横倒しになる。


「ワザとじゃないなら、おま……右京院に、謝罪する覚悟があるのなら……これで、終わりに…………」


 そこまで言った近はブルリと震え、自分の身体を抱え込んで、ふらり、と颯太に倒れ込んだ。


 近の横顔が颯太の胸板に収まる。

 近の肩が、必死の呼吸によって揺れていた。

 那佳と笹の葉が、そんな近を見て涙をこらえる。


 おいたわしや……!

 やはり姑息女こそくじょの息の根を……!


 そう思った那佳と笹の葉が、また羽遊良を睨む。

 身体を起こした羽遊良は、異議を唱えた。


「な!平手如きで私のした事は消えないだろう!」

「消せばいいじゃね……いいよ……あっ」

「危ない!」


 身体を起こしかけた近がまた倒れかかるのを颯太が慌てて支えた。


 そして、そこで颯太が口を挟んだ。


「何があったのかはわかりません。でも……命を狙った相手を許そうとする人、そして憎しみの中でも過ちに気付ける人……手を、取りあえるなら……」


 そう話しつつ、自分の胸に顔を埋める近の髪を、そっと撫でた颯太。


 近は、茹でダコのように耳まで赤くなった。そして、先程から時折颯太をちらちら見上げてはモジモジしている。


 ここで。


 那佳と笹の葉は、初めて首を捻った。


 お嬢(様)の言葉と態度、何か変じゃね?余裕じゃね?

 ……けっこうお楽しみじゃね?


 と、どちらともなく顔を見合わせる。


 そして。


 叫んだ那佳と笹の葉。

 

「……ま、まさかお嬢様のあの話……」

「……本当だった?!」


 御付きになる前の噂話を、二人は思い出したのだ。



 ●



 近と和樹が、蘭により野山を転げまわるようになってからしばらくして。


 近が屋敷の二階から落ち、何事もなかったようにステステと歩いていたという目撃談が多くあった。


 1番上の姉に問いただされた幼い近は、恥ずかしそうに話したという。


「ねこさんのまね、みられちゃった!ごてんちゃくち五点着地っていうのです!ゆふいんさま、かずきにはまけないです!わたしもおやまならかんぺきなのです!」


 そして再度、屋敷の二階へと駆け上がった近が飛び降りて、コロコロ、と起き上がるのを目の当たりにした長女は白目を剥いて失神した、と。


 その話は遠鳴から湯布院本家まで一気に伝わり、当主間の話し合いの上、箝口令が敷かれたという。


 また、別の噂では由布院の蘭様が一時歩けなくなるくらい尻を叩かれた、とも。



 ●


 

 そんな話を思い出し、目いっぱい男子成分を堪能している近を見て、無事なら……と思った二人。


 が。


 そこは思春期の、那佳と笹の葉。


 ならば。

 

 この優しそうな可愛め男子が、頑張った、労ってくれたりしないか……と考えてしまった。


 そして。


「如何にお嬢様の命を救ったとはいえ、あの手付きは不穏です。男はケダモノ、と聞きます。私がお嬢様の身代わり、そう!人身御供となり撫で撫でしてもらいましょう!」


 那佳がすすす、と前に出る。


「……よし、策は決まった。駆け寄るラッキースケベよろけるラッキースケベチャック御開帳ラッキースケベ後ろ向きで座るラッキースケベお尻を振って男子屹立ラッキースケベ布の横からギュルりんラッキースケベ。『ああ!壊れちゃうよぉラノベみたいにもっとしてえラノベみたいに!』、そしてぐりぐりされて昇天ご満悦☆。これ」


 笹の葉が那佳の袖を引っ張り、ずずい、と前に出た。


「貴女は気でも触れたのですか?!それに本音がだだ漏れてます!いかがわしい!」

「……むっつり賢者はあっちいけー。夜な夜なお豆の大収穫しやがってー」

「むっつり?!赤裸々助平に言われたくありません!」


 那佳は、自分の秘密お豆いじりが暴露された事に気付かないまま笹の葉と腕を引っ張り合っている。


 ちなみに、笹の葉は『一度に長くこってり』派である。


 近の様子に一安心をした二人は、わいわいきゃあきゃあと颯太と近にぶつかった。


「わ、わー?!」

「いて……いったーい!!」



 ●



(で、そのタイミングで御付き衆に救急車が到着して、私がバタバタしている時にそーた君が『じゃ、じゃあ失礼しますっ!』っていなくなっちゃったんだよね。笹の葉が、そーた君の後を追ったのは驚いたし喜んだけど……)


 そう。


 笹の葉は咄嗟に、こっそりと颯太の後を追っていたのである。


 それを聞いた時、近は非常に喜んだ。

 すぐにまた会えるかもしれない。

 すぐに、お礼ができる、と。


 笹の葉の話を聞くまでは、そう思っていた。



 ●



「お嬢。あの男子は学校見学の後、書店に寄った。恐らく、ラノベが好き。これらの本を見て、嬉しそうにしていた。私と趣味が近いかもしれない」


 そう言ってニヤリ、と笑った笹の葉は、書店の紙袋を近の目前にぶら下げた。


「ここには、男子の夢と希望が溢れている。私はこれで更に、中二を磨く」


 勝ち誇る笹の葉を見た近は、紙袋をひったくった。


「あの人は、このジャンルの本に出てくるような女の子が好きなんだね!よし!……笹の葉、すぐに追いついて、追い抜く!」

「お嬢様!後学の為に、是非私めにも!」


 笹の葉はそんな二人を見てほくそ笑んだ。

 これは、仲間を増やすチャンスがやってきた、と。


 ちなみに颯太は、異世界モノやラブコメで有名な出版社の棚をひと通り眺めて、感激していただけである。


 だが、笹の葉以外は真実に辿り着けるはずもなく。

 近と那佳のラノベチャレンジが始まった。



 ●



「「い、妹ぉ?!」」

「「お、お姉ちゃんとぉ?!」」

「「は、はーれむぅ?!そんな願望がっ!」」

「「スローライフ……二人で……」」

「「僕っ娘?!ぼ、ぼくね……ぎゃー恥ずかしいぃ!」」

「「だ、男子が男子と……やお?い?」」

「「じょ、女子×女子!そんなの入っちゃうの?!」」

「「N・T・R…………どどど、どっちなの?!どっちがいいの?!」」


 この辺りで、ほんのりラノベが好きになった那佳はハード路線から脱落した。


 だが、近は。


 笹の葉が厳選したラノベの、可愛い女子達を参考にし。

 次に会う時は、可愛い自分を見てもらいたい、どきどきさせたい、と頑張り続けた。

 

 そして贖罪の為に、と自ら望んで近付きとなった羽遊良をも巻き込み。

 それぞれが思い描く、可愛いが過ぎるヒロインへとイメージチェンジしていった。



 ●



(まあ、全員そのおかげでそーた君に気付いてもらえないんだけどね……)


 苦笑いする近。


「あー……でも。昔の事を思い出してたらそーた君に会いたくなっちゃった。恥ずかしいとかもういいや」


 近が颯太を好きか、と言えば好きなのだ。

 趣味の合う友達、と言えばそうなのだ。


 でも、今は。

 始まったばっかりの颯太との時間を大事にしたい。

 もっと颯太をゆっくりと見ていたい。

 今は、まだ。


 颯太の顔を見たくてしょうがなくなった近。


「具合良くなったから、学校に行くよ!お願ーい!」


 御付きにそう告げた近は、支度を始めたのだった。





【お・ま・け】





 近が支度を始める時間から少し遡り、始業の予鈴前。


「颯太、予習終わりそう?」

「うん!今見直し中だよ」

「見直しに満面の笑みってスゴイよね……」

「準備オッケー!って嬉しくなっちゃうの、僕だけ?」


 和樹の感想に、こてり、と首を傾げる颯太。

 颯太らしいなぁ、と微笑む和樹。


 そこに。


 がらがらっ!

 ビッターン!!


 びっくぅ!!!


 大きな音を立てて開いた教室の扉。


「「え」」


 話してる途中に振り向いた颯太と和樹の声が、またしても重なった。


 教室内に響き渡るクラスメイトの歓声。

 その中を、蘭が颯太の席にスタスタ近づいてきた。


「颯太、御機嫌よう。生憎の空模様だな」

「そうですね……じゃなくて!せ、先輩!授業が始まりますよ?!」

「蘭だ!」

「もう!蘭先輩……!」

「うむ!」


 わたわたする颯太の反応に満足げに頷いた蘭は、次に和樹に目をやる。


「……?和樹、お前の教室は上だぞ?」

「……あの、蘭姉ぇ。まさか本気で僕を上級生のクラスに行かせたりしないよね?」

「和樹、授業が始まるぞ?そこを早くどかぬか」

「本気だった……!!」


 蘭は和樹の席の横で屈みこみ、尻でぐいぐいと颯太側のスペースを半分確保した。


「落ちる!落ちるっ…………颯太、僕には無理だ。力を貸してほしい……!」


 机にしがみつく和樹を見て、颯太は蘭に物申した。


「もう、和樹が可哀そうですよ。それなら……蘭先輩、またお昼休みに中庭でお話ししましょう。ちゃんと授業受けないと、みんな怒られちゃいますよ?」

「む、そうか。話したりぬが、致し方なかろう。昼だな」


 今日もお昼の憩いが無くなった颯太と、あっさりと立ち上がった蘭。

 教室にどよめきが上がった。


 自分の情けなさを思い、しょぼん、と颯太を見る和樹。


「そういえば、綾乃が謝っていたぞ。『お見苦しいところ見せちゃってごめんね!また改めて!』と言っていた」

「お見苦しいとこって……はわ?!じゃ、なくて!最後具合悪そうでしたもんね!皇城先輩」


 演劇部の部室で見てしまった綾乃の、あられもない姿を思い出して頭を振る颯太。


 必死に何かを追い出そうとするそんな颯太を見て、蘭はむむぅと唇を尖らせた。


「……今、綾乃の尻を思い出し……」

「わー!わー!蘭先輩の言葉で思い出したんですよ!!追及しちゃだめー!」


 颯太は顔を真っ赤にして、わたわたと蘭の言葉を遮る。

 蘭が頬を膨らましかけたところで、予鈴が鳴った。


「ほ、ほら!授業遅れちゃいます!先生来ちゃいます!」

「む。何やらむず痒いが、致し方ない。では昼休みにな」


 和樹の席から立ちあがり、出口に向かおうとする蘭。

 が、すぐに立ち止まって、颯太の方へ戻ってきた。


 どんっ!と肩をぶつけられ、よろめく颯太。

 

「うわ?!な、何を……」


 



 ん、べぇー!





 目を固く閉じた蘭が、颯太の顔の側で舌を出した。


 そしてまたくるりと向きを変えて、教室を出ていく蘭。


 普段でも目にしない蘭の表情に瞠目する和樹。

 何が起きたかわからぬまま蘭を見送り、どよめく生徒。


 そして。


 颯太は蘭の初めて見る表情と、凛々しさとのギャップに顔を赤らめてしまったのだった。

 

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