猥語奇譚 ~卑猥な単語の意外な由来~

七海けい

力強くむくむくと起こり立つこと。人はそれを「勃起」と呼ぶ


 まずは、辞書かネットで「勃起」という単語を引いて欲しい。

 若干の違いこそあれ、おおよそ以下のような説明が出てくるはずである。


 ①力強くむくむくと起こり立つこと。

 ②陰茎が海綿体の充血により大きく硬くなること。


 通常、我々が「勃起」と聞いてイメージするのは②の意味である。しかし、多くの辞書が①の意味を、それも、チソコの起立よりも先に①の意味を説明することには、ちゃんとした意味がある。

 というのも「勃起」本来の意味は、①の方なのだ。


 半月ほど前、あるブログが、某有名漫画Gルデンカムイで頻出する台詞について、興味深い記事を出していた(カクヨムの規定に照らしてURLの提示は自粛する)。

 某漫画では、この「勃起」という単語がしばしば重要な意味を持ってくるのだが、そのブログによれば、江戸時代の後期から明治の初期にかけて、「勃起」がチソコの起立というよりむしろ、①の意味で常用されていた可能性があるというのだ。


 以上の手掛かり得た私は、「勃起」という単語がいかなる経緯でその意味と用法を変容させてきたのか、追跡することにした。


***


 そもそも「勃起」という言葉は、どうやら漢籍(中国の書物)に由来するらしい。

 唐代──7世紀中国の百科事典『芸文類聚ぶんげいるいじゅう』に「……夕日將昏,天吳駭奔,陽侯漂海,若泛江豚,爾乃雲霧,風流溷淆……」という一節が出てくる。漢籍における「勃起」は雲や土煙が急に立ち籠める様子を表わすようであり、しばしば「風霧」や「砂塵」といった単語を伴って登場する。「急に」「力強く」「立ち上がる」といったニュアンスも、これと矛盾しない。


 また、室町期の僧侶や江戸期の武士といった学識ある人々にとって、漢学や仏典は半ば必修科目のようなものであったから、「勃起」という語が中国から日本に渡り、広まった経緯自体は想像に難くない。

 なお、江戸期の人々が言う「勃起」には「急にわき起こる」といった意味に加えて「血気盛んな」といった含意があったようである(上のブログはこの辺に詳しい)。


***


 時は流れ、日本の近代化が進む明治(1868~1912)から大正(1912~1926)の前半にかけて。


 この時代では、主に三つの文脈で「勃起」の類例を確認できる。

 一つ目は、医学・獣医学的な文脈での「勃起」である。


・川地三郎「狂犬病二三の患者に就て」『細菌学雑誌』1901

「精神状態少々興奮し陰茎の頻々自ら制すること能はず」


・石川日出鶴丸「馬と人の人口受胎術を論じて「人口論」に及ぶ(まるさす生誕百五十年記念号)」『経済論叢』1916

「石女の大多数はその不妊の原因は男子に存るものにして、諸種の脊髄疾患・生殖器病・又は不全・早漏等の外……」


 二つ目は、技術の発展や時代の流れ、個人の熱意を表現する「勃起」である。


・柳沢銀藏「顆粒性皮炎に就て」『中央獸醫會雑誌』1890

「実地研究の念益々し終に各地友人に報して本症発見次第報告あらん」


・金田楢太郎「日本交通一般」『地学雑誌』1894

「盛りなりし鉄道熱は幾多の私立鉄道会社をせしめ……」


・今井亥、三松述「「メントール」 吸入療法に就て」『大日本耳鼻咽喉科會會報』1903

「近年に至り理学的療法のするに従い薬物蒸気吸入法の価値を高め遂に之を賞用するに至れり」


 三つ目は、自然の息吹を表す「勃起」である。


・石井八萬次郎「朝鮮漫遊談」『地学雑誌』1900

「京城付近の高き山は大抵花崗石より成れり……四方ば片麻岩にて取囲み中央は花崗石突然としてせり」


・河口慧海『チベット旅行記』1904

「……けれども雲の軍勢が鬱然とし、時に迅雷轟々として山岳を震動し、電光閃々として凄まじい光を放ち……」


・小島烏水『日本アルプス』1910~1915

「山岳は穹窿ドーム形の高塔を築き上げて、人類の起工した大伽藍の荘厳を憶い起させる、穂高岳、霞沢岳、笠ヶ岳、蓮華岳、常念岳、大天井岳、剣岳などは、いずれも肩幅が濶く胛肉隆々としてしている、山形分類を行えば、先ず穹窿ドーム形の部に入るべきであろう」


 この時代の「勃起」は、チソコの起立だけではなく、社会のダイナミクスや自然の息吹を表す、幅広い意味を持つ言葉だったようである。


***


 再び時は流れ、エロ・グロ・ナンセンスの大正後期(1920年代)と軍国主義の足音が迫る昭和初期(1930年代)から成る、いわゆる戦間期と呼ばれる時代。


 この時代も、医学的な文脈と、政治・社会評論的な文脈の両方で「勃起」の類例を確認することができる。

(管見の限り、地理的な文脈で「勃起」を使用した類例は見当たらなかった。医学的文脈での用例は山ほどあるので、ここでは、政治・社会評論的文脈での用例に絞って列挙する)


・林鶴一「経済に関する数学に就て」『日本中等教育数学会雑誌』1921

「斯く民衆の意志の尊重せらるるに至りては選挙なる現象の頻繁にして、あらゆる方面にそのことあるは当に理の然らしむるところにして、従つて選挙法の研究は一時も欠くべからざるなり」


・小泉順三「一七八九年に於けるフランスの第三階級」『三田学会雑誌』1929

「1789年の農夫をして突如せしめた者は何者であったか」


・西田幾多郎:満州事変を受けての、友人への手紙:1932

「憲政堕落の結果暗黒なる力の 邦家の前途寒心に堪へざるものあり」


・佐伯冨「宋代の茶商軍に就いて」『東洋史研究』1938

「宋代には茶賊は諸處にしたが、そのうち元も大掛かりなものは南宋孝宗の淳熙二年四月湖北に起つた茶駔(茶の仲買人)頼文政の反乱である」


・貝瀬謹吾「満州における機械工業の回顧」『機械學會誌』1938

「元を滅ぼした民は漢民族であるが満蒙における勢力範囲は主として南満州に限られたのであつて、やがて満州族の女真から愛親覺羅氏の一部族がし、次第に四隣を征服し、1625年、瀋陽即ち今の奉天に都を奠め、国号を清とし称し後明を滅し、満蒙支那全土をも併吞して完全なる統一の下に一大国家を建設したのである」


 ところで、これらの発表と同じ時代、性的興奮としての「勃起」を意味する用例が散見されるようになる。


・小林多喜二『蟹工船』1929

「「畜生、困った! どうしたって眠ねれないや」と、身体をゴロゴロさせた。「駄目だ、伜が立って!」

「どうしたら、ええんだ!」――終しまいに、そう云って、している睾丸を握りながら、裸で起き上ってきた。大きな身体の漁夫の、そうするのを見ると、身体のしまる、何か凄惨な気さえした。度胆どぎもを抜かれた学生は、眼だけで隅の方から、それを見ていた。」


・小穴隆一「二つの絵」『中央公論』1932

「スパァニッシュ・フライ――カンタリスが、どう危險であるか、またどういふ滑稽な作用(連綿陰莖)があるものなのかといふことなどは知つてゐなかつた」


 もっとも、『蟹工船』の初版は検閲まみれだったという話だから、こうも直接的な表現が発表当時に読まれたかどうかは不明である。しかし、小穴の方は明快である。カンタリスとは、昆虫のマメハンミョウから取れる尿生殖器刺激薬だが、この作用を彼は「滑稽」と形容している。


***


 1940年代(事実上の戦中及び戦後直後)における非医学的文脈での「勃起」の類例は、文物の発表そのものが少ないせいか、確認できなかった。


 社会評論上・文学上に再び「勃起」の語が立ち現れるのは、1950年代に入ってからのことである。


・坂口安吾「安吾巷談 麻薬・自殺・宗教」『文藝春秋』1950

「ある若い作家の小説にも、たくましい情人に太刀打ちするのにアドルム一錠ずつのむというのがあったが、してみると、その効能は早くから発見されて、ひろく愛用されているのかも知れない。

 先日、田中英光の小説を読んで感これを久うした含宙軒師匠がニヤリニヤリと、フウム、あの薬をのむと、しますかなア、とお訊きになったが、勃起はどうでしょうか。私は中毒するまで気がつかなかった。完全な中毒に至ると、一日中、勃起します。しかし、もうその時は、歩行に困難を覚え、人の肩につかまって便所へ行くようなひどい中毒になってからで、これでは差引勘定が合わない。人の肩につかまって歩きながら、アレだけは常に勃起しているというのは、怪談ですよ」


・尾崎士郎『親馬鹿読本』1955

「昭和十二、三年頃だから中日事変がしたばかりの頃である」


・高見順「いやな感じ」『文学界』1960

「俺は女の目につかぬようにして、ピストルを隠すにはどうしたらいいかと考えた。このままでも、ズボンの股のところが、まるであれがすごくしたみたいにふくらんでいる。おかしいので、手をやっていた」


・外村繁「澪標」『群像』1960

「私の性欲史はまだ終ってなどいない。しかも私はそれほど悪い気持ではない。呆れ果てる。いっそ滑稽でさえある。私は妻のいない床の中で、文字通り苦笑するより他はなかった。

 その翌翌朝、私は鳴き頻しきる鶯の声を聞きながら、目を覚ました。私の性器は、やはり隆隆としていた。その日、妻はコバルトをかけるため、大塚の癌研附属病院へ移ることになっている」


 上の4つの類例のうち、政治・社会評論的な文脈で「勃起」を用いているのは尾崎ただ一人である。彼は、戦前から活躍した作家であり、その主義主張ゆえに、一時は公職追放処分となった人物でもある。

 残りの三人は「勃起」を性的なもの、或いは、ある種コミカルなものとして描いている。

 なお、1960年代以降、医学的な文脈と性的・猥雑な文脈以外で「勃起」の語が用いられる機械は激減する。事実上、「勃起」を政治・社会評論的な文脈で使用する慣わしは、戦前までのものだったと言えるのだ。


 そして、この事実はさらなる問いを導き出す。

 すなわち、「勃起」の性的な意味が強くなったせいで、それ以外の意味では使われなくなったのか? 逆に、「勃起」の非性的な意味が弱くなったせいで、性的な意味でしか使われなくなったのか? という問題だ。


 無論、この二つのロジックは鶏と卵の関係だ。どちらか一方だけが真実というわけではないだろう。

 しかし、何かセンセーショナルな形で「勃起=チソコ」というイメージが定着した方が先なのか、逆に、非性的な議論の場において「勃起」という概念や単語が使われなくなった方が先なのか。これは、非常に気になるところである。


 以下、傍証に照らして議論する。


 戦前の日本で、いわゆる「青年団」の設立を提唱・推進した教育家に、山本滝之助という人物がいる。

 1920年代、彼は「田舎青年覚醒勃起」を呼び掛け(けっして朝立ち推奨という意味ではない)、青年団の結成を全国規模で推進。これが、政府主導の青年団運動と結び付いた結果、戦前の青年団は「銃後の担い手」として軍国主義に加担することとなった。


 翻って戦後、草の根的な政治・社会運動は「労働争議」や「安保闘争」など、左派陣営主導のものとなっていく。彼ら左派陣営は「勃起」に相当する意味で「決起」や「闘争」といった語を好んで用いた印象がある。

 もし、「勃起」に戦前的・国粋的なイメージが染み付いていたのであれば、戦後、政治的・社会的な文脈で「勃起」という語を使う機会は激減した可能性がある。


 今現在、政治的・社会的な意味での「勃起」に替わって使われている単語は、何であろうか?


「抗議運動が

「企業の新規参入が

「襲撃事件が

「ある勢力が


 こんなところだろうか。


 湧き上がるような力の流れを意味する言葉が消え、範囲や頻度、速度を表す言葉が残るのは、何やら示唆的な気がしないでもない(「勃発」や「発生」も代用語の一例だろうが、汎用性は「勃起」の方が高い)。


 一方で、漢詩に由来する、雄大な自然を「勃起」と表現する慣わしは、明治以降の日本には馴染まなかったように思われる。

 近代日本の歴史は、自然を切り伏せ、田畑や鉱山を開発する歴史でもある。天気や地形に、抗しがたい自然の息吹を──「勃起」を見出す機会は、なかったのではないだろうか。

 現に、上に挙げた類例も、朝鮮やチベットの自然を書いたものが含まれている。


***


 以上が、自然地理と社会評論の場から「勃起」という単語が去勢され、医学用語と猥語としてのみ「勃起」が残存した経緯である。


 今となっては、医学・獣医学界隈と猥談の場でしか口にされなくなった「勃起」であるが、その単語の使われ方は、なかなか数奇な運命を辿ってきたようである。


 いつ、そして誰が、erectionを勃起と訳したのか。いつ、そして誰が、おっ立てたソレを勃起と呼び始めたのか。まだまだ謎は尽きないが、ひとまず本論は、これにてお開きとさせていただく。


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