第13話 何故『爆縮』は起きたのか

 2023年6月22日 (現地時間) 、タイタニック号の沈没現場から約800m離れた海域で、潜水艇タイタン号の破片が発見された。

 アメリカ沿岸警備隊は「五人の乗員は爆縮により死亡した可能性が高い」との声明を発表した。



『爆縮』


 爆縮とは、全周囲からの圧力で瞬時に内部が圧し潰される現象である。

 初めて自分はこの言葉を知った。



 2023年6月16日、四名のツアー客と運航会社オーシャンゲート社のCEOストックトン・ラッシュ氏は、潜水艇タイタン号を載せた船でカナダのニューファンドランド島を出港した。

 目的の場所は約700kmの彼方、タイタニック号が沈む海域だ。


 ツアーの始まりである。



 このツアーは、海底3,800mに沈むタイタニック号を潜水艇で観覧するというもので、参加費用は一人25万ドル (日本円で約3,500万円) という高額にも拘らず、多数の応募があったという。

 参加者は潜水艇に搭乗する前に免責事項にサインをさせられる。それには次のような文言があった。


「タイタン号は如何なる機関からも承認や認証を受けていない実験的な潜水艇であり、永久的な障害、精神的なトラウマ、あるいは死に至る可能性がある」



 6月17日、参加者の一人、イギリスの資産家ハーディング氏は「明日の4時、ダイビングを開始する予定だ。チームには伝説的な探検家もいる。参加できることを誇りに思う」とインスタグラムに投稿した。



 6月18日、早朝、潜水艇タイタン号が母船から降ろされ、タイタニック号が眠る3,800mの海底を目指してダイビングは開始された。

 到達までにかかる時間はおよそ2時間。

 今回の事故はこの過程で起きた可能性が濃厚だと云われている。


 以下はタイタン号から母船に送られてきたメッセージである。

 9時28分、船体にひび割れが入ったことを知らせる警告音が鳴った。

 9時30分、タイタン号は緊急で上昇を決定した。

 9時38分、乗員はパチパチという音を聞いた。

 9時42分、パチパチ音は消えたが、警告アラートは全て赤色を表示。

 9時43分、乗員は潜水艇の上昇速度の遅さに困惑。

 9時46分、再びパチパチ音が鳴り始めた。

 ここで通信は途絶えた。これがタイタン号からの最後のメッセージとなった。



 水中では深さが10m増すごとに圧力は約一気圧の割合で増加する。

 3,800mの深さでは圧力は約3,800万パスカルになる。タイタン号はこの水圧に耐えることができず、音信不通となった直後、わずか0.03秒で船体が圧壊した可能性が高いと考えられている。


 つまり、大規模な捜索活動が行われる前だ。


 人間の体表面積は約1.9㎡であるため、3,800万パスカルの環境において身体には7,300tもの甚大な圧力がかかることになる。脳が痛みに反応するまでにかかる時間は0.2秒。つまり、五人の乗員は痛みを感じる暇もなく命を奪われたことになる。



 6月28日、タイタン号の破片が引き揚げられ、潰れた船体の状況から事故の原因は爆縮と断定された。


 では何故、爆縮は起こったのか。


 今回の事故を起こした潜水艇タイタン号は、全長6.7m、横2.8m、高さ2.5m、重量約10t、時速5.6km。船体は炭素繊維とチタンで造られ、制御はゲームのコントローラー、通信システムはテキストメッセージのみ。GPSは付けられていなかった。


 オーシャンゲート社の操縦士兼検査官だった元従業員のデイビット・ロクリッジ氏は、会社の上層部に提出した品質管理レポートの中で「3,000m以上の潜水を実現するには炭素繊維は適切な材料ではなく、最大約1,300mまでの深度しか耐えられない。その欠点を補填するためにもスキャン方式で船体の状態を監視する警報システムが必要である」と指摘していた。

 しかし、最終的には経費節約のために音による監視システムが採用された。つまり船体にひび割れが入るといった異常が生じた時に、その音を拾うことによって船体の危険な状態を知ることができるというものである。だが、それを知った時には既に船体は致命的なダメージを受けているわけで、深海環境ではもはや手遅れとなり、乗員に大きなリスクをもたらすことになるのは自明の理であった。

 デイビット・ロクリッジ氏のレポートを受けてオーシャンゲート社が行なった措置は、彼への解雇通告だった。


 かくして、使用素材の強度の問題、安価な警報システム、さらには船体の金属疲労、定期点検の不備などの大きなリスクは等閑にされたまま、ツアーは開始された。



 映画『タイタニック』(1997年、アメリカ) の監督ジェームズ・キャメロン氏は、この事故に関する取材を受け「オーシャンゲート社のCEOからツアーに誘われたが興味がなかった。タイタン号からの通信が途絶えた時点で、もう何が起こったのかわかった。これは非常に大きな超現実的な皮肉だと思う。タイタニック号は警告があったにも拘らず、船長が月のない視界が悪い夜に、氷山が浮かぶ海域に全速力で船を進入させたことが原因で沈没した。今回の事故も似たような状況だ。多くの警告を無視したオーシャンゲート社の杜撰な運営がこの事故の最大の原因だ」と語ったという。



 犠牲となられた五人の方々のご冥福をお祈りいたします。

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