第23話 集まる者たち

 部下の刑事たちが緊急出動し、静まり返った刑事部屋で、鮫村課長は一人報告を受けていた。


「……山添と黒河は浦元と合流、拳銃を所持した男の運転する白いライトバンを追跡中」


 これに電話を手にした鮫村はうなずく。


「了解、交通課には応援要請済み。無理をせず追跡を続行されたし」


「了解」


 電話の切れたのを確認して、鮫村は一つ大きなため息をついた。


 ことの経緯はこうである。昼間の連続発砲事件で敏感になった市民から、霊園で銃声のような音が聞こえたと通報があった。そのため、坊主頭の男の行方を追っていた外回り連中のうち、近くにいた三名を現場に急行させたところ、拳銃を構えている黄色いジャージの男を発見したのだ。


 黒河刑事の警告にも従わず男は逃走、駐車場に駐めてあった白いライトバンに乗り込むと、待機していた浦元刑事の制止を強引に振り切り、駐車場の出口バーを破壊して逃亡を図った。それを刑事三名を乗せた覆面パトカーが赤色灯を回しながら、所轄のパトカーを引き連れて追跡している現状。普通なら観念して逃げるのを諦めても不思議ではないシチュエーションだが、そんな簡単な相手ではないらしい。


 鮫村は椅子を引き寄せてどっかり座ると、また一つため息をつく。


 派出所の巡査が撲殺された現場の近くから、七・六二ミリのトカレフ弾が発見されたとついさっき報告が入った。巡査は射殺された訳ではないし、そもそも彼のリボルバーは保管庫に置かれたまま。銃声を聞いたという通報もなかったのだから、銃弾の有無を調べなかった捜査担当者や鑑識が仕事を果たしていないという話ではない。想定外は常にあるものなのだ。従って当然、死体の手の硝煙反応は調べていなかった。鮫村の指示で調べたところ、反応が出たのも当然か。


 冷静になろう。鮫村は自分に言い聞かせた。冷静に、慎重に、客観的にと。


 中東系の男、巡査、ライダースーツの女、作業服の男、そして黄色いジャージの男。共通点が何かあるだろうか。たとえば全員が同じ組織に属していたとか。あるいは同じ宗教を信仰していた。もしくは同じ施設の利用者だった。どれもピンと来るものがない。いま可能性があるとしたら一つだけ。あまりにも馬鹿げた可能性だが、話の筋が通るのはこれくらいなのではないか。


 すなわち、トカレフが意思を持って移動している。


 もちろん言うまでもなく、そんなことなど有り得ないのは大前提だ。ただ、「そう見える何らかの理由」がそこにある可能性までは否定できない。それがどんな事情で、どういった現象なのかはわからないが、外部からはトカレフに意思があるかの如く見えてしまう事態が起こっている。そのように考えるのが一番妥当なのではないか。


 もしその事態が現在も継続しているのなら。我々はトカレフに意思があり、所持者を自ら次々に変えて人から人へと渡り歩くことを考慮して、計算に入れて事件に向き合わねばなるまい。常識に囚われて可能性を切り捨てることがあってはならない。大事なのはこれ以上の事件の発生を食い止め、犯人を逮捕すること。そのためならオカルトであろうと何だろうと使えるモノは使わねば。鮫村はもう一度ため息をつきながら考えた。自分がトカレフの立場なら、次にどう動くのだろうかと。




 散場大黒奉賛会の支部教会では、毎夜九時過ぎから「勉強会」が行なわれているという。新会員歓迎会が行なわれた前夜こそなかったが、今日からは普段通りのスケジュールになると小丸久志たちは説明を受けた。


 昨日宴会が開かれた部屋は、本来「修練室」と呼ばれているらしい。久志と縞緒有希恵、釜鳴佐平、“りこりん”こと花房璃々子が他の信者とは少し離れた部屋の隅に案内されて畳の上に座っていると、エビス顔の土蔵部が現われ部屋の一番手前へと座った。


 その後に続いて修練室に入ってきた四人の信者は、手に手に小さな箱膳のような物を有り難げに掲げて、摺り足で他の信者たちの横を通り過ぎる。そして久志ら四人の前にその箱膳を置いた。


 さすがにこれは久志でなくとも息を呑む。箱膳の上にはそれぞれ銀色の自動拳銃が置かれていたのだから。土蔵部はいつもの調子で話し出した。


「それはベレッタM92という拳銃です。と言ってもただのガスガン、BB弾を飛ばして遊ぶオモチャですからご安心を。皆さん、手に持ってみてください」


 そう言われて手に取らない訳にも行かない。他の信者たちも見ているのだ、久志は横の三人に少し遅れてベレッタを手に取った。重い。ズッシリとした金属の感触。これは本当にただのガスガンなのだろうか。


「小丸さん」


「は、はい」


 土蔵部の声に久志が顔を上げると、エビス顔をさらにほころばせながら相手はこう言った。


「その銃口をお隣の縞緒さんに向けてください」


「……え」


「大丈夫、弾など入っていませんし、ガスも入れてありませんから。縞緒さんも小丸さんに銃口を向けてください。釜鳴さんは花房さんに、花房さんは釜鳴さんに銃を向けましょう。さあ、さあ早く」


 縞緒は平然と久志に銃口を向ける。釜鳴と“りこりん”も互いに銃を向け合った。いまや部屋の視線は久志に集まっているのだ、仕方ない。久志は縞緒に銃を向けた。


「では引き金を引いてください」


 土蔵部の明るい声に、久志は思わず立ち上がった。


「ちょっと待ってください!」


 しかし土蔵部はニコニコ笑っている。他の信者たちも笑っている。


「どうかしましたか、小丸さん」


「いや、どうもこうもないでしょう。何なんですかこれは。いったい何のためにこんな」


「通過儀礼ですよ」


 そう言う土蔵部は落ち着いた表情。


「本気で信仰に向き合う覚悟があるのか、要はあなた方の『やる気』『本気度』を形として見せていただくという趣旨です。別に遊園地でジェットコースターに乗ってもらっても、バンジージャンプをしてもらっても良かったのですが、そこまで大袈裟にすることでもありませんしね。何度も申し上げるように、それはただのオモチャの銃です。信仰のためなら他人さえも撃てるという強い気持ちを、形だけでも拝見できればと」


 説明になっているようでなっていない。何故拳銃を使うのかに触れられていないのだから。もちろん本当にガスガンかどうか、確認する方法はある。ガスガンなら普通、マガジンの底にガスを注入するバルブ穴があるはずだ。しかし露骨にそれを確認するような態度を見せれば、追い出されてすべては終わりである。潜入した意味がない。


「小丸さん」


 立ち尽くし悩む久志を、土蔵部はキョトンと不思議そうな顔で見つめる。


「もしや、私の言葉が信用できないとおっしゃるのでしょうか」


「いや、それは」


 信用などできるはずがない。昼間の青空優遊舎への荷物運びといい、この拳銃といい、悪意があるとしか思えない。もちろん悪意を向けられる心当たりは久志の側にある訳だが、だからといってその疑惑をこちらから口にすれば、果たしてただ追い出されるだけで済むかどうか。


 他の信者たちはヒソヒソと小さな声でざわめき始めた。マズい、このままではいろんな意味で非常にマズい。


「これからの人生をこの散場大黒奉賛会の一員として送る覚悟と意思がおありなのか、我々は見せていただきたいのです。さあ引き金を引いてください。さあ、さあ」


 土蔵部が迫る。このベレッタが本当にオモチャなら、何も起きないだろう。だがもし、もしも万が一本物で、実弾が入っていたりしたら。もしも我々四人がお互いに殺し合うよう仕向けられているのだとしたら。疑心は暗鬼を生じ渦を巻く。これは潜入捜査の任務を放り出して逃げた方がよくないか、久志がそう思い始めたとき。修練室の外側から大きな声が響き渡った。


「すいませーん、誰かいませんかー!」


 修練室の内側の空気が変わった。


「いないんなら勝手に入るけど、後で文句言いっこなしでお願いしまーす!」


 これを知らん顔もできない。土蔵部は近くに座っていた信者に目配せし、玄関の様子を見にやらせた。数分後その信者が戻ってきて言うには、十二、三歳の女の子をおぶった坊主頭のデカい男が入信を希望しているとのことだった。




「カンカン場のママの紹介なんだが」


 名刺を差し出した地豪勇作の言葉に、土蔵部と名乗った男はエビス顔を苛立たしげに歪めた。


「いや、確かにあのママさんは存じ上げておりますが、そう言われましてもね、何の断りもなく入信を勝手に決められては困ります」


「いいじゃねえか、二人くらい。アンタら宗教なんだろ、追い詰められてる人間に救いの手を差し伸べてもバチは当たらねえと思うぞ」


「とにかく、とにかく協議いたしますので、しばらくこの修練室で待っていてください」


 そう言うと土蔵部は大半の信者を引き連れて修練室から出て行った。後に残されたのは勇作とマーニー、そして信者が四人。見張りなのだろうが別に構いはしない。それよりマーニーの方が心配だ。さっきから意識がない。とは言え、勇作に何かできることがある訳でもないのだ。座布団を並べた上にマーニーを寝かせ、ロサンゼルス・エンゼルスのキャップを脇に置き、ただ様子を見守るだけ。


「ケガをしてるんですか」


 声をかけてきたのは、線の細い神経質そうな男。しかし悪人ではないのだろう、少し離れた場所から、まるで自分の娘にでも向けるかのような視線でマーニーを見つめていた。


「いや、傷はもう塞がってる」


 勇作には他に上手い言いようが思いつかない。それをフォローするかのように、メガネの若い女がこう言った。


「ケガはしたものの傷は塞がっている、ただしダメージが大きかった、というところのようですね」


「交通事故にでも遭いなすったか」


 たずねたのは一見優しげな、しかしやけに眼光の鋭い老人。これに勇作が口を開くより先に答えたのは、部屋の角にもたれて立ち、白い小犬を抱いている全身黒づくめの少女。


「鉄砲傷ですよねぇ、それ。傷つけたのはぁ、あの黒いトカレフでしょ」


 他の三人の信者が目を見開く。いかな血の巡りの悪い勇作であっても、これには気付いた。コイツら、「アレ」を知っているのだと。尻のポケットにグロック17の感触はある。残弾は七発、何とかなるか。右手をダラリと下げて、いつでもグロックを取り出せる体勢を取った勇作に、黒衣の少女は冷たく微笑んだ。


「ついでに言うとぉ、あのトカレフの狙ってるのがあなたたち二人だってことも“りこりん”知ってるんですよぉ」


「……それで」


 勇作の目は細くなり、全身からは殺気がみなぎる。室内の空気がピンと張り詰め、温度が下がった気がした。だが。


「そう言えば、あのトカレフは訳ありでしたよね。いまなら本当のことを教えてくれてもいいんじゃないですか」


 線の細い男の意外と空気を読まない言葉に、勇作と“りこりん”は顔を見合わせた。他の二人も様子を見ている。仕方ない、そう言いたげな少女のため息。


「言ってもたぶん信じられないと思いますけどぉ、あのトカレフは呪いの拳銃なんですぅ。手にした人は呪われてぇ、自分の意思を奪われてぇ、ただ人を撃ち殺したいとしか考えられなくなるらしいんですぅ」


 なるほどそれは信じられない、と言いたげに老人は鼻を鳴らす。


「それじゃまるで妖刀じゃねえですかい」


「何だいそりゃ」


 眉を寄せた勇作に、腕を組んだ老人は困ったような顔を見せた。


「ご存じありやせんか、妖刀物って言やぁ昔は芝居やら映画やらでイロイロあったもんだったんですがね」


 老人の言葉の後を受けたのが、線の細い男。


「妖刀といえば代表格は村正ですね。千子村正は室町時代、伊勢国の刀匠です。その鋭い切れ味は噂になり、やがて尾ひれがついて様々な伝説になりました。それがいわゆる妖刀伝説で、最終的に『村正は徳川家を祟っている』という話が江戸時代の武家や庶民の間に流行したりしています。まあ実際には徳川将軍家が村正を保有していたという話もあるのですが。さらに時代が下ると、『妖刀を持つ者は人を斬り殺したくなる』という物語が生まれ、妖刀の所持者が辻斬りをする物語が数多く作られたそうです」


 メガネの女が、やや呆れたように男を見つめる。


「刀とかお好きなんですか」


「いえ、歴史が好きなのですが、関連情報まで覚えてしまって」


「変な人ですね」


「いやいや、あなた他人のこと言えないと思いますけど」


 ちょっとムッとした顔でツッコむ男を横目に、勇作はマーニーの寝顔を見つめている。


「その妖刀伝説は知らねえが、あのトカレフが人間を乗っ取って支配するのは間違いないんだろう。コイツもそんなこと言ってたし、実際トカレフを持って俺たちを襲ってきた連中は、そのたびに違うヤツだったからな」


 そんなことを言われても、ハイそうですかと信じる訳には行かない。老人の顔はそのように告げていた。しかし。


「伝説はぁ、嘘とイコールじゃないんですよぉ。何の理由も根拠もなしに伝説が出来上がるとは限らないんですよねぇ」


 黒いフリルのワンピースの少女が語る言葉に、老人は振り返る。


「するってえと何ですかい、妖刀は実在するとでも」


「実在しますよぉ。人を斬りたくなるとは限りませんけどぉ、不思議な力を持った刀なら、“りこりん”何本も知ってますものぉ」


 これに、線の細い男は首をかしげる。


「でも何でそんな妖刀みたいなトカレフが、僕を殺そうとしたんだろう」


「何にも理由が思いつきませんかぁ? 本当にぃ?」


 “りこりん”の問いかけに、線の細い男は首を振る。


「『あのこどもにあわせろ』とは言われたけど、何のことやらサッパリ」


「あの子供ですかぁ、まあ、今度あのトカレフが姿を見せれば意味がわかるかも知れませんねぇ」


 そう言って、おでこにリンゴの飾りを付けた白いマルチーズを黒いレースの手袋で撫でながら、“りこりん”は勇作に向けて、カラーコンタクトが入っているのであろう黒い大きな瞳でニッコリ笑った。


「ねえ、取引しませんかぁ、“りこりん”たちと。いわゆる安全保障条約ですねぇ」


「じょ、条約?」


 その一言で、自分の容量の小さな脳がキリキリと音を立てた気がする勇作だった。

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