第22話 埋まる欠落

 勇作はグロックを尻のポケットに突っ込むと、立てかけてあった猟銃を手にした。相手の姿が見えるまで待っていたら、こっちがハチの巣だ。散弾二発で一気に制圧してやる。ほとんど狙いを付けずに闇に向かって二度引き金を引けば、十二ゲージの衝撃で台尻が肩をえぐった。相手が真正面にいるのなら、拡散する散弾から逃れる術はないはず。


 しかし。


「上だ!」


 マーニーの声に振り仰いだ途端、夜の闇から何かが落ちてきた。猟銃を持った腕を振り回すのがあと一瞬遅ければ、トカレフのグリップエンドが勇作の頭頂部に食い込んでいただろう。ただそれでも、スニーカーの靴底の跡が残りそうなくらい顔面を蹴りつけられたのだが。


 黄色いジャージを着た相手は、身軽に空中回転して地面に降り立った。勇作は片膝をついただけで何とか堪え、グロックを抜いて構える。けれど向けられた銃口を見ようともせず、敵はトカレフをマーニーに向け、引き金を素早く五回引いた。


「マーニー!」


 勇作の心配もなんのその、両手を突き出したマーニーはすべての弾丸を跳ね飛ばしている。ただし余裕のないその顔に映るのは、笑みではなくみなぎる緊張。何故なら跳ね返した弾の一部は死んだが、何発かは殺せておらず、いまも宙を漂いマーニーと勇作に襲いかからんとしているのだから。


 そんな張り詰めた空気の中、黄色ジャージの口からは少女の名がこぼれた。


「……マーニー」


 トカレフの空になったマガジンがグリップから抜けて地面に落ちる。黄色いジャージのポケットから弾の詰まったマガジンを取り出しながら、宿敵の名前を呼び続ける男。


「マーニー。マーニー、ふふっ、はははは。マーニーマーニーマーニーマーニーマニマニマニマニ、ふはははははっ! マーニーィッ! マァーッ! ニィーッ! はあっはははははっ!」


 グロックの引き金にかかった勇作の指には力が入っているが、マーニーの「いまは待て」の声に動きが止まったままだ。黄色ジャージは一人嬉しそうに笑い、トカレフのマガジンをグリップに差し込んだ。


「知っているぞ、マーニー。その名前。薄汚い異端者の嘘つきめ。神の名を汚し辱める罪人め。神はワレをお選びになられた。ワレに使命をお与えになられたのだ。貴様を二度とこの世にはびこらせぬようにと」


「ならば聞きたいのだが」


 両手を黄色ジャージに向けながら、マーニーは一言一言確認するようにこうたずねた。


「そなたの崇める神の名は何だ。アマテラスか。ヤハウェか。シヴァかブラフマーかヴィシュヌか。あるいはミフルか。……それとも、アフラ・マズダかな」


 最後の名前に黄色ジャージの虚ろな目は釣り上がり、興奮の余りか、声は甲高く途切れ途切れになる。


「その名をぉっ! お、汚辱にまみれたぁっ! その口でぇっ! 火、火、火で燃やし尽くされよぉっ! 悪しき者めぇっ!」


 激怒するトカレフの銃口はまっすぐにマーニーを向いた。しかし次にマーニーの口から出た一言が、黄色ジャージを当惑させる。


「キルデール」


 キョトンとした顔でマーニーを見つめる黄色ジャージは、引き金を引かなかった。一方のマーニーも、相手の反応に驚いた顔。


「これはまいったな。どこかで聞いたような言い草だとは思ったが、そなた本当にキルデールなのか」


「キル……デール。キルデール。何の名前だ。知っている、気がする。キルデール」


 呆気に取られたようにトカレフを下ろし立ち尽くす黄色ジャージに向かって、マーニーは諭すような口調で話しかけた。


「キルデールはそなたの名前だ。そなたが人の身を持っていた頃の名前と言えばいいのだろう。エーラーン・シャフルの祭司長キルデール。ザラスシュトラの申し子よ。まさか鉄砲に生まれ変わるとはな」


 数秒の沈黙。そして不意に黄色ジャージの全身に込められていた力が抜けた。自然体の、厳粛とも呼べる空気をまとい、その目はもはや虚ろではなく光を放っている。いまこの瞬間、欠落していたピースが埋まったのだ。


「キルデール。そう、ワレの名はキルデール。そして貴様はマーニー。まだ懲りもせずその名を使うのか」


「思い出させてやったのだ、礼くらい言え」


 マーニーの返答に、黄色ジャージは口元を不快げに歪めた。


「変わらんな。他人を小馬鹿にしたその態度」


「他人を心底さげすむヤツの言うことではなかろう」


「ワレが蔑むのは、神の真なる教えから目をそむける禽獣の如き輩だけ」


「安心しろ、そなたの言う真なる教えとやらはいま、他の宗教が守ってくれている」


「黙れ、腐敗を招く不浄の輩よ!」


 何かが宙を切り裂く気配。直後、火花が散り、周囲の墓石に硬い音を上げて弾丸がめり込む。それがさっきトカレフから放たれた後、空中を舞っていた弾丸だと勇作が気付くのに数秒を要した。


 赤いキャップのマーニーがニッと笑う。


「悪いが、そなたの力など通用せんのだ」


「それはどうかな」


 黄色ジャージは鼻先で嗤った。


「貴様は異端であるが故に信仰の神髄を知らぬ。偽物であるが故に神の声を聞かず、卑小なるが故に集中力がない」


「最後のはこじつけ臭いが」


「よって持久力に欠ける」


「勇作!」


 マーニーの声と同時に勇作のグロック17が火を噴いた。……五、六、七発。残弾を七発残してグロックは沈黙する。目の前には黄色ジャージが平然と立っていた。当たり前だ。弾が当たっても相手には痛くも痒くもない。当たったとしても、だ。一発も当たらなければ、なおさらのこと。


「……マジか」


 勇作の感覚が間違っていなければ、グロックの弾丸は黄色ジャージに当たっていない。狙わず撃った訳でもないし、相手はゆっくり体を前後させただけで、走り回った訳でもない。それなのに当たらないのである。


「いい腕だ」


 黄色ジャージの視線はマーニーに向けられたまま。


「狙ったところに確実に飛んで来る。射撃大会に出るといい」


「こんの野郎!」


 勇作は一歩前に出た。必ずしも不用意だった訳ではない。もし相手が銃弾をかわしているのなら、距離を縮めることで当たる確率は上がる。それに自分に注意が向けば、その分マーニーが安全にもなるのだ。


 だが、それは浅い計算。


 二歩目を踏み出した勇作の左足を音速の衝撃が貫通する。銃声はない。宙を飛び回っていた弾丸はすべてマーニーに叩き落とされた訳ではなかった。まだ一発だけ残っていたのだ。


 体勢を崩し左側に倒れて行く勇作の目には、自分の方に向けられるトカレフの動きがスローモーションに見えた。閃光が二つ発せられ、銃声が二つ轟く。マーニーの肩越しに。


 飛び込んできたマーニーがトカレフの前に立ちはだかっている。ロサンゼルス・エンゼルスのキャップが闇に舞った。


 黄色ジャージの口元が緩む。


「やはりかわし切れなかったな」


 血に染まる右の脇腹を押さえてマーニーは倒れ込んだ。その頭を狙うトカレフの銃口を前に勇作が慌てて覆い被さったとき、強い真っ白な光が黄色ジャージを照らす。


「動くな! 銃を捨てろ!」


 光の向こう側には人影が二つ。


「警察だ! 銃を捨てなければ撃つ!」


 トカレフは光に対して銃口を向けようと少し動いたが、すぐに勇作のグロックが狙っていることに気付いた。コンマ数秒の逡巡の後、黄色ジャージは後方へ跳んで闇に溶け込む。


「待て!」


「追うぞ! こちら山添、本部に応援要請!」


 光が揺れ、スーツ姿の刑事らしき二人が墓場の通路を走る。そのライトはマーニーを抱き締める勇作をも照らしたはずだ。なのに二人はまるで気付かなかったかのように、すぐ横を走り去ってしまった。


「どういうこった……」


 呆気に取られている勇作の左足を、マーニーがポンポンと叩いた。


「抱き締めるな。息ができん」


「あっ、すまん。おまえ大丈夫なのか」


「おまえ言うな。あと大きな声も出すな。せっかく目を眩ませたのに気付かれてしまう」


 そう言うマーニーの声は、しかし弱々しい。いつものふてぶてしさは見当たらなかった。


「お主の左足は大丈夫であろ」


 言われて初めて勇作は気付いた。さっき射貫かれたはずの左足の傷はもう治っている。


「あ、ああ痛みはない」


「だったら、おぶってくれ。しばらく歩けそうにない」


「大丈夫、じゃねえのかよ」


「心配しなくても死にはしない。ただ自分の傷は、他人の傷ほど簡単には治らんというだけだ」


 勇作の顔には動揺が見えたが、すぐにグロックを尻のポケットに入れるとマーニーをおぶり、猟銃と赤いキャップを拾って立ち上がった。警察の応援が来る前にこの霊園から立ち去らねば。勇作は闇に向かって走り出す。

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