許嫁が俺のことを召使い扱いしてくるので、幼馴染に乗り換えた結果

ヨルノソラ/朝陽千早

許嫁から幼馴染に乗り換えてみた結果

 中学三年生の夏。

 お前に許婚がいる、と父親から告げられた。


 俺は許婚断固反対の意志を示していたが、まるで見向きもされず、トントン拍子に話は進んでいき、秋の訪れを感じ始めた十月中旬。


 俺は許婚かのじょと対面した。


 その時の衝撃は今でも忘れられない。


 影が落ちるほど長いまつ毛。青く澄んだサファイアの瞳。肩下まで伸びた銀髪は、枝毛の一本も見当たらない。


 途端、俺の心は鷲掴みにされ一気に奪われた。多分、一目惚れだったと思う。

 過去に、一目惚れをした経験がないから確証はないけれど、そうとしか説明がつかない胸のざわめきがあった。


 だが、この胸の高鳴りはすぐに勘違いであることを思い知らされる。


「体裁上、貴方は私の許婚ですが、くれぐれも恋人らしいことができるとは思わないことです。私にとって貴方は、そうですね……召使いと言ったところでしょうか。なので、早急にその自覚を芽生えておいてください。私、ミルクティーしか飲みませんので、常に常備しておくように。……ああ、それと私は好き放題浮気しますが、貴方はダメですよ。仮にも私の許婚である以上、浮気されるのは癪に触りますからね。一生童貞、その覚悟でいてくださいね」


 俺の許婚は、いささか──いやかなり、頭のおかしい女の子だった。



 ★



 高校生。

 親戚のおじさんの話によれば、人生で一番楽しい時期らしい。


 生憎と俺──大宮和弘おおみやかずひろはそうは思えない。

 むしろ、人生で一番辛い時期だとさえ感じてしまう。


 ただ、彼女とさえ出会わなければ、俺も人並みに楽しい高校生活を送れていたのかもしれない。いや、絶対そうだ。そうに違いない。


和弘かずひろさん、何してるんですか。遅刻しますよ」

「ちょ、ま、まじで一回休憩させて。……ぜぇ、ぜえ」

「根性がないですね。それでも私の許ず──召使いですか?」

「わざわざ言い直すな。てか、こんだけ重い荷物持たされて普通に歩けるかよ」


 高校生になって早二ヶ月。

 俺の日常は辛い事の連続だった。


 諸悪の根源は、俺の許婚──伊集院紗香いじゅういんさやか


 俺のことを召使い同然に扱う魔性の女だ。


 今は、紗香の荷物を持ちながら登校している最中。


「もう少し体力をつけたらどうですか。簡単にスタミナが切れる男性は情けないですよ」

「あ、あのな。教科書全部入れたバッグを持たされる身にもなれ」

「仕方ないじゃないですか。いつどの教科書が必要になるか分かりません。備えあれば憂いなしですよ、和弘くん」

「なら置き勉してくんないですかねぇ!?」

「私物は手元にないと落ち着かないタイプなので」

「だったら自分で持ってくんないか、これ」


 俺はヒクヒクと頬を歪ませながら、紗香を睨みつける。


 紗香は口角を緩めると、白魚のような細い指を俺の頬にぶつけてきた。


「貴方も私の私物ですよ」

「そうかよ」

「あら、喜んでくださっていいのに」

「どこを喜べばいいんだよ」

「私ほどの美少女に私物扱いされるのって、ものすごく光栄なことだと思いませんか」

「よくそこまで自惚れられるな。ある意味、羨ましいよ」

「ありがとうございます」

「皮肉が通じねぇのか!」


 俺は深々と嘆息する。


 ホント……どうして俺の人生、こうなったかな。

 曇天模様の胸中とは裏腹に、雲一つない澄み切った空を見上げて、俺は深々とため息をこぼすしかなかった。





 ★




 朝から筋肉痛を覚えるほどの大量の荷物を運びながら登校して、心身ともに疲弊した俺は自席にてグッタリと項垂れていた。

 不幸中の幸いは、俺とあの許婚が別クラスであることだ。


 朝のHRが始まるまでの時間は、オアシスといっていい。


 机に顔を伏せながら、スライムのように溶けていると、スタスタと近づいてくる足音があった。その足音は俺の近くでパタリと止まると、右隣の席に腰を下ろす。


「おはよ、カズ。今日はいつにも増して元気がないじゃん。どうかしたの?」

「……あぁ、これまではその日に必要な教科書だけだったのに、必要ない教科書まで追加されたからな」

「ん? どういうこと?」

「とにかく大変だったってことだ」


 帰りもまた荷物持ちをさせられると思うと憂鬱だ。

 なんなら買い物に付き合わされて、さらに荷物が増えるかもしれない。


 想像するだけで、ため息が込み上げてくる。


 ちなみに、こいつの名前は、朝日奈あさひなこより。

 幼稚園から付き合いのある幼馴染だ。俺の数少ない女友達ともいえる。


「よく分かんないけど、また伊集院さんに意地悪されたってこと?」

「まぁそんな感じだな」

「カズって伊集院さんのこと好きなの?」

「いや全然、これっぽっちも好きじゃない」


 そりゃ、初対面の時はその完成されたルックスに目を奪われたりもしたけれど。

 あれは気の迷いだったと理解している。


 許婚でなければ、今すぐにでも縁を切りたい相手だ。


「じゃあなんで伊集院さんの言うこと聞いてんのよ」

「許婚だからな」

「それ、カズが伊集院さんの言いなりになることと関係ある?」

「前にも言った気がするが、こっち側のが立場が低いんだよ。……俺は許婚にさせてもらっている側、みたいな。だから、多少は辛酸をなめないといけない」


 俺と紗香の許婚関係は対等ではない。

 例えるなら、社長と部長くらいの差がある。


 ゴルフ場に足を運べば、社長は気兼ねなく楽しめるが、部長は顔色を常に観察して接待をしなくてはいけない。


 決して、対等な関係ではないのだ。

 その代わり、この許婚に関してウチの家はメリットが大きい。反面、紗香の家はほとんどメリットがなかったりする。


 ……今更だが、紗香の父親はどうしてウチにしかメリットがない許婚を引き受けたのだろう。なにか戦略でもあるのだろうか。


「やっぱり変だって、それ」

「変ってなにが?」

「対等じゃない関係なんておかしい。許婚なんてやめたら?」

「それができたらいいんだがな」


 許婚を解消できるならしたい。

 ただ、この許婚を俺は続けなくてはいけない。


 なぜなら。


「……許婚が上手くいかなかったら父親の会社を継げなくなるんだ。将来設計もままならない俺は、なんとしてもアイツとの許婚は続けないとならないってわけ」

「もっと他の方法あるって思わないの?」

「他の方法? そんなのあるのか?」

「……なくはないわよ」


 こよりは仄かに顔を赤らめて、視線をあさってに逸らす。俺は前のめりになって顔を近づけた。


「え、いい案あるなら教えてくれよ」

「ちょ、か、顔近いんだけど!」

「じゃあ早く教えて」

「……た、例えばだけどっ。伊集院さんの許婚をやめて、あたしに乗り換える、とか……」

「は?」


 こよりが突拍子もないことを言い出す。


 理解が及ばず疑問符を浮かべる俺。


「だ、だから、あたしに乗り換えればいいじゃん。……伊集院さんと一緒なの辛いんでしょ、あたしなら別に、カズのことコキ使ったりしないし」

「え、えっと告白されてる感じですか、今」

「……っ。……もう、ほんと無神経」

「わ、わりぃ」


 こよりは桜色に頬を染めると、プイッとそっぽを向く。

 誰も俺たちのことを気にしていないとはいえ、クラスメイトが点在する教室で、幼馴染からこんな提案がくると思わず、俺の顔にも自然と熱が溜まっていく。


 こよりのことが嫌いなわけじゃない。

 幼馴染としてじゃなく、恋人としてこよりと接するのは面白いとも思う。


 しかし──。


「あたし、考えなしに言ってるわけじゃないから。あたしと結婚すれば、将来的にお父さんの会社、カズが継ぐことになるし……まぁ、割とありじゃん? もちろん、カズ的には今のままの方がお金稼げるかもだけどさ……その、だから」

「け、結婚って、意外と重いのなお前って」

「許婚いるやつが言うな!」


 こよりは真っ赤にしながら咆哮する。


 ただ、俺は彼女の提案にハッとさせられていた。


 俺は選択肢を絞りすぎていたのではないかと。

 親父の会社を継ぐことに囚われていた。そうすることが正しいのだと思い込んでいた。


 だが、実際はそんなことはない。

 実の息子を、経済戦略に使う父親の会社を継ぐことが素晴らしいとは思えない。


 俺は席を立ち上がると、こよりの肩をがっしりと掴む。


「ふぇ、ちょ……ど、どうしたの、カズ」

「ありがとう、こより! 目を覚まさせてくれて!」

「え、あ、うん。どういたしまして」

「俺、許婚解消するよ。だ、だから──」

「う、うん……っ」

「俺と──」


「一体、なにを言おうとしているんですか。和弘くん」


 ピシャリと、この場を空気を冷たく凍らせるほど威圧感のある声が入り込んできた。


 俺はピクリと肩をはねると、斜め後ろに振り返る。


「紗香……」

「許婚を解消する、といった内容の言葉が聞こえてきたのですが、冗談ですよね?」

「じょ、冗談じゃねぇよ。俺、考え方に柔軟性がなかった。よく考えてみりゃ、あの家に固執しないでバイトなりなんなりで生きてく方法だってあるんだ」

「なにを唆されたのか知りませんが、自分の立場を忘れないでください。和弘くんの独断で、許婚解消なんて認めません。……まぁ、少しぞんざいに扱いすぎたのも事実ですね。たまにはご褒美の一つでもあげても」


「ふざけないで!」


 饒舌に語る紗香を、こよりの冷たい声が振り払った。


 語気を強めた物言いに教室の視線がこちらに集まってくる。

 こよりはキッと猫のように鋭い目で睨みつけると、俺の右手を掴んだ。


「カズのこと、いつもいつも都合よく使わないでよ」

「貴方には関係のない話です。部外者は引っ込んでくれますか」

「部外者じゃないっ。あたしは、ずっと、カズのこと見てきたっ。伊集院さんより、ずっとずっとカズのこと分かってる! カズが辛そうにしてるのなんてもう見てられないよ! 二度とカズに関わらないで!」

「な、なんですか急にヒステリックを起こして。大体、和弘くんのことなら私の方が──」


 紗香は、こよりの気迫に気圧され、わずかに物怖じする。

 こよりは俺の右手を力強く握ると、グイッと引っ張ってきた。


「行こ、カズ」

「え、お、おい」


 こよりに引っ張られるがまま、教室を後にしていく。


「ちょ、ど、どこまでいくんだよ」

「屋上」

「屋上って……なんで?」

「サボるから」

「はぁ?」

「なんかもうマジでイラってきた」

「そ、それとサボるのは違くないかな」

「いいからっ。とにかく付いてきて」

「お、おう」


 こよりの確固たる意志に触れて、俺は従わざるおえなかった。


 そろそろ朝のHRが始まろうとする中、教室とは正反対の方向に進んでいく。

 時間帯が時間帯だけに静寂に包まれており、屋上に至ってはもぬけの殻だった。


「はー、やっぱ屋上の空気はきもちーね」

「そう、だな」


 吹き抜ける風が心地いい。

 こよりは俺の手を引いたまま、近くのベンチに腰掛ける。俺も隣に腰を下ろした。


 こよりは俺の手を握ったまま、ジッと目を見つめてくる。

 あまりに近い距離にいたからつい忘れがちだが、こよりは美少女だ。


 小さく整った顔に、猫のようなアーモンド型の目。薄茶色の髪を後ろでまとめたポニーテール。ちなみに胸はない。


「ねぇ、なんか今、失礼なこと考えなかった?」

「い、いや考えてねぇよ」

「ふーん、ならいいけど。てか、さっきの続き聞かせてよ」

「さっきの続き?」

「なに、惚けるわけ?」

「うっ……言わなきゃダメか?」

「うん、聞きたい」

「さいですか」


 俺はポリポリと頬を掻くと、身体ごとこよりに向き直る。


「紗香と許婚解消したら、俺、家に居場所無くなって、下手したら家を追い出されるかもしれない。……けど、このままアイツの許婚として、いや、召使いみたいにコキ使われるの馬鹿みたいだからもうやめるよ。許婚は必ず解消する」

「うん。そうするべきだって。もし、家追い出されたらウチにくればいいし」

「え、それはさすがに……。家追い出された時はバイトでもするよ、多少は貯金もあるし」

「いいじゃん、彼氏と同棲とか憧れ──あ、いや、今のは忘れて!」

「こよりって見た目にそぐわず、恋愛脳に侵されてるよな」

「なっ! そ、そんなことないから! 彼氏だってできたことないし……」


 ぼしょぼしょと今にも消えそうな声で嘆くこより。

 俺は彼女の手を握りなおすと、一度深呼吸をして。


「じゃあ、俺が初めての彼氏ってことでいいか」

「ぷはっ、なにそれ。めっちゃダサいんだけど。どーせ告るならもっとカッコ良くやってよ」

「いや、結構カッコつけたつもりなんだけど」

「カズって昔からズレてるよね」

「くっ……で、どうなんだよ」

「うん。こちらこそお願いします」


 こよりは人差し指で目尻に溜まった涙をぬぐうと、小さく頭を下げてくる。


 胸の奥から急速に満たされていく感じがした。


 帰ったら許婚解消について親父と話さないとな。

 殴られるとしても、勘当されるとしても、怖気づいちゃ駄目だ。


 こよりは、俺の右肩にそっと頭を乗せてくる。


「ちょ、な、なんだよ」

「彼氏に甘えてるだけだけど」

「だ、だけって……」

「えへへ」


 心地よさそうに破顔するこよりを横目に、俺はこめかみのあたりを指で掻く。

 もうとっくに朝のHRが始まっている時間だろう。


 サボって屋上で彼女とイチャイチャとは、我ながらリア充している。


 身体に熱を貯めながら、こよりの頭へと手を伸ばす。髪に触れようとした──その時だった。

 屋上の扉が勢いよく開く。


「な、なにをしているのですか。和弘くん、貴方は私の許婚ですっ。今すぐその人から離れてください!」


 顔面蒼白の紗香が、頬をヒクヒクとゆがめる。


 紗香のあんな顔、初めて見た。


 こよりは顔を上げると、ギロリと睨みつける。


「あたしの彼氏に指図しないでくれる?」

「わ、私の許婚です! 横恋慕が許されると思ってるんですか⁉︎」

「は? カズのこと散々都合よく扱っておいて、なにが許婚なわけ?」

「どう扱おうと私の勝手でしょう」

「その結果、カズがあたしを選んだんだけど。もう引っ込んでてよ」

「なっ……なんですって」


 紗香は下唇を噛むと、俺に焦点を合わせる。

 カツカツと距離をつめ、俺の胸ぐらを掴んできた。


「か、和弘くん! 私と許婚解消したらどうなるか、分かってるんですか! 困るのは貴方ですよ! い、今なら許してあげます。お父様にも報告しないであげます。ですから、その気の迷いを正し──」


 つらつらと矢継ぎ早に口を走らせる紗香。

 そんな彼女を見て、俺はシンプルに疑問が湧き上がってきた。


「──どうして、紗香がそんなに焦ってるんだ?」


 至って冷静に問いただす。


「へ……な、なんですか」

「許婚解消になって困るのは俺なんだ。正確には俺の家だな。とにかく、紗香に実害はないだろ? なのに、どうして焦ってるんだよ」

「わ、私は別に焦ってなんかいません! た、ただ、和弘くんが困ると言う話を」

「別に放っておけばいいじゃないか。召使い同然に扱ってた男なんだし」

「……っ。……ろ、論破でもしたいんですか。相変わらず子供ですね」

「いや、論破とかじゃなくて普通に疑問なんだよ。そもそも、どうして俺と紗香が許婚になったのかもずっと疑問だった。俺を許婚にするメリットがないからだ」


 疑問を打ち明けると、紗香は言い淀む。

 両手を擦り合わせて、視線が右往左往している。顔中から見たこともない量の汗が噴き出していた。


 しばしの静寂。

 紗香は一度うつむくと、ぎゅっと拳を握る。


 真っ赤になった顔を上げると、涙目になりながら俺を見つめてきた。



「あ、貴方のことが──和弘くんのことが好きだからですよ!」


「は?」



 紗香の言っている意味がわからず、俺は呆けた声をあげる。

 隣にいるこよりも、同じく呆然としていた。


「初めて和弘くんと出会ったのは八歳の時でした」

「え、あ、おう。そうなの?」

「やっぱり覚えてないんですね。当時の私は、ものすごく人見知りで友達なんて一人もいませんでした。お父様に連れてかれたパーティで、ただただ視線に怯えていた私に、笑いかけてくれる男の子がいたんです。それが和弘くんでした。私と遊んでくれて、いっぱい話してくれて……気がつけば、私は貴方に心を奪われてました」


 ど、どうしよう。全く覚えていない。

 いや、まぁ言われてみればそんなこともあった気がするが。


「それで私は言ったんです。大きくなったら、和弘くんのお嫁さんになってあげてもいいって。……そしたら何故か断られました」

「へ、へぇ」

「だから、お父様に頼んで貴方のことを許婚にしたんです! それなら、嫌でも私をお嫁さんにするしかないから」

「ぶ、ぶっ飛びすぎだろ……」


 そんな理由で、俺は許婚にされたのか。

 初めから頭のおかしいヤツだと思っていたが、ここまでとは想定外だった。


 唖然としていると、こよりが冷たく声を上げた。


「だったらどうしてカズを虐めるようなことしたわけ? カズのこと好きなんでしょ」

「だ、だって……素直になれないんです。ホントは、で、デートとかしたいですけど、うまく誘えないから荷物持ちって言い訳を作って。あ、あと……和弘くんとの一緒に登校する時間を増やしたいから、荷物を増やして和弘くんの歩くペースを落としたり、他にも」

「なにそれ、意味わかんない」

「……っ」


 いつになく弱気な紗香を、こよりがバッサリと一蹴する。


「伊集院さんはそれで楽しいかもしれないけどさ、カズの気持ちちっとも考えてないよね。貴方に振り回されて、カズはいつも辛そうだった。自分さえ楽しければいいの? 自分の気持ちだけ押し付けて、それでいいの? 身勝手だって思わないの?」

「……っっ」


 紗香は目を見開くと、息を呑み押し黙る。

 こよりは俺の手を引き。


「もうカズはあたしのだから」

「ま、まってください。そ、そんな……」


 こよりに連れられるまま屋上扉へと向かっていく。


 去り際、紗香と目が合う。

 彼女の気持ちを知った今、腑に落ちる部分はあった。彼女の行動理由も知ることができた。


 ただ、俺を召使い扱いするような子と、許婚関係を続けたいとは思わない。

 俺は彼女のことを一瞥するだけで、特に何も告げず、屋上を後にした。




 ★



 朝のHRはサボってしまった。

 一限目の授業に五分遅れで参加をした。


 多少、怒られはしたけれど、大きく咎められることもなく、つつがなく授業は行われた。許婚はできたことがあるが、カノジョができたのは初めて。


 しかもそのカノジョは、すぐ隣の席にいる。


 色々と複雑な感情はあるけれど、幸福感の方が強い。


 ついさっきまで幼馴染だった女の子と、クラスメイトに隠れてイチャイチャしながら授業を受けるのは、なかなかどうして楽しい時間だった。


 ただ楽しい時間はあっという間だ。

 気がつけば放課後を迎えていた。


「じゃ、あたし部活あるから」

「おう」

「……やっぱサボっちゃおうかな」

「真面目にいこうな」

「あたっ。なにするし、この」

「お、おい、やめろって」


 俺が軽くデコピンをすると、こよりはムッと頬に空気を溜める。

 俺の身体に引っ付いてきた。


 周囲の視線を集める。なんだこの羞恥プレイは。


「へへ、浮気したら許さないから」

「し、しないって」

「うん。あ、部活終わるまで待っててくれてもいいんだよ?」

「あー、うん、気が向いたらな」

「絶対帰るやつじゃん!」


 こよりは恨めしそうに睨んでくる。

 俺はポンと彼女の頭に手を置く。


「冗談だって。待ってる、終わったら連絡して」

「ほんと? 絶対だよ。じゃ、また後でね」


 ヒラヒラと手を振って、こよりはダンス部の部室へと向かっていく。

 俺は踵を返すと、図書室へと向かうことにした。



 時間を潰すとなると、図書室はうってつけの場所だ。

 物静かで落ち着いた空気が流れるこの場所は、俺の性に合っている。


 昨日までの俺であれば、紗香の荷物持ちとして放課後はすぐ帰っていたからな。

 図書室でゆったりできる時間は貴重だ。


 堅苦しい本だけでなく、漫画も置かれているのか。

 これは、退屈しなそうだ。


 漫画喫茶にでもきた気分で5冊ほど本を選び、近くのテーブルに腰を下ろそうと──したときだった。本棚の影に、見慣れた人物を発見する。


 光沢を帯びたシルバーの髪に、サファイアの瞳。

 普段は自信満々で、強気な表情をしているが、今は泣きそうな顔でこちらを見ている。俺と目が合うと、さっと身を隠した。経験値の高いモンスターかよ。


「な、なにしてるんだ?」

「……だ、誰に話しかけているのですか」

「あ、そ。じゃあ別にいいけど」

「……っ。す、すみません! と、当方、ただいま星座特集の本を眺めていた最中であります!」


 本棚の影から姿を表し、ピシッと敬礼のポーズをとる紗香。なんだその口調……。


「本当はなにしてたの?」

「和弘くんのこと、見てました」

「どうして?」

「……あ、謝りたくて」


 チラチラと俺を見ながら、紗香は今にも消え入りそうな声で告げる。

 俺はポリポリとおでこを掻いたあと、小さく吐息をもらした。


「とりあえず、座ったら?」

「……し、失礼します」

「い、いやなんで隣に座るんだよ」

「え、あ、……べ、別に他意はありませんけど! 大体、私がどこに座ろうが私の自由──す、すみません」


 紗香はピクっと肩をはねると、席を立ち上がり斜向かいの席に腰を下ろす。


「まぁ、なんだ。ちょっとは反省してるって解釈していいのか?」

「は、はい。私、昔からこうなんです。思ってもないことをすぐ言っちゃって。和弘くんに対しては特に酷くて……感情表現が下手なんです。本当に、色々迷惑をかけてすみませんでした」


 紗香は居住まいを正して深々と頭を下げてくる。


 俺のことを召使いのように雑に扱ってきたことは、そう簡単に許せることではないけれど、謝罪してきた以上、こちらも割り切るのが大人の対応だろう。


「今後はそういうことないよう、気をつけた方がいいよ」

「はい。これからはちゃんと和弘くんに素直な気持ちを伝えられるように、改善していきます」

「は?」

「え? なにかおかしなこと言いましたか?」


 紗香がきょとんと惚けた表情を見せてくる。


「いや、もう許婚は解消したつもりだったから。まだ正式には解消できてないけど。それにほら、俺、こよりと付き合い始めたし。今更、素直に気持ちぶつけられても困るというか」

「……っ。い、許婚がいるのに彼女作るなんてご法度です……」


 まぁ、正式に解消できていない以上、こよりと付き合い始めるのは早計だった。


 紗香の言い分が正しい。


「じゃあお互い様ってことにしてくれないか。紗香が俺を召使い扱いしてきたことを水に流すから、この件も水に流してくれ」

「……い、嫌です。私は、和弘くんの許婚をやめたくないですっ。ずっと、ずっと一緒がいいんです! 二十歳になったら結婚して、子供は男の子と女の子を一人ずつ授かって、いつまでも一緒にいたいんです!」


 な、なんか具体的な未来設計が垣間みえたんだけど……。

 なんでこの人、子供のことまで考えてるの? ちょっと怖いんだけど。


「悪いけど、こよりのこと裏切れないから」

「や、やり直せませんか! 気持ちを入れ直します。和弘くんの気に食わないところがあったら、すぐに直しますから!」

「難しいかな」

「……っ。そ、そんな……」


 愕然とした表情で紗香はその場で崩れ落ちる。


 人のことを言えた立場じゃないが、紗香は根本的に考え方が甘いのだろう。

 これから先、俺以外に好きな相手が見つかった時には、今みたいに素直に気持ちを打ち明けられる性格になってほしいものだ。


 紗香は俯いた姿勢のまま、ぽしょりと切り出してくる。


「じゃ、じゃあ……せめて、二番目にしてくださいませんか」


「え? ん?」


「私との許婚が解消になるのは、和弘くんにとって都合が悪いですよね。もし、私を二番目に置いてくださるなら、許婚関係はうまくいっているとお父様に報告しておきます」

「ちょ、ま、待って。何言ってるの?」

「だ、だから……浮気相手でいいって言ってるんです! 和弘くんの浮気相手でいいので、私のこと捨てないでください!」

「お、おい! 場所考えろ! いやそう言う問題でもないけど!」


 静寂を好む図書室で、紗香は大それた発言をする。

 周囲に人がいないからよかったものの、誰かに聞かれた一大事の内容だった。


「私を、和弘くんのそばに置いてください」

「い、いや、無理だって」


 ジッと目を見つめられ、俺の身体に熱がこもる。


「どうしても、ダメですか?」


 あの横暴で身勝手な紗香が、こんな発言をしてくると、なかなかのギャップだった。

 形容し難い感情が湧き上がってくる。な、なんだこの気持ち。



 それにしても、今日一日でイベントが多すぎる。



 紗香と許婚解消することを決意して、

 こよりと恋人関係になって、

 紗香の本当の気持ちを知って、

 そして今、二番目でいいから近くにいたいとお願いされている。


 許婚から幼馴染に乗り換えた結果、こんなことになるとは……。


 ちょっと脳の処理が追いつきそうにない。


 取り敢えず、紗香の提案は何がなんでも棄却するが、それで諦めてくれる相手とは思えない。だって、俺と付き合うために、父親に頼んで俺を許婚にするくらい頭のネジが外れているからな。


 これから先の展開を想像して、どっしりと疲れを感じる俺なのだった。


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