梶田敦也と中島千尋(3)

 自分勝手にデートを終わらせてしまった。千尋さんは怒っているかな。


 敦也は布団に寝転びあれこれと考えていた。


 今日は千尋さんが里香のように感じた。こんな事があるのだろうか? もしかしたら俺が知らないだけで、女の人なんて考える事が皆同じようなものなのかも知れない。いやきっとそうだ。


 敦也はあえてそう思い込もうとした。もう一つの可能性は考えにも出したくなかったからだ。


「もう寝よう」


 時間は早かったが、敦也は考える事が嫌になり、寝ることにした。



 敦也がデートの途中で帰ってしまってから一週間が経った。あれから二人は一度も会っていない。特に喧嘩している訳ではなく、敦也は途中で帰った事を謝り、メールのやり取りは続いている。ただ、二人とも自分からは会おうと言い出せないでいた。



『おはよう』


 敦也が釣り場に着くと、すでに来ていた卓郎が話し掛けてきた。敦也は今日、卓郎の頼みで老人サークルの手伝いに来たのだ。


『おはようございます』

『来てくれてありがとう。人手が少ないので、助かるよ』

『いつでも呼んでくださいよ。卓郎さんの頼みなら絶対来ますから』


 敦也は卓郎に頼まれた事が嬉しかった。兄のように慕う卓郎が自分を必要としてくれる事が。


『おはようございます』

『あっ、千尋さん』


 挨拶を済ませた卓郎と敦也の前に千尋が現れた。


『あ、敦也君、どうしてここに……』


 意外な場所で偶然会った二人の間に、微妙な空気が流れる。


 出会ってからは三日と開ける事なく会っていたからか、敦也は一週間ぶりにみた千尋の顔が懐かしく感じた。自分が思っているより、千尋に会いたかったのだと気付いた。


『おはよう。よく来てくれたな。ありがとう』

『えっ、卓郎さんは千尋さんと知り合いだったんですか?』

『えっ? もしかして、二人は知り合いなのか?』


 卓郎が驚いたような声を上げる。


『ええ、私達、最近旅先で知り合ったんです』

『卓郎さんが千尋さんと知り合いだったなんて驚きましたよ。さすが、顔が広いんですね』

『千尋は俺の妹のような奴だからな。泣かせたら許さねえぞ』

『いや……、そんな泣かせるだなんて……』

『冗談だよ。それだけ良い娘(こ)だって事だよ』


 「良い娘」か……そうだよな……。


 卓郎の言った何気ない一言が、敦也の心に響いた。


 卓郎から見れば、千尋は「良い娘」なのだ。自分が騙された事をいつまでも引きずって、素直に千尋と向き合えていないだけなのだと敦也は気付いた。


『丁度いい、二人でペアになって、お年寄りに釣りを教えてあげてくれないか。釣りの経験者にも声を掛けて、雰囲気を和ませて欲しいんだ』

『はい、分かりました』


 敦也と千尋は声を合わせて返事をし、二人で老人達の元を回る事になった。


 老人達は「真実の世界」での釣りの経験者も多く、あまり説明する必要もなかった。それより、老人達が若い二人を冷やかす事で場が盛り上がっていた。


『ありがとう。もうみんな慣れてきたようだな。老人の相手は大変だっただろう?』


 一通り回り終わったところで卓郎が二人に声を掛けた。


 『いえ、経験者の方も多くて、そうでもないですよ』と敦也が言えば、『私達が話し掛けると言うより、皆さんが気さくに声を掛けてくれたので助かりました』と千尋も続けた。


『それは良かった。後は任せてもらって良いから自由にしてくれていいよ』

『はい。……じゃあ、千尋さんどうする?』


 別にここで解散しても良いのだが、敦也はもう少し千尋と一緒に居たい気持ちになっていた。


『敦也君さえ良ければ、私釣りをしたことがないから、やってみたいな』

『じゃあ、そうしようか』


 千尋もまだ一緒に居たいと分かり、敦也は嬉しく思った。


『卓郎さん、俺達ここで釣りをしています』

『おお、分かった。今日はお疲れさん。また次も頼むな』

『はい』


 二人は卓郎に向かい、明るく返事をした。


 千尋は離れて行く卓郎に「ありがとうございます」と心の中で呟いた。


 敦也を騙していた事を、卓郎が気付いているかどうか、千尋は分からなかった。でも、卓郎が「良い娘」と言ったのは、自分の保証をしてくれたのだと思った。


 

『これで分かるかな?』


 釣堀の岸に並んで腰掛けると、敦也は千尋に釣りの手順を一から丁寧に教えた。先ほど老人達に説明するのを聞いていたので、千尋も大体は分かっていたが、それでも敦也は丁寧に教える。これまでも何回かこう言う場面があり、千尋は敦也のそんな親切で丁寧な性格が好きであった。


『ありがとう。凄く良く分かった。敦也君は説明が丁寧で上手だと思う』


 そう千尋に言われて敦也はリアル世界で顔が赤くなった。


『敦也君も卓郎さんと友達だったんだね』

『……卓郎さんはこの施設に入って初めての知り合いなんだ。ここで生きていけるって自信が出来たのも、卓郎さんのお蔭なんだよ。俺は卓郎さんを兄貴みたいに思ってる』


 リアルでの敦也の表情は分からないが、言葉だけでも卓郎への信頼や感謝を千尋は強く感じた。


『私も同じ……。ここでひどく落ち込んだ時に偶然卓郎さんに出会って、立ち直る切っ掛けを与えてもらったんだ。私たち二人共に卓郎さんは恩人なんだね』

『そうだね』


 二人並んで釣りを続けた。ここでの釣りはイージーモードなので適当に釣れて楽しんでいた。


『前のデートで、急に帰ってすみませんでした……』


 タイミングを見計らっていたように、敦也は謝った。


『いや、気にしてないよ。全然』


 千尋は自分に非があると思っていたので、敦也に謝られると恐縮してしまう。


『俺、心のどこかで千尋さんが男じゃないかって疑っていたんだ』

『それは……』


 そう敦也が思う原因を作ったのは私自身なんだ。


 千尋は敦也に騙していた過去を打ち明けたい衝動に駆られたが、それを口に出す勇気が出なかった。


『元カノの事がトラウマになって、信じられなくなっていたんだ』

『それは仕方がないよ……』


 千尋はそう言うのが精一杯だった。


『でも、千尋さんの事を信じるよ。だからちゃんと謝っておきたくて』

『ありがとう……』


 自分の気持ちを素直に打ち明け、すっきりした敦也とは対照的に、千尋は後ろめたい気持ちになった。


 もし、ここで全てを打ち明けたなら、敦也君はどんな気持ちになるだろうか?


 笑顔で私を許してくれるだろうか?


 また裏切られたと思い、傷付くのだろうか?


 千尋は打ち明けた後の結果が怖くて、また何も言えなかった。



 卓郎のイベントも終わり、敦也達も同時に引き上げた。二人にとっては少し距離が縮まった嬉しい日ではあったが、千尋にとっては改めて自分の犯した罪に向き合う事になった辛い日でもあった。

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