中島千尋(6)

『あなたはこれを買わないのですか?』

『欲しいんですけど、もう一つ持っているので、規制が掛かって買えないんです』


 声や話し方からも、やっぱり敦也君だ。もう一つ持っているのは私が選んだオルゴールなのだろう。


『持っているオルゴールを処分すれば、それを買えますよ』


 この手のアイテムは一人一個しか所持出来ない。追加で買う為には、持っている分を処分しなければいけないのだ。


『ええ、知っています。でも持っているオルゴールも大切な物なんです。だから処分出来なくて。まあ、そのオルゴールもそうなんですけど』


 そう言って敦也は、千尋の手に渡ったオルゴールを見つめた。


 千尋は目の前の男が、自分が騙した敦也本人だと確信したが、その気持ちが分からなかった。


 なぜ? このオルゴールは憎むべき相手との思い出の品のはず。敦也君は里香が男だったと信じていないの?


『あの……そのオルゴールはそんなに大切な物なんですか?』


 普通に考えればおせっかいな質問だが、千尋はどうしても聞いてみたかった。


『はい、大切な彼女との思い出のオルゴールなので』


 ごく自然に笑顔のままのそう答えたので、千尋は里香に裏切られた事が余りにもショックで、敦也が壊れてしまったのかもと怖くなった。


『彼女はとても可愛くて、優しくて、明るくて、最高の女性でした。今はもう会えない、彼女との思い出の品なんです』


 敦也は聞かれてもいないのに、里香の事を語り出す。


『もう会えないって、亡くなられたんですか?』


 千尋の質問に敦也は答えず、二人の間に沈黙が流れる。


『あ、ごめんなさい立ち入った事を聞いて』


 沈黙が怖くて、千尋は謝った。


『いや、大丈夫です……彼女は死んだのではなく、男の成りすまし……つまり、ネカマだったんです』


 敦也はちゃんと理解はしていた。だがそれならなぜ里香の事を大切な彼女と言うのか、千尋はその気持ちが知りたくなった。


『じゃあ、騙されていたんですよね。それなら大切な人じゃなくて、憎い相手じゃないですか?』

『憎くはないです』


 間髪入れずに敦也は応える。 


『なぜ? 裏切られたんでしょ? 気持ちを踏みにじられたんでしょ?』


 なぜ私はこんなにも意地になって、敦也君に恨みを認めさせようとしているのか。


 千尋は自分に問い掛ける。


『彼女は中身が誰であったとしても大切な人です。彼女と過ごした日々はどんな事があっても色あせない大切な思い出なんです』

『そ、そんな……』


 卓也の頑なな態度が千尋をさらにイラつかせる。


『有り得ない! それは現実逃避しているだけよ!』

『あんたに何が分かるって言うんだ! 俺も分かってるよ、それぐらい。……でも偽者だとしても、現実逃避だとしても、俺が里香を愛している事に変わりはないんだ。里香は忘れられない人なんだ……』


 あんた純粋(バカ)よ……純粋(バカ)過ぎるのよ……。


 千尋は心の中で呟いた。


 敦也君は起こった事を理解しているし、傷ついてもいる。だが、それ以上に里香を愛し、その思い出を大切にしているんだ。


 千尋は、自分のように恨むのではなく、真っ直ぐに人を愛せる敦也を羨ましく思った。羨ましいからこそ、嫉妬に近い感情で、意地になって敦也を否定したかったのだ。


 どうして私はあの時に目が覚めなかったのだろうか。


 千尋の中で里香であった時の記憶が蘇ってくる。


 デートは楽しかったし函館の夜は体も反応していた……敦也君の人柄は十分に感じていたはずなのに。


 復讐に対する執念が目を曇らせそれを見えなくしていた。こんなに愛してくれた敦也君と過ごして行けば、ずっと楽しい日々を過ごせただろうに。敦也君をこれ程まで傷つける事もなかっただろうに。


 本当の事を言うべきだろうか? それが、罪滅ぼしになるのだろうか? 真実を知る事によって、更に傷つける事にならないだろうか?


『ごめんなさい、ムキになって酷い事言って……』


 結局答えは出ず、千尋は当たり障りの無い言葉を選んだ。


『いや、構わないよ。あなたの言った事は事実だし……俺は傷付きたくなくて現実逃避しているだけなんだろうな……』


 敦也の言葉を聞き、千尋は卓郎の言葉を思い出した。


(悪かった事は反省すればいい。そして目の前に、誰かに傷つけられた人がいれば癒してやればいい。今お前に出来るのはそれだけだ)


 今、敦也君の傷を癒すのは、私の役目かも知れない。


『里香さんは幸せだね。こんなにも愛されて』


 このまま別れてはいけない。私が立ち直る為にも、敦也君の心の傷を癒さないと。


『これ、私が貰っても良いかな?』

『えっ?』


 千尋はオルゴールを手に敦也に問いかけた。


『ああ、もちろん。どうぞ』

『私は中島千尋。よろしくね』


 千尋は手を差し出した。


『ああ、梶田敦也です。よろしく』


 敦也が手を握り返す。


『もし、オルゴールが見たくなったら私の所に来て。それから、もっと里香さんとの思い出聞かせて欲しいな。そんなに愛されていたなんて素敵な人だったんでしょうね』

『はい、素敵な人です。今もはっきりと覚えています』


 少々強引だったが、千尋は敦也との繋がりを作った。


 もう一度、あの時のような関係を取り戻したい。そしていつか本当の事を話して一緒に歩いて行きたい。


 千尋はそう強く思った。

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