第33話


 小学校を卒業する間際、麻紀は学校の帰りに、バス停で佇んでいる女の人を見た。

 そのひとは白いワンピースを着て黒い髪をなびかせて、バスの時刻表を熱心に見つめていた。


 帰りのバスが分からないのかと思って、麻紀はその女の人に声をかけた。

 女の人は驚いた顔をしたが、すぐに笑った。


 案の定バスが分からなかったようで、麻紀が丁寧に教えると、ちょうどそこへバスが来た。

 女の人が降り込むのを見届けた麻紀は、満足そうににっこりと笑った。


 しかしバスはなかなか発車しない。

 不思議に思っていると運転手が麻紀に声をかけた。




「お嬢ちゃん、早く乗りなさい」




 その言葉に慌てて首を振った麻紀を見て、運転手は不機嫌そうに眉をひそめてバスを発車させた。


 後日、麻紀は誰も居ないところに向って独り言を言う、変な子として学校中に知れ渡った。

 それからすぐ、文則は腕輪を作って麻紀に持たせたのだ。


 八神はにやにやと麻紀を見ている。

 その目が塊に似ているようで、麻紀は思わず後ずさった。




「ちょっとちょっと、これ要らないの?」




 煽るような目から一変して、困った顔をする八神を見ても、麻紀は警戒心を解くことができなかった。




「あー、ごめんごめん。ちょっと調子に乗りました。これ、返すね」




 がしがしと頭を掻きながら歩いて来る八神に、一瞬身体を強張らせた麻紀だが、巾着を差し出されておずおずと受け取る。




「鶴岡さんね、これから君がやらなきゃいけない事、解ってるよね?」



「やらなきゃいけない事……」




 このままではいけない。

 麻紀はもう変なものは見えなくなったが、そのおかげで負の感情をため込むことに慣れてしまった。

 そのせいで今回のようなことが繰り返されるのであれば、麻紀は変わらなければならない。


 ちょうどいい機会なのかもしれない。

 麻紀は今、うつ病だと診断されて休職中だ。


 この機会に、今まで後回しにしていたことに、けじめをつけなければならないだろう。

 まず始めにやることは、この壊れてしまった腕輪を捨てることだ。




「急に変わることは難しいから、今すぐ捨てる、とか辞めるとか、そういった決断は無理だと思う。今日明日でどうにかしなければならない問題ではないから、たくさん考えるといいよ」



「答え、出ますかね……」




 しおらしく尋ねる麻紀は、暗闇に放り出された子供のようだった。




「出ないかもしれないね。でも、思い立ったが吉日って言うでしょ?」




 あっけらかんとして答える八神を少なからず憎らしく思った麻紀は、少し困らせてやろうと思った。




「父もそんな風に迷信めいたことばかり言う人でした。もしかして八神さんは私のお父さんだったりします?」




 顔を上げた麻紀が見たのは、無表情の八神だった。

 怒っているのか呆れているのか、はたまたそれ以外なのか。

 とにかく八神は、今まで見たことがない無表情だった。




「鶴岡さんね、輪廻転生なんてそんな簡単じゃあないんだよ」




 いつもと変わらない声色なはずなのに、その声は重たかった。

 麻紀が思わず謝りかけたところで、八神はにこっと笑って見せた。




「それに鶴岡さんは、僕に君くらいの子どもがいるように見えるの? そんなわけないでしょ。それ眼科行った方がいいよ?」




 一瞬の間が生まれる。麻紀は我慢しようとしたが堪えきれずに、八神の肩をおもいっきり叩いた。




「痛っ、痛いよ。あいかわらず力強いね」




 ひどい目にあったとばかりによろめいて見せる八神の姿に、自然と笑みがこぼれた。

 麻紀は改めて石の入った巾着を見る。


 これは捨てない。私の元にあって当然。

 そう思い直した麻紀は、大事そうに巾着をそっと握った。


 八神の言葉がなければ捨ててしまおうとしていたこの石を、ずっと手元に置いておくことにした。

 それは父の形見を無下にせずに済んだということだ。

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