第25話


 火曜日になり、出勤するつもりでいつものように携帯の目覚ましよりも早い時間に目を覚まし、だらだらと過ごした後、身支度をしていた麻紀は、身体の違和感に気づいた。

 ここ数年必ず襲う吐き気がないのだ。


 首を傾げながら時間を確認しようと携帯の画面を見た麻紀は、はたと動きを止めた。

 携帯の画面には十時、心療内科というメモが表示されていた。


 あ、今日行かなくていいんだ。

 そう思い至った麻紀は、着替えの途中でベッドに横になり、声を出して笑った。


 自分が今までいかに惰性で動いていたかがよく解った。

 要するに何も考えていないのだ。

 月曜日、休み。火曜日、行く。水曜日、行く。木曜日、行く。金曜日、行く。土曜日、行く。日曜日、行く、明日休み。

 これしか考えていないのである。


 まるで機械のようだ。

 心などない。


 麻紀は、いつもの服をのそのそと脱いでベッドの下へ蹴落とした。

 それから携帯をいじって時間をつぶした。

 時折時間を確認しては、今頃みんな会社にいるのだと思うと胸がすくような思いがした。


 それから少し経って身支度を済ませると、麻紀は病院へ向かった。

 病院で順番を待っていると、あの時の看護師さんに声をかけられた。

 まさか覚えられていると思わなかった麻紀は、目を白黒させた。

 よほどひどい有様だったのだろうか、と少し恥ずかしくなった麻紀は、困ったように笑いながら挨拶を返した。


 順番が回ってきて診察室に入る。

 心療内科の先生は、眼鏡を鼻の頭に乗せて何かに目を通していた。




「はい、こんにちは。内科の先生から聞いてるけどね。君、うつだよ」




 この病院の先生方は結論が速くて助かる。

 麻紀は心療内科の先生の言葉についていけなかった。




「多分、君は自覚あるよね」



「はい」



「その自覚は正しい。そして君は割と深刻だね」




 麻紀は開いた口がふさがらなかった。

 麻紀はこの時、自分だけ出勤しなくていいことが嬉しくて妙にはしゃいでいて、深刻だと言われているのにまるで言葉の意味を理解していなかった。




「僕は非常勤医師だから本当にだめな時に、すぐ診てあげられないんだよね。だから、希望するならちゃんとしたクリニックを紹介するよ」




 はた。と麻紀の中で時間が止まる。

 そこまで言われるようなことなっているとは思わなかったのだ。




「いえ、あの……」




 思いの外大事になりつつある事態に、麻紀は戸惑いを隠せない。




「ところで仕事、辞めるか休めるかできる? 僕としては辞めるのがおすすめなんだけど」



「あ、えっと……休むくらいなら辞めさせられると思います」



「ん? 詳しく聞くよ?」



「はい、あの……」




 麻紀は現状をかいつまんで話した。

 すると先生は、途中で麻紀の話を遮った。




「ごめんちょっと訂正するね。辞めるのをおすすめするのは取り消して、休むのをおすすめするよ。取りあえず今日から約二カ月の休職ね」




 あれよあれよという間に話が進み、先生は診断書を作成し始める。

 麻紀は頷くことしかできず、ただ映し出されている画面を眺めていた。




「それから早いこと労働基準局に行くこと。あ、これはおすすめじゃなくてしてほしいことね。休職してる間に必ず行こうね。それから次の診察は一カ月後で大丈夫?」



「あ、はい」



「それからお薬だけど、君運転する?」



「はい」



「じゃあ薬なんか飲んじゃだめだから出さないね」



「はぁ」



「会社は近いの?」



「はい、とても」



「じゃあ、会社の人に見つからないように気分転換してね」



「え、はい……」



「じゃあ診断書出しとくからね、お大事に」



「は、はい。ありがとうございました」



「おいしいもの食べるんだよ」



「はい」



 怒涛の展開になり、麻紀は気づけば診察室を出ていた。

 狐につままれたような気分になり、首を傾げながら診察券が戻ってくるのを待った。

 番号を呼ばれ、先程の看護師さんがミニカルテを持って説明してくれた。

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