第19話


 麻紀と入れ替わるようにして八神のもとにぴょんぴょんと跳ねてくる鳥に、八神は腕を出して声もなく呼ぶ。

 麻紀の後ろ姿が見えなくなると、八神は大きなため息を吐き、ふわりと舞い上がって腕に乗った鳥の頭を、優しく撫でながら東屋の壁に頭を預けた。




「ほんっともう、今日は人を呪うのやめときなよー……」




 先程までの男性にしては高い声とは違い、男性ならではのしっかりした低い声で疲れたように呟かれた言葉は、夜風に流れて誰の耳にも届かなかった。


 あれから何事もなく家に帰った麻紀は、その後は特に嫌な夢を見ることなく過ごしていた。


 そしてお盆休みが明けてすぐの出勤日。

 いつものように園田が店内をモップ掛けしていた。


 麻紀と園田しかいないこのわずかな時間だけは、特に腹を立てることなく過ごすことができる。

 タイムカードを切って、ロッカーにかばんを押し込めた麻紀はトイレ掃除を始める。


 この掃除に関しても、入社当時からさまざまな悶着があった。

 外の暑さが続く日、もしくは寒さが続く日に社長夫人の機嫌が悪ければ、




「上司が外を掃いてるのに店の中でぬくぬくと、良いご身分ね」




 と言われ、かといって次の日に外を掃いていれば、




「上司にトイレ掃除なんかさせるなんてどういう神経してるの?」




 と言われる。

 挙句の果てに、園田が休みの日に人が少ないからと急いで店内にモップ掛けをすれば、




「狭いフロアの私がまだ終わってないのに、広いフロアのあんたはもう終わったの?」



「はい、今日は人が少ないので少し早足でやりました」



「嘘つき! 私はあんたの靴音がちゃんと聞こえたんだから! 店の奥の方やらなかったんでしょ!」



「いえ、ちゃんとやりました」



「あんたは嘘しかつかない! いい? 靴音がずっと聞こえてたんだからやってないに決まってるでしょ! 命かけてもいいわ!」




 じゃあ今すぐ死んでくれ。

 という言葉は胸のうちに留め、溜め息をつかないように気をつけながら麻紀はモップを持ち直した。




「もう一度やり直してきます」



「いい! 時間の無駄!」




 短い間隔で靴の音が遠ざかったところで、麻紀は分からないようにやれやれと首を振って次の作業に取り掛かる。

 そして数日後、社長夫人は新たな因縁をつけてきた。




「あんた、トイレ掃除ばっかりさせられて、それどういう意味かわかる?」



「はい、一番下ですから」



「違う、使えないってこと!」




 はいはい、またそれですか。

 という言葉は呑み込んで、何も言い返さないでじっと見つめる麻紀に、満足そうに鼻を鳴らした社長夫人はこう続けた。




「あんたは今日からモップ掛けと墓石掃除ね。それ以外は私が許可を出すまでやらないで」




 この数日後、墓石掃除をしていた麻紀に、どうして同じことしかしないのかと説教をする社長夫人を社長が目撃し、何事もなかったかのように店に入るのはまた別の話である。

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