第2話


 そんな身体の反応を無視して、麻紀はのそのそと着替える。

 簡易的な化粧台の前に立って簡易的な化粧をする。

 そしてめんどうくさそうに長い髪を結い直した。

 ここまでの時間が十五分。


 黒い上着を着て再びベッドに腰掛ける。

 朝食は食べない。

 水も飲まない。


 着替え終わって携帯を手に持つとまたゲームを始める。

 しばらく続けていると携帯が鳴る。

 それが、地獄が始まる合図だ。


 麻紀は、着替えている最中も繰り返し襲ってくる吐き気を、すべて無視して携帯をかばんへ放り込み、やる気のない足取りで家を出て行く。

 勝手口を閉じると、刺すような日差しの中、真っ黒な服装でだらだらと歩きはじめる。

 かばんを肩に掛け、その持ち手を両手で縋るように持ち、俯いて歩く。


 太陽の光が上から降りそそぎ、地面から照り返しが麻紀の肌をあぶる。

 うっすら汗をかいてきたところで会社に着いた。

 まだだれも来ていないので、従業員通用口の前に立って俯く。


 それからさほど間を開けずに、一台の車が駐車場に入って来た。

 そこから男性が降りてきて、小走りに麻紀に近づいて挨拶をする。



「今日は挨拶ありますかね」


「そもそも喋られてもらえないでしょうね」



 淡々と返す麻紀に、にこにこと笑いかけながら入り口の鍵を開けるのは、後輩の園田だ。

 鍵が開くと園田は先に入り、通用口近くの業務用エアコンのスイッチを入れる。

 麻紀はその間に奥へと進み、のれんを掻き分けて休憩室と呼ばれる空間へ入る。

 園田の分のタイムカードを先に押すると、次は自分の分へと手を掛ける。

 そこで園田が休憩室へ入ってくる。



「今日はたぶん弱めだと思うなぁ」


「どうですかねぇ」



 話題の人物が出勤して来る前に、かばんを自分のロッカーに入れた園田は、すぐに倉庫へ入る。

 離れたところからモップを持って倉庫を出る音が聞こえる。


 麻紀は自分の荷物をロッカーへ入れると、干してあるタオルを一枚持ってすぐに隣のトイレへ向かい、掃除を始める。

 掃除をしていながらも、麻紀の耳はしっかりと周りの音を拾う。


 来客を知らせるチャイムが鳴る。

 それからすぐ、短い間隔で靴のかかとが鳴る音がする。

 話題の人物、社長夫人のご出勤だ。


 便器の掃除を終えて床を掃き、タオルを取り換えると、社長夫人が通り過ぎるのを待ってからトイレを出る。

 本来すれ違えるはずの廊下は、社長夫人が通るとそれができない。


 ごみを捨てるために休憩室に入って、社長夫人に挨拶をしようと口を開きかけたところで、



「今日は息子も来るから、しゃんとしないと追い返すよ!」


「……はい、おはようございます」


「いいからこれ片付けて」



 麻紀が塵取りのごみを捨てようと近づくと、社長夫人は足早に出て行く。

 間際に干されっぱなしのタオルや手拭いが掛かっている物干し台を顎でしゃくり、今度は大声で園田を呼ぶ。

 モップ掛けが遅いと文句を言いながらも、短い間隔で靴を鳴らす。

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