約束

月代零

第1話

――必ず迎えに来るから、待っていておくれ。


 あなたがそう言って戦地に発ってから、季節が一巡りしようとしています。

 庭のさつきの花も、もうすぐ花弁を開くでしょう。あなたが好きだと言ったさつきの花。わたしの名前と同じ花。

 けれど、わたしがこの庭のさつきを見ることは、もうないでしょう。

 わたしの身体は病に侵され、療養のために空気の良いところに移ることになりました。わたしがこの家からいなくなったら、帰ってきたあなたは、わたしを見つけられるでしょうか。

 都会では敵国の攻撃に曝されている街もあると聞きますが、ここは静かです。

 緑の匂いのする風、さわさわと流れる水、澄んだ空。穏やかに時間が過ぎてゆきます。

 この景色も、あなたと一緒に見たかった。あなたさえいれば、どこへ行こうと楽園だったのに。愛する人と共に過ごしたいだけなのに、どうしてこの世はそんな簡単に思えることすら叶わないのでしょう。

 わたしはそっと空に手をかざします。左手の薬指には、細い銀色の指輪。太陽の光を受けて、きらりと光ります。

 日が傾いてくると、まだ風は冷えてきます。わたしは少し身震いして、白い着物を着た自分の身体を抱きしめました。

 その時です。

 息が苦しくなって、わたしは身体をくの字に曲げて、激しく咳込みました。今までにない、激しい発作です。

 空気を求めて喘いでも、肺がそれを拒絶するように、喉からはひゅうひゅうとか細く息が漏れ、それさえもこみ上げる咳にかき消されます。人を呼ぼうとしても、それをする力も消えてゆきます。

 もはや立っていることすらできず、視界がぐらりと傾き、頬に地面の感触がしました。涙で目の前がにじみます。口を抑えた手のひらには、いつの間にはぬるりとした赤いものがたくさん付いていました。

 そうしてわたしは、目を閉じました。

 

 次に目を開けた時、わたしの身体はとても軽くなっていました。もうどこも苦しくありません。

 なんだか全ての感覚がふわふわします。地面に足が着いていないような気がしますし、目に映る世界も薄布を一枚隔てたようにぼんやりとして見えます。

 すると、なんだか懐かしい気配がした気がして、わたしは振り返りました。

 そこには、また会える日を待ち望んでいたあなたの姿がありました。悲しそうに顔を伏せたあなたの姿が。


 ――約束、守れなくて済まなかった。


 いいえ、いいえ。あなたはこうして来てくれたではありませんか。何を謝る必要があるのでしょう。

 わたしはあなたの胸に飛び込みます。変わらない、優しいぬくもりが、全身を包みました。

 周りには、いつの間にか紅色や白色のさつきの花が咲き乱れていました。風に舞った花びらが絨毯を作り、私たちの行くべき道を指し示してくれているようです。

 わたしたちは手を取り合って、微笑みを交わし、その道へ一歩、二歩と進みました。

 そうして空の上に昇って、永遠に、幸せに暮らしましょう。


                                   了

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約束 月代零 @ReiTsukishiro

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