第二話 始まりの出会い(二)

 立珂はぽやぽやしていて返事とは言えない小さな声を漏らした。やはりまだ寝ているようで、再び薄珂の膝にころりと転がり眠る。

 慶都はしょんぼりうなだれ、孔雀はその頭を撫でて立珂をじっと見つめた。


「やっぱり羽が疲れるんですね」

「うん。体力無いから余計にね」


 立珂は日常に困り事が多い。そのほぼ全てが羽によるもので、動くだけでも相当な体力を消耗する。だから昼寝も多いのだが、里生まれ里育ちで有翼人を知らない慶都は衝撃だったらしい。

 全員で立珂を囲んでいると、遠くから慶都を呼ぶ声がした。声のする方を見れば一人の女性がのたのたと走っていて、到着すると慶都に頭から服をかぶせて頬をつねる。


「獣化しちゃ駄目って言ってるでしょ!」

「二本足遅いからやだ」

「おばか! 人間に捕まるでしょ!」

「だから言ってるだろ! 立珂を里に入れてくれたら獣化しない!」

「だからね……」


 母親はがくりと肩を落とし、薄珂と視線がぶつかり気まずそうに目を逸らした。

 今いる場所は里の門からわずかに外側で、厳密には里ではない。

 そもそもこの里は『居場所を失った獣人のための隠れ里』で、人間と偽ってる薄珂と隠しようもなく有翼人の立珂は里に入れる対象ではなかった。

 それを金剛が説得してくれてこの小屋を使わせてもらえる事になったのだ。


(それに孔雀先生ですら里の外だ。厄介事を抱えてる俺達が入れるわけがない)


 里の規則はまだ分からないが、どれだけ利がある存在でも歓迎してはもらえない。

 立珂が差別される事は許せなかったが、すぐ向かいに孔雀の自宅兼診療所があるこの場所は安心感がある。結果的には悪くはない。

 だがそんな事は慶都に伝わらないようで、ぶうっと頬を膨らませている。


「長老様が決めたんだから仕方ないのよ」

「仕方なくない! 守れるのに守らないなんて殺すのと一緒だ!」


 慶都は噛みつきそうな勢いで母親を罵倒した。その激しい剣幕に母親は震えて後ずさりするが慶都の怒りは収まらず、ふんっと鼻息を鳴らして母親に背を向けた。


「長老様にこーぎしてくる! 立珂を里に入れてもらう! そんで俺が守るんだ!」

「慶都! 待ちなさい!」


 母が静止する声も聞かず、慶都は服を脱ぎ捨て鷹へと姿を変えた。ニ足歩行では追い付けない速度に薄珂は慌てて金剛を見上げた。


「金剛止めて! 俺達の事はいいから!」

「……すまん!」


 金剛は悔しそうな顔をして慶都を追った。慶都の母親もその後を追ったが、薄珂にはどうする事もできない。


(気持ちは嬉しいけど騒がないで欲しいんだよな。追い出されたら困る)


 里にとって慶都は守るべき大切な子供だ。だが薄珂と立珂はそうではない。出て行けと言われたら従うしかないのだ。

 薄珂は精神的な疲労を隠しきれず溜め息を吐くと、そっと孔雀が頭を撫でてくれた。これにはお互い苦笑いをするしかない。


「起こして食事にしましょうか。立珂君ご所望の辛い腸詰も買ってきましたよ」

「辛い腸詰っ!」


 立珂はがばりと起き上がり、きらきらと目を輝かせて孔雀を見た。

 ここに来てから孔雀は色々な物を食べさせてくれた。立珂は腸詰が特に気に入ったようで、それこそ毎日夢に見るほどだ。そわそわする立珂のお腹から空腹を告げる音が鳴る。


「辛い腸詰食べるっ! 食べるっ!」

「今日も元気に起きれたな。いっぱい食べられる立珂は偉いぞ」

「薄珂も食べるんだよ。一緒だよ」

「もちろんだ。いつでも立珂と一緒だ」


 頬擦りしながら歩き始めると、ふいに崖の辺りで白い何かが蠢いた。

 薄珂の足元から大人二人分は低い位置で、横目に見ると毛玉には長い耳が付いていた。丸まっているその姿は薄珂もよく知っている動物だ。


「孔雀先生。あれ兎? 凄い大きいけど」

「本当ですね。あの肉付きは獣人でしょうけど、あんな所で何を……おや?」

「あ! うさぎ赤くなってる!」

「血ですね。怪我をしてるかもしれません」


 立珂が兎の足あたりを指差すと、確かに兎の毛はふわふわだが真っ赤に染まり濡れそぼっている。


「里に兎いないよね。襲われたのかな」

「どうでしょう。自警団を呼んでくるので様子を見てて下さい。降りては駄目ですよ」


 孔雀は走って里の方へ向かった。

 中へ入ることはできないが、金剛が里の出入り口に自衛隊駐屯所を作っている。声を掛ければすぐ来てくれる距離だ。

 だがのんびり待っていて良いかは迷うくらいには兎の足場は狭い。少し動けば崩れてしまいそうではらはらしていると、その心配は的中し兎の足元ががらりと音を立てて崩れ始めた。


「まずいな。孔雀先生まだかな」

「ねえねえ薄珂。あれは? 紐付けて降ろして、入ってもらって引き上げるの」


 立珂が指差した先にあったのは森で果実を採る時に使っている籠だ。そんなに大きくはないが兎が入るくらいはできるだろう。


「凄い。頭良いぞ立珂。そうしよう」


 立珂は自分の羽を結っている紐を解いた。それを籠にしっかりと結び付けてそろそろと降ろす。兎は驚いたようで、ふんふんと匂いを嗅いでいる。


「引き上げるから入ってくれ!」


 兎は薄珂と籠を交互に見つめるが、そうしているうちに足場がまた少し崩れた。兎もこれには驚いたようで、怪我をした足を引きずり籠へ入ってくれた。


「いいぞ。じっとしてろよ」


 薄珂は体重で紐が解けないか引っ張り強度を確認し、問題なさそうだったので引き上げ始めた。数秒かけてゆっくり引き上げていくと、兎入りの籠は無事地上に到着した。


「釣れた! 薄珂すごい!」

「立珂が籠に気付いたからだ。凄いぞ立珂」


 怪我をしている兎そっちのけで、薄珂と立珂は抱き合い頬ずりをした。すると遠くから孔雀の声が聴こえてきた。

 金剛と自警団の団員を一人連れている。


「二人とも! 引き上げたんですか!」

「足場崩れちゃってさ。見てこれ。この籠立珂が考えたんだよ」

「そうでしたか。それは凄いですね」


 またも兎そっちのけで立珂の快挙を自慢すると、孔雀は立珂を撫でて褒めてくれた。そんな様子を横目に、自警団団員は兎の横に膝を付き声をかけている。


「おい先生。そういうの後にして手当してやってくれよ」

「ああ、すみません。では診療所の奥に寝かせ――うわっ!」


 自警団員が兎を抱き上げようとした瞬間、兎が飛び跳ね血が飛び散った。薄珂は咄嗟に立珂の頭を抱え込んだが、兎は目を炎のように揺らしてこちらを睨みつけている。そして力んだかと思うと人間へ姿を変えた。

 兎の跳躍力を発揮するであろう逞しい両足にすらりと長い腕。金剛のような巨漢ではないが筋肉の付いた肉体はまるで芸術品のように美しい。しかし一番目を引いたのは顔だった。血のように真っ赤な切れ長の瞳とうさぎの毛を思わせる真っ白で柔らかな髪。顔立ちは上品だが凄みがあり、土にまみれて生きる薄珂にはとても眩しく映った。

 思わず見とれて目を放せずにいたが、兎獣人の男はぎろりと睨み返してきた。 


「何だ。じろじろ見やがって」

「ごめん。これ使いなよ」


 獣から人間になると服を着ていない。薄珂は慌てて立珂を降ろし、上衣を脱いで男に差し出した。自分とは違って筋肉のついた肉体を直視するのは妙に恥ずかしく感じられた。

 しかし男はそれを受け取らず、今にも飛び掛かりそうな顔をしている。


「何のつもりだ。殺すつもりか」

「服着るだけでどうやって殺すの。手当てするんだよ。孔雀先生はお医者さんなんだ」

「人間が獣人の味方をするものか。治して売る気だろう!」


 男は目をぎらつかせて孔雀を睨み付けている。そうする間にも脚からはどんどん血が流れ、それはまるで二か月前の自分のようだった。思わず自分を救ってくれた金剛を振り返ると大きく頷いてくれる。


「安心しろ! この先生には里の獣人全員が世話になってる!」


 金剛は腕だけを象にして見せた。獣人を安心させるには同胞である証拠を見せるのが一番手っ取り早い。ましてや象ともなれば、その安心感は格別だ。

 兎獣人の男も例に漏れず安心したようでふっと肩の力が抜けたようだった。


「象獣人か。そうか。助かった」

「金剛だ。自警団の団長をやってる。この里は助け合いが信条だ。手当をさせてくれ」


 象獣人の逸話を証明するかのように、兎獣人の男は急に大人しくなり警戒を解いた。

 薄珂もふうと一呼吸して、再び上衣を兎獣人の男に差し出した。


「外で全裸はどうかと思うよ」

「……すまん。借りる」


 兎獣人の男は大人しく薄珂の上衣を羽織ると血が沁み込んでいった。とても痛々しくて、立珂の方が辛そうに身を竦めている。

 しかし後ろから慶都がぴょんと元気に飛び上がり、いつものように激突してきた。


「わかった!」

「うわっ! 慶都いつの間にいたんだよ」

「その上着貸して! うさぎのにーちゃんには俺のを貸してやる!」

「慶都のじゃ小さいって。てかどうすんの」


 慶都はにんまりと悪戯っぽく微笑み、血が染みついた服を持って走り去ってしまった。

 一体何がどうしたのか誰も分からず、薄珂と孔雀は顔を見合わせた。


「落ち着きのない奴だ。先生。奥の寝台に寝かせるぞ」

「ええ。立珂君、辛い腸詰は夜まで待って下さいね」


 大人達は診療所へ入って行き、ぽつんと残された薄珂は再び立珂を抱き上げた。


「今日は二人だな。普通の腸詰でいいか?」

「うんっ! 普通のも大好きだよ!」


 血に怯えていた立珂は腸詰の一言で笑顔になった。

 どたばたしている診療所の様子は気になったが、薄珂は腸詰に想いを馳せる立珂に頬ずりしながらその場を後にした。

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