第二話 始まりの出会い(一)

 ぷんと薬品のような匂いで目が覚めた。

 ぼんやりとした意識の中で、薄珂の視界に映ったのは直線的な部屋だった。素材が分からない真っ白な壁に艶やかな木製の本棚、硝子張りの棚の中には様々な瓶が並んでいる。

 美しい室内は恐ろしくも感じられ、音を立てないようにそっと身体を起こす。

 すぐ横には丸くなっている羽の塊があり、かき分けると中にはぷうぷう寝息を立てる立珂がいる。手にはしっかりと小刀を握っていて、安堵して立珂の手を包み込む。

 するとその時、部屋の外から話し声と足音が聞こえてきた。

 薄珂は立珂の手から小刀を取って鞘から抜いて構えた。どくどくと心臓が音を立て額に汗が伝う。足音は一歩、また一歩と近づいてくる。薄珂は小刀を強く握り、父の教えを反芻する。


(目を潰してから逃げる)


 だが獣化できるだろうか。またあの頭痛に襲われたら獣化はできない。

 小刀で乗り切れことを祈るしかない。緊張して待つといよいよ扉が開き、ぬうっと大柄で浅黒い肌の男が入ってきた。


(象獣人! くそっ! 捕まったのか!)


 薄珂は強く小刀を握りしめ、飛び掛かれるよう体制を整えたが――


「お! 目ぇ覚めたか!」

「まだ起きてはいけませんよ。酷い熱だったんです」


 入って来たのは二人の男だった。

 一人は浜で遭遇した象獣人だが、よく見れば恐ろし気な体躯に反して目は円らでいかにも人の良さそうな笑顔だった

 もう一人は眼鏡が知的な印象の青年だ。姿は人間だが獣人かどうかは分からない。真っ白で直線的な服は馴染みが無く、この部屋と同じ気味の悪さを感じた。

 薄珂は立珂を抱きしめ男達を睨んだが、象獣人の男は豪快に声を上げた。


「ははは! 何かするなら寝てる間にやってる! 俺は金剛こんごう。獣人の隠れ里で自警団の団長をやってる」

「獣人の里? 何で俺達を助けるんだ」

「当然でしょう。私は孔雀くじゃく。医者です。人間ですが獣人医療もやってます」

「人間!?」


 薄珂は小刀を孔雀へ向けた。けれど孔雀は動揺もせずふわりと微笑んでくれた。


「落ち着いて。一体何があったんです?」

「……分からない。突然襲われたんだ」


 どうやって誤魔化すか焦り立珂を抱きしめると、途端に金剛と孔雀は眉をひそめて悲しそうな顔をした。


「そうか。有翼人狩りに遭ったのか」

「有翼人狩り!?」


 薄珂の心臓は跳ねあがり、一層強く立珂を抱きしめた。

 有翼人は迫害される。攻撃も移動もできない立珂にとって有翼人以外は全て敵だ。

 だが二人の話は事実と食い違っている。


(奴らの狙いは俺だった。羽付きは鳥獣人の事で有翼人じゃない)


 薄珂は金剛と孔雀を睨んだ。警戒されてるのが分かったようで二人は苦笑いをした。


「お前ら兄弟か?」

「だったらなんだ」

「いや。弟が有翼人ならお前は人間だよな。よく無傷で乗り切ったな」


 金剛は感心したように頷いたが、薄珂は眉間にしわを寄せた。


(何言ってんだこいつ。有翼人は獣人からも生まれる。生態系が変わるほど遠いのか? だから羽付きの認識も違う?)


 薄珂は少ない知識を総動員するが、正解は分からず立珂を抱きしめるしかできない。

 しかしふいに立珂が身を捩り震えた。


「んにゃ……」

「立珂!? どうした!」


 立珂はきゅうっと身を丸めて腹を抱えている。よく見れば腹には包帯が巻かれていて血が滲んでいる。

 薄珂の全身から血の気が引いた。


「立珂! 立珂!」


 傷は大きくないようだったが、気になるのはその位置だ。

 小さな身体に点々と三か所から出血している。それは公佗児になった薄珂の爪が刺さるような位置だった。


(しまった! 強く掴みすぎたんだ!)


 高速で飛ぶのは力の加減が難しい。落とさないよう強く掴んでしまったせいで爪が羽を超えて突き刺さったのだ。

 薄珂の目からぼろっと涙が流れた。


「立珂! ごめん立珂、立珂!」

「大丈夫ですよ。命に係わるような傷じゃありません。薬を塗り直しましょう」

「何する気だ!」

「治療だよ。治してもらえ。大事な弟だろ」


 金剛は口をめいっぱい広げて全開の笑顔を見せてくれたが、それでも信用して良いかは分からない。だがそうしている間にも立珂の包帯はどんどん真っ赤に染まっていく。意地を張っていて良い状況ではないのは明らかで、強く唇を噛み孔雀と目を合わせた。


「……立珂は治る?」

「診せてくれれば」


 薄珂はそろりと横にずれ、孔雀に見えるよう立珂を抱き上げ膝枕をした。

 孔雀と金剛はぱあっと笑顔になり、すぐに立珂の手当てをしてくれた。痛み止めだという液状の飲み薬も自分達が試飲してくれて、それを飲ませると立珂の呼吸も穏やかになった。顔色はまだ青白いが、穏やかに眠っている様子に薄珂はようやくひと心地ついた。


 それから孔雀は毎日薬を塗り直し包帯を変え、食事まで作ってくれた。金剛も毎日顔を見せてくれて、里のことや薄珂と立珂の知らない様々な話を聞かせてくれる。

 穏やかな入院生活は快適で、全て悪い夢だったのではと思うほどだった。

 薄珂は昼寝をしている立珂を抱いて小屋の外に出た。木造の壁に背を持たれかけ、足を放り出して座ると膝枕で立珂を横にする。

 立珂はぷうぷうと寝息を立てていて、血色の良くなった丸い頬をちょんっと突く。すると立珂は寝ぼけて身体をびくっと揺らした。


「腸詰……腸詰ぇ……」


 立珂はにまにまして宙に手を伸ばし、腸詰を探しているのか手をうろつかせている。そこに指を差し出すと、立珂はそれを掴んでぱくりと頬張った。


「もぐぅ……もぐぅ……もぐぅ……」

「ははっ。それは俺の指だぞ、立珂」


 立珂はしばらくもぎゅもぎゅと口を動かしていたが、食べられないからか眉をひそめて悲しそうな顔をした。


(里に落ち着いて二か月。元気になったな)


 森にいた時よりも健康的な立珂の寝顔は幸福そのものだ。眺めているだけで頬が緩む。

 そんな幸せに浸っていると、地響きのようだが心地よい足音が響いてきた。

 足音の方を見ると、獣化して大量の荷物を運んでいる金剛と手綱を引く孔雀がいた。

 金剛は座って荷を下ろし、目をつむると人間に姿を変える。すると慌てて薄珂の周りをぐるぐると駆け回った。

 

「体は大丈夫なのか? 起きていいのか?」

「怪我したのは立珂だし立珂も治ったよ。孔雀先生の医術は本当に凄いね」

「無理は駄目ですよ。団長の二の舞になる」

「俺のことはいいだろう」

「よくありません。象獣人専用薬は取り寄せなのに二か月前に買ったのがもう空です! 手術刀も刃こぼれして買い替えです!」

「仕方ないだろう。狼が群れで出たんだ」

「だから作戦を立てて動けというんです。安くないんですよ!」


 孔雀はぎろりと金剛を睨み付けた。

 薄珂は知らなかったが、獣人には各種族特有の薬があるらしい。様々な獣人が住んでいる里では揃えるだけで大変だそうだ。


(鳥獣人用ってあるのかな。あの頭痛怖いんだよな……)


 薄珂に外傷は無かった。悪いのは謎の頭痛だけだ。あまりにも発作的で、単なる疲れだとは思えない。鳥獣人特有の症状なら薬で治るのかもしれないが、また羽付き狩りに襲われる可能性を考えると軽率に正体を明かす事はできない。


(《いんくぉん》なら襲われないのかな)


 父が別れ際に教えてくれた国で、合流を約束した。獣化さえできれば探しに行くこともできるが、薄珂は迷い始めていた。

金剛という絶対的な守護神と孔雀の医療に守られたこの生活を手放すのは惜しい。

 膝の上で眠る立珂に目をやると、まだ薄珂の指をしゃぶっている。悩みながら立珂の髪を撫でたが、ふいにひゅうううっと何かが風を切るような音が聴こえた。

 気付いた薄珂は顔を上げたが、同時に何かが胸に激突して来た。薄珂はその勢いで後ろに倒れ、壁に思い切り後頭部を打ち付ける。

 あの頭痛とは違う鈍痛に頭を抱えたが、ずしりと胸の上に何かが乗っかったのが分かった。ぎぎぎっと震えながら胸の上を見ると、そこには裸の子供が座っていた。


「おはよう薄珂!」

「……慶都けいと。鷹で飛び込むのは止めろって言ったろ」

「あ、ごめーん」


 慶都は里の子供で鷹獣人だ。鷹の姿で激突されるのは薄珂の新たな日常だ。全く悪いと思っていないであろう顔で笑い、孔雀と金剛は呆れたような苦笑いを浮かべた。

 すると騒ぎで目を覚ましたのか、もぞもぞと立珂がゆっくり身を起こした。


「薄珂ぁ……?」

「ごめんごめん。起こしたな」

「起きた!? 起きたなら遊ぼう!」

「ん~……」


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