第一話 逃亡(一)

 人里離れた深い森。人の手が入っていない木々は好き勝手に生い茂っていた。

 海に面している切り立った崖は落ちたら深海へ沈み死ぬこともあるだろう。

 そんな危険な崖の上で、薄珂はっかと弟の立珂りっかは二人で遊びまわっていた。

 立珂は有翼人だ。背には身体よりも羽が生えている。薄珂の二つ年下で十六歳だが外見は十二、三歳と幼い。

 立珂は地面に座っているが、小さな体は羽に振り回されてぐらぐらと揺れている。

 けれど一生懸命に自分の羽を体に巻き付け、胴を一周すると体の前できつく結ぶ。


「できた! ぐるぐるできたよ薄珂!」

「よし! じゃあ羽に入るんだ! すぽん!」

「はあい! 羽にすぽんっ!」


 膝を抱えて額が膝に付くまで身体を丸めると、立珂の小さな体は羽に隠れた。

 薄珂は帯を外して服を脱いで裸になり、羽の塊と化した立珂に被せた。服は分厚い皮製のため、立珂は皮袋に詰め込まれたような状態だ。


「行くぞ、立珂。ちゃんとぎゅーしてるんだぞ」

「ぎゅーしてる! 大丈夫だよ!」


 薄珂は荷物のようになった立珂を抱き上げると、崖の端へと走って行く。

 立ち止まらなければ海に叩きつけられるが、薄珂は立ち止まるどころか勢いをつけて立珂を宙に投げた。

 両手を広げるとぞわぞわと羽根が生え、元より二倍は長い巨大な羽に姿を変える。

 薄い唇は突き出て嘴となり、足は鋭く長い爪になっていく。身体は人間など板切れに思えるほどに膨れ上がり、ついに薄珂は巨大な公佗児(こんどる)へと姿を変えた。

 薄珂は世界でも珍しい鳥獣人で、その中でも特に希少な公佗児獣人である。

 きいっと鳴いて立珂へ一直線に飛ぶと、あっという間に立珂へ辿り着き空中で捕まえた。

 そのまま立珂を掴んで海上を飛び回り、しばらくすると浜辺へ戻りゆっくりと立珂を降ろす。

 薄珂は姿を人間に戻し、立珂はぽんっと羽から顔を出す。


「んにゃっ! きもちー! たのしー!」

「立珂は強いな! これなら何があっても逃げられるぞ!」


 立珂を宙に投げて掴んで飛ぶ――この一連はただ遊んでいるわけではない。

 万が一の時にも逃げられるよう、遊びつつ避難訓練を兼ねている。


(有翼人の羽は神経が通ってないから飛べない。そのうえ羽が重すぎて一人じゃ歩けない。絶対に俺が掴んで飛べないといけないんだ)


 立珂を袋詰め状態にする理由は立珂には自衛する手段が無いためだ。

 一人ではまともに身動きが取れない立珂は、非常時のみならず日常生活でも薄珂が運んでやる必要がある。

 薄珂は笑顔の立珂の頬を撫でた。羽と皮に包まれたのが扱ったのか、立珂の額にはしっとりと汗が流れている。


「食事の前に川で水浴びするか。川まで抱っこするからぎゅーだ!」

「わあい! ぎゅーする!」


 薄珂は立珂を抱き上げ、立珂は両手を広げて薄珂に抱き着き頬ずりをしてくれる。

 動けないせいで運動不足になりがちな立珂は身体も顔もほっそりとしていて、しっかりと抱いていないと不安になってしまう。

 薄珂は頬ずりしながらきつく立珂を抱いて、森の奥にある川へ向かった。

 川べりに立珂を座らせると、立珂は大喜びで水中に身体を浸した。羽がゆらゆらと水に塗れ、見える肌は赤くなり掻きむしった痕がある。


「天幕戻って痒み止めの加密列かみつれ塗るか? 食事まで水浴びしてるか?」

「水浴びしてる。今日ぽかぽかしてるからまた汗かいちゃう」

「そうだな。じゃあ後で加密列を摘みに行こう。立珂の大好きな加密列茶だぞ」


 立珂の羽は信じられないくらいに保温性が高く、常に羽を背負う立珂の皮膚はいつも汗疹だらけだ。

 痒みを和らげるために色々な薬草で薬を作って試してきたが、加密列茶を布にしみこませて塗布するのが最も効果が高かった。

 加密列は中央に大きな黄色い花粉があり、その周りに小さな白い花弁が円状に生えている。柔らかな香りが心地よく、立珂の薬になると分かって以来、薄珂は加密列の栽培に余念が無い。

 二人で水を掛け合いはしゃいでいると、ばきんと木の枝が踏み折られた音がした。

 音がした方を振り返ると、そこにいたのは薄珂と立珂の父である人間の薄立はくりつだ。

 薄立は背に弓矢を背負い腰に小刀をぶら下げて、大きな手には動物を掴んでいる。


「いたいた。ここだったか」

「お帰り、父さん。獲物採れたんだ。何それ。兎?」

「ああ。今日はごちそうだぞ。飯作るからそろそろ上がれ」


 森暮らしの薄珂たちは自給自足と狩りで生活をしている。加密列を始めとした野菜や果物の栽培は薄珂と立珂が、狩りは薄立がやっている。

 薄立は兎を置くと一目散に立珂へ駆け寄り頭を撫でた。


「いっぱい遊んだか立珂。どれ。父さんが羽を乾かしてやろう。羽わしゃわしゃだ」

「あ! 駄目だよ! 立珂のわしゃわしゃは俺がやるんだから!」

「何でだ! 毎日お前じゃないか! たまには俺も立珂をわしゃわしゃしたい!」

「駄目! 立珂をわしゃわしゃして良いのは俺だけなんだ!」


 薄珂は薄立から奪うように立珂を抱きしめ、二人に挟まれた立珂はきゃあきゃあと嬉しそうに笑っている。

 結局薄立は昼食の準備をし、薄珂は立珂の羽をわしゃわしゃと掻き回して水切りをした。

 昼食を食べ終わると、水浴びで疲れ切った立珂は薄珂の膝の上でぷうぷうと寝息を立て始めた。薄珂は立珂の頭を撫でながら、声を潜めて薄立と会話をする。


「あの兎どこにいたの? この前見つけた新しい洞穴?」

「ああ。かなり良いぞ。崖上に通り抜けられたんだ。地盤も固いし避難所にしよう」

「じゃあ備蓄食料そっちに移して良い? 備蓄庫涼しいから立珂の寝床にしたい」


 薄立は避難場所を幾つも用意し、薄珂と立珂の遊びには全て避難訓練が盛り込まれている。

 それはこの世界において、特定の種の扱いが非常に悪いからだ。


「立珂はどうだ。掴んで飛んで逃げるのはできそうか」

「ずっとやってるんだから大丈夫だよ。けどこんな逃げ方することあるかな」

「無いと願いたいが有翼人を迫害する者は多い。『羽付き狩り』とかいう鳥獣人を捕まえて売買する犯罪集団もいる。鳥獣人は軍事戦略の要になるからな」


 鳥獣人は国家の軍や武力集団に求められる。上空からの偵察や奇襲は戦略を大きく左右しするからだ。

 高い知能と技術を持つ人間でさえ飛行は叶わない。鳥獣人は空の絶対王者だった。

 だがそれは集団の一員である場合だ。単独では肉食獣人や人間の武器へ立ち向かう戦闘能力は無い。だから薄珂は立珂を掴んで逃げる一択だ。

 重い空気が漂ったが、追い打ちをかけるように男の怒号が聞こえてきた。


「こっちだ! 獣を焼いた跡がある! 近いぞ!」

「崖んとこに羽根があった! 相当大きいぞ、ここの鳥獣人は!」


 薄珂と薄立はぴたりと身体を固めた。大きな声に驚いたのか、立珂はびくりと揺れて上半身を起こした。


「う? う? 何」


 薄立は素早く立珂の口を手で覆い、唇の前に人差し指を立てた。

 声を出すなと言っているのだろうことは察せられ、薄珂は音を立てないように立珂を抱き上げる。


(羽付き狩りとかいう連中か! 本当にそんなのがいるのか……!)


 薄珂の額に汗が滲んだが、それでも今からどうするのかは分かっている。

 薄立は周囲を警戒しながら足音を立てずに歩き、男たちの声と逆の方向へ向かう。

 薄珂と立珂も無言のままそろそろと歩き、着いたのは新しい避難場所にしようと話していた洞穴だ。

 薄立は洞穴へ入るようにと薄珂の背を押し、薄珂は立珂と一緒に洞穴へ入った。


(本当だ。奥が広い。でも父さんの船は海だ。崖に出たら駄目じゃないか)


 どうするつもりなのか聞こうと薄立を振り返るが、何故か薄立は洞穴の中へ入っていなかった。

 ごろごろと岩を転がして外から入り口を塞ごうとしている。


「父さん⁉ 何して」

「静かにしろ。よく聞け。北西の《いんくぉん》という国へ行くんだ。全種族平等を掲げる平和主義の中立国だ。きっと助けてくれるだろう」

「分かった! 分かったから早くこっちに来てよ!」

「泳げる獣人がいたら追いつかれる。俺が足止めするから立珂を連れて先に飛べ」

「何言ってんの! 駄目だよ! 危ないから一緒に」

「大丈夫だ。お前達が逃げ切ったら後を追う。接近戦になったらこの小刀を使え。戦わなくていいから相手の目を潰して逃げろ」


 薄立は薄珂の言葉を遮って早口で語りつつ、小刀を隙間から放り込んできた。

 薄珂は慌てて拾い上げたが、その隙に薄立は岩で入口を完全に塞いだ。


「《いんくぉん》で合流しよう。立珂。薄珂が公佗児である事は秘密にするんだぞ」

「父さん! 駄目だ! 父さん!」


 薄珂は除けるつもりで岩を叩いたがびくともしない。声は返って来なくて土を踏む音も聞こえなくなっている。

 その意味と待ち受ける未来図が脳裏に浮かび手が震えた。内臓が冷えるような感覚が身体に広がり、寒さで視界がぐらつく。

 しかしふいに指先に温もりを感じた。立珂がきゅっと手を掴んでいる。

 不安そうに瞳が揺れていて、薄珂は守るべきものがあることを思い出した。


(そうだ。立珂を守らなきゃ。父さんと合流するためにも《いんくぉん》へ行く)


 薄珂はそう言い聞かせると、立珂を抱いて頬擦りをしながら奥へと向かった。

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