勿忘草

@pumpkin0141

勿忘草

巡り合った新しい人。

仲良くなりたいと願って一緒に飲み歌い、楽しくなるとやってくる。

あの時の八月の冷夏が私の背筋を撫でる、僕との約束はどうなったのと訴える。

視界に映り込むは思い出せない顔と名前。綺麗だったはずの貌の小さなほくろだけ。頭を巡る罪悪感は未だに私を呪い続ける。


Uは優しいやつだ。一人暮らしをさせてくれる両親に毎月手紙を出す親想いの少年だ。それに顔だっていい。柔和な顔つきとそれを超えた柔らかい物腰は魅力的な人間で年上の先輩から好かれていた。彼の欠点は抱え込みすぎるところだったのだろう。


ある八月に私は彼の両親に頼まれて彼の住む集合住宅を訪ねた。綺麗好きのはずの彼の住む部屋の番号が割り振られたポストから溢れた紙はくたびれていて、これからの大型連休で浮かれる世間とは異質な空間を作り出した。

嫌な予感が空気を重たくさせ、階段を登る足取りはさらに重く。

そんな重さと比例するようにオートロックキーのついた扉は開かなかった。引いても引いても開かないドアは隠したものを握って離さない幼子の握り拳のようで。嫌な予感が確信へと変わる。無理矢理に開いた扉からは腐敗臭が突風となって襲ってきた。臭いで頭が理解し、しかし状況を飲み込めてないにも関わらず私は落ち着きすぎていた。取り乱すこともなく、廊下の先にあるぬらぬらとした液体をただ眺めていた。爽やかな午前の太陽を遮る水色のカーテンに着いたシミやモゾモゾと動く矮小な存在。暗い部屋のせいで判別し難い謎の物体。あんなに綺麗なあいつが腐ったからといって汚物に変わるわけがないと、これがあいつでない証拠を探そうとてらてらと溢れた液体を踏みつける。見つけてしまった目元にあったほくろ、俺が綺麗だと褒めてあいつが嫌だと顔をしかめたほくろ。膨らんだ下まぶたに寄り添ってたほくろ。


警察署での聞き取りはあまり覚えていない。ただ、迷惑そうな顔をする大家らしき中年女性と気遣いながら聞き取りをする制服の若い警官が対照的だった。



いくつかの飲み干されたジョッキとショットグラス。流行りの歌を優しい声で歌うM。MにもたれかかっているMの彼女。彼らと飲むのが楽しくて、飲みすぎてしまったようだ。終電を逃してからもう二時間ほどが経った。

「君と僕の挽歌」なんて予約しなければよかった。やっと忘れかけた彼を思い出して、歌詞が流れる液晶が歪み始める。力強く始まるはずった歌声は小さなエッヂボイスへと変わり、近くにあったおしぼりを握りしめるだけになる。


「大人になったら夜を飲み明かして綺麗な朝日を見たいねだとかそんな大人ぶったことを約束しあったよね」と彼が囁く。


八月の冷夏は私の背筋を撫でる。きっと彼は私を覗き込むだろうからと逃げるようにおしぼりで目を覆う。MやMの彼女が気遣う声が微かに聞こえるが要領を得ない。私の彼女だけは静かに冷たく私が泣くのを責める。


「今じゃない、後でもいい、どうして今なのか」と責め立てる。


温かい手が背中をさするのを振り払ってお手洗いへと逃げ込むが、未だに彼は離れてはくれない。彼は勝手に作り上げられて、勝手に殺されて、勝手に呪いにさせられた事を恨んでいるんだろう。


「ごめんなさい、ごめんなさい」そう言う以外に私にできる事はない。

顔も忘れて、名前も忘れて、ただ約束したことや顔立ちを綺麗に創った事を覚えているだけ。彼が責めるのは私の無責任。作った挙句に私の人生に入り込ませ、そして良いキャラクターから悪いキャラクターへと変えられてしまったことへの責め。



お手洗いに備え付けられた大きな鏡に映る真っ赤に目を腫らした私は言う。

「ごめんなさい、勝手に友達にしてごめんなさい。」

「勝手にいることにしてごめんんさい。勝手に殺した上に名前も顔も忘れてごめんなさい。」

「あなたを創った事を忘れててごめんなさい。許して、もう人生に現れないで。もう出てこないで。」


「でも、あなたっていう何か俺にとって重要な誰かが死んでしまったらしいっていう憂いを帯びた魅力的な俺を造るために。これからもわきまえて存在して。」



涙を拭き取って、ごめんねと優しい笑顔で402roomに入った時の私の顔はMやMの彼女からはどう見えたんだろう。きっと憂いを帯びた青年に見えたんだろう。

ただ、私の彼女の視線だけが痛い。

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