乙女ゲームのヒロインと、悪役令嬢の執事

睦月 はる

乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました…何それ意味分からん


「カール君、一緒にお昼たーべよ♪」


 王侯貴族が通う王立学園。お昼時のカフェテラスに、小花が舞う声が響いた。声の主は、肩で切り揃えたふんわりとした金髪と、水色の煌めく瞳、小柄で華奢な体、愛くるしい表情を振りまいて、バスケットを携えて駆け寄って来る。


 その先には向き合って食事を楽しむ男女がいる。美男女だった。

 それもその筈、ひとりはこの国の王太子カール。もうひとりは婚約者で、公爵令嬢アレクサンドラだ。


「アイリさん。殿下に対し馴れ馴れしく御名みなを呼び、騒がしく駆け寄ってはいけないと、何度申し上げれば分かっていただけるのです」


「あ!またアレクサンドラさんたら嫉妬ですか?私とカール君が仲良くするのが気に入らないんでしょ!政略結婚の婚約者が束縛なんてして、酷いと思わないんですか!」


「それ以前の問題と、わたくしが何度も申し上げていますでしょう。殿下は専属のシェフが用意したものしか召し上がりません」


 アレクサンドラは自分とカールを隔てるように、無遠慮に置かれたバスケットをアイリに返した。


「ひどい!一生懸命作ったのに!」


「だから、殿下は…」


「カール君!アレクサンドラさんが、私とカール君の時間を邪魔するの!」


 ずっと沈黙を保っていたカールは、瞳に涙を貯めて憐れっぽく自分に縋ったアイリを困ったように見下ろした。


「アイリさん。今日は遠慮してくれないかな?」


「カール君!またアレクサンドラさんに弱みを握られてるんだね!大丈夫、わたしが悪い公爵家なんてやっつけてやるから!不当な借金なんて、直ぐに無くしてあげるからね!」


 アイリが笑顔で言った言葉に、引きながらも様子を見守っていた生徒達が音を立てて固まった。


 王家が分家でもある公爵家に借金があるのは公然の秘密だった。王太子と公爵令嬢の婚約が、そのカタであるのも。

 しかしそれを堂々と、なんの臆面もなく、しかも根拠のない自信を漲らせて言い放った。

 もう恐怖以外のなにものでもない。


 カールの表情が無くなっている事に、この娘は気付かないのか。アレクサンドラは婚約者が受けた屈辱以上に心を痛めた様子で、きっとアイリを睨み付けた。


「やだ。怖~い」


「…アイリさんお下がりなさい。これは公爵令嬢、いえ、準王族命令です」


「そうやって権力に任せて私達の仲を裂こうとするんだね。でも、負けないんだから!」


 べ~と、舌を出し、おおよそ令嬢にはあり得ない仕草と捨て台詞を残して、アイリはバスケットを持って走り去って行った。


「殿下、申し訳ございません。わたくしが至らないばかりに、アイリさんに無礼を許してしまいました」


「何を言っているんだ。本来なら君でなく、彼女自身が己を教育し磨き上げるべき教養を、君は親切心から彼女に伝授しようとしている。それを彼女はただの嫌がらせだと思い込んでいるようだけど。アレクサンドラ、君は淑女の模範たる立派な女性だ。そんな君が婚約者である僕は、国一番の幸せ者だ」


「そんな、殿下…。わたくし何てまだまだです」


 カールは手放しにアレクサンドラを褒め称え、柔らかく微笑んだ。それを恐縮した様子で謙遜するアレクサンドラだが、頬は薔薇色に染まっている。


 一触即発の雰囲気から一転、恋人達の甘い世界が展開され、カフェテラスを利用していた生徒達はほっと胸を撫で下ろし、微笑ましくその光景を見守った。


 これがこの、王立学園の日常だった。






「あ~あ、人目も憚らずイチャイチャしちゃって。人のマナー違反は許せなくても、堂々とした不純異性交遊はオッケーって、どう言う理屈よ」


「別に、不純ではないでしょう」


 王太子カップルのイチャつき具合を離れた場所でこっそり見つめている影があった。

 ひとつはアイリと呼ばれていた可憐な少女だ。しかし天真爛漫な雰囲気は鳴りを潜め、真剣な表情で恋人達の様子を窺っている。


 その後ろには、水色の長髪をクリーム色のリボンで括った、執事服姿の青年の姿があった。長躯をアイリと共に茂みから出ないように隠し、長い手足を持て余している。


 ふたりが席を立つと、よっこらしょっとアイリと執事―――モティオは一仕事終えたと手足を伸ばした。


「モティオ。この後のアレクサンドラ様の予定は?」


「授業を終えたら図書室で明日の予習。その後、お茶会を飾るお花の打ち合わせに、花屋へ伺います」


「オッケー。宰相様とこのお坊ちゃまと、やたらイケメンな平民とイベント起こせるわね」


 おっし、と両拳を握ってアイリは意気込む。


「『悪役令嬢アレクサンドラ、断罪破滅回避計画』に向けて、もうひと頑張りしますか」





 話は半年前に逆戻る。


 アイリは赤子の頃に捨てられ、王立学園入学まで孤児院で育った。

 孤児院によっては人身売買の温床になっていたり、虐待が日常化して、凄惨な事になっていたりする場合があるらしいが、アイリが育った孤児院は、貴族の見栄と虚栄と偽善による寄付によって、衣食住も教育も充実していた。


 時々慰問にやってくる貴族は、自分達が心を砕いて慈悲をかけてやった可哀相な子供達が「あなた様のお陰で今日も生きていけます」と、機械人形が繰り返す様に言う感謝の言葉を聞いて満足し、また寄付をして帰って行く。


 優秀な子供は貴族のお邸で雇われる事もある。気に入った貴族がするのだ。


 そして貴族の偽善心を満足させる最大のイベントが、一番優秀な子供を王立学園へ入学させ、手厚い教育を施してやる事により、貴族は憐れな庶民を救ってやっていますよ、と大々的に披露するものだ。


 それに不運にも選ばれたのは、見た目も頭も良かったアイリだった。


 貴族のお人形遊びの道具にされるのは憤懣やる方ないが、逆らう選択肢はアイリには無い。

 貴族からの寄付がなければ、子供達はあっという間に飢えて路頭に迷ってしまう。


 貴族は入学さえすれば大体満足し、子供達のアフターケアもなにもない。「貴族の学校の教育は高度過ぎて着いて行けない」と、例年一年程で退学する者が殆どで、それに対するお叱りも無い。

 そもそも孤児に教育なんて無駄だと、内心思っている貴族だ。何も期待もしていないのだから叱るも何もない。

 目的は「憐れな子供に慈悲を掛けて入学させてやった」事実なのだから。


 そうやって入学したアイリは、貴族の仮面舞踏会となっている教室から抜け出して、苛立ちを誤魔化す為に無駄に広い庭園をウロウロしていた。別に迷子になっていない。


「ええ⁈私乙女ゲームの世界に転生してるの⁈」


 鈴を転がしたような素っ頓狂な悲鳴が聞こえて来た。

 何事だと月桂樹の垣根の向こうを覗くと、見事な金髪縦ロール姿の美女が、地べたに座り込んで顔を両手で覆っていた。


「しかも、庶民出身の入学生ヒロインのアイリをいじめて破滅する、悪役公爵令嬢アレクサンドラじゃない!アイリの、可愛くて守ってあげたいって雰囲気が攻略対象者にハマって、あっという間に恋に落ちて、婚約者も心変わりされて、嫉妬に狂って殺人未遂まで起こす最悪な悪女の!」


 この美人は何をひとりで言っているんだろう?

 アイリとは私の事なんだろうか?庶民出身の入学生のアイリは私しかいないから、多分そうなんだろうけど、でも…。


「しかも今さっき婚約者のカール王太子に、お前うちに借金があるんだから分かっているよな?な、マウントとっちゃって怒らせちゃったよ!他の攻略対象者にもすっごく嫌われてるし。こう言うのって、小さい頃に突然前世の記憶を思い出して、破滅回避の為に奮闘するものじゃないの!」


 この人さっきから何喋ってるんだろう。

 混乱して取り乱しているのは分かるけど、乙女 遊戯ゲームとか破滅とか、本当に意味が分からない。あと面識もないのに自分の事言われるの何かイヤ。


 よっぽど取り乱しているのか、垣根から顔を覗かせて、様子を見ているアイリにも気付く気配が無い。

 これ何?と、天を仰ぎ視線が上がった時だ。反対側の垣根から同じ様に様子を窺う人影に気付いた。


 ふたりの視線がかち合う。お互いに気まずそうに視線を逸らすが、そんな状況に関係無く、金髪縦ロール美女の嘆きは終わらなかった。


「もう王立学園へ入学したのに私、攻略対象者との親密度カンストどころかマイナスなんだけど⁈しかもゲームをハッピーエンドでクリアする前に、私死んじゃってるわ!才能無さ過ぎてバットエンドしか経験してない!」


 ねえ私達、すっごく気まずいの。望んでもいないのに盗み見現場に居合わせて、すっごく気まずいの。お願いだから正気に戻って。


「我慢できなくてネットでシナリオはネタバレしてるけど、やり直しがきくゲームでさえど下手だったのに、リアル恋愛シミュレーション何て無理に決まってるじゃない!私このままじゃ断罪されて破滅して、最悪死んじゃう!いやあああ!また青春真っ盛りに死ぬなんて!」


 金髪縦ロール美女はおいおいと泣きじゃくった。その姿も様になるのだから、美人て凄いな~…と、現実逃避をしながらアイリはコレどうしようと途方に暮れた。


 とりあえず。同じ心境だろうと思われる、盗み見仲間と相談するか。


 再びかち合った視線。ふたりは黙って頷き合った。





「私はアレクサンドラお嬢様の専属執事、モティオと申します。お嬢様がカール殿下のご気分を損ね、そのカール殿下の態度が気に入らず癇癪を起こして、どこかへ姿を消したお嬢様を探しに来たのですが…あのようなお姿、初めて拝見いたしました。その、お嬢様は、傲慢…自信家でご自分の魅力を磨く事に心血を注ぐ方なので、みっともない…普段とは違う行動をとる何て」


 盗み見コンビで自己紹介を済ませ、お互いの経緯を話す。

 あの金髪縦ロール美女はアレクサンドラという、国内有数の名家のお嬢様で、この男はお嬢様に仕えるモティオと言う執事だそうだ。主従揃って大変美形である。


 アイリと同年代にも関わらず、執事に抜擢されたのだから相当優秀な人物なのだろう。しかし余計な事まで口を滑らせている様子から見て、動揺が甚だしい事が伺える。


「お宅のお嬢様って、いつからあんな感じなの?」


「少なくとも、私は今初めて見ました。お邸で近くに侍る侍女までは分かり兼ねますが、専属執事である私にお嬢様の異変が報告されない訳ありませんので、お嬢様が命じていない限り、それはないかと」


「つまりお嬢様のご乱心をたった今、目の当たりにしたと。自分が第一号で」


「ごらっ…。まあ、そう言う事になるのでしょうか…」


 モティオはちらっと視線を動かした。

 直ぐ横の垣根の向こうには、嘆きながら独り言をブツブツと繰り返しているアレクサンドラがいる。

 所々、刺されて死ぬとか毒を盛られるとか、深層のご令嬢とは思えない物騒な単語が漏れ聞こえてくる。単語もその姿もコワイ。


「その、アイリ様も、お嬢様のこのご様子を初めてご覧になったのですか?」


「初めても何も、今日が初対面?よ」


「ではどうしてこれ程、『アイリに婚約者が心変わりして断罪される』と、お嬢様は怯えてらっしゃるのですか?」


「そんなの、私が知りたいわよ!私の名前くらいなら知っててもおかしくはないけど、貴族のお嬢様にビビられる様な行いをした覚えはないわ!専属執事ならお嬢様の人間関係ぐらい把握してるでしょ!」


 ぐっとモティオは押し黙った。

 そんな事、言われなくても分かっている。日々我儘で傲慢なアレクサンドラの無茶振りに付き合い、使用人任せの癖にアレクサンドラが面倒を起こすと、真っ先にモティオを非難する、教育放任公爵夫婦に頭を下げ続け、理不尽に耐え続けているのだ。

 アレクサンドラの事で、モティオが知らない事など無い。

 しかし、あれはなんだ。


 矜持だけは人一倍なアレクサンドラの、別人の様な姿。庶民の小娘に言い負かされてしまう程の、主の異常事態はなんだ。

 モティオは混乱していた。


 それはアイリもだ。

 聞こえてくるアレクサンドラの妄想独り言は、アイリが王太子を筆頭に、学園でも指折りの貴公子達と恋愛を繰り広げる事が語られている。

 身に覚えもなければ、望んでもいない自分が主役のラブストーリーを語られ、戸惑いと混乱と薄気味悪さが全身を撫でる。


「どうしよう…。このままいったら、私はアイリと殿下達に断罪されてしまうわ…」


 ぴくっと、アイリの眉間が吊り上がる。

 妄想をするのは勝手だが、自分を巻き込まないで貰いたい。こちらは貴族のお遊び慈善活動に付き合わされているだけで、堪忍袋が弾けそうなのに。


 きっと、モティオを睨み付けると、モティオは何とも言えない表情でアイリと垣根を交互に見やった。主がザンネンな有様になり、モティオも気の毒だとは思うが、そちらの監督不行き届きだろう。早く何とかしろ。


 アレクサンドラはふたりの存在に気付かぬまま、この世界は乙女 遊戯ゲームとやらの世界で、自分は死んでその世界の悪役の令嬢に生まれ変わり、主役であるアイリを陥れた裁きを受け破滅する妄想をひとしきり語り、さめざめと泣き崩れた。


 一体なんの地獄だ。


 アイリとモティオは、延々と止まらないすすり泣きを聞きながら、混沌の沼に沈んでいった。





 モティオは公爵家の分家、男爵家の生まれだった。

 しかし両親はモティオが幼い頃に亡くなり、唯一の嫡子で、未成年だったモティオは成人して爵位が継げるまで、本家である公爵家が後見人になった。男爵位は当主であるアレクサンドラの父、公爵が兼任する事になった。


 子供であったとは言え、公爵の手を取ってしまった事は、モティオの人生最大の誤りである。


 公爵は娘、アレクサンドラのいい遊び相手と我儘の捌け口を探していたのだ。ちょうどいい所に、娘と年齢も近く、こちらに従うしかない憐れな子羊が現れた。


 将来は男爵家を継がせ、自立させてやる。それまではアレクサンドラの忠実な従僕となれ。もしアレクサンドラに何かあれば、両親が残したもの全てを没収する。


 殆ど脅迫されたようなものだ。

 モティオは従うほかなく、公爵令嬢の専属執事と言う、耳障りだけは良い職に就いた。


 アレクサンドラの恥にならぬ様、完璧な礼儀作法と教養を身に付け、アレクサンドラが問題を起こせば揉み消し、我儘を言えばどんなに理不尽な事でも従った。


 それでもアレクサンドラが満足しなければ、言葉の暴力が降って来る。物を投げつけられる事もあった。


 そしてそんな淑女らしからぬ行動は、モティオの教育が十分でないからと、公爵夫婦に罵倒されるのだ。

 特に、一向に進展しないカール王太子との仲について、お前がふたりの仲を取り持たないからだ、想いが先走って暴走してしまうアレクサンドラを窘められないモティオが悪いと、全ての責任を押し付けられる。


 娘の機嫌がいい時にだけ猫可愛がりして甘やかし、肝心の躾から完全に目を逸らし、親の役目を放棄しているのに、モティオを詰る様だけは立派なものだった。


 王立学園へ入学してカールと接する時間が増えると、アレクサンドラの癇癪はますます酷くなった。


 こんなに素晴らしいわたくしが居るのに、殿下はどうしてわたくしを賛美してこないのか。


 勿論、カールが見た目も中身も毒々しく着飾ったアレクサンドラに、愛情を持つ訳が無い。借金のカタに嫌々婚約した彼にとって、アレクサンドラと居る時間は苦行でしかないのだ。


「あの…殿下…わたくし、その…」


「何の用だアレクサンドラ。新しい髪飾りでも買ったのか?ドレスを新調したか?君が職人に事細かに注文して誂えた品だ、似合ってない訳がないよ」


 胸の前で手を摩りながら、アレクサンドラがオドオドしてカールに声を掛ける。しかしカールは婚約者に視線を向けもせず、厳しい視線でアレクサンドラを睨め付ける学友達と立ち去ってしまった。


「殿下…話を、話を聞いて下さい…。わたくし、殿下や、お友達の皆さんに、謝りたいのです…」


 アレクサンドラは涙目で、下に顔を伏せてぼそぼそと呟いている。追いかける度胸も、大声を出してでも引き止めたい気迫も無いのだ。

 その姿を、学生達が「とうとう婚約者に見捨てられた」嘲笑わっている。


(誰だ。あれは一体…)


 ―――モティオ、今まで、そのごめんなさい。もう我儘言わないから、だから、その…。


 昨夜。屋敷に帰宅して、自室に下がったアレクサンドラに呼ばれるなり、また無理難題でも押し付けられるのかと嘆息を吐いたモティオは、我が耳と目を疑った。


 傲慢なアレクサンドラの姿は鳴りを潜め、殊勝な姿―――いっそ、いたぶられる子猫の様な雰囲気のアレクサンドラが、ひたすらごめんなさいと謝って来たのだ。


 気味が悪いといったらない。また悪巧みを考えているのかと思ったが、モティオ以外の使用人にも似た様な態度をとり、屋敷中を騒然とさせた。


 学園へ登校すれば、以前の様に自分が女王だと威張り散らす事も無く、今の様に縮こまって情けなく泣くばかり。


 もう、別人だった。


「お嬢様一体どうしたのよ。公爵家のお嬢様が、自分より階級が下の貴族に笑われてるわよ。ありなの?」


「無しですよ。お陰で公爵様にお叱りを受けました」


「頬の湿布はそれか。いたく男前になったな~と思ったら―――辞めたら?」


「出来たら、苦労しません」


 モティオとアイリは、劇的ビフォーアフターを遂げた、アレクサンドラを建物の影から観察していた。


 モティオにとって、進退がかかった重大事件だ。以前のアレクサンドラも問題児であったが、今は今で、公爵令嬢の威厳も何もない有様は、ある意味以前よりも質が悪い。

 その変化の原因を、モティオに押し付けられる未来予想図は容易く想像できた。


 そしてそんなアレクサンドラの変化の被害を、アイリも受けていた。

 何故かアレクサンドラは、アイリとカールが惹かれ合うと思い込んでおり、それを悲壮な表情で心あらずと言った風に、ポロリと零すのだ。

 それを聞いた者は、庶民の癖に王太子妃の座を狙う愚か者だと、アイリを蔑み指差す。

 我慢の限界が近い。こちらはほぼ強制されてこの学園へ入学したのに、その上身に覚えのない恋愛沙汰に巻き込まれている。


 全ては突然オカシクなった、アレクサンドラのせいだ。


「ねえ、モティオさん。総括するとアレクサンドラ様は、この世界が乙女遊戯と言う恋愛を疑似体験する遊戯だと思っていて、自分はその悪役令嬢と言う、主人公の恋愛の障害となる悪者と思っていて、最後は破滅すると思い込んでいる。でいいわよね?」


「ええ、原因は全く不明ですが。殿下のお心が離れてしまった事がショックで、心を入れ替えた―――何て可愛らしい概念はあの方に存在しませんし。お嬢様はご自分を悪役令嬢とやらだと思い込み、アイリ様を主役だと主張しています。ちなみに、アイリ様は主人公になるおつもりは…」


「ないわよ!出来る事なら今すぐにでもこんな所辞めて、地味にコツコツ働いて、地味にコツコツ人生を歩んでいきたいわよ!」


「私だって、公爵家ともお嬢様とも縁を切って、両親が残した男爵家を継ぎ守っていきたいです」


 暫しふたりの間に沈黙がおり、その間にふたりはお互いの利害の一致を感じ取った。


 そしてふたりは、この混沌から抜け出す算段を話し合った。





 アレクサンドラの妄想の全貌は、馬鹿デカ独り言のお陰で把握できている。基本的に彼女は、攻略対象者と言う王太子とその学友に自分の悪行を断罪されるのを恐れている。それはアイリと攻略対象者の身分差恋愛の末だ。


 恐ろしい事に、それが妄想と言いきれない出来事もあるのだ。それは予言と言って過言ではなかった。

 だから、お前のそれは全て妄想だ、正気に戻れ。と諭す事も難しかった。

 そもそもふたりの身分では、公爵令嬢に物申すのも不敬になる。相手は王家の血を引く準王族なのだ。


 なら。否定も諭す事もできないのなら。

 肯定してやればいい。





「カール君。お勉強教えて欲しいな」


 アレクサンドラはその鈴を転がした様な声に度肝を抜かれた。

 婚約者で王太子であるカールが図書室で自習していると聞き、何度目か分からない謝罪をする為に訪れたのだが…。


「カール君。ここ、分からないの教えて?」


 小首を傾げながら、庶民の入学生アイリがカールにノートを広げて駆け寄る。

 そのままじゃ転ぶ…と思ったのと同時に、アイリは小さな悲鳴を上げて躓き、無防備になった体は、正面に座っていたカールの胸に受け止められた。


 これは、ヒロインと攻略対象者カールとのイベント。天真爛漫なアイリの姿に、カールが癒される、あの。


 全身の血流が凍ったかの様だ。呼吸さえままならない。ああ、殿下はアイリに恋をして…。


 アレクサンドラは眉根を寄せた。


 ごめんと謝りながら身を捩って一向に離れようとしないアイリ。表面上は仕方ないと鷹揚に振舞うカールだが、あれは困惑している表情だ。長年婚約者を勤めている自分には分かる。


 行動しなければ何も変わらない。このままじゃ断罪されるだけだ。それに、公爵令嬢として規律を乱す者を、放って置く訳にはいかない。


 アレクサンドラは震える己を叱咤して、カールとアイリの前に歩み出る。


「アイリさん、それはあまりにも淑女の行動として間違っています」


「え?ただ勉強を見て貰おうとしただけじゃない」


「それ以前の問題だと、申し上げているのです」


 アイリはカールに見せていた愛らしい顔を不快の色に染めて、アレクサンドラを見返した。

 カールは威風堂々とし、礼儀作法とはなんたるかを説くアレクサンドラを驚きと感心の籠った瞳で見返した。


 ふたりは暫し会話―――アイリが正論を言うアレクサンドラに癇癪を起こし、結局我儘を改めようとせず、逃げる様に去って行くまで―――した。


「アレクサンドラ。君は変わったんだね。以前の様な傲慢さもなくて、立派な令嬢そのものだ。君が変わろうと努力するのなら、私は見届ける義務がある」


「殿下…!」


 いつ振りかも分からない、カールの穏やかな表情を見てアレクサンドラは目尻に涙を浮かべた。

 その幼気な姿に、カールの胸が小さく波打つ。


 それからと言うもの、アイリは攻略対象者に何かと理由を付けては擦り寄っていった。

 まるで乙女ゲームの筋書きをなぞるように。


 しかし現実で、乙女ゲームの再現など無理がある。

 あなたの心の傷を私は知っている、私はその傷を癒す事ができる。そんな事を突然囁かれて受け入れる者がいるだろうか。

 それを悟られまいと隠しているなら猶更だ。


 もしかしたら、アイリも転生者かもしれない。

 でもアイリ。ここはゲームの世界じゃなくて現実なの。みんなの心は、あなたの気持ちで弄んで良いものじゃないの!


 アレクサンドラは無遠慮に相手の心に踏み込むアイリを正そうとするが、アイリは自分こそが正しいと添いの態度を改めなかった。

 皮肉にもその一連のやり取りが、アレクサンドラと攻略対象者の絆を深め、アイリの評判を落とす事になるのだった。





「上手く行き過ぎて怖いんだけど」


「私はアイリがいつ不敬罪で投獄されないか怖いです」


 アレクサンドラが語る乙女遊戯の内容通りに行動———多少大袈裟にすれば、攻略対象者と呼ばれる者達が不快に感じる事は分かり切っていた。


 その現場を目撃すれば、アレクサンドラが公爵令嬢の矜持から放って置けない事も。


 アレクサンドラの専属執事、モティオにかかれば現場に導きそう誘導する事は容易い事だった。


 自分でど下手といっていただけあり、こちらが誘導している事にも気付かない恋愛ベタは、王太子達の芽生え始めた恋心にも気付く素振りさえない。


「あとはモティオの作戦が上手くいけば、私は素行不良者として学園から退学を打診されて、それを表面上は不服に思いながらも受ければいいってわけね」


「ええ。それは滞りなく進んでいますが…」


 モティオはふいに言葉を切って、アイリをじっと見つめた。何かを危惧するような、心配するような色合いを瞳が帯びている。


「あの、もう退学してもいいのでは?イベントやらは大体熟しましたし、十分だと思います」


 アイリはそんなモティオに首を傾げる。

 アレクサンドラが王太子達に確かに愛されていると確信し、公爵令嬢として自信を完全に持つまではこの茶番を続けると、その内容まで綿密にふたりで相談した筈だ。


「あともうちょっとでしょ?モティオの計画が終わるの。それまでは私に目が向いていた方がいいじゃない」


 心配しないでと、アイリはモティオの肩を叩いた。


 庶民の、愚か者だと見下しているアイリに本気で憤慨すれば、あんな奴に本気になって…と嘲笑われるからだ。


 体面を気にする貴族にそれはできない。


 モティオはまだ何か言いたそうだったが、アイリの笑顔を前にしてぐっと拳を握り、足早に去って行った。






「アレクサンドラ、私と結婚して欲しい」


 アレクサンドラは愛の告白を受けていた。


 婚約者のカール………達から。


「え…?」


 ここ半年間、断罪破滅回避の為、攻略対象者達との関係を改善していった。


 最近ではみんな、心からの笑顔を向けてくれるようになり、確かな絆を感じていたのだが…。


 それが恋心だと?どうして。


 告白してきた中には、義理の弟やカールの側近の姿もある。そしてモブと呼ばれる、本来なら悪役令嬢と全く関わりの無い者の姿もあった。


「ねえみんな。アレクサンドラは私の婚約者だよ?分かってるの?」


「それはどうでしょう。殿下との婚約は公爵家との借金があって、嫌々していたものですよね?それが無くなれば…」


 義理の弟の発言にカールが訝しむ。


「どういう事だ…?」


「実は、我が義父ちちが王家に対して少し、不誠実だった事実が判明しまして。それを踏まえると、王家の借金は完済する事になります」


 なっと、カールとアレクサンドラが息を吞んだ。

 父親の不誠実なんて、それで借金が完済になる事なんて。ただ事では無いだろう。


「だから姉上は僕と…」


「おや、公爵家に不正があるとしたら、その被害者であるアレクサンドラ嬢を公爵家に留め置く訳には参りません。当家が保護します」


 宰相令息が眼鏡をくいっと上げながら言った。


「宰相家も無関係だと言えるのか?政治に関係のない家が、アレクサンドラ嬢を保護するのが良いに決まってる!」


 軍隊長令息が鼻息荒く叫んだ。


「アレクサンドラは、しばし俗世と離れた方がいいのでは?清廉な彼女には、神の加護が必要なのだよ」


 若き司祭が割り込んだ。


「お前達、黙って聞いていればぬけぬけと…」


 肩を震わせてカールがだんと地面を踏んだ。


「アレクサンドラは私のものだ!」


 いや僕だ私だ俺だと、アレクサンドラを巡って攻略対象者達の怒号が飛び交った。


 どうしてこうなったのと、アレクサンドラは声も上げられずに震える。まるで半年前の、前世の記憶を思い出したあの日に戻ったかのようだ。


 わたくしは、ただ、断罪を回避したかっただけなのに―――。


「「「アレクサンドラ、君は誰を選ぶんだ!」」」


 埒が明かないと、攻略対象者達は竦み上がるアレクサンドラへ詰め寄った。


「え…、わたくしは、わたくしは…」


 選ぶも何も、アレクサンドラはカールの婚約者だ。将来結婚するのはカールである。


 でも公爵家に何かあるのなら、借金が無いのなら、アレクサンドラとカールが結ばれる必要は無い。その資格がアレクサンドラに無い。


 その障害を撥ね退けてでも結婚したいと言う、確固たる意志がアレクサンドラにあるのか。覚悟があるのか。


 ひゅうひゅうと、呼吸が漏れる。動悸がして、視界が端から黒く染まっていく。


「アレクサンドラ何も心配する事は無いんだ。あのアイリとか言う、君に無礼な庶民は国外追放にするから…———」


 カールの言葉を聞いて、アレクサンドラの視界が真っ黒に染まった。膝から崩れ落ちるが、アレクサンドラの危機に、駆け付ける忠実な執事の姿は無い。


 カールの発言に慌てて詰め寄る義弟の切羽詰まった声を最後に、アレクサンドラは気を失った。





「ちょっと、可愛そうだったかしら」


 右往左往する孤児院の職員を眺めながら、アイリは言う。幼い頃から世話になった彼らだが、その様を見ていると、僅かに残っていた情も消え失せてしまう。


 彼らは寄付金を横領し、それが発覚。憲兵に連行される前に雲隠れしようと、大慌てで荷物を纏めているのだ。


「それは、彼らの事ですか。それとも、アレクサンドラお嬢様達の事ですか」


 今さっき、職員達に引導を渡したモティオは、アイリ隣で壁に背を凭れかかせている。


 アイリも背中を壁に預け、上目遣いでモティオを窺った。


 この国には大小様々な、困窮している所もあればアイリが育ったような、豊かな孤児院がある。


 その殆どは、裕福層である貴族からの寄付金で成り立っているのだが、それは純粋な善意からではない。


 憐れな子羊を救ってやっていると言う優越感と―――脱税の隠れ蓑として。


 目立つ首都などの孤児院には堂々と寄付をして、目の届かない地方の孤児院は、寄付をしたと偽造の書類を政府に提出し、社会福祉に貢献したと軽減税率の対象にし、孤児院の職員には小金を握らせて口裏を合わせる。


 孤児院自体に殆ど金は入らない。

 これでは一向に孤児は救われない。


 成長した孤児は学もないので、まともな職に就けず貧しいまま。その子供も必然的に貧しくなり、そして、貧しさの中で飢えて親が亡くなったり、子供を捨てたりし、孤児が増えていく。

 終わる事の無い、負の連鎖。


 そしてその元締めとも言えるのが、公爵家当主―――アレクサンドラの父親だったのだ。


 貴族達が寄付の名目で脱税している事実を弱みとして握り、その上脱税した金を献上させる。その膨大な資金を使い借款を肩代わりするのだが、国家間の借金をいち個人が肩代わりするなど、国家体制を揺るがす大事件である。


 公爵家は王家の分家。王権の移譲さえ起こりうる。


 王家はその事実を、王家と公爵家の個人的な借金と公表して貰う代わりに、脱税に関する事実に目を瞑った。


 そう、王家は自分達の利権を守る為に、国民の血税を―――いや国民を公爵に売ったのだ。


 そして仕上げに、アレクサンドラとカールを結婚させ、外戚として、やがて生まれた孫を操り人形として実権を握る。


 アレクサンドラやカール達、子供世代には巧妙に隠されていたが、それももう終わった。


 公爵令嬢アレクサンドラの専属執事として、内情を深く知っていたモティオと、孤児院出身で、貴族の汚い有様を見続けて来たアイリによって。


 彼らも馬鹿ではない。ただ事実を教えただけでは、自分達の立場が揺らぐ真実など隠蔽して、モティオとアイリを闇に葬る事だってあり得る。


 だからこう言った。


 アレクサンドラの義弟おとうとには、

「このままでは、愛するお姉様と結ばれる事は永遠にありませんよ。でも脱税の件で父君を告発し、あなたが当主になればそれも覆ります。世間は不正を暴いたあなたを英雄と讃え、姉君は公爵の権力に屈した、名ばかりの王家に嫁がなくて済むのです」


 宰相令息達には、

「この様な不正を行い、国民を長年苦しめ、それを防げずにいた王家と、なにより公爵家に、愛しいアレクサンドラ様を任せていいのですか?アレクサンドラ様も利用されそして使い潰され、無残に打ち捨てられるかもしれないのに。アレクサンドラ様を救えるのは、あなたなのではないですか?」


 こう言えば、モティオとアイリでは集めきれなかった証拠や事実を彼らは喜んでかき集め差し出した。

 貴族が告発するだけでは、只の政権対立とされていまいち演出に欠ける。

 貴族でありながら全てを奪われ虐げられてきたモティオと、貧しい者達の痛みを誰よりも知るアイリの協力があってこそ、効果が絶大だと思ったからこそ、協力的だった彼らだが―――。


 それで、これから貴族が穏便に暮らしていける訳が無い。

 色恋に狂って、時世を読み間違える結果になった。


「こちらが誘導したとは言え、婚約者が居ながら他の殿方に、思わせ振りな行動をしたのはお嬢様です。それにお嬢様が変わったからと言って、あっさり好印象を持って恋慕を抱くのもどうかと思いますが。あの方がした事実は消えないのですよ?実際私は謝罪され、その後不当な扱いを受ける事はありませんでしたが、長年の恨みつらみが謝罪の一つで、この半年の誠実な扱いで昇華されるとも?謝ったら許されて無かった事に出来るのなら、法などいらないのですよ」


 逃げ去る職員の背中を眺めながらモティオは毒づく。

 それだけ、大切なものを失って来たのだろう。


 親達の不正と恋愛の縺れを同時に抱え、あの泣き虫お嬢様は果たして乗り越えられるのか。いや無理だろう。それが少し罪悪感を刺激する。


未必みひつの故意とも言えない?」


「そうとも言えますね。だからと言って何とも思いません。この一件は、子供だから知らなかったと言う範疇を越えていました。特にカール王太子は、次期国王として資格に欠けていると露呈したも当然です。借金のカタにされいている事実から目を背けたくて、政から遠ざかっていたのでしょう。私でさえ知りえた情報さえ知らなかったのです。ボンクラにも程がありますよ」


 けっと。らしくない姿にアイリはモティオの怒りの強さをしみじみと感じた。


 カール王太子は、アレクサンドラが他の男に言い寄られている。早く自分の想いを打ち明けた方がいいと、いざこざが発生する様に誘導した。その隙に、王太子が貴族令息と婚約者を巡って乱闘騒ぎ…と適当に騒ぎ立て、混乱する公爵達の隙をついてモティオの継承権を取り戻す算段だったのだが、カールは脱税の事を匂わせても反応が無かった。


 こんなにも無知だったのかと、アイリも王太子に裏切られた気持ちになったが、貴族社会で生きて来たモティオはさらに、裏切りと失望感に胸を痛めたのだろう。


「アイリ。あなた、下手したらあの王太子に国外追放にされていたかもしれないんですよ?どうしてそんなあっけらかんとしてるんです」


 モティオが眉根を寄せてアイリを見下ろした。

 もしかして、さっきから不機嫌なのはその事について?


 どう言う思考回路になったらそうなるのか、自分に纏わり付き、アレクサンドラを困らせるアイリを断罪すれば、アレクサンドラの愛は自分のものだけになると、カールは思ったらしい。

 以前と違い、理想的な令嬢になったアレクサンドラを狙う者があからさまに多くなって、アレクサンドラを蔑ろにして来たカールは焦ったのだろう。だからといって、それで国外追放に至る思考はとんと理解できない。


 アレクサンドラのもとへ駆け出す際、捨て台詞のついでで今思いつきましたとばかりに、カールは「これまでの無礼な行為は極刑にも値するが、アレクサンドラの玉座を血で汚したくないから国外追放にとどめておいてやる。感謝しろ」と宣って、そのまま去ってしまったのだ。


 呆気に取られるアイリ。本当にやりやがったと呟くモティオ。

 いつだったか、モティオがアイリに退学を促したのは、この事を危惧していたからだと。


「だって私孤児だから、国外追放にされて惜しむ家族も居ないし、恵まれていた方とは言え、孤児院の暮らしが楽だった訳ではないし、この国に思い入れ期待もないから、それ自体はショックじゃないのよ。まあ本当にされたら困るけど」


 でもなと、音も無く口が動く。


 貴族に利用され続ける状況に憤りを持っていたアイリは、同じく公爵家から爵位と財産を取り戻す事を願っていたモティオと利害が一致して、アレクサンドラの状態を利用して、今の状況を生み出した。


 あくまでもふたりは、自分達の状況を変えたかっただけで、この国をどうかしたいだなんて大義などない。


 もっと穏便に治める手段もあったのに、国外追放と聞いた途端、強攻に出たモティオ。


 妄想だろうが、元の性格が最悪だろうが、ひとりの公爵令嬢とその周囲の者の運命に影響を与えた。


「腹を括るしかない、っていう。色々通り越して達観よ。これが東洋の秘伝サトリかな」


「何の話です」


 呆れた風にしているが、このモティオ、実はアレクサンドラの乙女遊戯妄想の攻略対象者のひとりらしい。

 侯爵家で酷い扱いを受けていた彼を、アイリが手を差し伸べて救うらしい。


 ―――これって、妄想通りって言うのかしら?


「ねえモティオ。アレクサンドラお嬢様、今頃キャパオーバーで失神でもしてるんじゃない。お助けに行かなくていいの?」


「はあ?どうして?お嬢様―――アレクサンドラ嬢のお世話に?義弟君おとうとぎみに情報を渡す条件として、後見人をいい事に私から不正に搾取していた証拠の書類を、父君の書庫から持ち出して貰い、それを取引材料に表面上は穏便な退職をやっとしたというのに、どうしてアレの助けなど?」


 半年ばかりの優しさで絆されてたまるかと、モティオはフンと凭れていた壁から背を離し、はあと首を鳴らす。


 その、公爵家と縁が切れて清々したと言う仕草があからさまで、アイリは何故かほっと胸を撫で下ろしていた。


「私は性根が悪いので、あの方達のフォロー何てしませんよ。アイリもする必要もありませんからね」


「私になにができるっていうのよ…。孤児みなしごの小娘がさ」


「王太子達を手玉に取った魔性の女ではないですか」


「手玉に取ってないし。魔性じゃないし」


 ゴスっとモティオ脇腹に、アイリの熱い親愛がヒットした。

 その親愛の深さにその場に蹲るモティオを無視して、アイリはその部屋から出て行く。


 貴族社会はこれから混乱するだろう。

 脱税の元締めだった公爵家が、表向きはその公爵家の令息によって告発されるのだから。


 しかし、それも、絶対的な権力の前に強引に揉み消されるかもしれない。


 それに絶対に立ち向かい、正義を貫き通す何て気は、アイリにもモティオにも無い。所詮は自分達の為にした事だ。


 でも、自分達の行いのせいで誰かが苦しむ事の無いよう―――アレクサンドラ達は例外として―――その配慮は忘れてはいけない。


 でないと、大嫌いなあいつらと同じになってしまうから。批判を受け、責任とか負わされたくないから。

 義侠心なんて欠片も無い。最後の最後まで打算しかない。私も大概性根が悪い。


 アイリ酷いですよ!と言う声を背中で聞いて、アイリは微笑みを浮かべて歩き出した。


 心の中で、間違っても婚約者に断罪される事はもうないだろうから許してね?と呟いて。






  ※ ※ ※ ※ ※





 百年後。

 とある式典が行われていた。


 王国に長年巣食っていた不正を暴き、国民を救済した、英雄夫婦を讃える式典だ。


 その英雄夫婦の銅像も初めてお披露目される事になっており、その除幕はひ孫 姉弟きょうだいが行い、女王アレクサンドラ二世が出席するとなれば、立錐の余地も無く観衆が押し寄せた。


 姉は夫婦の研究家で、殆ど当時の記録を残さなかった彼らを、ごく僅かな記録からその高潔な志を読み取ろうとしている。

 弟は夫婦の志を継いだ子や孫に続き、孤児の救済から始まった、貧困層支援事業の運営を行っている。


「それでは除幕のお時間です。除幕を行いますのは…アイリ二世様とモティオ三世様ご姉弟です!」


 わああと上がった歓声の中、幕が取り払われた。寄り添う夫婦像が晴天の下に輝き、それを姉弟が感無量と見上げた。


 のちに「皆様から敬愛され、その偉業を語り継がれる英雄の血を継ぎ志を継ぐ者として、この様な栄誉を与えていただき、誠にありがとうございます。初代モティオとアイリも、天上の園で喜んでいる事でしょう」と語られる。


 喜びに溢れる姉弟の傍らには、モティオ四世とアイリ三世の姿もある。


「資料が纏まり次第、記念館も設けたいと思います。ご期待してお待ち下さい」


 笑顔でそう宣誓した姉弟に、何度目かも分からない歓喜の声が降り注いだ。

 その中に微かに「やめて~!」「やめろ~!」と悲鳴が何処からともなく響いた気がしたが、それは観衆の声に打ち消されて、風と共に消えて行った。




  終わり


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乙女ゲームのヒロインと、悪役令嬢の執事 睦月 はる @Mutuki2018

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