この情景をきみと

たまぞう

晴れた日の絶景で。

 美しいコバルトブルーの海に架かる橋を渡ればその島に辿り着く。

 近年観光地として有名になったこの場所に誘われてやってきた。多くの人がそうであるように俺もまた、テレビ番組やCM、ネットの情報で知り愛車で渡ってきたのだ。


 当初の目的は達成されてしまった。というのも、分からない人には分からない様だけど、俺みたいなのは“愛車でこの橋を渡る”という事だけのために数百キロを運転して来られるのだ。そしてやはり最高だった。


 季節はそろそろ初夏と言っていいくらいの時期で、天気に恵まれた今日は雲ひとつない快晴だ。風が気持ちよくてスピーカーから流れる夏の軽快な音楽が俺の心を躍らせた。潮の香りがほのかに混ざる風はこの季節にとても気持ちのいいものだ。


 今どき絶景だとか名勝だとかなんてのはテレビや雑誌だとかネットの某マップでも見ればいいじゃないなんて言う人もいるけど、自分で訪れるからいいんだ。映像には匂いはついていない。髪を梳かす風も吹いていない。波のざわめきも照り返す太陽も。この身体で感じるからこそだろう。


 さて、橋を渡った先にあるのはこれも、セットで有名になった様な島だ。だからこそ本来の目的こそ達成したもののまだ観光は終えていない。ビーチもあるし灯台にだって登れるんだとか。


 とはいえその辺は人が多くて少し後回しにしたいところ。今の感動した気持ちを少しでも抱えておきたいからだ。


 とすると必然的に人のいない不人気スポットに行く事になる。それは退屈なんじゃないか、と危惧したのも束の間。スマホのマップに穴場とされた場所を見つけたからだ。


 投稿された時点で穴場なのかどうかはさておき他よりは人混みはマシだろうと真っ直ぐに向かう。途中でナビの案内を見落として曲がるところを通り過ぎたり、こんな狭い道で本当に合っているのかと不安になりながら、木々のトンネルに囲まれた急すぎる坂道を登ったさきに駐車場が見えた時には安堵したものだ。



 散々登ってからは降り坂。少し高い位置から駐車場を望むロケーションに出れば、車が数台停まる向こうに空と交わる水平線が見える。さらにいえば人の姿はまだ見えない。


 少なくとも停まっている車の数だけの人はいるだろうけど、それも両手の指で余るくらいの数だ。人混みとは言わないだろう。


 空いているスペースに車を停めて辺りを散策する。足元には石というのか岩というのか…それらが埋められており道を作っている。角こそないけれど、サンダルで来たのは間違いだったか。足裏が地味に痛い。いや、全身で体感したいとなれば正解か?さすがにどっちとも言えないな、これは。


 そんな足元には小さな黄色い花が咲いていたり雑草か何か分からないけど、今歩いているところが道だと分かるように生えている。


 空にはトンビが悠々と飛んでいて、磯で釣りをする人たちの釣果を狙っているかのように待機している。ここまで歩いていて誰とも出会わないのであれば、あの車の主たちは磯釣りに興じる人たちのものだろう。ならば実質俺ひとりという事だ。


 水平線は空の淡い青と、海の濃い青が混ざる事なく一本の線を引いたかのようにはっきりと見える。その線の上に船のシルエットが、これまた青く映されていて果てのない景色を演出している。


 ぐるりと回って戻ってきた俺は、少し開けた広場に出てきた。気持ちのいい海風がそよぐなか、ひとりの青年の後ろ姿を見つけた俺は、内心この景色を独り占め出来ないことに舌打ちしたりもしたが、その反面誰にも出会わなかった事を寂しくも思っていたのだろう。気づけば俺は何となくで青年の後ろ姿に声をかけていた。


「こんにちは。何をされてるんですか?」

 普通でなら観光地にいて“何を”なんて聞くまでもない。けれどその青年に声をかけてしまった理由は、彼がそこに座ってキャンバスに向かっていたからだ。


 振り向いた青年は爽やかな笑顔を浮かべて挨拶を返してくれた。

「どうも、こんにちは。僕はその…絵を描いていまして。」

 “あまり上手くなくて恥ずかしいのですが”と照れ笑いする青年は、しかし隠すことなくその絵を見せてくれる。


「いやいや、なかなかどうして上手い絵じゃないですか。」

 俺は芸術のことはさっぱりだけれど、もしこれが美術館などにでも展示してあれば普通に綺麗な絵だなって思うくらいには上手いと感じた。


「ここからの景色ですね。けれどこの真ん中に描かれてあるのは…?」

 俺がここに来て見る景色とおんなじで、下の方は広場の草の色をしていて海の青に空の青。大きな入道雲も描かれてあるけれどこれはアレンジだろうか。その雲が蛇足には思えないくらいにマッチしている。

 その真ん中には胸から上の女性らしきものが描かれている。“らしき”というのはその人物にはまだ顔が描かれてないからだ。


「これは僕の彼女ですね。今はここにはいませんが。たまにこうして風景画を描くのですが、気が向いた時はこうして知り合いなどを足してみたりするんですよ。」

 油彩画と言うのか、はっきりと描かれた景色の真ん中に付け加えているところだと言う。


「なるほど。完成が楽しみですね。」

「ええ、けれど彼女の表情がうまく描ける自信がなくて筆が進まないのが現実なんですけどね…。」

 すこし寂しい感じで彼は頬をポリポリと掻いている。

「それは…一緒に来て貰えばいいんじゃないですか?」

 当たり前の疑問を口にしただけなのに、彼の表情が暗くなったのを見て、しまったと思った。

「すみません。何かしら事情でもあるようですね…よく気が利かないなんて言われますが、まったく…申し訳ない。」

「いえ、別に気にしてませんから…。」

 口だけそう告げた彼の表情は未だ暗いままで、少しだけ気まずい空気が流れる。


「そうだ。彼女の表情はまだ埋まりそうにありませんが、あなたも描かせて貰えませんか?」

「え?それは…大丈夫なんですか?」

 思いがけない申し出に困惑する。あとは顔を描き上げれば終わりそうな作品に、唐突に赤の他人が加わったら台無しになりそうだ。

「先ほども言いましたけど、気が向けば知り合いを描き足したりしてるんですよ。あなたとはよく会話して、もう知り合いと呼んでもいいのかなと思うのですが、だめですか?」

 さっき明るい声で申し出てくれた彼の声のトーンが少し沈んでしまう。なんとなく傷つけたような罪悪感が俺の中に芽生えてしまっている。


「俺でよければ…どうしたらいいですか?」

 なので謙遜した風で、彼の提案を受け入れて見る。どうせこれっきりの付き合いだ。彼の作品の完成に責任を持つ事は無い。

「ありがとうございます。では…その辺りに立ってもらっていいですか?」

 俺は言われた辺りに立ってみる。風が吹いていて気持ちがいい。眼下には磯釣りをする人たちが見える。何やらイシダイのような魚を釣り上げたみたいで、ワイワイしている。


 彼を見ると、いかにもって感じで筆を構えて片目を閉じて僕を見てはキャンバスに向き合っている。

「うーん…もう少し。もう少しだけ左に寄ってもらっていいですか?」

「こう…ですか?」

 俺は言われた通り少しだけ横にずれてみる。

「そうそう。そのまま…。」

 ポーズとかはいいのだろうか。彼は白い筆先をキャンバスに走らせている。


「彼女の…表情が、ですね。思い出せないんですよ。」

 彼は相変わらず筆を走らせながら語る。彼女の表情は思い出さなきゃならないような、そんな状況だということなんだな。

「僕の記憶にある1番の表情をここに表現したいのに、もう…うろ覚えなんです。人の記憶力ってそんなもんなんですかね?」

 語る彼の言葉は後悔と残念さに満ちていて、俺はどう返事したらいいのか分からなくなる。


「こうして描いているとそのうち描けるときが来るのかなぁなんて思って。諦めきれないんですよ。」

 そうこうするうちに彼は涙を流し始めた。

「すみません…ちょっとだけ、向こうを向いてて貰ってもいいですか?」

 初対面の相手に対して涙を見せてしまうことの恥ずかしさは経験はないけれど、俺だって見られたくは無いだろう。仕方なく後ろを向いて景色を眺める。


 空が相変わらず綺麗で、水平線には船が浮かんでいる。風は相変わらず潮の香りを含んでいて波音も心地いい。

 ああ、俺は海が好きなんだな。

 磯釣りの人たちはまた魚を釣り上げたらしく、大きな声で騒いでいる。何人も集まってタモをかき集めて、どんな大物が釣れたらそんなことになるのだろう。


 ふと、その磯に打ちつける波の飛沫に既視感を覚える。まあこういう景色が好きでよく見るからおかしくも無い事だけど、何かそれとは違う。もっと別のもので見たばかりのような。

「あの、もういいですよ?」

 涙を止めることに成功したらしい彼からの言葉に振り返ると、いつの間にかすぐ背後に彼はいて、ドンッと力強く胸を押された。

 足元は頼りないサンダルで、振り返り様の俺の体勢では踏ん張る事は叶わなかった。


「なぜ…。」

 逆さまに落ちる俺が辛うじて口にした最期の言葉らしい言葉。そのあとは悲鳴か絶叫と呼ばれるものが喉を破りそうな勢いで出てくるばかりだ。

 絶叫に気づいた釣り人たちが俺を見上げた。ばっちりと目があった彼らが引き揚げていたのは、魚ではなく服を着た何か。

 俺の見上げた地面には岩場と波だけがある。ふとこんな時なのにさっきの既視感の正体に気づいてしまった。

 彼のキャンバスにあった入道雲は空の青ではなく海の青の上に描かれていたんだ。勝手に入道雲だと思い込んでいたけどあれは波飛沫に似ている。もしかしたら俺がこのまま海に落ちればあんな風に見えるのかも知れない。

 あと少し右だったならそうだっただろう。でも俺のこの位置は岩場だ。

 ああ、どうせなら好きな海がよかったな。



「違うんだな。あの表情じゃないんだ。」

 僕は先ほどの光景を思い出しながら白い筆の先を絵の具に沈める。

「でもおかげで分かったよ。驚く顔だけじゃダメなんだ。絶望だけじゃ足りないんだ。愛が絶望に変わる時のあの表情が必要なんだな。」

 昨日は白い絵の具が付け足された。僕の知り合いがキャンバスに増えるたび嬉しさが込み上げてはくるけれど、彼女を完成させなくちゃ終われない。

「次は愛を囁き合ってからにしよう。うん、そうしよう。」


 あの時、ここから落ちたらどうなるのかな、と思って自分だと怖いから手近な彼女にやってもらった。思いがけず最高の瞬間を目にしたのに記憶から薄れてしまっていた。

 僕の悦びがここにあるなら最初からカメラも持参しただろうに。

 僕は忘れないうちにキャンバスに赤い花を描き足した。



–あとがき–


 日本のとある島にドライブで来た時にふと、思ったりした事を書いてみました。ありきたりで物足りないかも知れません。その時その時の妄想はありきたりかぶっ飛んでいるかな私です。今回はその極々、ありきたりなお話でした。

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