第2話 異世界転生


『レン・・・レンに会いたい! レンに導かれて翔様と共に生きたい!!  お願いっ! どうか私を【VTP】の世界へ導いて!』


 意識が続く限り心で唱え続ける。

誰かの顔が、昔の記憶が、走馬燈が見えそうな気がしたが、それに引っ張られないように強く死神レンを求めた。

 馬鹿みたいな話だけれど、そう願い続ければ【VTP】の世界へ行けると信じて疑わなかったから、他のいかなる雑念に呑み込まれまいと必死でレンを呼び続ける。


「お願い、答えてレンっ!!!」


 ふと、そんな思いが口から漏れた。そういえば、いつの間にかからだが軽い。

先ほどまで感じていた痛みも、冷えていく感覚も、泥のように重く動かない感覚も、全てなくなっていた。恐る恐る目を開けてみると真っ暗闇で何も見えないが、横たわっていた体に力を入れると、簡単に立ち上がることができた。


 両手を広げ見てみる。

よくある幽霊の、透けているような感覚はなく、触ったりつねったりすれば普通にその実体を感じられた。


「えーっと・・・?」


 思っても見なかった状況に首を傾げていると、目の前の闇がふわふわと煙のように舞い上がった。


「全く、私を呼びつけるとは無礼な・・・。」


 低く澄んだ声が煙の中から聞こえてくる。同時に闇は、瞬時に人の形へと姿を変えた。

高身長ですらっとしたフォルムに漆黒のローブをすっぽりとかぶり、けれどローブからのぞく肌は恐ろしいほどに色白で、灰色の目と肩まで伸びた白銀の髪は闇の中で一際輝いている。

その姿は奈々の知っている死神レンで間違いなかった。


「・・・レン」


 その実物の美しさに感動し、そのオーラに圧倒される。「この人は神だ」と、頭より先に体がそう理解し、身震いした。


――― お願いします。私を導いてください。翔様と共に生きたいんです ―――


 何度も練習したそんな言葉が、頭にはあるのに、のどまで出掛かっているのに声に出せない。

そんな奈々をじっと見つめ、ふいにレンは身体を闇に溶かして音もなく近づくとその頬にそっと触れた。


「お前は・・・」


 奈々のあごを少しだけ持ち上げて、品定めするようにのぞき込むレン。あまりの近さに、一瞬気恥ずかしさが沸いたが、血の気のまるでない人形のような美しい顔と、何も映そうとしない透き通った瞳に、気づけば声を発することすら忘れて魅入ってしまっていた。


「わ・・・たし・・・」


 やっと開いた唇に、レンはそっと指をあてる。


「お前がいく場所はもう決まっている。私が手を出すまでもない。」


 そう言ってレンが右手を掲げると、闇が煙のように集まって来て漆黒の鎌の形を成した。

ゲームで何度も見た光景に、これが死に神の鎌によって魂を肉体から切り離す浄化の儀式であることを理解する。


「逝け」


 レンの静かな一言とともにソレは振り下ろされ、奈々の意識は薄れていく。


『言わなきゃ・・・翔様に会いたいって・・・言わなきゃ・・・いけない・・・の・・・に・・・』


 薄れゆく意識の中、奈々は最期まで、たった一つだけの願いを心に想うのだった。




***




 コンコン・・・ミシッ・・・タッタッタッ・・・


 遠くから聞こえるその音は、不思議と懐かしい気持ちにさせてくれる。

辺りに香る、醤油の焦げた匂いとだしの香りが、自然と頬を緩ませた。


『あぁ・・・幸せ』


 最初に感じたのはそんな感情。ゆっくりと目を開けると、高い天井と、家屋を支える立派な梁が見えた。優しい光が射し込む障子戸のむこうからは、かすかに鳥のさえずりが聞こえてくる。


「立派な日本家屋。田舎のおばあちゃんの家みたい。」


目の前の光景にノスタルジックを感じながら

「でも私、田舎におばあちゃんなんていないんだけどね・・・」と、自分の言葉につっこんでしまい、苦おもわず笑した。


 体を起こし、掛けられていた布団を剥ぎ立ち上がる。ふと、着衣に視線を落とすと、優しい桜色で染められた浴衣を身につけていた。


「綺麗な染め物。ってか、高そうな浴衣。汚してないよね・・・?」

 

 一通り着衣をあらためて無事を確認してから、「さて」と頬に手を当てた。


『さて・・・それで私は誰? ここは、何処なのかな・・・』


 残念ながら、一切の記憶を失っているようだ。

どうにか思い出そうとも、殺風景な部屋の中には鏡台一つみつけられないため、自身の顔すら拝むことができない。唯一の手がかりは、今し方あらためた浴衣と眠っていた布団だが、どちらにも憶えはない。


「・・・っていうか、私は誰?ここは何処?って、本当に思うんだなぁ。人間って。」


 記憶がない事に不思議と不安はなかった。むしろそんな自分を冷静に俯瞰していることを面白く感じていた。


「失礼します。」


 ふいに廊下からそんな声が聞こえて、こちらの返事も待たずに障子戸が開いた。正座したおかっぱ髪の少女が、立ち上がろうと顔を上げ、その瞬間に目があうとびっくりしたのか、こちらの顔を2度見したのち、目をまん丸くする。


「お、お客様、お目覚めでしたか!」

「え、えぇ。おはようございます。」

「あ、はい。おはようございます。あ、いえ、失礼いたしました。えっと・・・」


 起きているのがそんなに驚くことだったのだろうか?

挨拶もそこそこに少女は「どうしよう?」とワタワタ体を揺らし


「えっとえっと、あ! 私は一昨日からこの部屋付きになった仲居で、風鈴ふうりんともうします。」

「ご丁寧にどうも。風鈴さん。えっと私は・・・」

「えぇ。お客様のことは伺っておりますので大丈夫です。えーっと、とにかくあの、すぐにお兄様と先生をお呼びしてきます。もうしばらくお待ちくださいね!!」


大慌てで「失礼します」と風鈴は走り去ってしまった。


『お兄様と先生・・・? 私にはお兄さんがいるの? 兄・・・良い人だといいけど。あと、先生って何だろう? お医者様かな? 起きてたことに驚いてたし・・・私、病気で寝たきりだったとか・・・?』


 今し方聞いた言葉を頼りに考えては見るが、やはり思い出せることはなさそうだ。


「風鈴さんが伺ってること、話していってほしかったなぁ・・・」


そんなことを呟きながら、開け放たれたままの障子戸を見つめていると、程なくしてバタバタと複数の足音が戻ってきた。


「瑠衣!」


 そう叫んで部屋に飛び込んできたのは、鳩羽色の着物に身を包んだ長髪の男性だった。腰には2本の刀を下げ、髪は後ろでポニーテールで結んでいる。


「えっ!?」


 この人を知っている。この人は、この人は・・・


「か・・・翔様!?」


 その瞬間、八代奈々の記憶がはっきり蘇る。


「え? どういうこと?? 何で翔様が? 今、瑠衣って言ったの? 私が・・・? じゃぁ・・・え? ・・・えぇ!?」


 混乱する様子を、心配した翔の顔が覗き込む。


「大丈夫か? 瑠衣?」

「だだだだだっ 大丈夫じゃないです!!!」


『あぁ、そんな、そんな目で見つめないでーーーっ!!! でも、夢ならさめないでー!!』


 ゲームデザイン通りの、いや、それより遥かにカッコよすぎる大好きな翔がそこにいる。動いている。しかもその眼差しは、冷酷無比のそれではなく、瑠衣に向けられる甘く優しいもの。そんな夢にまでみた状況に耐えられるはずもなく、オーバーヒート直前の脳がクラリと揺れた。


「おいっ。」


 倒れそうになる体を、翔が支える。


「きゃぁっ!!!」


 触れられた肩がビクリとはね、思わずその手を拒んでしまった。


「無理です! だめです! そんな、翔様に抱きとめられたりなんかしたら死んじゃいます!!」

「・・・瑠衣?」

「あ、や、えっと・・・」


 さすがに違和感を感じたのか、訝しむ翔に弁解する言葉はなく、2人の間に気まずい空気が漂っていた。


「お待たせ~。瑠衣ちゃん起きたって??」


 重い空気を断ち切るように脳天気な声が聞こえ、入ってきたのは松葉色の着物をゆるーく着崩した男性。場に似つかわないゴールドピンクの短髪がキラキラと揺れる。

 この人も見たことがあるキャラクターだ。といっても、ゲームに直接関係ない名も無きキャラ。

翔のイベントに一度だけ出てきて、瑠衣に「先生」と呼ばれていたので、おそらく病弱な彼女の主治医かなにかだろう。まさか、こんな軽い感じの人だったとは。


「ん? どうかした?」


 二人の間にある雰囲気に違和感を察してか、首を傾げる。


「いや、瑠衣の様子が・・・」

「あ、いやその、これはその・・・」


 説明しようにも、理解できていないのだから言葉に詰まる。明らかに今の「瑠衣」はおかしい。そんな事は一番よく知っている。


「・・・なるほど。じゃぁ、とりあえず瑠衣ちゃんの話でも聞こうかな。翔は仕事の始末があるでしょ? 終わったら呼ぶから。」

「だが・・・」

「はいはい。心配なのは分かるけど、こっからは僕の領分。お前にできることはないでしょ。」


 微妙な空気感を纏う2人を交互に見た後、"先生"はそう言って、渋る翔を無理矢理廊下へ追いやった。


「・・・瑠衣を頼む・・・」


 ボソッと翔のそんな声が聞こえ、戸は静かに閉められる。それを見届けた"先生"は、テキパキと道具を広げながら「さぁ、瑠衣ちゃんは横になって」と布団へ戻るよう指示を出した。


「覚えてないかも知れないけど、瑠衣ちゃんは瀕死の状態で発見されて、3日間寝たきりだったんだよ。だからすぐに起き上がっちゃ駄目。」


『3日間寝たきり・・・瀕死の状態っていったい何が・・・? さすがにバスジャックじゃないよね? 』


 追加されていく情報が憶えのない事ばかりで、ズキズキと痛みだした頭をおさえて"先生"の背中にすがるように話しかけた。


「あの"先生"? 私その・・・記憶が・・・曖昧というか・・・なんというか・・・」

「"先生"かぁ。瑠衣ちゃんに呼ばれると新鮮だね。でもとりあえず僕が医者だってことは覚えててくれてるんだ。ならきっと大丈夫。多分少し混乱してるだけだよ。今落ち着く香を焚くから、横になって待っててね。」

「はい・・・」


 今は名前もわからない"先生"の「きっと大丈夫」だけが頼りだった。

 言われたとおり横になったまま先生”の作業を見つめる。小さな香炉から一本の細い煙が高々と上り、同時に部屋の中は心地よいラベンダーの香りに包まれていく。


「珍しい香りでしょ? 魂を正常化する香りなんだ。異国の物だけど、気分悪くなってない?」

「大丈夫です。とても良い香りですね。」

「そう。気に入ったなら良かった。じゃぁ、目を閉じてもらえるかな? とりあえず、呼吸を整えるところからいこうかな。はい、吸って・・・はいて・・・」


 目を閉じ、声に導かれるように深呼吸する。目の前の暗闇は何処までも深く吸い込まれてしまいそうな不安を感じさせるが、"先生"の心地良い声と誘導のリズムにホッと安心すると共に、張りつめて絡まっていた糸が解れていくような感覚があった。


『混乱って言ってたなぁ・・・ってことは、今私のステータス画面には、状態異常マークとかついてるのかな? いや、ステータス画面って概念がそもそもないか。でも、病弱・呪い持・状態異常のモブって、序盤にでてくる魔物とどっちが弱いんだろう・・・』


 頭の中に、HP10 MP0 攻撃力・防御力共に0 状態・混乱・呪い のステータス画面が浮かぶ。試しにドット絵化した瑠衣自分を、チュートリアルに出てくるスライムと対峙させてみた結果はいわずもなが。


『あ、私死んだ・・・』 


 脳裏で繰り広げられた、なす統べない負け試合にクスリと笑いがこみ上げた。


「緊張ほぐれてきたみたいだね。じゃ、今度はその真っ暗な中をさらにずっと先まで見るようにして、自分の記憶に集中してみて?」


 その言葉に治療中だった事を思い出し、言われたとおりに、目の前の闇を遠くまで目を凝らしてその先の先まで集中する。目は閉じていて何も見えないはずなのに、何処までも先を見渡せるような、そんな不思議な感覚があった。

 同時に頭の中に浮かんだのは小さい頃から今までの”瑠衣”の記憶。

シアタールームのスクリーンでドキュメンタリー映画でを見ているように俯瞰的に思えたそれは、けれど確かに自分の記憶だと確認できるほど、一コマ一コマが心を揺大きくさぶっていく。


『あぁ、これは私の記憶だ・・・』


 十数年分の膨大な情報が記憶となって、心のどこかにあった隙間を容赦なく埋めていく。胸がいっぱいで、苦しくて吐きそうになって、勝手に流れ出した涙が頬を伝うが、先ほどまでみじんも感じていなかった体の重みに、一ミリも動くことができなかった。


「大丈夫?」


 そう言って見下ろす青みがかった瞳に映る自分を、ぼんやりと見つめる。


瑠衣が映ってる・・・。』


 そんなことで何故かひどく安心した。


史郎しろうさん・・・私・・・」

「うん。やっぱり、瑠衣ちゃんにはそう呼ばれた方が嬉しいな。しっくりくるね。」


 思い出した名前を呼ぶと、“先生”こと史郎は優しく微笑んで涙を拭ってくれた。

 ゆっくりと上半身を起こし、辺りを見渡してみる。

さっきと変わらない古い日本家屋。でも、懐かしさよりも親しみに溢れている気がした。


『でも・・・じゃぁ八代奈々の、この記憶は・・・』


 今し方取り戻した瑠衣の生きてきた15年分の記憶とは別に、頭の中にはっきりと残るもう一つの、八代奈々の16年分の記憶。


「瑠衣ちゃん?」

「あ、すみません。まだ頭が少しポーッとしちゃって。」

「そうだよね。もう少しゆっくりしてていいよ。お茶でも飲む?」

「ありがとうございます。・・・それ、海花茶みはなちゃですか?」

「そう、新茶だって。昨日たまたま見かけた行商人が売ってたんだ。今年は出来がいいってさ。」

「それは楽しみです。」

「瑠衣ちゃんは小さいころから海花茶好きだもんね。」

「はい。」


 そんな史郎とのやりとりに、そのに安堵する。

この世界にしかないものに親しみを持ち、好きなものに心が躍る。それこそが今の自分が瑠衣である何よりの証拠だと思った。


『やっぱり私は瑠衣なんだ。そしてここは【VTP】の世界。なら、きっと奈々これは前世の記憶なんだろう。あの時私は確かに死んだんだ。そして私は大好きな翔様のいる異世界へ、翔様の妹の瑠衣に転生した・・・きっと、そういうことなんだ』


 それは、なくしていたパズルのピースが見つかったように、心のなかにすとんと収まる答えだった。

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