既に完堕ち済の後輩ですが、世話焼き先輩にもっと可愛がられたい

@kimachi666

既に完堕ち済の後輩ですが、世話焼き先輩にもっと可愛がられたい


「ねえ、好きなんだけど」


 何度セリフを呟いて悩もうが、キーボード上の両手はだんまりを決め込んでいる。


 ――キャラクタ、主人公、女(仮)


 そう入力してから早数時間、エアコンの風に揺れるレースカーテンは茜色に染まっているが、依然としてテキストエディタは真っ白のままだ。


 ふと昨晩、小説投稿サイトで見つけた「ねえ、好きなんだけど」からはじまる物語の小説企画。面白そうだなあと参加を思い立ったのはいいが、私は読み専――いわゆる物語を楽しむ側であり、学校の授業以外で小説なんぞ書いたことない。


 せいぜい文章を書く機会なんて会社で会議資料や企画書を作るくらいで、それだって与えられたフォーマットありきの話だった。


 投稿サイトで読む小説も、版権モノの所謂二次創作のボーイズラブ作品ばかり。この小説企画は、二次創作の作品でも参加OKとなっているが、他の参加者が投稿しているのは、今のところ一次創作のオリジナル作品しかなかった。


 先陣を切りたくないし、もしもキャラクタの解釈違いの結果で感想欄に怖いファンが現れたら。私の下手くそな文章で、大好きなキャラクタを穢すことになったら。


 幾重にも浮かぶやらない理由を探していると、控えめなノックが響いた。

 どうぞと返せば、ひょっこりと自室に同居人が顔を覗かせる。


 ひっつめ髪にヘアバンド、顔面パック、キャミソールの短パン女。

 いつもの、風呂上がり姿の乃亜だった。


「おかえり、帰ってたんだ」

「集中してるかなって声掛けんかった。でさ、夕飯が決まんなくて、理沙なに食べたい? チキチキ理沙ちんの食べたいモノ、おーせーて。はい、五、四、三――」


 間抜けな格好で、小さい身体を弾ませながら指折り数える乃亜の姿に、ふっと全身の力が抜ける。


「なんだろ……ざる蕎麦とか。まだ乾麺のやつ残ってたよね?」

「蕎麦とか、ええな。前に買ったお高いわさびの出番っぽくない? とろろも冷凍庫にまだ残ってるかも」

「今日は私がやろうか? いつも任せてて悪いし」

「茹でるだけやから別に。つーか、理沙テンション低くない? 朝は小説書くってうるさかったけど、もう書けたん?」


 私は何も言わず、ただただ頭を振った。

 愛しのカノジョにてんで興味がないらしい乃亜さんは「そ。髪乾かすわ」と言い残して、そのままドアを閉めようとする。


「待って、今の聞いてくれる流れだったよね? 頼れる乃亜先輩は、どこに?」

「なんか長くなりそうやんか。先に髪やりたいし、メシ後で。待ってろ後輩」

「あっ、はい」


 一応は聞いてくれるようなので、夕飯まで『小説の書き方講座』のブログをぼんやりと眺めることにした。

 ぴこん、理沙の知識レベルが一つ上がった、とは勿論ならなかった。





 二人でテキパキと食洗機に食器をぶち込んで、リビングに戻れば恒例の食後のまったりタイムだ。普段なら会社の愚痴か、さして興味のない芸能人や世間様のニュースを肴に晩酌するが、今日はひと味違うのだ。


 さて、そう意気込んだ五分前の私は愚か者である。だらりと人をダメにするクッションに身を預ける乃亜に、我が半日の努力の結晶たるテキストエディタを見せると、息も絶え絶えに大爆笑されたのだった。


「ひひっ、ふっ、くくっ! これ書くとか以前の、いひっ、半日もかけて何してたんやって!」

「そんな笑う? そもそも小説講座だけでも、世にあふれすぎだから。キャラはこうすべしとか、これが魅力的とか、文体は、人称は、引きつけるタイトルは、次も読まれるには、とか……情報過多で動けなくなっただけだし……ばかぁ慰めろよ……」


 両手を広げて、甘えさせろと訴えたが、愛しのカノジョにまるっと無視された。

 十分に笑ったらしい乃亜は、息を整えてからウーロンハイをひとくち飲む。


「理沙の好きなさあ、なんやっけ、ピンクと紫の組み合わせはダメなん? このセリフ、ピンクが言いそうやない?」

「シュウくんもイチヤくんも、こんなこと言いません。あと戦隊モノじゃないんだから、色呼びしないで」

「ごめんて、いまいち名前がな。そんなら、刀の方は?」

「あっちはファンが……自称『解釈警察』みたいなのがSNSでパトロールしている、らしい。もち、私のなんて読まれないってわかってても、それでも怖い」

「なる。厄介そう」


 苦笑していた乃亜がふっと表情を消し、グラスをあおる。

 一気に飲み干したらしく、からんと氷が鳴り、空のグラスを見つめたままの乃亜が「ねえ」と呟いた


「理沙のこと好きなんだけど、あたしじゃダメ?」

「うん? いきなり黙るから何かと……」

「好きなキャラがダメなら、シチュかなあと。ちょー演技派やない、まさかの女優イケる?」


 まさに『ドヤァ』顔である。眉尻をアゲアゲで、キリキリな、キメ顔の乃亜さんの誕生である。こんなのでも『可愛い』と思ってしまうあたり、二重の意味で頭が痛かった。


「あたし的に『○○なんだけど』は日常っぽくて。二人きりの密室でまったりできるくらいの距離感で、周囲から『あんたら付き合ってんやろ?』って認知されとる関係で、それを確認するための告白みたいな、わかる?」

「ああうん、私も真剣さはないセリフだと思った。あと『なんだけど』って含みがあるから、素直じゃないとか、本心を隠してるとか、ああ恥ずかしがってるって解釈ありかも」

「めっちゃ出るやん。こんなにすぐ出んなら朝から本気出しとけって」


 ――日常系。女(仮)素直じゃない、本心隠してるかも→恥ずかしい?

 ――相手との関係性はわりと進展している。外から見たら付き合っているレベル。

 

 乃亜さん効果絶大と、嬉々とした声を無視しながらカタカタとキーをタイプしていく。


「そういえば、なんで主人公は女なん? 理沙なら男の子の方が良くない?」

「あー、『ねえ』の呼びかけで女の子イメージしてた。たしかに少年っぽさもあるね。ただ、それなら『なあ』の方が萌えるんだよ、私的に。

 というか犬系×鬼畜で『好きなんだけど』からの首輪ぐい~からのお仕置きわからせもアリだしとはいえキャラに属性を与えただけじゃあ真のキャラクタとは言えないわけでシュウくんもイチヤくんも別に俺様強気×敬語大人だから好きとかじゃなくてCV含めて二人の将来含めて全部を愛しているというか――」

「はいはい、理沙のBL愛はわかったから。んで、相手はどんな感じにするん?」


 テーブルのグラスに手を伸ばし、緑茶ハイで喉を潤して、こほんっと咳払い。

 乃亜はアイスペールからグラスに氷を入れて、下町のナポレオンとウーロン茶を大雑把にどぼどぼ注いだ。料理だとしっかりと計量するのに、お酒はテキトーな乃亜さんである。


「どうだろ、今のところ年下の子かな。大学とか会社とか同じ組織内の先輩後輩みたいな」

「子って相手も女なん? それだと『外から見たら付き合ってる』が無理っぽくない? つーか、ビアンモノのラブコメとか誰得……」

「我々の世界では『百合』と言うのですよ! 人気ジャンルの一つ!」

「お、おお? 百合、人気ジャンルの一つ、すごそう」


 私の力説にあまり理解していないだろう乃亜だったが、ノリで拍手してくれた。


「いやまぁなんと言いますかワタクシ生を受けて二十四年になりますがこのなんとも貴重な経験を鑑みるにですね想像力だけで補うにはあまりにもですね厳しい苦難の道とも言えるのですがていうか大学生は恋人できるなんて都市伝説が許せないしこんなノッポ女にできるわけないし三回生の夏にナンパだと思えば風俗嬢の勧誘ってしかも人妻系ってぶち殺すぞって感じだしまぁセクシャル的に恋愛とか未だにわからないしああもうこんなクソ女を好きとか言われても自信ないし嘘とか思っちゃうの先輩には本当にごめんだしでも捨てられたくない面倒臭いとこもごめんで生理でさらに面倒臭くなるのつらたんで…………はぁ」


 視界の中で眉間に皺を寄せる乃亜だったが、「あー」と言いながら映っていないテレビ画面を見やった。こっちを向けと横顔を見つめていると、顔を逸らしたままの乃亜さんの小さな手のひらが、両目を覆い隠してくる。


「クソ非リアのキモヲタ腐女子のフォローして」

「早口すぎてあんま聞き取れんやったけど、そんな卑下せんでもあたしは理沙といて幸せやし、十分楽しんでっからなあ。付き合う前の理沙にフォロー言われても、なんやろ……化粧と服は完全なあたし好みにしたけど、変わったのそれだけやんな」

「ああもう、先輩のそゆとこ、むっちゃ好き」

「ありがと。つーか今日は先輩呼び、多くない? ちょいちょい懐すぎてアガるんやけど」


 ウキウキのニッコニコな乃亜さんだが、私が思うに在学中はそこまで絡んでいなかったはずだ。「今日もデカいなあ、佐々木」と校門や街中で遭遇すると一方的に絡まれる関係だったので、乃亜からの交流は多いとも言えるのだろうが。


 ――設定。月ヶ丘高校。関東から転校してきた、どこか放っておけない二個下の後輩を、ついつい構ってしまう主人公の少女ミヤノ。


「こらこら」


 ――放課後、屋上へ続く階段で、小柄な主人公は自分の頭一つ分は背の高い後輩のサエキを見つけ、いつも通りに「サエキちゃん」と声をかけようとして、バランスを崩して後輩の背中に抱きついてしまう。


 ――そのときミヤノの心臓はどきりと鼓動し、思わず「ねえ、好きなんだけど」とサエキに告白してしまう。そのシーンから、二人の物語は動き出す。


 カタカタとキーボードを打っていた右手の、手首をぐいっと掴まれた。


「待て待て。このミヤノどう考えても、いや考えんでも星ヶ丘学園の宮下乃亜……高校生のあたしやろ?」

「違うよ。背後からの唐突な膝カックンで困惑する後輩を、乃亜先輩はけらけら笑ってたでしょ? 『デカいのに猫背』って気にしてるコンプレックスを弄って、『東京弁やな』って何が面白いのかひたすら笑って、満足すると嵐のように去る怖い先輩だったでしょ? 全然違うんですが?」


 軽く手首を振り払うと、乃亜は呆気なく手を離した。そして、両手を挙げてお手上げのポーズをされるが、私はキーを叩き続ける。


「あれ、お話作るんやなくて、あたしが断罪される時間になったん?」


 ――サエキは先輩の言葉の意味が理解できず、ぽかんとしてしまう。

 ――だが、いつもなら勝ち気に笑っているミヤノが、その顔が耳まで赤くなったのを見るなり、その内心に秘めていたはずの恋心と真摯な想いが伝わってしまう。

 ――そして想いが交差した二人は、同じ時間を紡いでいくこととなる。

 ――だが、同時にサエキには気がかりなことがあった。ミヤノ先輩には傍から恋人のようにも見える存在がいた。親友のチサだ。


「いやいや、マジで千里を性的に見んのそもそも無理ってか、こんなん知られたらやばいから。あいつ怒ると、腕とか背中とかの変なツボ押してくるよ? めっちゃ痛いのにゲラゲラ笑って、今度うちに飲みに来た時に理沙もやってもらうとええよ。マジで引くから」


 ――けれども、先輩の恋心に気づいてしまったサエキには関係なかった。


「こらー、続けんなちゅうの。おーい、理沙ちん、ご機嫌斜めさん?」


 ――なぜならサエキもまた、自分を見つけては気軽に声をかけてくれるミヤノのことが、


 ――先輩が声をかけてくれたことが、先輩がいる学園生活が嫌いではなくて、内気で人が苦手で怖かったのに、馬鹿みたいに笑う先輩のせいで、なんか吹っ切れて、話せる人が少しできました。

 ――でも、たったの一年で先輩は卒業して。呆気なく「じゃあな、佐々木」って。寂しくなって、でも寂しさもあっという間に忘れて、


 ――でもあの日、ぐらぐら回る世界で、耳鳴りの中で、先輩の声が聞こえて

 ――だから、顔を上げたら佐々木って呼ぶ声に、うんめいをk


「そ、それで、なんか地元じゃないのに、マジのマジで偶然に都内で、たまたま同じ路線のホームに同じ時間に二人はいて、会社に行くのが辛すぎて泣く糞メンタルな新卒のサエキに、不審者丸出しのクソアマなんかに、ミヤノは当たり前のように声をかけて。う、運命だってときめいちゃう系の既に完堕ち後輩を、先輩はずぶずぶのあまあまに甘やかして元気にさせるラブコメ物語、みたいな」


 この手は何を打って、この口は何を曰っているのか。

 隣にいる乃亜の気配に堪えられない。思い出補正だと何度も自分に言い聞かせても、煩くなる心臓には悪あがきにもならなかった。

 横目で乃亜を捉えるだけで、ぞくぞくと背中が粟立つ。見た目ちっこくて可愛いくせに、頼りになる先輩。この一年間は、もう色々とやばいの連続だった。


 会社をやめたと親に伝えられなかったとき、再就活中の面接前夜に吐きそうになったとき、今の職場の出勤初日の朝に玄関を出られなかったとき、乃亜は口で悪態をつきながらも傍にいてくれた。大丈夫だと伝えるように、力強く手を握ってくれた。


 もはや運命と感じちゃう我がポンコツ乙女脳では抗うだけ無理の無理で、最近は表情筋体操をするブス顔の乃亜ですら、魅力的に思えてしまう体たらくだ。

 いや実際、ちょーブス顔って明け透けなく笑い飛ばす性格がもう可愛くて、違う。人間の脳には過去の出来事を美化する機能があるらしいと、この前見た科学的なテレビ番組で肩書きの多い学者が解説してて、きっとそれだろう。たぶん、そう思いたい。

 こんな黒歴史、一生弄られるに決まっている。泣きそう。


 ――笑いすら取れないのが一番きつい

 ――なんか言えよ、言ってお願い


「あー、なんやろな……せやなあ、なんちゅうか……せやしまあ、うん」


 ――なにその反応、もう一声ください


「いやまぁ、可愛いとは思うんやけど、ちょい重いみたいなんは、まぁうん……あははっ……」

「ドン引きじゃん。はいはい、どうせクソ重女ですよーだ。もういい、何言われても知らないし、理沙さんは一生弄られる覚悟ですがなにか?」

「それやと自分、あたしと一生一緒にいるつもりなん? あっ、ちっさい頃に流行った曲で、そんな歌詞あったなあ」


 乃亜先輩の現実的な口撃。理沙の急所に当たった。効果は抜群だ。

 などと、フローリングに崩れ落ちて身体を丸めながら、ゲーム脳を駆使して解説する。しかし傷は深く、どうにも誤魔化せそうにない。「ドーザンやっけ?」と呑気な声が背中に降ってくるが、今の私は路傍の石ころに等しい存在なので、口をつぐんだ。


「理沙さあ、あたしのこと好きすぎやんなあ」

「いひゃ!」


 首筋に感じた冷たさに驚いて、顔が上がる。膝立ちの乃亜が氷をつまんでいて、その氷を口元に寄せてきた。

 じっとり舐るように、見下ろす二つのまなこ。乃亜の濡れた指先から、ぽたりぽたりと滴り落ちて。


「んっ」


 仕方なく氷に口づけると、人差し指をねじ込まれ、諦めて氷と一緒に舌で転がしていく。くちくちと水音を激しくすれば、視界の中にいる乃亜は目を細めた。


 そうして氷が溶けても指を抜かないので、軽く噛んでやったが、黙ったままの乃亜は私を見下ろし続けて、その親指の腹が上唇を押しつぶして、


「はあ、気ぃ悪くせんでなあ。ぜーんぶ理沙が可愛いのが悪いんよ?」


 あ、やば、煽りすぎた。

 そう思ったときには、有無を言わせぬ笑顔の乃亜に手首を掴まれて。

 立ち上がれば両足の間に、乃亜の膝小僧が当たり前のように入り込んできて。


「お風呂いこか」

「乃亜さんは先ほど入っていらした記憶が……」

「なんて? シャワーせんでええの?」

「あっ……やだっ、汚れ……ごめっ、ほんとっ、降参降参!」


 ぐりぐりしてくる乃亜の膝に、頬を撫でるあまい指先に、腰が抜けそうな私は全身全霊で白旗を振った。


 ――既に完堕ち済の後輩ですが、世話焼き先輩にもっと可愛がられたい


 私の毎日をタイトルにするなら、こんな感じだろうか。

 ピンク一色になった思考回路は、願望ダダ漏れのリビドー塗れで、もはや始末に負えないくらいショート寸前だった。


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