第3話

 小学校と墓場の間の狭い急坂を自転車で下り、多摩と相模を区分する谷底である境川へ向かい、八王子につながる古い街道と交差する森野交番の前で信号を待つ。その角には過去に男の働いていた焼肉屋が、ぼんやりと薄明るくなってきた外に、豆電球のような控えめな店内の照明を浮かびあがらせていた。毎日必ず聴くラトビア出身のヴァイオリニストとアルゼンチン出身のピアニストによる、ロマン派音楽へとつなぐ作曲家のヴァイオリン・ソナタの第一楽章序奏が終わる頃に、森野と鵜野森にかかる橋を渡り、秋にはむっとした臭いが漂う団地近くの銀杏並木を通り過ぎて、相模原台地へ向かって長い坂を速度を緩めずに一気に駆けあがり、国道十六号線へ真っ直ぐ走る。

 境川よりも大きな区切りとしての意味を持つ国道十六号線は、小学校高学年まで相模大野に住んでいた男にとっての大きな境であった。大人から見れば狭い区内も、子供の空間認識では細かい諸諸が大きく見える広大な世界として存在し、学区を区切る道路を超えるとそこは認識の範囲を超えた端の見えない境域であり、大海が断崖から宇宙の底へ轟音をたてて落ちる絵図だ。男の昔住んでいた相模大野の家から、今現在住んでいる町田の家をつなぐ経路は、子供の頃、毎週日曜日に今は同居する祖父母の家へ遊びに行っていたので、広大な森のほとんどを知らないがたった一本だけ迷わず進める道のようであった。その頃の男にとっての国道十六号線はたまに家族で行くファミリーレストランが岸に建つ巨大な大河であり、仮に信号が青であっても一人で渡ることを憚り、渡れば二度と戻ってこられないのではないかと思っていた。まだ先を知らず考えることもできない小さな脳の感じる恐れで、それは死というものを初めて考えた時に、よくわからないが居ても立ってもいられず、受け入れ難い消滅が待ち構えていて、とんでもない世界に来てしまったのだ、という深い絶望に陥る時に得る実感であり、その切れ端のようなものに近づいてしまうのではないかという恐怖だった。ある種の作品が鑑賞者のその時時の生活環境に応じて効果と位置を変えるように、今の男にとって国道十六号線は職場へ向かう道となり、仕事の現場や取引先へ向かうのに欠かせないインフラであり、小さい時には近づき難い河が、危険ではあるが今では平然と漁をする慣れ親しんだ仕事場になるようだった。

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