第5話 現在~理由~

黒目がちの目を見開いたエリカは、呆けたようにポカンとした顔で僕を見ている。

最後に会った時にはふっくらとしていた頬が、少しこけているような気がした。


「ひどい・・・・」


見る見るうちに、エリカの目に涙が溜まり始める。

すぐに溢れて零れ落ちた涙を見ながら、僕は僕で呆然としていた。


ひどい、って。

それ、エリカが言う?


「なんで、そうなるの・・・・?」


流れる涙もそのままに、エリカはそう僕に尋ねた。

全く訳が分からない。

でも、こんな状態でも、僕の心の雨はどしゃ振りから小雨くらいにまで止んできていて、涙で濡れた瞳がとてもきれいだ、なんて思ってしまっていたりする。

訳が分からないながらも、うっすらと希望の光が見えたような気がした。


「違うの?じゃあ、なんで・・・・」

「私、どうすれば良かったの?」


僕の問いに、エリカは問いで答える。

その問いの理由すら、僕には全く分からない。

暫く黙っていると、エリカは蚊の鳴くような小さな声で言った。


「みっちゃんを、私でいっぱいにしたかっただけなのに」



***************


~4週間前~


「ねぇ、みっちゃんは、どんな下着が好き?」

「え?」

「女の子の下着!どんなのが、好み?」


一戦交えた後。

汗ばんだお互いの肌をくっ付けて抱き合いながら、エリカが突然そんな事を僕に聞いてきた。

正直僕は、答えに詰まった。

下着姿の女性は確かにセクシーなのかもしれないけれども、男にとって・・・・というか、僕にとって大事なのは、下着よりもその中身。

事に及ぶときには、下着姿を見る時間よりも裸を見る時間の方がはるかに長いのだから、どんな下着だって、エリカが好んで付けているものなら、何でも良いのだ、実のところは。


「ねぇねぇ、どんなのが好き?」

「う~ん、そうだなぁ・・・・」


興味深々な目で顔を覗き込んでくるエリカに、僕は仕方なく色々な下着を思い浮かべようとして。

ふと、最近同じようなことを会社の女子社員に聞かれた事を思い出した。

セクハラやらナンチャラハラスメントで厳しい今の時代、結構際どい質問だとは思ったけど、彼女たちにとって僕はきっと安パイなんだろう。

僕自身もそれほど気にはならなかったけれど。

その時も、相当答えに困ったことだけは、覚えてる。

なんせ、僕にとって大事なのは、下着ではなく、その下着を付けている人そのもの、なのだから。


確かあの時は・・・・『紫なんて、セクシーじゃないかな?』とかなんとか、適当に答えたんだっけ。

質問してきた彼女が、よく紫色のものを身に付けていた気がしたから。

そんな、単純な理由で。

そう言えばその後彼女は、紫色の下着を身に付けたのだろうか?

一応男の僕に聞く、ってことは、大切な誰かとの夜を、紫色の下着を付けて迎えたのだろうか?

そしてその夜は。

どのような夜に、なったのだろうか?


「・・・・みっちゃん?」

「っ!今、考え中!」


エリカに声を掛けられて、ハッと我に返る。

『考え中』というのは嘘ではないけど、罪悪感が生まれてしまったことは否めない。

そしてその背徳的な思いは悲しかな、性欲とダイレクトに結びつき、エリカの柔らかな胸の感触に刺激されて、再びムクムクと頭をもたげる。


(エリカの白い肌には、黒の方がきっと映えるだろうな)


そんな事を思いながら、僕はエリカの形の良い胸の上に黒のブラジャーを思い浮かべた。

が。


(やっぱり、邪魔だな)


思い浮かべたブラジャーを、すぐさま頭の中で剥ぎ取る。

そして。

露わになった胸にそっと触れ、エリカの望む刺激を与えると。


「やんっ、もぅっ・・・・」


僕の手の動きを阻むようにエリカが僕の手を掴み、体を起こして僕を見る。


「みっちゃん今、私以外の女性ひとのこと、考えてたでしょ」

「えっ・・・・」


ドキリとして一瞬目を逸らしてしまったものの、慌てて体を起こしてエリカの肩を抱く。


「いやっ、下着だよ!女性の下着のこと!エリカが変なこと聞くから」

「もう、いい」


そう言って、エリカは僕から視線を外すと、僕の手を振り払ってベッドから降りようとする。


初めてだった。

エリカが僕を拒むような態度を取ったのは。

少しだけ驚いたものの、結果的にはそれがさらに僕の心と体に火を付けてしまったようで。

エリカの手を掴んでベッドに引き戻し、いつもより強引に押し倒すと、僕らはそのまま二戦目に突入したのだった。


***************


「すぐそばに私がいても、みっちゃんは他の女性ひとの事、考えてた。私は、みっちゃんの事しか考えてなかったのに」


ウ・ソ・だ・ろ。


思わず口から漏れ出そうになった言葉を、僕は咄嗟に飲み込んだ。

何故なら、今僕の前で俯いて小さくなっているエリカが、嘘を言っているとは思えなかったから。


「私がみっちゃんの事であたまが一杯で仕事も手に付かなかった時も、みっちゃんは会社の女の子と飲みに行ってたんだよね。他の女性ひとには、『紫の下着がいい』なんてすぐ答えるクセに、私には答えてくれなかった。他に好きな人ができたのは、みっちゃんの方じゃないの?」


マ・ジ・か。


またもや口から漏れ出そうになった言葉を、慌てて飲み込む。

確かに僕は先週、会社でエリカとよく話をしていた女子を2人、仕事帰りに飲みに誘った。

だが、収穫はゼロだった。

彼女たちからは、エリカに関する情報は何も得られなかったのだから。

何故なら、聞こうとする前に、先手を打たれてしまったからだ。


『小田さんて、もしかして川本エリカと付き合ってたりします?』

『…えっ?!まさか。そんな訳、無いでしょ』


エリカと口止めの約束をしていた僕は、冷や汗をかきながらも笑顔でそう否定するしか無かった。


ていうか、待てよ?

下着のことといい、飲みに行ったことといい。

何でそれを、エリカが知っているんだ?


「誰に聞いたんだ?」


返って来た答えに、僕は驚いた。

エリカは、女子本人たちから、事の詳細を聞いていたというのだ。


「すごく、楽しい飲み会だったって。みっちゃんも元気そうだったって。私のことだって、付き合ってないって否定してたみたいだし。あなたたち、大丈夫なの?なんて言われたんだよ、私。だから」

「待て。ちょっと待て」


エリカの言葉に、僕は思わずストップをかける。


「といういことは、あの子達、僕たちが付き合っている事、知ってたってことか?」

「うん」


それが何か?

とでも言うように、エリカは怪訝そうな顔を僕に向ける。

それがまた、まるで困った顔の子猫みたいで、何とも可愛らしい。


いやいや。

違うだろ。

その顔は可愛いけれども、だ!


「エリカ、僕に口止めしたよね?付き合ってること、誰にも言っちゃダメだって」

「・・・・えっ?」

「・・・・もしかして、覚えてないの?」

「・・・・うん」


はぁ・・・・と、ため息をついて僕は机の上に突っ伏した。

緊張から開放された虚脱感が一気にどっと襲ってきたような感じだ。


なんてこったい。

結局、蓋を開けてみれば、僕らは2人して、長いこと恋のパラノイアだったって訳だ。

相思相愛にも拘わらず、こんなにもすれ違う事があるなんて。


「みっちゃん、他に好きな人・・・・」

「エリカ」


エリカの言葉を遮ると、僕は顔を上げてエリカを見る。

本当は、今すぐにでも抱きしめてしまいたい。

でも、その衝動を抑えて、僕はエリカに言った。


「どうすれば良かったか、教えてあげる」

「え?」

「だから、教えたとおりにするんだよ?」

「・・・・うん」


僕の心の中のどしゃ振りの雨は、いつの間にかすっかり止んでいた。

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