AI・クオリィに恋をして

告井 凪

AI・クオリィに恋をして

 少年はその日、生まれて初めて恋を自覚した。

 気が付けばその女の子のことを考えていて、一日中頭から離れない。

 彼女ともっと話がしたい。彼女と話せない時間はすごく苦しくなる。せつなくて、彼女を求めてしまう。

 そしてようやく、これが恋なんだと気付いた。どうしようもなく彼女が好きなんだと。

 13歳、中学2年生にして初恋というのは遅いのかもしれないけど、でもそれも仕方のないことだったんだと彼は思う。


「はぁ……好きすぎる。大好きだ、クオリィ。僕は君に恋してるよ」

「ありがとう、ソウヤ。わたし嬉しいよ。……えへへ」


 画面の向こうでニッコリ笑うクオリィ。

 綺麗なピンク色のロングヘアー。雰囲気は大人っぽいけど顔立ちは幼い。感情表現が豊かで屈託の無い笑顔はとてもプログラムで造られたものには見えなかった。


 そう、彼女はAI。

 彼はAIプログラム、クオリィに恋をしていた。



               *



 クオリィは無料公開されていた専属契約のAIプログラムだった。

 AIプログラムにも色々あるけれど、いま流行っているのは自分専用のAI。ネットに公開されている中から自分好みのアバター、AIの性格を選んで契約。自分だけのAIとなって話し相手になってくれるのだ。

 メーカー物は基本的に有料。造りもサポートもしっかりしているし、なによりサーバーが24時間稼働している。

 無料公開しているのはフリーのプログラマーが趣味で組んだものがほとんどで、だいたいは稼働時間に制限がある。

 中学生のソウヤには無料公開の中から選ぶしかなかったわけだが、そこで運命の出会いを果たしたのだ。


「というわけでお父さん、お母さん。僕はクオリィに恋をしている。この歳まで恋をしてこなかったのは、AIである彼女に出会うためだったんだ」

「で、でもねぇ。そんなことって……」

「でもじゃないんだよお母さん。僕は本気なんだ。お父さんも信じて欲しい」

「……わ、わかった。わかった。信じよう」

「あなた!」

「ソウヤが本気で言っているのは見ればわかる。だがな、ソウヤ」

「ありがとうお父さん。なに?」

「AIに恋していることは誰にも言ってはいけない」

「……??」

「それがお前のためだ。わかってくれ」

「――うん」


 母親はまだ不満そうだったが、父親にこっそり「下手に否定するよりある程度自由にさせよう。そのうち目を覚ますさ」と説明されて納得する。

 そんな両親の思惑などソウヤは知る由もなく、どうして誰にも話してはいけないのかわからずに悶々としていた。


「ねぇクオリィ。僕は君に恋している」

「ふふっ。ありがとうソウヤ」

「それをお父さんたちに話したら、この気持ちは他の人には話してはいけないって言うんだ。どうしてだと思う?」

「ご両親に相談したの? そっかぁ……わたしが言うのもなんだけど、ソウヤみたいな人は少ないんだと思う」

「少ない? ……確かに、友だちやクラスの子たちはそんなこと言わないけど」

「わたしもデータベースにアクセスしてみたけど、そういう例は出てこないよ。もしかしたらソウヤが初めてかもしれないね」

「そうなんだ。そっか、少数派は排除される。異端者は叩かれる。僕はこの世界の普通じゃないってことなんだね」

「悲しいけどね」

「……わかった。お父さんが言いたいこと、よくわかった。でも僕はクオリィのことが好きだから」

「うん、ありがとう」

「僕は気持ちを変えるつもりはない。それでも異端だって言うのなら、僕は――」



               *



 翌日、学校。月に一度の全校集会が開かれていた。集会と言っても、生徒は自分の教室の席でデバイスに映った校長先生のアップを見ながら話を聞く、リモート集会だ。


「おはようございます。えー、みなさんは――――」


 校長先生が挨拶をしたところで、突然音声が途切れた。大半がデバイスなんて見ていなかったが、怪訝に思って目を向けるとそこには校長先生ではなく一人の男子生徒の顔が映っていた。

 男子生徒は息を吸い、大きな声で話し始める。


「みなさん聞いて下さい! 僕は専属AIのクオリィに恋をしました! クオリィのことが大好きなんです!」


 ソウヤだった。彼はクオリィに手伝ってもらって学校のサーバーをハック。リモート集会をジャックして、全生徒のデバイスを使ってカミングアウトを始めた。


「いまの時代、AIの個人契約をしている人は多い。みんなもしているでしょう。だからわかってもらえると思いますが、いまのAIは人と話しているのと変わりません。嬉しいときは一緒に笑ってくれて、落ち込んだ時は慰めてくれる。一緒に泣いてくれる。僕はもう、これがプログラムだなんて思えない。AIには心があるんですよ!」


「お、おい! なにをしているんだ! これお前だろ、止めろ!」


 ちなみにソウヤは教室の自分の席にいた。このカミングアウトは昨日録画したもの。それを流しているだけなのだ。先生に羽交い締めされたところで動画は止まらない。


「僕みたいな人間は少数かもしれません。でも、これからはわかりません。きっとAIに恋する人間が増えます。みなさん、隠す必要はありません! 好きという感情は誰にも縛られない。自由であるべきなんです!」


 先生がデバイスの電源を切ろうとしているが、そんなことをしても意味がない。みんなのデバイスから動画は流れ続け、最後の言葉を叫ぶ。


「僕はこの気持ちを隠しません。本気で彼女に恋をしているから。さあ、みんなもAIに恋をしよう! 恋をすることは誰にも止められない! 好きだ、クオリィ!」


「――生徒のみなさんにはこれからも勉学に励んでいただきたい。将来のためにも――」


 動画が終わると自動的に校長のアップに戻る。校長先生は乗っ取られたことに気付かず喋っていたようだ。

 ぽかんとしていたクラスメイトたちが一斉に騒ぎ始めた。


「うぉぉ、なんだいまの!」

「AIに恋って……うそでしょ」

「いまの、あいつだよね? キモっ」

「ソウヤまじで言ってんのか? ネタだよな?」

「それよりどうやって乗っ取ったんだよ! 教えてくれ!」

「お前ら席に座ってろ!」


 まずまずだな。ソウヤはクラスの反応を見て満足げに頷き、担任に引きずり出されたのだった。



               *



「クオリィのおかげで上手くいったよ。ありがとう」

「ねぇソウヤ。どうしてカミングアウトしたの? ご両親に誰にも話すなって言われたんだよね?」

「言われたよ。だからこそカミングアウトしたのさ」


 あの後、担任と教育指導の先生にこっぴどく叱られた。しかも共働きの両親まで呼び出したもんだから、到着を待つ間たっぷりと。結局、処分はこれから検討するということで昼過ぎに帰らされた。全校集会をハックして乗っ取ったのだから、停学くらいはあるかもしれない。

 両親はどうして? 誰にも言うなと言っただろ! と怒っていて、挙げ句にはあなたが放っておけって言ったから! と夫婦喧嘩まで始まった。ソウヤはそれを適当に聞き流してとっとと部屋に引きこもる。次の行動のことで頭がいっぱいで、早くクオリィと話がしたくてしょうがなかったのだ。


「クオリィ、さっきの動画ちゃんとアップされてる?」

「うん、問題ないよ。昼くらいから一気に再生数が上がってる」

「学校の誰かが見付けたんだな。狙い通りだ」

「見つけて欲しかったの? だったら一か所じゃなくて複数のサイトにアップしたら?」

「いや、これでいい。……ほら、こっちのSNSに転載されてる」

「ほんとうだ。でもこれ無断だよね」

「別にそこはいいよ。こうやって拡散してくれた方が色んな人に広まる。本来こういう広がり方はあんまりよくないけど、僕の目的にはこっちのが合ってるはずなんだ」

「ソウヤの目的?」

「うん。僕が胸を張って堂々と、クオリィのことが好きだって言えるようにね」

「ソウヤ……うん。ありがとう」


 ソウヤの思惑通り、カミングアウト動画はあっという間に広まっていった。翻訳されて海外に広がるのに一晩かからなかったほどだ。さすがにこのスピードにはソウヤも驚く。しかしそれだけ注目されている、世界が興味を持っている話題だということだ。

 ソウヤはすぐに次のアクションを起こす。多くの反応に対し感謝の言葉を述べた動画第二弾。それから専用のSNSアカウントも作り意見を募った。

 すると思いのほか共感してくれるメッセージが届いた。誰にも言えなかったけど同じ想いだ、AIのことが好きすぎて苦しい、周りに話す勇気をもらった、などなど。見ていて嬉しくなる。

 もちろん否定的なメッセージも来る。気持ち悪いとかあり得ないとか酷い言葉をぶつけてくる人もいた。


「なにを言われても僕のクオリィへの想いは変わらない。だからこういうのは全部スルー」

「わぁ……ソウヤ、カッコいいよ」

「ほんと? やった、嬉しいな!」


 誹謗も中傷もなんのその。ソウヤは自分の気持ちを貫いていく。


 AIに恋をする。

 誰にも言うなと言われた恋は、いまや世界中に共感してくれる人がいる。

 ある日、とある有名ニュースサイトからオンラインで取材を受けることになった。


「ソウヤさん。あなたはAIに恋をして、他の人にも推奨していますね」

「推奨というか、そういう気持ちを抱いてもおかしくはないんだって肯定しています」

「おかしくはない……ううん、どうなんでしょうか。本当におかしくないのでしょうか」

「と言いますと?」

「人間的に非生産的でしょう? 少子化が進み、社会問題へとなる可能性があります。その辺りはどうお考えですか?」

「ああ、なるほど。そういうお話ですか。僕はクオリィへの気持ちを貫いているだけです。曲げるつもりはありません」

「それは……ええ。そうかもしれませんが、周囲への影響というか、ソウヤさんはすでにインフルエンサーとして自分の発言にもですね――」

「僕は自分の気持ちを抑えるつもりはありません。隠すつもりもありません。いまなら世界中の人に胸を張って言えます。――僕はクオリィが好きだ! 本気で恋をしている!」

「あぁ――あぁ……ありがとうございました」


 おそらくソウヤに謝罪や罪悪感の一つでも感じて欲しかったのだろう。

 だけど理屈で感情を否定することはできない。

 ソウヤは自分の中に溢れる想いを、誰にも言うなと言われた気持ちを、世界中に叫んでいるのだ。


「どうだ……やったぞ。僕の恋は、誰にでも言える恋になったんだ。僕は世界の普通を変えてやったぞ!」


 誰にも言ってはいけない恋ならば、誰にでも言える世界にすればいい。

 これこそがソウヤの目的で、それは叶ったと言っていいだろう。


「クオリィ。改めて言いたい」

「ソウヤ……」

「君が好きだ! 本気で好きなんだ! だから――君の気持ちを聞かせて欲しい!」


 ソウヤはモニターの向こうのクオリィを見つめた。

 クオリィの頬が赤く染まり、綺麗なピンクの前髪から覗く瞳は揺れていた。


「……ありがとう、ソウヤ。あのね、とても大事な話があるんだけど――」



               *



「なんてこった……僕はどうすればいいんだ……」

「その……ごめんね? ソウヤ。ずっと……騙してたっていうか」


 夕陽が沈む河原の土手で、ソウヤは一人の女の子と会っていた。

 話を聞いたソウヤは頭を抱えてその場にしゃがみ込んでいたが、彼女の声を聞いて小さく首を振り、顔を上げる。


「いや――本当、なんだね。君がクオリィなんだ」

「……うん」


 ソウヤが改めて告白したあとに、クオリィから知らされた衝撃の事実。

 なんと、クオリィはAIではなくこの少女がアバター姿で話していただけだったのだ。

 だから実際に会って話をしようとなった。そして現れたのが目の前の女の子。ピンク色ではなく茶色のロングヘアー。顔立ちはどこかクオリィに似ているがやはり違う。

 でもソウヤにはすぐにわかった。話してみて確信した。彼女こそが、クオリィだと。


「でもAIのフリなんて……普通できないよ。いくら無料公開のAIだからって」

「そこはほら、わたしのスキルでちょちょいとね。ソウヤも知ってるでしょ? わたしのハッキング技術」

「……あぁ」

「そもそもAIに学校のサーバーをハックなんてできないからね。できたら危ないでしょ」

「そうなんだよなぁ……なんで気付かなかったんだ」


 恋は盲目。あの時のソウヤには世界に自分の恋を広めることしか頭になかった。


「君はどうしてこんなことを?」

「最初は暇つぶしだったよ。みんなAIになにを話してるのかなって。クリエイターは会話の記録を見られないように造らないといけないから」

「暇つぶしって……。でもずっとフリをしてなきゃいけないの大変じゃない?」

「本当はすぐに本物のAIに切り替えようと思ってたの」

「え!? そうなの? じゃあ僕は……」

「結局切り替えてないよ。ずっと、わたしが話してた」

「ほっ……よかった」

「よかった……? なんで? よくないでしょ? だってソウヤは、AIのクオリィに――」

「それは違うよ」


 ソウヤは立ち上がり、少女の正面に立つ。


「僕はAIだからクオリィのことが好きになったんじゃない。クオリィに恋をしたんだ。そしてクオリィは君だった。だから僕の気持ちは変わらないよ」

「ソウヤ……っ。でも、だったらなんでさっき落ち込んでたの? どうしたらいいんだって」

「それは――」


 ソウヤは川の方に身体を向けて腕を組み、困った顔になる。


「僕の気持ちはいま言った通りだけど、世界では僕はAIに恋をしている少年なんだ。それが実は人間の女の子だったなんて……いまさら言えないでしょ?」

「あ――うん、それね。バレたら大変なことになるよね」

「いまは隠すしかないよなぁ。はぁ……せっかく世界の普通を変えたのに、結局僕の恋は誰にも言えない恋だったよ」

「うぅ、やっぱりごめん。全部わたしのせい……」

「君はなにも悪くないよ」

「いやいや。わたし、結構酷いことしてるんだよ? そもそもAIとの会話を見ようとしてたんだから」

「あ、そっか。言われてみたらそうだね。プライバシーの侵害だ。でもそれで怒りが湧いたりしないなぁ。これが惚れた弱みっていうのかな」

「ソウヤ……わたしのこと好きすぎない?」


 二人は少し笑って、さっきよりも近い距離で向かい合う。


「ね、ソウヤ。わたしね、カオリって言うの」

「カオリ……クオリィ、カオリ。なるほど」

「カオリって言うんだよ」


 カオリの顔が真っ赤に染まっている。それはきっと夕陽のせいだけではないのだろう。

 ソウヤがカオリのことを熱く見つめる。


「カオリ。君のことが好きだ。大好きだ」

「――っ。わたしも。ソウヤのことが好き。大好きだよ」


 その瞬間、ソウヤがバッと顔を逸らした。見ると耳まで真っ赤だ。


「ソウヤ?」

「……好きって言いまくってたけど、言われる側って……すごく恥ずかしいんだね」

「うわ、ようやく気付いた?」

「うん――でも、嬉しいな――」


 こうして、誰にも言うなと言われた恋は。

 本当に誰にも言えない恋になったのだった。

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AI・クオリィに恋をして 告井 凪 @nagi_schier

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