第8話 過去2-3

「私が、川に落ちて流されそうになって……それを助けてくれて……」


 そんな経験をした事のある人は少ない。もし自分が経験すれば、忘れないと思うのだが……。


「ごめん、覚えてない……って言うか、多分人違いじゃないか」


 律希はそう言った。

 

 ──9年前のことだ。そんな昔に会った人の顔なんて、記憶の中でもうきっと変わってしまっている。

 律希は律さんじゃない。偶然、名前と雰囲気が似ていただけで。

 勘違いした自分が情け無くて、律希を困惑させてしまったのが申し訳なかった。


 何でお礼を言わなかったんだろう。あの時ちゃんと、ありがとう、と伝えていたれば良かったのに。

 もうきっと一生、あの人には会えないと思う。


「……すみません、突然おかしな事言ってしまって」


 紗奈は律希に頭を下げる。


「いや、大丈夫だけど」


 律希はまだ戸惑いながら言う。和弥が首を傾げて、


「一ノ先輩、本当に人違い何ですか? 先輩が忘れてただけだったら可哀想ですよ」


 と突っ込むので、紗奈は慌ててそれを遮る。


「いいんです、もう。私の勘違いですから」


 何なら今言ったことは全部忘れて欲しい。

 紗奈がそう思った時、律希が言った。


「あの……後は僕が手伝うから、川野さんはもう戻っても大丈夫だよ」


 彼なりの気遣いだろうか。確かに今すぐこの場から逃げ出したいくらいだったが、昼休みはもうとっくに終わっている。

 戻れば絶対に清水が何か言ってくる訳で、紗奈はどちらにしても泣きたくなった。


 その時、ドアが開いて若い女性が言った。


「一ノ瀬さん、和弥君、ここはいいから修正部戻って下さい!」


「えっ……まさか」


「修正です。まだ分かりませんが、かなり大きめの規模だと思います」


 どうやら歴史の改変があったらしかった。彼女はそう言って、紗奈に目を留めた。


「中山部長が言ってた助っ人さんですか?」


「はい」


 紗奈が答えると、彼女──篠木仁子は紗奈の手を掴んで言った。


「来て下さい。このまま手伝ってもらいます」


「えっ?」


「修正が入れば人手が足りなくなる。ごめんなさい、当分は帰してあげられないかもしれません」


 篠木が言い切り、紗奈は異論を挟む間もなく修正部に連れて行かれる。


 ひとたび改変が起きれば、その修正の為にはどんな手段でも取る。

 和弥の自由過ぎる態度も、中山の勝手さも、72時間に賭ける修正部の性質から来ているのかもしれない、と紗奈は思った。

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