10 別離

 徳川准さえも木村を止める暇はなかった。

 彼はいきなり特攻し、いきなり棍棒で潰された。

 サイクロプスがそれを上げると、赤く潰された木村の残骸がぺったりと石の地面に張り付いていた。

 三年四組は恐慌に陥る。

 今更だが、誰か死ぬとは考えていなかったのだろう。

 あちこちで甲高い悲鳴が上がり、武器を持っている者はそれを忌まわしい物を捨てるみたいに落とした。

 だかそんな中で、平深紅は源白夜と耐えた。

 ゆっくりと近寄るサイクロプスとの戦いを避けると決断し、乱れる仲間を何とか纏めようとする。

 平深紅はショートソードを構え大きく振り、サイクロプス達に自分を標的だと思わせようとした。

 その間に仲間を逃がすのだ。

 だが彼の中で違う感情も膨れあがってきていた。

 怒りだ。

 深紅の腹の中で灼熱の怒りが暴れ出している。

 怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ。

 心のどこかが彼に命じていた。

 怒りのまま奴らに飛びかかれ……。

 荒い息をついて頭を振る。そんな事をしたら一撃で倒されるのだ。

 サイクロプス達は陽動に乗り、ゆっくりと深紅に迫る。


 源白夜は走り回っていた。

 戦意を喪失し座り込む仲間達を無理に立たせ、走らせようと躍起になっていた。

 だが誰もが虚ろな目をしていて、なかなか上手くいかない。

「この野郎! よくもよくも!」

 白夜は声を聞き、首を捻った。

 仰天する。

 巨大な芋虫がいて、それに斉藤和樹が攻撃しているのだ。

 ぶよぶよの胴体を何度も殴りつけている。

「斉藤! 逃げるんだっ」

 白夜は素早く近づき、芋虫・キャリオン・クローラーが大きな丸い口で噛みついてくるのを避けながら斉藤の手を引っ張る。

「離せ!」斉藤は抵抗した。

「こいつが笹野さんを、笹野さんを!」

 白夜は見回し、笹野がいないと確認して全てを悟った。

「ダメだ、今コイツには勝てない……笹野さんのためにここは逃げろ」

 斉藤和樹の目が白夜に向いた。

 涙に濡れていた。

「…………」斉藤は無言で走り出す。

 一つ息をついた白夜は芋虫から離れると、再び他の生徒に声をかけ出す。

「白夜ちゃん!」

 膝を抱えていたでいた細川朧を見つけると、彼女は飛びついてくる。

「もうダメだよ、私達……みんな野々村君や木村君みたいになるんだ!」

「そうはならない! だからここから離れるんだ!」

 だが朧は彼の首に腕をきつく絡ませる。

「……死ぬならせめて一緒がいい」

「朧、聞いてくれ、平が時間を稼いでいる間に向こうまで走るんだ」

 だが朧は激しく首を振り続ける。


 徳川准は失望していた。怒っていた。

 自分の判断ミスに。

 この谷にこんな危険な怪物がいるとわかっていたら、農奴達と戦っても街道を行ったろう。

 だが全て手遅れだ。

 仲間の数人は死に……そうだ死んだのだ。さらに他の仲間達も危機を迎えている。

 しかし自分にあるのは何もない。

 彼は胸のメダリオンを無意識に握っていた。

 治癒の魔法はとっくに使い切っていた。もう意識を集中することも出来ない。

 神とやらは彼等を見放したのだ。

 准ははたと思い出した。

 黒咲達だ。

 彼等はまだ魔法を使っていない。まだ戦力になる。

 頼れば彼等の態度はこれまでより大きくなるだろうが、今はそれに拘っている時ではなかった。

「黒咲! 堀! 脇坂!」

 返事はなかった。それどころか彼等の姿はどこにもない。

 見回すと三人だけではなく、三年四組で女子達をいびっていた・幾瀬八千代、磯部水緒、飯盛和香子もいなかった。

「……何だよそれ」

 惇は誰とも無く呟いた。

 平深紅がサイクロプスの棍棒攻撃で追いつめられている。源白夜は仲間達を鼓舞しようとしているが今のところ答える物は少ない。

 徳川准の目の前に闇が降りてきた。

 だが本当に降り立ったのは、赤い髪のエルフだ。

 エレクトラは厳しい表情で准に荷物を持たせる。

「これは?」

「この先の地図と残ったお金です」

「え? エレクトラさん?」

 彼女はにっこりと笑う。

「あなた方は選ばれし者、ここで失われるわけには行きません」

 彼女は振り返り、敵に襲われている三年四組達を見回すと、語りかけた。

『大丈夫、皆さんはここでは死にません、早く出口へ行って下さい』

 魔法なのか、言葉は恐慌をきたしている生徒達の心にまで届いたようだ。

 誰もが口を開きエレクトラを見つめていた。

「さあ、私の最後の魔法です」

 エレクトラは呪文を詠唱し始める。

「みんな! 今だ! 走れ!」

 徳川は喉が枯れていたが叫んだ。

 三年四組の生徒達はようやく理解し、皆で駆け出す。

 サイクロプス達は逃亡を邪魔しようとしたが、背の大きさが災いして鈍い足元、時には股下を通過されてしまっている。

 エレクトラはジェスチャーで行け、と准に指示をした。

「ありがとうございます……これまでありがとうございました」

 准は深く頭を下げると、走り出した。

 振り返りはしなかったが、背後で凄まじい力が膨れあがったのは判る。

 何も考えず徳川准は走った。

 仲間達の一番最後、しんがりを。

 途中、何度か仲間達は止まりかけたが、惇は肺が潰れそうなのを我慢して叱咤し慰め足を止めさせなかった。

 走った走った走った……そしてようやく崖の反対側に出た。

 その瞬間、轟音と共に崖が崩れ出し、彼等が通った小道が岩で塞がれていった。

 エレクトラの魔法だろう。

 走り疲れぶっ倒れたた准は、いつの間にか夜になっていた空を、夜空に輝く星を仰向けのまま見上げた。

 涙で滲んでいた。

 

 三年四組の放心の時間は長かった。

 野々村秀直、笹野麻琴、木村智、そして今まで三年四組を導いてくれたエレクトラまで失った。

 誰もがただぼんやりと崖の出口の岩場で座り続けた。

 小西歌はスマホを強く地面に叩きつけた。彼女が記念にと写真を撮っていた物だが、硬い石の上で砕け散った。 

「どうすんだよ、これからよー」

 しばらくの後、最初に口を開いたのは黒咲司だった。

「ええ? リーダーよぅ」

 黒咲は徳川准をいたぶりたいのだろう。

「お前が行こうって指示した道だぞ? 滅茶苦茶じゃん」

 准には何も反論はなかった。全てはリーダーたる自分の失敗なのだ。

「リーダーさんよお、どうすんだよっ!」

 黒咲が怒鳴った。

「全部てめーのせいだぞ! え?」

「随分威勢がいいな、黒咲」

 准の代わりに平深紅がやり返す。

「はあ、何だよ平、関係ねーだろ」

「そうか? 俺には一つ疑問があるんだがな、お前、みんなが襲われていた時、どこにいた?」

 黒咲が沈黙した。

「俺と源は仲間を逃がすために無理をした、だがその中に何故だかお前達六人がいなかったんだけど」

「うるせーよ、てめーは」

 黒咲はそっぽを向き、険悪な雰囲気を残し話は終わった。

 准は深紅の加勢に感謝しつつも、心は沈んでいた。彼はもっと誰かに口汚く罵られたかった。仲間を死なせてしまった無能なリーダーとして……そのほうが楽な気がしていた。

 その後、しばらく三年四組はその場から動けなかった。

「早く行こうぜ、いつまでもこんな所にいたくねーだろ」と黒咲が提案するが、皆はここで失った三人が忘れられなかった。

 結局、黒咲一派に押し切られる形で落盤で潰された谷を後にした。

 徳川准はエレクトラの遺品である地図を広げた。

 どうやらここはもうエルス王国の領土らしかったが、首都たるエルヴィデスにはまだ距離がある。

 街道は続いているからそこを辿っていけばたどり着けるだろうが、数日は必要なはずだ。

 彼等はだから野宿を余儀なくされた。

 夜まで歩き、街道を外れた場所にたき火を幾つか灯し、みんなで囲む。キャンプに適した道具など無かったから、その炎が唯一の暖となった。

 睡眠は代わりばんこに取り、常に見張りを立てた。もう怪物に襲われるのはこりごりだ。

 三人減った三年四組の口数は、三人分より減った。

 皆、どこかぼんやりと歩き、夜目にはたき火を無言で見つめ、冷たい草の上で寝た。

 ショックがまだ尾を引いていると、徳川准には判った。

 その准もここ数日満足に寝ていない。

 リーダーだった自分が犯した致命的なミスについて、何度も何度も自分を責めているのだ。

 どうしたらよかったのか……。

 黒咲らが妙な動きをしている、と准はだから知っていた。本田繋やら細川朧やらに何かこそこそと吹き込んでいる。

 放っておいた。

 もう彼等に構う力などなかった。

 幸運にも地図にある最も近い町、オルデナに着くまで天気は持った。これで雨でも降っていたら、野宿の皆の心は完全に折れていただろう。

 オルデナは厚い石の市壁で囲まれた町だった。

 遠目で見てもカノスの町よりも何倍も大きい。

「さて」突然黒咲司が徳川准に向かい合った。

「エレクトラから貰った金と地図をよこせよ」

「は?」准は何を言われたか、すぐには判らなかった。

 黒咲は唇を舐めると、皆を見回す。

「もうこいつとの旅はうんざりだ、他のザコともな……だから俺達は自分達でこの世界を救ってやることにした」

「何言ってんだお前」源白夜の問いを黒咲は無視した。

「徳川、早くよこせ」

 准の背筋と腰がすうっと冷えていった。

 つまり黒咲は見捨てたのだ。徳川准を……それはあるいは仕方ない、しかし……。

「他のザコって?」

「斉藤とか石田とかだよ」

「君は彼等も見捨てるつもりなのか?」

 震え上がった准に温もりが戻る。怒りの熱だ。

「しかたねーだろ? 今回のことで判った、選ばれし者ってのはみんなのことじゃない、足手まといは他を巻き込むんだ」

「で、お前が選ばれし者なのか?」

 平深紅は冷ややかだった。

「決まってんだろ? 徳川よう、はやく金と地図よこせや! んで本田もこいよ」

「待てよ」本田が口を開く。

「確かに俺はお前らに声をかけられていたが、一緒に行くとは言ってないぞ」

「は? なんで、だよ?」

 本田は黒咲に横顔を見せる。

「お前さあ、徳川ばかり責めるが自分はどうなんだ? みんなが危ない時とっとと逃げてたんだろ?」

「それは……あん時はそれが一番いい方法だったからだ、そうだったろ?」

「ああそうだな。んで次に俺達が危機に陥ったら自分一人で逃げるのか?」

 本田のきつい指摘に、黒咲の顔が赤くなる。

「んだぁ、テメエ偉そうに、役に立つから選んでやったのに!」

「そうだな、だがお前は俺にとって役に立たない」

 本田は黒咲に止めを刺した。

「ああそうかよ!」荒々しく黒咲は息を吐く。

「ならお前もザコだ、いくぞ朧」

 細川朧はしばらく黙り、首を振る。

「私も話は聞いてたけど、いかない」

「な!」

 黒咲は絶句した。目と口で三つの丸を作る。

「それから、私のこと『朧』なんて気易く呼ばないで、私あなた嫌いだから」

 ただポカンとしている黒咲に、朧は続ける。

「堀君達のクラスでのイジメ、首謀者は黒咲君でしょ。実はみんな知ってたんだよ」

 他の生徒の目が白みがかっている。

「みんな黒咲君を軽蔑してた、気付かなかったの? 態度だけ大きくてなのに卑怯で」

「うるせえっ!」

 黒咲は高い声で怒鳴った。反射的に腰の剣の柄に手を置く。

 それを受けて本田も、深紅も、白夜も、力角さえウォーハンマーの持ち手を握った。

 一触即発。

 黒咲は素早く振り向いて味方を確認している。

 堀は剣に手を伸ばしていたが、魔法使いの脇坂は何も出来ず困っているようだ。

「みんなやめるんだ!」

 漂いだした殺気に、慌てて准が間に入る。

「仲間同士戦うなんて馬鹿げている」

「もう仲間じゃねえっ!」

 黒咲は吠えた。

「細川、これが最後だ、俺達と来い、そうじゃないと野々村みたいに死ぬぞ」

 だが朧は無表情で黒咲を見つめるだけだ。

「あんな子、いいじゃん、行こうよ」

 幾瀬八千代は黒咲派だったらしく、じれて口を挟んだ。

「ぺっ」と唾を吐くと、黒咲は他の生徒達に背を向ける。

 堀赤星、脇坂卓、幾瀬八千代、磯部水緒、飯盛和香子も続いた。

 三年四組のカースト上位がごっそりと抜けるのだ。

「黒咲!」

 彼等が遠ざかり始めると、准は小走りにリーダーの黒咲へと近づいた。

「何だよ」むっつり訊ねる彼に、准はエレクトラから託された金の半分を渡し、地図で行く道を伝えた。

「ふん」と礼もなく、彼等は去っていった。

「どうしてあんなダセー奴らにお金分けたの?」

 らららが唇を尖らせて抗議するが、准はふんわりと笑った。

「あいつらも間違っていないかも知れないだろ? 選ばれたのは黒咲達かも知れない、それに、エレクトラさんのお金はみんなの物だ、彼等も受け取る権利がある」

 ……ふふふ、僕は本当に有能なリーダーだ、どんどんみんないなくなる。

 密かに准は自嘲する。

 そうして一九人になった徳川准一行は城塞都市オルデナに入った。

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