妖怪学校の子供たち。

山本田口

第1話 初めての学校。

 私は、牧村美久。22歳の新社会人です。子供の頃に夢だった、小学校の先生になりました。大学で教員免許を取って、この春めでたく学校の先生になることが決まりました。でも、その学校というのが…… 


 私の父は、文部科学省の事務次官という官僚のトップで、母は、官房長官と

いうテレビでお馴染みの閣僚です。

私もそんな官僚と政治家の間に生まれたので、自然とその道に入るはずでした。

でも、子供の頃に見た、学園ドラマに刺激されて、学校の先生になりたいと

思うようになりました。

そのため大学は、教育学部に入って、教育実習も経験して、この春、無事に教員になることができました。

 私が行く学校は、どんな学校なのか、赴任先のことが気になって仕方がありません。

その日の夜、珍しく両親が揃って帰宅しました。

どちらも忙しいので、滅多に自宅に帰りません。私は、一人娘でも、

それが当たり前の生活を子供の頃からしていたので、ヘンにグレたり、

不良になるようなことはなく、今日まで優等生で過ごしていました。

「美久ちゃんの赴任先が決まったのよ」

 母に言われて、私は、このときを一日千秋で待っていました。

どんな学校だろうか? 小学校の先生として、子供たちの前で、教壇に立つ自分を

何度も夢見ました。

「それでな、この学校なんだが、行ってくれないか?」

 父が、なんだか申し訳なさそうな言い方をした。

私は、どんな学校でも、構わなかった。小学校の先生になれるなら、

どこでもいい。

「この学校なんだがな。実は、先生が一人、辞めてしまってね。新しい先生を

探しているんだ」

「それで、美久ちゃんなら、どうかと思って、推薦したのよ」

 果たして、その学校というのは、どんな学校なのか?

父がパンフレットを見せてくれた。なんと言うか、手作り感満載な、チラシみたいなものでした。

見ると、そこには『妖怪学校』と書いてありました。何だろう、こんな学校、

聞いたことない。

「家からも近いし、どうだろう。やってみないか?」

 私は、もちろん、その依頼を受け入れました。両親も、すごく喜んでくれました。学校の地図を見ると、私のウチから、少し離れた山の上にある、小さな学校でした。そこは、わたしも子供の頃に、両親に連れて行ってもらって、ずいぶん遊んでもらった場所です。歩いても、20分くらいで行けます。

でも、あの山の上に、学校なんて、あったかしら?

それでも、小学校の先生になれると言う現実に、舞い上がっていました。

早速、明日から、行くことになりました。私は、夏休み前の子供のように

ワクワクしていました。

明日着て行く服を、前日からどれにするか選んだり、最初の自己紹介の練習

なんかもしていました。

 

 翌朝、早めに目が覚めると、二階から一階に降ります。でも、すでに両親は、出勤していました。

「まったく、娘の初出勤の日なのに、誰もいないなんて、どんな親なのかしら」

 私は、独り言を言いながら、一階に降りました。

「おはよう、ピーちゃん」

「チチチ、ピー……」

 セキセイインコのピーちゃんは、ちゃんと挨拶を返してくれる。

私は、エサを取り替えながら、ピーちゃんに声をかけました。

 そして、パンを焼いて、コーヒーを入れて、卵を焼いて、一人で食べます。

朝に限らず、私は、いつも一人で食事をしています。両親は、仕事が忙しくて、ちっともウチに帰ってきません。

最初は、淋しかったけど、それも、もう慣れました。私には、ピーちゃんが

いるから、淋しくありません。

「ピーちゃん、行ってきます」

「ピピピ~」

 私は、スーツに着替えて、ピーちゃんに挨拶してから、家を出ました。

セミロングの髪を後ろに束ねて、お化粧は、薄目を心がけて、膝丈の黒い

スカートに白いブラウス、黒い上着に黒のパンプスと、黒と白の地味な服装に

しました。

最初だから、余り目立つような服装は、子供たちにも、他の先生方にも良くないと思って自分なりに考えた勝負服でした。

 私は、歩きなれた坂道を歩きます。子供の頃は、走って行けたけど、この年になると、山登りをしているみたいで、朝からハードだなと感じました。

 そもそも、こんな朝の早い時間に、山を登る人はいません。

歩いているうちに、ホントにこの上に学校があるのかどうか、不安になってきました。実際、私が子供の頃には、学校のようなものはありませんでした。

新しく学校が出来たのなら、時間的に登校する子供たちがいても不思議では

ありません。

なのに、私と同じように、山を登るランドセルを背負った子供たちは一人も

いませんでした。だんだん不安のが大きくなってきました。

 そして、やっと、山の上に到着しました。朝とはいえ、太陽に照らされて、

額にも汗が浮き出ていました。

周りを見渡すと、祠と神社があるだけです。

「どこにあるんだろう、学校は……」

 私は、独り言のように呟いていると、不意に声をかけられました。

だけど、回りには誰もいません。聞き間違いか、空耳かと思っていると、

今度は、スカートの裾を引っ張られました。

「えっ!」

 私は、思わず下を見ました。すると、そこには小さな女の子がいました。

「アンタだれ?」

「あ、あたし…… 私は、小学校の先生よ」

「ふぅ~ん、アンタが、新しい先生なんだ。お~い、先生が来たよぉ~」

 その女の子が、そう言うと、祠の中から大勢の子供たちが一斉に出てきました。私は、あっという間に、小さな子供たちに囲まれてしまいました。

「今度の先生は、女だぞ」

「人間なのね」

「なんか、可愛いぞ」

「先生、先生」

「あ、あの、ちょっと……」

 私は、子供たちに囲まれて、身動きできなくなりました。

そして私は、子供たちを見下ろすと、あることに気が付きました。

「えっ!」

 私は、そう言ったきり、固まってしまいました。

なぜなら、私を取り囲んでいる子供たちは、人間じゃなかったからです。

 目が一つだけの白い服を着ている男の子。その子を押しのけて私に抱きついてきたのは、目が三つの半ズボンにランニング姿の男の子。首を伸ばして私に絡み付いてくる可愛い女の子。赤いスカートに白いブラウスに、オカッパ頭に大きな赤いリボンをつけて目がつり上がり、口が耳まで裂けて牙が見える、猫のような顔をした女の子。 

私のスカートを引っ張っている白い着物姿の女の子。でも、足がありません。

他にも、いろんな動物たちも口々に私を呼んで、なぜか、人の言葉を話して

二本足で立っていました。

「なに、なんなの、この子たちは……」

 私は、余にも奇妙な子供たちに囲まれて、立ち尽くすより他がありません

でした。

「こらこら、お前たち。先生がビックリしてるだろ。離れなさい」

 そう言って、祠の中からのっそり現れたのは、天狗でした。

顔が真っ赤で、黒くて太い眉毛、鼻がピンと伸びて、半纏姿でした。

手には、うちわのような大きな葉を持って、下駄を履いていました。

 私が驚きの余りに言葉を失っていると、その天狗が言いました。

「ようこそ、牧村先生」

 なんで、私の名前を知ってるの? その前に、ここは、どこなの?

この子たちは、人間なの?

天狗に注意された子供たちが私から離れました。

「どうぞ、こちらへ。ほらほら、牧村先生を中に案内しないか」

 そう言うと、その中から、可愛らしい男の子が私の手を引いて、

こう言いました。

「先生、こっちだよ」

 その子は、人間の男の子でした。かなりホッとしました。

私は、その子に手を引かれて、祠の中に連れて行かれました。

後ろから、人間ではない子供たちがぞろぞろ付いてきます。

 私は、頭を下げて祠の中に入ると、そこには、文字通り学校らしいものが

ありました。

学校と言っても、私が思っていた校舎ではありません。

今にも崩れそうな、木造の平屋建ての校舎というか、プレハブ小屋のような建物でした。

「こ、これが、学校……」

「こっちだよ」

 私は、手を引かれて、言われるままに中に入ります。

下駄箱がある昇降口などはなく、直接、教室に入りました。

立て付けが悪そうな木のドアを開けると、机と椅子が並んで、黒板と教壇が

みえました。

壁には、子供たちが書いたような絵が飾ってありました。

でも、なにが書いてあるのか、全然わかりません。

 私は、男の子に手を引かれて、教壇に立ちました。

「みんな、席について」

 私の隣に立つ天狗が言うと、子供たちは自分たちの席につきました。

私は、なにがなんだかわからず、唖然としていました。

「それでは、みんなに紹介します。今日から、このクラスの先生になった、牧村美久先生です。みんな仲良くするように。それと、まだ、この学校のことは

わからないと思うから、いろいろ教えてあげるように」

「ハーーーーイ!」

 子供たちの元気がいい返事が聞こえました。

「それじゃ、牧村先生。自己紹介をお願いします」

 そう言われても、私は、なにを言っていいのかわかりません。

頭が真っ白です。

「あ、あの、その、ここは、いったい……」

「学校ですよ。もっとも、ここの生徒たちは、みんな人間ではないんですけどね」

「人間じゃないって?」

「妖怪、バケモノ、オバケ、幽霊、天使、アクマ、人間になり損ねた動物や

あの世に逝けない浮幽霊、いろいろです」

 私は、頭がくらくらして、目眩がしてきました。私の顔色を見て、心配した天狗が、言いました。

「牧村先生は、いきなりのことで、頭の整理が付かないから、皆さんは、

このまま自習していてください。牧村先生、こちらに来てください」

 私は、天狗に促されて、教室を出て行きました。私は、夢を見ているように、今、目の前で起きていることに頭が付いていかず、足が浮いているような感じでした。

 私は、なにを見ているんだろう? 私は、どこにいるんだろう?

現実に追いつきませんでした。

私は、天狗に付き添われて、隣の教室に行きました。そこは、職員室でした。

と言っても、すごく狭くて、机も四つしかありません。ここが、職員室なの?

私は、目の前にある現実が、信じられませんでした。

「こちらに座ってください」

 そう言って、開いている椅子を勧められて、そこに座りました。

「いきなりのことで、驚かれたでしょう。でも、今、あなたが見ていることは、現実なんですよ。まずは、そこから、始めましょうか」

 私の正面に座った天狗は、静かに話しを始めました。

「どこから話せばいいかな…… まず、ここは、妖怪学校。私は、この学校の

校長で大天狗と言います。今後とも、よろしくお願いします」

 そう言って、頭を下げました。私も、反射的に、無言で頭を下げます。

「いきなりで、驚かれたでしょう」

 天狗校長は、そう言って、私にお茶を入れてくれました。

「お茶でも飲んで、落ち着いて下さい。今から、ちゃんと説明しますから」

 私は、渡されたお茶を一口飲みました。ぬるくて、喉越しがよく、おいしい

お茶でした。自分の口がカラカラだったことに、初めて気がつきました。

やっと、言葉が話せるくらいになると、私は、質問してみました。

「あの、さっき、この学校は、人間じゃない子供たちがいると言ってました

けど……」

「そうですよ。この学校は、妖怪学校だから、人間の子供は通ってきません」

「なんで、私が、この学校に……」

「ご両親に、聞いてないんですか?」

「ハ、ハイ、何も……」

「そうですか。それじゃ、そこから話した方がいいですね」

 天狗校長は、ゆっくり話し始めました。

「この学校は、あなたのご両親が作られたんですよ」

 私は、初めて聞く話でした。天狗校長は、さらに話を続けます。

「あなたが生まれる前のことです。あなたのご両親には、子供がなかなか生まれませんでした。ご両親は、この神社にお参りに来て、子宝を祈りました。私は、その願いを聞き入れました。その代わりに、親や家庭に恵まれない、妖怪や

バケモノの子供たちのために、学校を作って欲しいと条件を出したんです」

 私の親にそんな過去があったなんて、知りませんでした。

「ここにいる子供たちは、みんな、人間ではない。もちろん、親はいます。

でも、人間たちから住処を追われ、子供を育てることも出来ず、可哀想な家族

たちです。私は、そんな親子のために、住処を作ってあげたかった。

安心して暮らせる家、子供を育てることが出来る家を作りたかった」

 私は、天狗校長の話に聞き入っていました。

「あなたのご両親は、この山の神社に、そんなバケモノたちの家を作ることを

許可してくれた。土地を買って、神社を直し、妖怪たちを保護してくれたんです。私は、感激したんですよ。私のような、バケモノや妖怪、オバケたちを差別せず、優しく接してくれた。だから、私も願いを叶えた。それで、生まれた

のが、あなたなのです」

 そんなことがあったのか。それで、私は、生まれたのか。

「私は、ここに、学校を作って、子供たちのために勉強を教えることにした。

後で案内しますが、学校の裏には、あの子達の家があります。親たちは、

その間、人間の姿に変えて、人間として、ひっそりと仕事しています。

あなたのような、人間と同じですよ」

 そう言って、天狗校長は、長い鼻を指で撫でながら話しを続けました。

「あなたには、ここの子供たちに、いろんなことを教えてもらいたい。

あいにく、前の先生が、退職されてしまってね、先生が足りなくなった。

そこで、あなたのご両親に相談したら、あなたのことを推薦されました。

それで、採用したんですよ」

 そういうことだったのか。父も母も、知っていたのか。話しずらそうにして

いたのは、こんなことがあったからなのか。

「どうですか。ここで、子供たちのための先生になってもらえますか?」

 私は、返事が出来ませんでした。私が夢見た、小学校の先生は、こういうことじゃないからです。

きれいな学校、きれいな校舎、大勢の可愛い子供たちと先生たちに囲まれて、

楽しく勉強を教えることでした。

それが、ここは、学校とはとても程遠いボロボロで、教室もお世辞にもきれいとは言えません。

先生は、天狗校長と私だけかもしれません。そして、子供たちといえば、妖怪、オバケ、バケモノ、幽霊など人間じゃないのです。私は、とても引き受けることは出来ませんでした。

「あの、せっかくですが……」

 と、言いかけたとき、職員室のドアが開きました。

「校長、新任の先生が来たんだって?」

 そこに入ってきたのは、これまた、人間ではありませんでした。

「アンタが、新しい先生? 人間じゃないですか。この学校で、勤まるんですか……」

「丁度いい。紹介します。この学校のもう一人の先生です。こちらは、人間の

牧村美久先生です」」

「よろしく、俺は、カラス天狗。体育とお遊戯担当をしてる」

 そう言って、手を差し出しました。私は、真っ黒な羽だらけの手を見て、

とても握手など出来ませんでした。

カラス天狗と名乗る、もう一人の先生は、見たままカラスでした。全身黒い羽で覆われ、背中に大きな羽がある、修行僧のような怪しい姿です。

黒い目が不気味に光り、黄色い嘴から、体育教師らしいやる気満々の言葉が次々に出てきます。

 私が黙っていると、勝手に私の手を採って、握って着ました。

「よろしく。これから、子供たちのためにがんばりましょう。牧村先生」

 そう言って、握った手をブンブン振っています。

「カラス先生、子供たちのこと、お願いできますか? 今、みんな自習してるところなので」

「わかりました校長。では、人間の牧村先生、また、後で」

 そう言って、職員室を出て行きました。

「すみませんね。ビックリしましたよね。カラス先生は、アレで、子供たちに

人気があるんですよ」

 天狗校長は、にこやかに笑った。

「それで、今は、ここには、カラス先生しかいないんですよ。勉強を教えてくれる先生がいなくてね。どうですか、ここでやってくれますか? 子供たちに勉強を

教えてあげて欲しいんです」

 そう言われても、相手が人間ではないというのは、私には、無理だ。

「あの、私には、申し訳ありませんが……」

 私は、そう言って、立ち上がって頭を下げました。

「そうですか。残念です。仕方がないですよね。あなたは、人間だから。わかりました」

 天狗校長は、残念そうに肩を落として言いました。

断るのは、申し訳ないけど、どう考えても、私には無理です。

相手が人間ならともかく、妖怪やオバケを相手に、勉強を教える自信はありません。私の理想とは、限りなく違っているのです。

「すみません、失礼します」

 私は、そう言って、職員室を出て行きました。そして、そのまま学校を後に

しました。

「センセーっ! どこに行くの?」

 いきなり、教室の窓が開いて、私を呼びました。思わず、足が止まりました。

「センセー! 美久センセー、やめちゃうの……」

 誰かが言いました。私は、振り向くこともできませんでした。

「行かないでよ。センセーっ」

「おーい、牧村先生。子供たちの声が届かないのか」

 さっきのカラス天狗が言いました。でも、私には、無理です。

「ごめん」

 私は、呟くように言うと、後ろを振り向かずに逃げるように祠から出て行きました。

祠から逃げ出すと、私は、やっと足を止めて、息をつきました。

「なんなのよ。そんなの、できるわけないじゃない。私は、人間なのよ。

妖怪学校って、何なのよ」

 私は、気がついたら、そう声を出していました。なぜか、頬に温かいものが

伝わるのがわかりました。

「なによ。なんで、泣いてるのよ。だいたい、妖怪とかオバケを相手に、勉強

なんてできるわけないじゃない」

 私は、涙を吹いて、吐き捨てました。

「逃げるの?」

 そのとき、私のスカートを誰かが掴みました。

「あたしたちを見捨てるの? 妖怪だから、幽霊だから、見損なったわ」

 その子は、私が初めて会った、小さな女の子でした。

私は、とっさに、その子の手を払いました。その子も人間ではないからです。

私の体に触って欲しくない。だって、人間じゃないから……

「だって、人じゃないんでしょ。そんなの無理に決まってるじゃない」

 私は、子供相手にきつい調子で言い返していました。

「アンタの親は、そんな人じゃなかった。だから、アンタをみんな信じてた。

でも、アンタは、違った」

「私は、私は……」

 それ以上、言葉が出なかった。

「残念だわ。アンタも、あたしたちを差別する人間だったのね。あたしたちを

見捨てる人間だったのね」

「うるさい! やめてよ、そんな言い方。だって、しょうがないじゃない。私は、

人間で、あなたは妖怪でしょ」

「そうやって、見かけで判断するの、あたし、大っ嫌い。ちなみに、あたしは、妖怪じゃないから」

 私が唖然としてその子を見下ろしていると、その子は、私を冷たい目で見上げて言いました。

「あたし、悪魔だから。もういいわ。アンタを信じたあたしがバカだった。

さよなら」

 そう言って、その子は、祠の中に消えていきました。

「なによ。悪魔だから、なんなのよ。ふざけないでよ。あたしは、普通の先生になりたいのよ。妖怪の先生なんて、なれるわけないじゃない」

 私は、走って坂道を駆け下りました。

「逃げてるんじゃないわよ。見捨てるなんて、人聞きの悪いことを言わないでよ」

 私は、独り言のように言いながら、ウチに帰りました。

帰宅すると、私は、両親に抗議するつもりで電話しました。

でも、父も母も電話に出ません。何度かけても、出てくれません。

仕事上、忙しいから電話に出られないのはわかるけど、今日は、特別の日

でしょ。娘が初出勤した日だから、心配じゃないのか? 

その娘から、電話が来てるんだから緊急連絡だということくらい察しが

つくでしょ。なんで出ないのよ……

 私は、自分の携帯をソファに投げつけました。

それにビックリした、インコのピーちゃんが羽をバタつかせて鳴きました。

「ピー、ピピピー」

「うるさい!」

 私は、ピーちゃんに対しても、当り散らしたのです。

なんで、あたしが、妖怪の先生なんかにならなきゃいけないの。怒りとかでは

なく、悲しくて、情けなくて私の夢が壊れていくようで、悔しくてたまりませんでした。

 結局、その日は、父も母も帰ってきませんでした。

私は、スーツ姿のまま、泣き疲れてソファに体を丸めていました。

真っ暗な部屋の中で、ピーちゃんの鳴き声だけが響きました。

  

 翌朝、私は、お腹が空いているのに気がついて、目が覚めました。

昨夜から、何も食べていなかったからです。

私は、起きて、鏡を見ると、お風呂も入らず、スーツを着たままの姿でした。

髪はぐしゃぐしゃ、目は真っ赤、肌もあれて、まるで死んだような顔をした自分でした。

 私は、とりあえずお風呂に入ることにしました。

温かいお湯に体を沈めて、昨日のことを考えてみました。

頭に思い浮かぶのは、妖怪だったり、バケモノだったり、幽霊だったり、

人ではないなにかの生き物でした。

だけど、その顔は、みんな可愛くて、あどけなくて、子供らしい素直な顔でした。

私は、湯船に顔を静めて、自分がしたことを思い出して、情けなくなりました。

「あの子たちに、悪いことをしたかな……」

 自然と口に出たのは、この一言でした。

私は、お風呂から上がって、部屋着に着替えて、濡れた髪をタオルで拭きながら、ピーちゃんに話しかけました。

「昨日は、ごめんね。ゴハンあげるからね」

 そう言って、ピーちゃんのエサ箱を取って、新しいのと取り替えます。

「ピー、ピピピ」

 ピーちゃんは、うれしそうに鳴いて、エサを食べ始めました。

私もお腹が空いているので、パンを焼いて食べることにしました。

時計を見ると、8時でした。でも、私には、行くところがありません。

あの学校は、もう、辞めたのだから、今日はお休みです。

新しい学校を探さなきゃと思いながらも、あの子たちの顔が頭から離れません

でした。

 私は、食事を終えると、気分転換に散歩に行くことにしました。

この時間に外を歩くと、通勤や通学に急ぐ人たちとすれ違います。

私は、一人で歩いているだけで、なんだか淋しくなりました。

目的もなく、ただ町内を歩いているだけでした。

だけど、気がつくと、あの学校がある、山の入り口に立っていました。

でも、この坂道を登って、あの学校に行くことはできなくて、そのまま来た道を帰ることにしました。

「どうしたの、先生?」

 思わず、足が止まりました。

「先生、今日は、来てくれないの?」

 また、声がしました。周りを見ても、誰もいません。でも、その声は、昨日、聞いた気がしました。

「先生、どこ行くの? 学校は、こっちだよ」

 私は、立ち止まったまま、声の主を探しました。

すると、私の目の前に、可愛い男の子がいました。なぜか、頭に光る輪が浮いていました。

「美久先生、みんな、待ってるよ」

 そう言って、私の手を握りました。

「先生、なんで、泣いてるの?」

 言われて気がつきました。私は、いつの間にか、泣いていたのです。

「ごめん。ごめんね。私、先生、失格だわ。あなたたちの先生には、なれない」

「どうして?」

「私は、あなたたちを見捨てたの。差別したの。だから、あなたたちの

先生には、なれない」

 私は、その場にしゃがんで、その子の顔をみながら言いました。

「見捨ててないよ。だって、今日も学校に来てくれたじゃない」

 そう言って、その子は、私の涙を小さな手で拭ってくれました。

そして、優しい笑顔で私に言いました。

「美久先生、学校に行こう」

 私は、その子を抱きしめて泣いてしまいました。

「ごめん。ごめんね。私を許して」

「なにを言ってるの、美久先生。早く行こう、授業が始まるよ」

「うん」

 私は、涙を拭いて、立ち上がりました。でも、昨日のことがあるので、

足が前に進みません。

「みんな~、美久先生が、来たよぉ~」

 その子は、祠に向かって言うと、そこから昨日の子供たちが、大勢出てきました。

「美久先生、遅いよ」

「先生なのに、遅刻は、ダメだぞ」

「ほら、やっぱり、言ったじゃん。先生は、今日も来るって」

 私は、たくさんの子供たちに囲まれて、胸が一杯になりました。

熱いものがこみ上げて、もう、言葉になりませんでした。

私は、この子たちを見捨てたのに、差別したのに、この子たちは、私を笑顔で

迎えに来てくれた。

私は、どんな顔をしていいのか、わかりませんでした。

「先生なのに、泣いてるぅ」

「人間のクセに、泣き虫だなぁ~」

 私は、屈んで子供たちを抱きしめました。

「ごめんね、みんな。先生を許してくれる」

「なにを言ってんだよ」

「先生、苦しいよ」

「みんな……」

 私は、もう、言葉になりませんでした。ただ、可愛い子供たちを抱きしめて

泣いていました。

そんな時、子供たちを押しのけて、天狗校長がやってきました。

「牧村先生、待っていましたよ。これが、あなたの答えですね」

「お帰り、牧村先生。昨日から、こいつら、みんなアンタのことを気にしてたんだぜ」

 カラス先生が言いました。

「すみません。校長先生。私が間違ってました。私を、この学校の先生にして

くれますか?」

「どうしますかねぇ…… みんな、牧村先生が好きですか?」

「は~い! 美久先生は、大好きでぇ~す」

 子供たちが一斉に大きな声で言いました。

「先生は、この子たちが、嫌いですか? やっぱり、この子たちとは、勉強できませんか?」

 私は、首を横に振りました。

「やはり、あなたは、あのご両親の娘さんですね。私の目に狂いはなかった

わけだ。信じていましたよ」

「校長先生……」

「さぁ、行きましょうか。一時間目が始まりますよ」

 そう言うと、私は、子供たちの手を取って、泣き笑いの顔で祠の中に入って

いきました。

私は、自分が恥ずかしくなりました。顔や姿で差別した自分に……

この子たちは、例え妖怪でも、バケモノでも、幽霊でも、みんな純粋で、

可愛くて、きれいな目をしています。

それなのに、私は、自分が人間というだけで、差別していたのです。

 私は、決めました。この学校の先生になることを。

そして、この子たちと勉強することを。

私は、とても素敵な学校の先生になれることに、うれしく思いました。

今日から、私の社会人として、先生としての第一歩を踏み出しました。

妖怪学校の生徒たちといっしょに、私も先生として、勉強して行こうと心に

誓いました。

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