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 夢を見ていた。


 はっきりと夢だと分かる、夢。明晰夢という奴だ。


 夢の中で、僕は木星になっていた。


 「彼」……と言っていいのか分からないが……にも、子供がいる。


 イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストと言った衛星たちだ。それらがガスやダストの塊だった時代から衛星に成長していくのを、僕は「彼」の視点から早送りで見ていた。


 だが、実は「彼」にはもう一人子供がいたのだ。それも現在最大の衛星であるガニメデを遥かに超える大きさの衛星になる予定だった。しかし……それは成長の過程で、バラバラに分解してしまった。木星の潮汐力に耐えられなかったのだ。そしてそれはそのまま木星と火星の間に分布する小惑星帯アステロイドベルトとなって、今に至っている。


 なんということだろう。


 まるで、自分のせいで目の前で娘を亡くした僕みたいだ。


 それ以来、「彼」は悲しみの感情に包まれていた。そしてそれは薄れてはいるものの、未だに完全に消えてはいないようだった。


 悲しみを紛らわすためなのか、例の巨大衛星が崩壊した直後、「彼」は次の事業を打ち出した。


 生命の種を、太陽系内にあまねく散布することだ。


 木星の大気にはメタンが含まれていて、さらに大気中には大規模な雷も発生している。その放電によりメタンから高分子のアミノ酸が生成されていた。それが、木星の大気をかすめて飛び去っていく隕石に付着し、太陽系にばらまかれたのだ。その内の幾つかは地球にも到着している。これが地球の生命の起源だったのだ。つまり、木星は地球の全ての生物の父親、まさにゼウスだった。生命の起源は宇宙からの隕石であるとするパンスペルミア説は正しかったのだ。


 だが、その事業が結果的に「彼」を新たな悲しみに導いた。


 木星大気で生成されたアミノ酸は、当然のことながら木星の大気上に浮遊する生物も産みだした。しかしそれらは早々と進化の袋小路に追いやられ、知的生命となることはなかった。それでも「彼」はそれらを見守り、慈しんでいた。


 ところが、地球時間で10年ほど前、とある小惑星が「彼」に衝突した際に、その生物たちの生存環境を致命的に破壊してしまったのだ。こうして木星のほとんどの生物が死に絶えることになった。


 しかし、量子情報理論によれば、全ての情報は消えることは無い。たとえ木星の現住生物たちが死滅したとしても、それらの情報は大気の中に残っている。それが例の木星表面に浮かんだ幾何学的パターンだった。木星の大気は、途方も無く巨大なデータ記憶装置ストレージでもあったのだ。ある意味、その生物たちは木星の一部となった、とも言える。


 そして。


 唐突に、娘の真彩が私の前に現れた。笑顔で私を見ている。彼女が私を呼ぶ声が聞こえる。お父さん、お父さん、と……


 そこで目が覚めた。


 眠りながら泣いていたのだろう。僕の両眼の周りが濡れていた。


 真彩が死んで1年ほどの間は、夢の中に彼女が頻繁に出てきた。だが、3年も経つと彼女が夢に出てくることはほとんどなくなっていた。それなのに……なぜ、今になって……


 そもそも、この夢は一体何だったのか。


 知的存在である木星の大気の精神が、僕の精神と共鳴した、とでもいうのだろうか。もちろんそれが正しいかどうか証明する術はない。だが……僕にはなぜか、僕が夢の中で見てきたことが全て真実である、という確信があった。だけど……だったら、なぜ最後に真彩が出てきたのだろう……


 その瞬間だった。


 僕の脳裏に閃きが走る。


 まさか。


 地球の大気も、同じなのか?


 真彩は死んだが、彼女の情報は消えていない。彼女を構成していた原子の一部は地球の大気に放出され、大気の中にその情報がバックアップされたのではないか? そして彼女は、地球の大気の一部となって、今でも存在している。木星の大気は、最後にそれを僕に伝えたかったのではないか?


 そう。


 人は死ぬと天に昇る、というのも、あながち迷信では無いのかもしれないのだ。


 木星の空も、地球の空も、常に刻々と表情を変えている。まるで生きているかのように。いや、それは本当に生きているのだ。過去に生きていた全ての人々、全ての生物と共に。


 涙が溢れて止まらなかった。


 正直、僕はこの木星を自分の墓場にしてしまってもいいと思っていた。いつどこで死んでもかまわなかったのだ。だが今の僕は、ここで死ぬわけにはいかなくなった。ここの大気には真彩はいない。彼女がいるのは地球の大気だ。だから僕は是が非でも地球に帰らなければならない。


 ベッドから飛び起き、僕はブリッジに向かった。


「アキ、最大出力で木星に電波を送る準備をしてくれ。変調モジュレーションはなしで、音声帯域をそのまま電波に変換し、僕の声を送る。いいか?」


「了解しました」アキは即答し、送信アンテナをできる限り伸張して超長波の電波を送れる状態にする。


「準備完了しました」


「ありがとう。それじゃ、今から僕が喋る内容をそのまま送信してくれ」僕はアキに伝えると、通信システムのマイクを取り、PTT(プッシュ・トゥ・トーク:送信ボタン)を押す。


『こんにちは』


 これでよし。まずはここからだ。別に英語で Hello とか言わなくても、僕が普段慣れ親しんでいる日本語の挨拶でいいだろう。あの夢が僕の妄想で無ければ、「彼」は僕の存在を認識しているはずだから、僕から信号が送られてきたとすれば、それに対して何らかのアクションを返すはず。それがいつ返ってくるかは分からない。だが、受信はアキに任せて人工冬眠していれば、少なくともあと20年くらいはここで返事を待つことは出来るはずだ。


---


 人工冬眠するまでも無かった。返答は地球時間で1日も経たずに送られてきたのだ。例によって時間軸方向に100倍に引き伸ばされてはいたが、それは間違いなく「こんにちは」だった。それも、僕の声とは似ても似つかない、歪んだ声だったが。


 こうして「彼」とのファーストコンタクトは成功した。後は全てアキがやってくれる。アキは粘り強く「彼」と会話を続け、いつかはコミュニケーションを確立するだろう。探査セクションを切り離して木星の周回軌道に残し、僕は「はやて」を地球に向けて出発させた。


 早く戻りたくて仕方なかった。真彩のいる、あの空の下に。それもこの冬眠カプセルに潜り込んで入眠スイッチを入れれば、一瞬だ。


 いつかは僕も、空に登ることになるのだろう。


 それまで父さんを空から見守っていてくれよ、真彩。

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