第7話 団欒


 温かいご飯、賑やかな食卓。

 団欒だんらん

 奈津子が求めていたものが、ここにはあった。


 これまでの生活では、夕食は決まって一人で済ませていた。

 放課後は塾に直行。帰宅するといつも9時を回っていた。

 両親は自室に戻っている。奈津子は一人、台所で用意された夕食を食べるのだった。

 早く食事を終え、風呂を済ませて部屋に戻りたかった。もたもたしていると、父がやって来るかもしれない。それは避けたかった。


 口を開けば成績のことばかり。下がっていれば厳しく問い詰められた。


 気持ちが入っていないからだ。

 お前には真剣さが足りない。

 もっと危機感を持て。


 うんざりするほど聞き飽きた言葉で責めて来る。その言葉ひとつひとつが、自分という存在そのものを否定されているように思えて来る。

 そう考えると、一人で冷えたご飯を食べている方がましだった。


 しかし家族で食卓を囲み、笑顔で過ごすひと時に憧れを持っていたのも事実だった。


 今、憧れていたものが目の前に広がっている。

 宗一も多恵子も自分の帰りを待っていて、一緒に夕食を始める。

 そんなありきたりの幸福がここにはあった。





「今日はちょっと遅かったね」


「ごめんね、おばあちゃん」


「違うわよ、責めてるんじゃないから。バスは30分に一本だし、一つ乗り遅れたらこうなるのも仕方ないからね。ただ暗くなるのも早くなってきてるし、少し心配なだけよ。学校が楽しいのなら、それはそれでおばあちゃん、嬉しいから」


「今日はね、亜希ちゃんの手伝いで、飼育小屋の掃除をしてたの。玲子ちゃんも一緒に」


「勝山さんと和泉さんちの娘さんかい?」


「うん、そう。おばあちゃん、知ってるんだ」


「ご近所さんだからね、昔からよく知ってるよ」


「ご近所さんって……ここからだと、バスに乗っても30分以上かかるよ」


「30分なんて近いわよ」


「……その感覚にはまだ慣れないな」


 そう言って奈津子が苦笑する。


「あの二人、相変わらず仲良しさんなんだね」


「うん。二人を見てるとね、仲良し姉妹みたいで面白いの。勿論、玲子ちゃんがお姉さんで」


「そんな感じよね、あの二人」


「おばあちゃん?」


「なっちゃん。亜希ちゃんもだけど、玲子ちゃんのこと、見守ってあげてね」


「見守ってって、どういうことかな。どっちかって言ったら、私の方が面倒をみてもらってるんだけど」


「あの子、昔はあんな落ち着いた子じゃなかったのよ。すごく気分屋さんで、それでいて泣き虫で。どっちかって言ったら、亜希ちゃんの方が面倒を見てるって感じだったの」


「そうなんだ。今の玲子ちゃんからは想像出来ないな」


「5年くらい前のことなんだけど、玲子ちゃんのお母さん、事故で亡くなって」


「え……」


 事故で母を失っている。今の自分の境遇と重ね、奈津子が言葉を詰まらせた。


「あの子の目の前で車にはねられて……あの時は本当に可愛そうだったわ」


「……そうだったんだ」


「あの頃からあの子、雰囲気が変わったの。泣き虫なのは変わらないけど、我儘わがままも言わなくなって。私も昔見たことがあるんだけど、気に入らないことがあるとあの子、よく癇癪かんしゃくを起こしてたの。あちこちの物に当たったりしてね。でもあの事故以来、そういうこともなくなって。

 人が変わったように大人っぽくなってね。そんなあの子を見て、私たちも何か力になってあげたいって思ってたの」


「私……そんなこと全然知らなかった。玲子ちゃんはクラス委員で、どんな時でも冷静な人。そんな風にしか思ってなかった」


「知らなかったんだから、それでいいと思うわよ。あの子にしたって、それでなっちゃんから気を使われるのも嫌だろうし」


「そんなことを言いながらばあさん、いらん話をしとるじゃないか」


 二人の会話を黙って聞いていた宗一が、お茶を一口含んで静かに言った。


「私はそんなつもりじゃ……でもそうね、お節介なことを言っちゃったかも。ごめんね」


 落ち込んだ様子でそう言った多恵子に、奈津子が慌ててフォローする。


「そういうことって、誰かに教えてもらわないと分からないことじゃない? 私だって玲子ちゃんたちのこと、根掘り葉掘り聞く訳にもいかないし。だから今の話、聞けてよかったと思ってるよ」


「なっちゃんにまで気を使わせて。駄目なおばあちゃんね」


「うはははははははっ。いらんことを口にする、ばあさんのごうってやつじゃな」


 重くなった空気を壊すように、宗一が豪快に笑った。


「とにかく、奈津子が楽しくやってるようで何よりじゃて。奈津子、勉強もええがな、子供らしく伸び伸び過ごすんじゃぞ。陽子や明弘くんだって、あの世でそう願っとる筈じゃ」


 父と母の名を出され、奈津子が微妙な笑顔を向けた。


「うん……ありがとう。おじいちゃん、おばあちゃん」





 部屋に戻り寝間着に着替える。

 玲子が言っていたように、来週は中間試験がある。

 両親の事故、引っ越し、転校と慌ただしかったこの半月は、流石に勉強どころではなかった。前の学校にいたなら、今回の試験は散々な結果だったに違いない。

 でもそれは言い訳にしかならない。環境を言い訳にするのは卑怯者だ、そう言った父の言葉を思い出す。


「確かに……卑怯になるのかな、その考えは」


 机に置かれた家族写真に目をやり、自嘲気味に笑う。


「でもそんな努力……今更必要なのかな。ね、お父さん」


 そう言って写真たてを指ではじき、椅子に座った。


 引き出しから部屋用のノートを出す。

 今日の授業で習ったことを、学校用のノートから書き写す。部屋で奈津子が最初にすることだ。記憶が新しい内にこの作業をすることで、自身の脳内に刻み込む。


「……え」


 部屋用のノートを開いた奈津子が声を漏らす。


「……何、これ……」


 ノートには自分ではない筆跡で、こう書かれていた。





「オマエヲズット ミテイルゾ」



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