第12話

早く役所を出たかったが、上下水道料金の減免手続きをするため3階の担当窓口に向かった。こちらは先程とは打って変わって対応が良く、左胸に名札を着けた細身のパンツスーツの若い女性の屈託のない笑顔がなぜか嬉しかった。減免の可否の基準が前年度の収入によると説明をしてくれ、手続きだけを済ませて窓口を去った。

早くこの建物から出たかった。

出口は2つあったが、僕は迷わず正面玄関の自動ドアに立った。

静かに開いた。

12月に震える手でハンカチを持っている前厄は世の中で僕しかいないだろうと思ったが、それに対しての怒りは全くなかった。


車の運転ができない僕は、いつも公共交通機関で移動している。

これが辛いと思ったことは1度もない。

この日も行きはJR,帰りは自治体運営のコミュニティバスに乗ると決めていた。

大体の発車時刻を頭に入れていたのは記憶力が優れているからではなくて、時刻表を眺めて乗り換えなんかを組み立てるのが唯一の趣味だったからだ。

定刻を13分ほど過ぎて、小型の青いバスが見えた。公募の結果選ばれたであろう町を代表する花の名前のついたそのバスは、丸みを帯びてそれは可愛らしい形態をしていて、ゆっくりと『町役場前』のバス停に滑り込んできた。

「遅過ぎん?」

バス停で一緒に待っていた歳の頃で言うと55くらいの方が右足で縁石を蹴りながら、おそらく初対面であろうもう1人の初老の女性に話しかけた。

僕は、何と返答するのだろうか、いや、作り笑いでスルーするのだろうか、と一応月並みな疑問を持ってみようかと考えていた矢先に、その初老の女性はジェスチャーを全く加えずこう言った。

それは非常に穏やかに聞こえた。

「ここは始発じゃないけんねぇ、こんなこともよくあるんよ、2番目でもなかったかな、あ、3番目でもなかったジャろうか、私、分からん、まあ、よう遅れるんよ、ごめんね」

55くらいの方はそれを聞き、

「あ…そう…知らんかったわ…」

と、大きな赤色の指輪を薬指に挿した右手でひきつった口元を覆ったが、ここでの隠せない手の震えは納得とは程遠い不条理な自信の裏返しに見えた。

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