ふたララEP 私の無力1

 可愛い私の娘に悪い菌がひっついた。


 私が開発した、娘の病気を治すための薬。だが、それは動物実験により失敗作である事が判明した。

 投薬したモルモットの体色が黒くなり、次いで灰色へ、最後は灰の様な物質に変わり風化してしまった。三日も経たない出来事だった。

 私は開発失敗の挫折感と、同時に『こんなものを娘に打たなくて良かった』と安堵しながら、実験に成功したときに娘に打つつもりで残していた薬瓶を廃棄場に置いてその場を去った。

 しかし、事件は起こった。

 私が捨てた薬瓶を、未使用のワクチンと勘違いした看護婦が持ち帰り、しかもそれを患者に打ってしまったらしい。


 破棄して一週間が過ぎた頃、発病した患者を見たとき。しかも、娘のいる病室で、そいつが娘と楽しそうに話をしているところを見た時はぁ!


 感情と思考が入り混じって落ちた意識の底で、その時だけ私の精神は崩壊した。


 あれっ……この症状おかしくね?

 どっかで見たぞこの症状。

 この前やった実験のモルモットのそれじゃん。

 えっ、なんでこの人が患ってんの?

 それよりなんで私の娘の病室に入り込んでんの?

 秘書よ、見張っていたんじゃないのか。

 あれっ、これって責任問題でヤバくね?

 あっ、でもこのままほっといたらこいつ消えてなくなんじゃね。

 いや、でも医者としてそりゃどうなのよ。

 証拠も消えてハッピーさいなら。

 いや、医者としての誇りがあるでしょうよ。

 こいつが他の病院に行ってみろ。一時的にでも大騒ぎになるかもしれない。

 その時、このご時世で変なウィルス説が流れて、患者がこの病院に来ていた事が判れば事だ。

 にしても娘と親しげに話していやがったあの男。どう始末してくれようか。


 ──話を最初に戻そう。

 悪い菌とは、そう、その薬品が打たれ発病した患者の事だ。


 ……我ながら、医者にして最低な思考だったとは思う。

 でも、それと可愛い娘の事は別だ。


 定期的な診察で呼び出すたびに、悪い菌は帰り際に娘の病室を訪れやがる。

 彼の集中的な治療に踏み切って入院させたが、野郎毎日娘に会いに来る様になりやがった。

 全面的に非がある手前、強気に言えない。とりあえず関係者以外面会謝絶として、ベッドから抜け出せないように入り口前に見張りを置いた。今日で一週間が経つが、どこまで効果があるか。

 さぁ、どうしたものか。


 院長室に戻ると、パソコンの上から顔を覗かせた秘書が会釈する。


「お疲れ様です。お顔の色すぐれない様ですが、どうなさいましたか」


「あぁ、少し詰めすぎてね。お茶を入れるが、君も一息入れてはどうかな?」


「恐縮です」


 娘と悪い菌、両方の治療法を模索することになった私は、その忙しさによって医院長としての仕事が手につかなくなってしまった。

 今では、本来なら私の仕事であるはずの全てを、腹心の秘書である彼女が『研究に専念してください』と言って担ってくれている。

 お茶を汲んであげるくらいしなければバチが当たる。


 ぬるいお茶が好きな彼女に人肌程度のお茶と取っておきのお菓子を差し出して、私もソファに腰を下ろして湯飲みをすする。


「娘の様子はどうだい」


「体調は良好です」


「菌はどうした?」


「えっ?」


「……娘に纏わりついてるあいつだよ。なんとか娘から引き離してやりたいんだがね」


「あぁ、たっちゃんですか」


「妙に親しげだな」


「あの子、私の友達の息子さんなんです」


 本当か、その話。


「良い子ですよ。看護婦や他の患者さんたちにも評判なんですから」


 まずいな。引き離す算段がしづらくなったぞ。


「わたしゃ心配だよ。調べたが、あいつの家柄は大したことの無い一般家庭だ。学歴もパッとしない。何をするか心配だよ」


「学歴と人柄は関係ありません。医院長は私の学歴ご存知です?」


 優秀な秘書の学歴は気にもしなかった。良いところを出ているに違いない。私は首を横に振る。


「大学出てないんですよ」


「まっさかぁ」


「本当ですよ。働き始めてからなんですよ。資格とか取ったりしたの」


 意外だった。事務も看護も全てこなし、その上学会に出てくるような医者とも話し合える医療知識を持ってる彼女も、私が菌として嫌っている奴と変わらないだなんて。


「そんなに心配でしたら、様子を見に行かれては?」


 秘書の提案を受け、私は部屋を出て、まずは菌のエゴサを始める。

 ステーションの看護婦たちに話を聞いてみた。


「Kさんですか? 面倒見が良いんですよあの人」


「あの人、おじいさん方にも人気よねぇ。気難しい方たちばかりで手を焼いてるのに。羨ましいわ」


「小児科の子どもたちにも人気よ」


「この前クッキー焼いて持っていってあげたら、もう美味しそうに食べちゃって。可愛いんですから〜」


「これ、彼に作ってみたんだけど、K・Tさんどこかしら」


「中庭に居るんじゃない?」


 なるほど、秘書が言っていた通り、あの男かなり評判が良い。

 他にも話を聞いてみたら、お年寄りや子どもの患者にまで奴のあだ名が知れ渡っていた。


 どうにか引き離す手段はないものか。

 廊下を歩いている時だった。


「うおっとぉ……」


 私としたことが、曲がり角で患者さんとぶつかってしまった。


「失礼しまし……」


 謝る口が詰まる。

 噂してれば影とでも言うのか。

 面会謝絶にして出歩けなくしてやったはずの奴が、そこにいた。


「お前、何処に行ってた」


「俺の勝手だ」


「入院してる以上はこちらの指示に従ってもらいたい」


「テメェが振り撒いたくせに良く言うぜ、ヤブが」


 評判とは真逆の奴の言葉遣いに、私の腹わたが熱くなる。悪びれなる素振りもなくその場を去っていく姿は、実に傲慢極まりない街のチンピラそのものだ。

 あんなのがどうして看護婦たちに評判がいいんだ……。

 とにかく、あいつの病室を別の場所へ移そう。見張りから連絡がないと言うことは窓から脱走しているに違いない。身体能力を使うほどあいつの体は消滅していくわけだから、最上階あたりにでも移してやれば脱走できないだろう。


あいつが出歩いていたと言うことは、おそらく娘に会ったはずだ。何か変なことをされていないだろうか。

速る心を表に出さないように、娘の病室に向かって、その扉を叩く。


「入るよ」


「お父さん……」


「今日はどうだい、調子は?」


「普通……さっきまで先生と勉強してたところ」


「そうかそうか」


家庭教師の先生がいたから退散したって事か。やはり彼がいてくれると心強い。


「勉強が終わったら何してるんだい?」


「……何も。たまに教科書眺めてるくらいかな」


「そうか。……少し暑いな。何か飲むかい?」


「ううん、まだあるから」


娘は、引き出しの上に置いてあるピッチャーに視線を送る。


「すっかり緩くなってるだろ。待ってなさい、お茶でも買ってこよう」


「あっ、待って」


ドアノブに手をかけようとした手が止まる。


「ねぇ、K・Tはどうしてる」


さっきまであいつをキサトから引き離す算段をしていた分、娘の口から奴のあだ名を聞くと心の中がモヤっとする。


「さぁね。看護婦の話だと元気にしてるようだよ」


「そっか……」


「その人がどうかしたのかい?」


「最近会いに来てくれないから、どうしたのかなって。……元気そうなら良いの。でも、少し寂しくて」


どう言う事だ。

娘に会っていたんじゃなかったのか。

娘も元気がないような感じがする。秘書の話だと、絵を描いているそうだったから、てっきり見せてくれるとばかり思ったけれど。


頭の中に浮かぶ疑問に、気のせいだという烙印を押しながら、私は自販機のジュースを両手に踵を返した。

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