一章(11)

 今日のアジトに昨日のような騒がしさはなかった。リュト達が村に来てから、そろそろ一週間が経とうとしている。

 初めて来た時は、空間の割に人が多く狭いと感じた食堂も、今は寂しく感じるぐらいに人が少ない。見回した限りでは、女性、子供、それから老人が殆どで、若い男たちはあまり見当たらない。


 「仕方ないわね……」

 厨房の方からスファラの声が聞こえ、リュトは聞き耳を立てる。

 「最近は井戸の水の出も悪くなっているし、近い内に教会に行かないといけないわ」

 「行っても何もしてくれないんでしょ?危険を冒してまで行くべきではないと思うの」

 「でも、このまま放っては置けないわ。もし水が無くなったら、私たちはここで暮らしていけなくなる。そしたらまた……」

 どうやら村の環境が日に日に悪くなっているらしい。村を見て回った時は、貧困に苦しんでいる様子は見られなかったが、ゆとりある生活とも言えない様子ではあった。その上生命線である水が出なくなれば、村の存続は絶望的だ。スファラは危険な砂の海を渡り、教会へと助けを求めに行くつもりのようだ。


 「そうね。何もせずにいるなんて、スファラちゃんらしくないわ。教会の人だって、一生懸命頼めば一つくらいお願いを聞いてくれるかもしれないわよね」

 「そうよね……」 

 「この村に神子様がいれば……。ごめんなさい、つまらないことを言ったわね」


 話が終わり、スファラが料理の盛られたプレートを持って厨房から出てきた。

 「お待たせ~。ご飯持って来たわよ」

 「わーい!」

 エルは目の前の料理に目を輝かせてはしゃいでいる。

 「わ~、すっごく美味しそう!」

 「美味しいわよ。さあ、いっぱい遊んだ分、いっぱい食べるのよ」

 「はーい。いただきます」

 エルは少し大きめのスプーンでスープをすくい、大きな口を開けて中へと入れた。口いっぱいに食べ物を頬張る姿は、小動物のような愛らしさがある。食べる姿を見られているのを気にもせず、エルは夢中になって夕食を平らげた。


 「お腹いっぱい……」

 エルが食後に「お腹いっぱい」と言うのはいつもの事だった。例えパン一切れでも、食べ終わった後は必ずそう言っていた。誰が見ても、そんな量で腹が膨れるなどありはしないと分かっているのに。それでも、満足げにそう言ったのだ。今はどうだ。申し分の無い量を、出来立ての温かい料理を食べた今は。同じ言葉でも、表情や声に混ざる幸福感はまるで違うように感じた。

 「そうだな。お兄ちゃんもお腹いっぱいだ」

 リュトが返す言葉も、いつもと同じだった。だが、こちらも以前のような上辺だけの言葉とは違い、真にそう思いでた言葉だった。食べかけのプレートから手を放し、エルの口まわりに付いていた汚れを袖で拭ってやる。エルは嬉しそうに微笑んでいたが、リュトの食べかけのプレートを見て、表情を変えた。


 「お兄ちゃん!お腹いっぱいなんて嘘ついちゃだめだよ!まだいっぱい残ってる。ちゃんと食べないと大きくなれないよ」

 まるで少女が母親の真似をするようなエルの行動に、リュトはあっけにとられてしまった。まだ幼いだけの妹だと思っていたのに、自分を叱ることもできるのかと。人助けを言い出した時も感じたが、エルは段々と大人へ成長している。そのことが悲しいと思うのは良くないことだと、頭では分かっているのだが、どうしても考えを改められない。今まで不自由ばかりさせてきた妹を、今度はできる限りのことをして幸せにしてあげようと思った矢先だ。独り立ちをされてしまっては、それが叶わなく手ってしまう。しかし、エルがそれを望んでいないとしたら、それはただのエゴだ。


 「もしかして……、お兄ちゃん、お野菜が苦手なの?」

 黙ったままのリュトに、プレートを眺めていたエルはその答えに思い至ったらしい。確かに、リュトのプレートには緑の野菜が多く残されていた。決してリュトが野菜が苦手だと言う訳ではないのだが、右端から食べ進めていたリュトに対して、たまたま料理の並び順がそうだったせいで、エルに誤解されてしまったらしい。向かいからスファラの笑い声が聞こえる。誤解を解こうと、リュトは残っていた野菜の一つを口に入れ、よく噛んでから飲み込んだ。

 「野菜は大好きだよ。お兄ちゃんは好きなものを最後に食べるようにしているんだ」

 「そっか。じゃあ、ゆっくり味わって食べてね」

 「ここの食事は野菜料理がほとんどだから、嫌いじゃなくて良かったわ」

 スファラは堪え切れずクスクスと笑いを漏らしながら、目に溜まった涙を指で払った。


 腹が膨れたからか、眠い様子のエルがうとうとと舟をこぎ始める。

 「エルちゃん、そろそろお休みしよっか」

 隣からスファラが優しく声をかける。うん、とエルは眠気眼を擦りながら立ち上がると、スファラに手を引かれて食堂を後にした。

 残されたリュトは、プレートの料理を黙々と口に入れる。たとえ腹が減っていなくても、食材を無駄にすることはしたくなかった。

 先ほどエルとスファラがいた時は気にならなかった周囲の視線が、今は気が付かなかったのが不思議なくらい良く分かる。そのほとんどが、自分を好ましく思っていないものであることも容易に詮索できた。

 ひそひそと話す声に心乱されるリュトではないが、エルのことを考えると気にせずにはいられなかった。

 かと言って、噂の根源は今更どうにかできる内容でもない。リュトの存在そのものが、この村の人々にとって恐れるべきものなのだ。

 世界を地獄に変えた皇族の生き残り。それがこの村の、ひいては世界のリュトへの評価であろう。

 咎人の象徴である、鮮やかな深紅の髪と血濡れたような赤い瞳は、そのことを残酷なまでにはっきりと、人々に知らしめた。


 リュトは料理を食べ終え、スファラに言われた通りに厨房のカウンターへと、プレートを下げに行った。下げると同時に、小声だが料理人に一言感謝を伝える。

 返事など全く期待していなかったリュトは、そのまま食堂を出て行こうとしていたのだが、意外にも厨房から料理人が顔を出す。

 料理人は長い髪の女性だった。リュトを見て、ほんの少しの間だけ目を開き驚いていたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべ、リュトのすぐ傍まで寄って来た。

 「私の料理を褒めてくれてありがとう。感謝が伝えられるなんて偉いわ。とてもいい子なのね」

 柔らかい口調におっとりとした雰囲気の容姿が相まって、場に緩やかな時が流れる。リュトの方も初めて会うタイプの人に戸惑い、いつもより強く構えられずにいた。


 リュトはこの声に聞き覚えがあった。先ほどスファラと話していた者の声だ。

 何も言わないリュトに変わって、料理人が話出す。

 「あら、私ったら自己紹介も無しに、ごめんなさい。私はルーシャ、村で料理人をしているの」

 ルーシャと言えば、スファラが贔屓にしている中央通りの店の店主だ。そしてヴォルガンの妻。

 「あなたのお名前は、リュトさんであっているかしら?」

 リュトは、ああ、と短く答えた。

 「そう、あなたが……。その節は夫がお世話になりました。元気な夫に会えたのは、あなたのおかげです」

 「スファラも、リュトさんのことを気に入っているようなの。長旅でお疲れでしょう?どうぞ、村でゆっくりしていってくださいね。ぜひ、お店にも顔を出してもらえたら嬉しいわ。恩人のリュトさんには沢山サービスしますよ」

 人助けの善行が報われるとは、リュトは初めてそう思った。

 そもそも人助けなど数える程しかしたことが無く、また、すべてにおいて特に見返りもなく、さらには自らの足を引っ張ることさえあった。そのため元から期待などしていなかったのだが、利を産んだことで考えが変わったのか。

 今はヴォルガン達を助けてよかったと感じている。リュトは自らの心の変化に戸惑いを覚えたが、それを悟られぬよう逃げるように食堂を後にした。


 自室に戻っても、リュトの心は落ち着かなかった。この町に来てからというもの、リュトの心はこの上なく不安定であった。

 以前ならば毛ほども思わなかった他者からの視線や評価が、再度思い出すほど気に留めてしまうのだ。

 先ほどのことだって、まだ胸のざわつきが収まらない。この感情は一体何なのだろうか。考えたところで答えはでない。

 もとより、リュトに多くの感情はなかった。次期皇帝として育てられたリュトは、物心つく前から精神をコントロールする術を学んでいた。

 そのことが感情が希薄である理由として、最もそれらしい要因と言えよう。

 何事にも動じない精神を得る為に、リュトは感情を犠牲にしたのだ。


 皇族の公開処刑が行われた日、リュトは初めて怒りを覚えた。それから、心のバランスをとるかのように、たった一人の妹に対しての愛情を知った。

 いま自分の胸の内にある感情は、怒りでも愛情でも無いことはリュトにも分かっていた。人に聞こうにも、具体的な言葉で表すことができない。

 だからこそ、この得体のしれないモヤに思考が乱れててしまうのだ。

 だが、そんなリュトにも、確かに一つ分かっていることがある。エルが幸せに暮らしていけることが、自分にとって一番の幸せだということだ。

 同胞を裏切ったあの日、リュトは世界に復讐するのを辞めた。滅びた帝国の復興を夢見た者たちと共に、次期皇帝としてのリュトは死に、ただの男になった。

 だからかもしれない。新しい人生を生きるリュトは、もう無理に感情をコントロールする必要は無いのだ。この戸惑いはきっと、人生のほとんどを費やした次期皇帝の仮面が壊れ初めてきた証なのだろう。


 リュトはコップ一杯の水を飲む。寝る前に行う以前回らの習慣だ。

 冷たい水が内側から体を冷やし、疲れて重たくなった体をスッと軽くしてくれる。

 リュトはその心地よい調子のまま、ベットへと横になり瞼を閉じる。

 明日もまた今日と同じ朝を迎えるのだろか。少し前と比べれば、だいぶいい暮らしができそうだ。

 しかし、十数年前と比べると、生活の質はかなり悪い。

 今もなお、この地は刻一刻と滅びへ向かっている。

 このまま村にいれば、エルは幸せになれるのだろうか。今日村を見た限りでは、リュトはそう思えなかった。

 だからと言って、どうすればいいかも分からない。

 行き詰った思考がゆっくりと微睡に沈んでいく。

 リュトはそのまま眠りについた。

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