一章(5)異形

 若い男を後にし少しばかり歩けば、すぐに集団の最後方に立つ人の姿が見えてくる。

 リュトが様子を伺いつつ近づいていくと、相手はこちらを向いて立っていた。

 きっと若い男の悲鳴が聞こえていたのだろう。視界の悪い砂塵の中では、音が重要な情報源になる。悲鳴が聞こえれば、そちらを警戒するのは当然のことだ。

 また一悶着ありそうな雰囲気に面倒臭さを感じていると、リュトは違和感を覚え足を止めた。

 まだ距離があるのに、相手の顔が何となく見える。それと砂風の勢いが急に弱くなった様に思えた。

 リュトは辺りを見回すと、ここ一帯の地形が少し窪んでいることが分かった。高い丘に囲まれた盆地のような空間は風の影響を受けにくく、上を流れる砂風の一部がゆっくりと舞い落ちている。大気中の砂が完全になくなた訳ではないが、風がないだけで視界はかなり良くなった。


 「ここは元々は山岳地帯だったんだが、御覧の通り砂に埋もれこのありさまよ」

 待ち構えていたのは中年の男だった。場に似合わなく緊張感のない声で世間話を始める男を、リュトは静かに観察する。


 男の髪は短く薄茶色をしていた。両側のもみあげを狩り上げ、前髪は上にかき揚げバンダナで止めている。少しワイルドな風貌だが、おどけた表情や仕草のせいか威圧感は感じない。

 平野の旅人の様な装いに鉄の胸板がついただけの簡素な作りの装備は、防御面では心元ないが、動きやすそうではある。袖が捲られ剥き出しの腕は、細身でありながらも、しっかりと筋肉がついていた。


 「おたくは見ない顔だけど、観光か何かい?だったら他を当たった方がいいぜ。ここはちっとばかし、スリルがあり過ぎるからよ。おすすめはエストボールって言う村なんだが、おたく知ってる?」

 敵か味方かも分からない相手によく普通に話かけるものだと、リュトは呆れを通り越して関心した。

 普段の自分であれば、意に沿わない会話など煩いだけだと不快に感じていたが、今はありがたく思える。

 会話ができない方がずっと困ると、先ほど思い知ったばかりだからだ。


 「俺たちのやり取りは聞こえていただろう」

 リュトは男の質問には答えずに、本題に入った。

 「そりゃこの距離だ。大体は聞こえてたぜ。それと自己紹介な。俺はロッシュ。おたくらの名前、教えてくれよ」

 先ほどの若い男との話が聞こえていたのであれば、ロッシュは自分が危機的状況であると思うのが普通だ。

 だが、ロッシュは変わらずマイペースに会話を続けている。その態度に少し違和感を感じるが、今はどうでもいい。


 「神子とは何だ」

 「今それを話してる場合か?もっと大事なことがあるんじゃ……ねぇの?」

 だらだらと無駄な話を続けたがるロッシュに痺れを切らしたリュトが、その喉元に剣を突き付ける。

 「さっさと答えろ」

 先ほどの若い男同様、ロッシュもまた、リュトの質問になかなか答えてくれそうにない。

 散々答えを焦らされ、リュトはもう我慢の限界だった。

 まだあと何人かいる。

 見せしめに一人、殺してしまおうか。

 リュトがそう考え始めたところで。 


 「んじゃ、答えるのに条件出させてもらっていいか?」

 やや引きつった笑みを浮かべたロッシが、リュトに提案を持ちかけてきた。

 以前であれば容赦なく切り捨てる場面であったが、何しろこの状況下での提案だ。

 ロッシの度胸ある行為を面白く思ったリュトは、しばらく様子を見ることに決める。

 「仲間を救ってくれ。おたくらはその為にここまで来たんだろ?だったら頼む。知ってることは全部教えるからよ。今は時間がねぇんだ……」

 その為にここへ来た、という言葉に笑いが込み上げてくる。


 確かにその通りだった。

 可愛い妹の願いを叶える為に、ここへと足を運んだ。

 しかし、いくら動機がそれだけだとしても、その対価が問いに答えるだけであっては、あまりにも割に合わない。

 命とはそんなに軽いものだっただろうか。


 リュトは笑いを飲み込み、口を開いた。

 「その条件に一つ付け加えさせろ」

 「俺にできることなら何でもやるぜ」

 何でもと言う言葉を、簡単に口にするあたりが信用できないところだが、今回はそれを聞き流した。

 「村に案内しろ。そして道中は砂避けになれ。村に付いたら寝床と食事を用意しろ。これが守られなければお前ら全員を殺す。いいな?」

 「おたく、一つって言わなかったか?……まあ、わかった。その条件で頼む」

 ロシュが返事をしたところで、リュトは敵意を鎮めた。

 「さっさと終わらせるぞ」

 リュトは剣を引き、鞘に納めた。

 解放されたロッシュは、すぐさま仲間の元へと駆けて行った。


 「お頭!助っ人が来たぞ!!神子様と用心棒だ」

 ロッシュが、今しがた異形に強烈な一撃を見舞ったばかりの男に向かって叫んだ。

 「神子様だと?」

 大柄の男は異形から距離を取り、リュトの方を見た。

 「俺たちの祈りが女神さまに通じたんだ!神子様が助けに来てくださったんだよ!」

 「そりゃ有難いことだ。んで、そっちの赤毛の兄さんが、神子様の用心棒か?」

 リュトは最前線にいる大柄の男のすぐ傍まで歩いて行く。

 ぎっしりと厚い筋肉に覆われた体は、それだけで武器になり得る程に逞しく硬質的だ。

 両の拳には革製であろうグローブが着けられている。

 異形を前に堂々と立ち、不測の事態にも冷静に対応できている。

 他者を率いる者としての風格があり、落ち着いた雰囲気の男だった。


 「無駄話は聞き飽きた。あんたらが死にかけてるのは、アレのせいか」

 「ああ。あの化け物のせいだ。一、二体なら問題なかったんだが、今回はやけに数が多くてな」

 二体の異形が横倒しに倒れているが、それらは死んでいるようだ。

 残っているのはあと五体。

 「お前さん、こんな所を旅してるんだ問題ないとは思うが、異形との戦闘経験は?」

 「その質問が面倒だと言っているんだが」

 「ははっ、そうだったな。俺はヴォルガンだ。よろしく頼む」

 リュトは今日何度目かの溜息を吐いた。


 「さて、どれからいくか」

 ヴォルガンが五体の異形を順に見る。

 目測で状況を把握し、有利に戦える相手を選んでいるようだ。

 だが、それに付き合ってやれるほど、リュトはお人よしではなかった。

 ヴォルガンの考えなどお構いなしに一人前に出る。

 「左側三体は俺がやる。残りはお前らが何とかしろ」

 剣を鞘から抜き、魔力を込める。

 「やっぱり神子様の力は偉大だな」

 ヴォルガンが感心したように呟いた。

 異形と戦うのはリュトのはずだが、何故ヴォルガンはエルが戦っている様な口ぶりをしている。


 神子とはいったい何なのだろうか。

 ヴォルガン達はエルを神子だと言った。

 異形を倒すと宣言したリュトに対しても、エルの……神子の力だと言った。

 そして彼らは、神子の力を完全に信用している。

 神子とは、それほどまでに絶対的な存在なのだろうか。エルはそんな偶像の存在ではない。


 剣に魔力が定着し、刃が赤い輝きを放つ。

 戦闘の準備が整った。

 リュトは砂漠を一気に駆け出した。

 「おい!お前さん一人で行く気じゃ――」

 ヴォルガンの制止も聞かずに、リュトは異形の群れへと切り込んだ。

 まずは左端の異形に一撃を入れる。

 八本ある脚のうち、右側の後ろ脚を二本を切り落とした。

 異形は奇声を上げながら、体をバタつかせ長く伸びた尾を振るう。

 それを異形の腹の下に入ってそれをかわし、通り抜けざまに左足の前二も切り落とした。

 異形の正面に立つと、今度は鎌での攻撃が来た。

 それを後ろに飛び退き、難なく避ける。

 足の数が半分になったせいか、バランスを崩した異形は体の動きに耐えられず前のめりに倒れた。

 このチャンスを見逃す手は無い。

 リュトは神経を研ぎ澄まし、異形の体の最も魔力が濃い場所を見極めると、一太刀で異形の尾を切断した。

 甲高い悲鳴と共に異形は絶命する。


 一息つきたいところだが、そうも言っていられない。

 二体の異形が逃げ道を塞ぐように、両サイドからリュトを取り囲んだ。

 右側の異形がリュトをめがけて尾を振り下ろした。

 尾の先端にある丸い球体が、口を開けて襲いかかって来た。

 リュトがそれを左にかわすと、今度は左側の異形が鎌を振り下ろし追撃をする。

 それを今度は後ろに避け、二体の異形と距離を取った。

 開いた距離を利用して、右側の異形が再び尾での攻撃を繰り出す。

 今度はあまり距離を取り過ぎないように、ギリギリの位置で交わし、リュトは砂に刺さるその尾に飛び乗った。

 そのまま尾の球体を伝い異形の背に飛び乗ると、先ほどの攻撃からまだ立て直せていない異形の背中はがら空きだった。

 その隙に、尾を根元から切断し絶命させる。


 リュトの相手は残り一体となった。

 ヴォルガンらへと割り当てた異形はどうなっているのだろうか。

 リュトは少し離れた場所で戦うヴォルガン達の様子を窺う。

 一体はもう討伐できたのだろう。

 四人で残る一体の異形を取り囲んでいた。

 「それなりに使える奴らだったか」

 リュトは目の前の一体に集中する。

 仲間を屠られた怒りでか、興奮した異形の動きは先ほどよりも荒れているようだ。

 無策に鎌を振り回す異形から距離を取れば、尾で追撃をしてくる。

 警戒されているせいで、先ほどのような不意を突いた攻撃をするのは難しいだろう。


 であれば残る手は一つーー魔法だ。

 リュトは異形から大きく距離を取った。

 左手に魔力を集め、異形を貫く大きな槍をイメージする。

 大気中の魔力を自身に取り込み、魔力の充填速度を速めると同時に、取り込んだ魔力を自身の血に溶かし魔法の威力と強度を高める。

 使用条件が整い、リュトは左手を前に構えた。

 目標の異形へと狙いを定め、集めた魔力を一気に解き放つ。

 放たれた赤い光は空へと上り、異形の遥か上で弾け赤い光の波紋となり広がった。

 波紋を追うように、円の中心から外へ向かって幾何学的な文様が描かれていく。


 あれは魔法陣だ。空で赤い光を放つ魔法陣が、周辺の魔力を集め、黒い槍を生成していく。

 槍の切っ先が、リュトと交戦中の異形へと静かに狙いをつけた。そして解き放たれた槍は、寸分の狂いもなく異形の心臓を貫いた。

 生命の核である心臓を貫かれれば、異形と言えど再生の望みは無い。

 異形は声を上げる間もなく息絶えていた。

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