第10話 彼女が来た理由(後編)

「⋯⋯お前、もしかして身体の感覚、もう無いんじゃないのか?」


 だから俺にやらせようとした。

 自分の感覚が信じられないから。

 何かミスして大きく未来が変わることを恐れたから。


「これで過去が変わったらお前、消えちまうんじゃないのか?」


 SFでもよくあることだ。

 過去を変えることによって、その人の存在自体が無くなってしまうこと。

 その前兆として感覚が無くなっていくんだろう。


 考えてみれば、予兆はあったんだ。


 昨日、コーヒーを溢したのもそうだ。

 湯気が立つ程のコーヒーが身体にかかっても動じなかったのもそうだ。

 彼女は昨日から身体を満足に動かせていないんだ。

 そしてその原因は、この写真が、透けている少女が物語っていた。


「どうしてそこまでして俺を、カコを救おうとしてくれるんだ? 俺とお前の関係は何なんだ? 何で――」

「⋯⋯⋯⋯」

「何でお前は何にも答えてくれないんだよ⋯⋯」


 鬱憤を吐き出した俺をミクはじっと表情を変えずに見る。

 そしてやがて彼女はふぅと観念したようにため息を吐くと、俺に向かって優しく微笑んだ。


「ずっと言ってるはずだよ。君の後悔を無くすためだって」

「だから、それがどうして――」

「君に幸せになってほしいから」

「⋯⋯え?」


 ぽつりと呟いた言葉に俺は思わず目を丸くし聞き返した。


「君の推測の通り、私は未来の君と縁があるんだ。

 私の本名は『蝶野ミク』。これだけ言えばわかるでしょ?」


 彼女の本名を聞いて絶句する。『蝶野』という姓はまさしく俺の姓と一緒。


「つまりお前と俺は⋯⋯」

「そう。血縁さ。血が繋がっているんだ」


 血縁と聞いて俺は何故だかすごくしっくり来た。

 確かにミクは俺とどこか似ている気がした。

 様相が変わっても根本的なところでどこか俺と繋がっているような、そんな気が。


「未来の君は本当に優しかった。

 けれど君はどんな時でも虚ろな目で世界を見ていて、時々ものすごく苦しそうな顔をしたんだ」

「――――」

「『どうしてそんな顔してるの?』って聞くと決まってこう言うんだ。

 『大切な人を救えなかった。救おうとしてとんでもないことをしてしまった。後悔は増えるばかり。俺の人生には後悔しかないんだ』って。

 これだってそうだよ」


 そう言って取り出したのは蝶の形をした機械――時間転移装置だった。


「俺が発明したのか⋯⋯?」

「そう。君は未来では数百年に一人の天才。ダ・ヴィンチの再来。アインシュタインの生まれ変わりと呼ばれる程、優秀な人間になっていた。

 物理学、生物学でその能力を発揮して、記憶共有技術、安全なクローンの大量精製の方法、そして時間転移装置の発明。

 言えば、キリがない程、数々の発明・研究をしてきた」


 ミクの話を聞いて、俺は目を丸くする。

 まさか未来の俺が時間転移装置を開発する程優秀になっていたとは夢にも思わなかったからだ。

 いや、でもそれほどカコを死なせたことに後悔していたのだろう。

 その執念でその全ての研究をしたのなら納得してしまう。

 おそらくカコを救うため、カコともう一度会うためにこれらの研究をしてきたはずだ。


「でも君はこれら全ての研究に『後悔しかない』と言っていた。

 『何故?』と聞くと決まって私をじっと見て泣きそうな顔で、枯れた眼でじっと見てくるんだ。でも私にも一つだけ知ってるんだ」

「――――」

「未来の君が作った発明は兵器としても優秀だったんだって⋯⋯」


 そして、ミクが語るのは未来の世界の、残酷な現実の話だった。

 俺が造ったものは武力にも利用価値があった。

 その研究を、発明を、俺の意図しない方向で応用され利用され、そして世界大戦が勃発する寸前にまでなったそうだ。

 その過程で多くの人を犠牲にして、不幸せにして。


「そして、君は私の目の前で――」


 悔しそうな、泣きそうな顔をするミクを見て俺は察した。

 おそらく、ミクが説明してくれたこと以外にも、未来の俺には後悔があったのだろう。

 そして、その後悔を無くそうとして、別の後悔を産み出し、そしてまたそれを無くそうとして――。


 そうして悪循環に陥った未来の俺は自らの手でその命を絶ったんだ。後悔に全てを呑まれ、その全てに責任と哀しみを背負って。


「『どんな手を使っても過去を変えられない。後悔は消えない』

 それが君の最期の言葉だよ」


 過去を変えられない。

 カコを救えない。

 後悔は消せない。


 その絶望に満ちた未来の俺の最期の言葉を聞いて、俺は震える唇を必死に押させて、声を響かせる。


「じゃあ俺達が今していることも結局は無意味になるのか?」


 未来の俺が必死に探し求めた救いの道は見つからなかった。

 今の俺と違って、優秀な未来の俺が、だ。

 ならば、この時間旅行をしても、カコは救えないのではないか、と。

 後悔は消せないのでは、と。そう考えるのは当然のことだ。


「いいや、違う」


 だが、ミクは俺のその質問にはっきりと否定する。


「この旅は絶対に無意味なんかじゃない。未来の君が幼馴染を助けられなかった理由は二つあるんだ」

「二つ?」

「一つは『君』に会えないこと」


 確か前に言っていた制約の話だ。

 自分自身には会ってはならない。

 けれど、カコを救うためには今の俺の力がどうしても必要らしい。

 それを避けては後悔はなくならない。未来の俺には不可能な方法だ。

 そして――、


「二つ目が人間の時間では圧倒的に足りないってことだよ」

「――――」

「君の幼馴染みを助けるには、ほんのちょっとのズレを大量に修正しなきゃいけないんだ。

 君もこれまでの旅で身をもってわかっていると思う」


 この約一年。

 確かに俺達は様々な時代の様々な場所に赴き、色々な事象を変更してきた。

 それは石を少し動かすことから戦の火種を消すことまで。本当に様々なことだ。


「そして修正する順番も重要で、その組み合わせを試すには人間の時間じゃあまりに足らなすぎる」

「じゃあ⋯⋯お前はどうやって?」


 ミクはどこか自虐的に微笑むと、弱々しく震える手でウィッグを掴み脱いだ。

 そして現れたのは黒のベリーショートの髪型。

 そしてウィッグで隠れて見えなかった首筋には


『392781639』


という数字が小さく印字されていた。


「私はクローンなんだ。

 君が作った記憶共有技術によってオリジナルの蝶野ミクとほぼ同じ人間になっているけどね」


 クローン。

 つまり大量の自分を生み出すことによって人間の限界を遥かに超越する長い時間を作り出し、膨大な組み合わせを、トライアンドエラーを繰り返したのだ。


「幸いにもほんの少し事象をずらしただけで世界線が変わるのか、時間旅行の際に複数の私には出会うことはなかったけどね」


とミクは捕捉した。

 だけれど――。俺は更に顔を歪ませてミクに向かって口を開く。


「大量っていったいどれだけなんだ?」


 印字に書かれている数字でどのくらいかわかるが、けれど聞かずにはいられなかった。聞かなきゃいけない。


「およそ四億体」


 やっぱり。


「それだけの試行回数と時間が必要だったんだ」


 そんな途方もない旅をずっとして来たんだ。彼女は。

 だけれど、ミクは本当に嬉しそうで、達成感のある顔をしている。


「そしてやっと今回で成功の道が見えた。

 成功の鍵はやはり今の君だった。今の君に会うことだったんだ!」


 約四億回の試行の末、その全てを一人で行い、失敗したミク。

 その全ての失敗を検証した結果、成功するには今の俺が必要だった。

 そして今回俺と一緒に行動し、やっと、漸く、ここまで、寸前まで、来れたのだ。


「君の後悔は、私が消えることで初めて達成される。

 その予兆が来たことを私は本当に嬉しく思うんだ」


 消え入りそうな腕を前に出してそう言う彼女は本当に美しく朗らかに笑っていた。


「そうまでして何で⋯⋯」


 俺は顔を顰めてそう聞く。

 自分が消えることが前提の旅を何でしたのか。自分を犠牲にして何で俺を助けてくれるのか。

 俺なんかほっておけばいいじゃないか。

 俺なんか助けないで、自分の幸せを見つけろよ。


「そんなの決まっている」


 だけどミクは優しい笑みで、その震える手で俺の頬を触れた。


「君が大切だから」

「――――」

「未来の君を――『君』を愛しているから」

「――――」


「未来の君と今の君。根本はそっくりだ。私が好きな君と同じだ。

 だから君のことなら何だってしたい。君がしたいことは何だって手伝いたい。

 君を救えるなら何だって犠牲にする。それほど私は君を愛しているんだ。優しい君を。

 いつだって私の味方でいてくれる君を。私が寄り添っても嫌な顔を見せないで応じてくれる君を」


 だから彼女は繰り返したんだ。

 無限に近い組み合わせの中でたった一つの可能性を求めて。

 俺を救う方法を。

 俺が幸せになる道を。

 俺の代わりに。俺のために――。


「君に幸せになってほしい。私の願いはただそれだけなの。だから――」

「⋯⋯わかった」


 俺はゆっくりと顔を上げて、ミクを見つめた。

 それがミクの願いなら、そこまでして俺を助けてくれる君がそう言うなら。

 彼女の途方もない努力を無駄にしないためにも。俺は答えよう。受け入れよう。


「わかったよ」

「辛いことをさせてごめんね。そしてありがとう」


 俺はミクの近くにある螺子の位置を少しずらした。

 ほんのちょっと。

 それだけで世界は大きく変わる。その効果は――。


「――ミク⋯⋯」


 ミクの身体は次第に薄くなっていく。

 存在が希薄になっていく。

 なのに、ミクは幸せそうな微笑みを俺に見せる。

 最後の役目を終わらせ、俺の幸せを願って。


「最後のお願い。――君の幼馴染の手、ちゃんと掴んで離さないでくれ。それで全部なくなる。君は幸せになれるんだ」


 あぁ、約束するよ。お前が願うんだ。俺は幸せになってやるよ。


「じゃあね。――⋯⋯」


 そう囁きミクは消えていき――俺の意識も遠のいていった。

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