第9話 彼女が来た理由(前編)

 ――コンコン


「入るぞー」


 コーヒーを拭い終わった俺はそのままスウェットを持って、風呂場に行った。入る時は事故を防ぐため、ノックすることが重要だ。

 掛け声と共に扉を開けると、シャワーの音が聞こえてくる。


「お? 君か? もしかして一緒に入るつもりか?」

「馬鹿言え。誰が入るか。スウェットを持ってきたんだよ」


 ミクの揶揄いに冷静に突っ込むと、自分の用件を手短に伝える。

 こういうのも事故を防ぐ秘訣だ。

 まぁ何故か俺はミクに対して恥ずかしさとか感じたのは最初の一回目――信号点検のおっさんの時――だけ。

 それ以降は不思議とミクに対しては何も感じなくなった。


「おぉーありがとう。助かるよ。正直、着替えをどうしようか考えていたところなんだ」

「適当に置いておくなぁ」

「はーい」


 そうやってスウェットを脱衣所の適当な場所に置くと、


「あ⋯⋯」


 ミクの脱ぎ散らかした服が目に見えた。

 ついでにこれも洗濯してしまおう。

 ――ってかあいつ、と俺は茶色い繊維だらけの物体を掴むと、


「ウィッグだったのか⋯⋯」

「何か言ったー?」

「何でもない」


 急いで元あった場所に戻すと、俺はミクの脱いだ服を洗濯機に入れ始める。


「――ん?」


 すると、ミクのジーンズのポケットから何かが落ちた。ひらひらとゆっくりと落ちるそれは紙のようなもので、


「なんだこれ? 写真?」


 拾うと写真特有の滑らかさ。

 落ちた時、裏面しか見えなかったから、俺は無意識的にそれを表に返してしまった。

 だが、それは見てはいけないものだったかもしれない。


「これは⋯⋯!?」


 俺は目を丸くして小さく叫んだ。

 その叫びに反応して、


「なんかあったー?」


とミクが風呂場で俺に声を掛けた。

 俺は慌てて、写真を自分のズボンのポケットに入れた。


「い、いや何でもない!」


 それから急いで洗濯機の中に洗剤を入れ、蓋を閉め、スイッチを押し、


「あ、洗濯機回しておくから! じゃあ俺は行くな!」

「え? あ――――」


 ミクが何か言いかけたような気がするが、俺は無視し、急いで脱衣所を出て、扉を閉めた。

 そして写真を取り出しもう一度眺めて、俺は顔を歪ませ片手で頭を抱えた。


「――なんだよ、これ?」


 暗い廊下で、扉越しに聞こえるシャワーの音が切なく鳴いていた。


★★★


 翌日。


「ねぇ、君、こっちに来て、その螺子、少しこっちにずらしてくれない?」


 俺達は朝早く、すぐに別の時代の別の場所に飛んだ。ミク曰く、最後の時間旅行だ。


 時代は今から五年前の深夜。

 場所は――見える限りでは――どこかの工場の中だ。色んな機械が厳かに設置され、数々の道具や部品が無機質に置かれていた。


「⋯⋯何でだ?」


 俺は不機嫌を隠さずにミクにそう聞いた。

 そんな俺の様子を気付いていないのか、敢えて無視しているのか、ミクはいつものように冷静な雰囲気で、


「ここは自動車の部品を造る工場。あの日、君の幼馴染を轢いた車、壊れていたって警察の人が言っていたでしょ?」


と自分の近くにある螺子を目で指す。


「それはこの螺子が原因なんだ。

 この螺子が微妙にズレていたせいで、誰かの手に当たって落ちて少し欠けてしまうんだ。

 それに気付かずその螺子をとある部品に使ったことで、自動車を造る過程で不具合が起き、故障したみたい。

 しかも自動車整備士が気付かない程の微妙で致命的なね」


 腕を組み一歩も動かないで、ここでの出来事がどうあの事故に影響するのかを答えるミク。


「⋯⋯どうして俺がやらなくちゃいけないんだ?」

「これは君がやった方が良いからだよ」

「⋯⋯⋯⋯何でだ」

「⋯⋯⋯⋯」


 そして、そう問い詰めると黙ってしまう。


「答えられないなら、俺がやる必要はないな」

「⋯⋯幼馴染を救いたくないの?」

「そりゃあ出来ることなら助けたいさ。俺が出来ることなら何でもするつもりだよ」


 怪訝な表情をする彼女に俺は当然の答えを言う。それくらいの覚悟はあるさ。あったさ。

 俺の答えを聞くと安堵したような表情をして、ミクは口を開く。


「だったら君は私の頼みを聞くべきだよ。これが最後なんだよ?」

「やりたくないな」

「どうしてよ。この螺子をほんの少し横にずらすだけ――」

「――やらないって言ってるんだ!」


 暗い工場で俺の叫びが木霊する。


「どうしてやらなくちゃいけないんだ? 何で俺にやらせようとするんだ? たかが螺子一本で何で過去が変わるんだよ?

 これを動かして過去が変わったら――お前はどうなるんだよ⋯⋯!?」


 堰を切ったように捲し立てる。

 我慢の限界だった。

 核心に触れず、重要なことはほとんど伝えず、伝えたとしても遅すぎる。

 隠しごとが多い彼女に――それでも俺は別に良いと思っていたんだ。


 今までは。


 俺はたぶん怖い顔をしていたと思う。

 怖い顔をして、ミクのところに近づいて、ポケットから昨日拾った写真を取り出した。

 その写真には白衣を着た男性と十歳くらいの黒髪の少女が写っていた。


「この写真に写っている男って未来の俺だろ? そしてこっちの少女はお前だ。違うか?」


 男は目の奥に生気がなく虚ろとしていてまだ若そうな身なりなのに顔は随分老け込んでいたが、俺にかなり似ていたからそうだと思った。


 少女の方はミクに似ているか、というのは実はわからない。

 ミク自身がこれまでの過去改変で随分変わってしまったから。

 けれど彼女がこの写真を持っていて、最初出会った時からミクは俺のことを知っていた。

 だから未来の俺と関わりを持っていてもおかしくないし、だとすればこの少女がミクだというのが一番筋が通っている。


 ――だけれど、この写っている少女の身体は透けていた。


「⋯⋯お前、もしかして身体の感覚、もう無いんじゃないのか?」

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