ダンジョン誕生に巻き込まれまして

雪山 トオル

第1話 突如変わった景色


 今日は最も昼の時間が長く、夜の時間が短い夏至の日。

 高校に入って初めての夏は、「とにかく暑い」この一言に集約される。

 今時、エアコンが一教室に一台も置かれていない設備力貧弱な我が校は、天井に設置してある数台の扇風機と窓を全開にすることだけで今夏を乗り切ろうとしているらしい。


 控えめに言って、頭おかしいと思う。


 窓の先では、モクモクと流れる入道雲が見えた。

 すぐに視線を外し、世の暑さと教師だけ仰ぐことを許された団扇を睨む。古典の先生だけあって団扇もなんと雅なものでしょうか。ハサミで半分に切って、分けやがりください。


 暑さと眠さのダブルパンチを受けている教室内では、すでに生存者起きている者は半数を切っている。各々、暑さと眠気への抵抗を至極感じさせる現代アートの様な体勢で夢の世界へと旅立っていた。

 ナムサンッ。


 そんなことを言う俺も、先ほどまでは夢の世界の住人だったわけだが、素晴らしい昼の香りを感じて自然と目が覚めてしまった。

 これだから窓際は止められねぇ。たまんねぇよ。

 まぁ、決して自分で選んだわけではないが。


 後五分後には終業を告げるチャイムが鳴る。

 きっと夢の世界の住人達も起き上がって来るはずだ。

 彼ら彼女らの足取りが未だ覚束ないうちが、食堂場所取り戦線の勝負どころとなるだろう。


 ここから食券販売機まで一直線に向かう。

 そして学生に大人気の日替わり定食を確保する。

 その後、風通しのいい場所を陣取って、優雅で、涼やかな時間を楽しむのだ。

 うーん、雅なり。

 

 ___リーンゴーン、リーンゴーン


 終業のチャイムが鳴った。

 音がいつも聞くチャイムの音ではない。

 教会とかで良く聞く厳かな音だった気がするのだが……気のせいか?


「はい、では本日の授業はこれまでとします」


 教壇に立つ先生もチャイムの違和感に気づきつつ首を傾げていたのだが、「まぁ、そんな日もあるか」と言いそうな表情で頷き、今日の日直を促した。  


 古典の先生がそれでいいと言うのなら、おそらく、きっと、それでいいに違いない。


 うん。俺も大賛成だ。

 

 時折、窓から入って来る熱風で頭がボーっとする。

 暑い。

 とにかく暑すぎて、おれ、いま、むずかしいことかんがえられない。


 ___食券。一直線。風通しのいい場所。GO。


 よし。

 これだけ頭の中にあれば十分なはずだ。

 え? 古典の内容? 

 ハハハッ。自慢じゃないが授業の初めに紹介された「徒然草」という言葉しか覚えていない。


 先程まで見ていた教科書には、辛うじて赤ペンで下線だけは引かれているけれど、ノートの方は全滅だ。

 もはや目も当てられない有様になっている。

 芸術的? 考古学的? とにかく、素晴らしく歪んだミミズ文字は、言語を研究する専門家でさえ、翻訳できるか怪しいだろう。

 というか俺には、無理だ。


「起立、気を付け、礼」


「「「ありがとうございました」」」


 ああ、いい。

 今はそんなことは心底どうでもいい事だ。

 日直による挨拶を誰よりも早く終わらせ、机の間を縫うようにスタートを切った。

 確実に、これまでで最高のスタートだった。

 その証拠に、未だ教室の外に出た生徒は一人も見受けられず、皆ゾンビの様な仕草で歩いている。


 ああ、生きた屍たちよ。どうか成仏しておくれ。

 

 俺は手に持った食券一枚分の500円玉が握り締める。

 もはや準備は万端。

 さぁ開け、教室の扉よ。

 我に、道を開けたまえッ。


 ___ガラガラッ。


 廊下に出てすぐに、周囲を見渡す。

 まだどの教室からも人は出ていなかった。

 俺はすぐさま歩き出す。

 四階のこの場所から一階の食堂へ向かうためには、長い階段と渡り廊下を通らねばならない。

 一体その間にどれだけのライバル達と相争うことになるのか、そこだけが心配だ。

 だが、都合が良いことに、一年生のフロアで俺の好敵手になる存在は誰もいないようだ。


 ああ、なんて素晴らしい。

 マーベラスッ。

 俺、史上最高の独走状態だぜ。

 クククッ、最高過ぎて笑いが止まらねぇ。

 げほっ、げほっ、げほっ、咽ました。

 後ろから続々と出てくるクラスメイト達の気配を感じながら、俺は先へと進む。


 ここまでは至って順調。

 さぁ、お次は第一関門だ。

 廊下は走らず、競歩半分駆け足半分の気持ちで進む。

 すると、すでに各フロアの階段付近には、走る者を注意するための先生方刺客たちが待機していた。

 四階担当は、生活指導の郷田先生。通称ゴリラ先生だった。

 仁王立ちしてこちらを見るゴリラ先生と視線を交わす。


「「……」」


 どうやら、この速度ならお咎めなしらしい。

 厳しい視線が切れていくのが分かる。

 俺はすれ違い様にニヤリと浮かんだ表情を隠すため、ペコリと目礼をしてゴリラ先生の脇を通り過ぎた。

 これで第一関門突破だ。

 そのまま四階から三階へ、二階から一階と滑るように素早く降りていく。


 ここからが第二関門。

 通称『先輩たち、早く終わってないでくれ』門である。

 結論から言おう、第二関門の突破は成らなかった。

 それは、同時に俺の独走状態の終わりも意味している。

 三階と二階の途中で俺は、少なくない二年と三年の先輩と合流を果たしたのだ。


 次々と階段を降りて行く先輩方。

 

 彼らが俺に注目することは一切なく。と言うか一瞥すら見られることなく、俺は追い越されて行った。


 さすが、食堂場所取り戦線の先達たち。

 全くもって隙が無い。

 目指す先と時折立っている先生方への警戒だけを欠かさなず、動きにも淀みがない。 


 なるほど……これが俺の目指す先か。

 渡り廊下を歩きながら、早歩きの速度が全然違う二年、三年の背中を見つめる。


 ああ、そうだ。そうだな。

 今日は先達たちに譲ろうではないか。

 これは負け惜しみじゃない。

 偶々、授業が早く終わっただけの新人がこの美しい戦いに立ち入っては、水を差してしまいかねないのだ。

 もう一度言う決して負け惜しみではない。


 だからこそ、次からは……俺こそが、誰よりも早く食券機にたどり着き、食堂戦線を勝ち抜こう。


 良く分からない新たな決意を胸に、俺は人の流れに沿って進む。


 するとそこはもう食券販売機の前だ。並んでいた二年、三年生があっという間に食券を買い、すぐに自分の番がきた。


 俺は一体何と戦っていたのだろう。

 

 どうしようもない気持ちを抱えつつ、チャリンチャリン、と幾枚かの十円玉のお釣りと食券を受け取った。今日俺が勝ったのは、日替わり定食。それもあのなんと「たっぷりタルタルソースのチキン南蛮定食」だ。これは数ある食堂のメニューの中でも、大人気商品の一つで、熱々のチキンと甘辛いタルタルソースがもう溜まんない逸品なのだ。


 もはや受け取る前から香ばしい匂いか追ってくるようで、自然と涎が垂れてくる。前の数人が食事を受け取り、視界の端に俺の分のチキン南蛮定食が映り始めた。


 ああ、なんて香ばしい匂い。そしてなんて美味そうな見た目なんだ。

 じゅるりっ。

 思わず唾を飲みこんでしまう。


「ほい、大盛カレーうどんにトッピングのお肉ね!」


 俺の番まで後一人、と言うところで食堂のおばちゃんが豪快に置いたのは、まさに贅沢うどんセットとでもいうべき代物だった。

 ほう、前の人はカレーうどんに肉のトッピングか。

 なんて贅沢かつ、高カロリーな一品だろう。

 きっと運動部の、それもゴリゴリな男子生徒に違いない。

 うんうんと頷き、チラリと贅沢うどんセットを受け取る人を伺う。


「気を付けて運びなよ!」 


「ありがとうございます」


 するとそこには恐ろしいほどに凛々しい女子高生がいた。

 もう一度言う、恐ろしいほど凛々しい女子高生だ。

 胸元のリボンの色が赤い事から、おそらくは二年生。先輩だ。艶のある黒い髪を肩口で切り揃え、白く健康的な肌が要所で輝く。紺色のスカートから覗く脚は長く、細く、なんとも美しい。そしてなんといってもその凛々しい立ち姿が、とても印象的な先輩だった。


 まさに容姿端麗とはこのことか、と頭に思い浮かぶ程度にはその女子生徒は周りと比べて際立っていた。


「でへへ」


 そんな女子生徒が緩み切った表情で贅沢うどんセットを受け取る姿は、もはや驚愕そのもの。

 一目でもお目に掛かれば、その記憶は脳裏に刻まれ、今日一日と言わず、当分先まで忘れられそうにない。


 まさに永久保存確定な代物である。

 恐らく彼女は、運動部なのだろう。

 細いながら引き締まった体が、アスリート特有の雰囲気を醸し出している。だが……その盛りに盛られた贅沢うどんセットは、多感な女子高生にとって大敵に成り得るのではないだろうか。

 いや、むしろ天敵と言っても過言ではないはずだ。

 

 なのにも関わらず、凛々しい先輩はそんなことは一切考慮せず、ただ幸せそうに贅沢肉うどんセットを運んで行った。


 そうだな。うん。

 あれも、今度食べてみよう。

 絶対食べてみよう。

 あれ、絶対美味いやつだから。

 

 幸せそうな先輩が食堂へと消えて行く中、一歩進んだ俺はとうとう食堂のおばちゃん(二人目)と対峙する。


 さぁ、次は俺の番だ。

 仕切りを挟んだ向かい側で、お楽しみの逸品が運ばれてくる。

 口元が勝手に緩むのを止められねぇ、これは美味い確定だ。


 さすが真夏限定、学生応援キャンペーンの日替わり定食なだけはある。まさに肉厚ッ、まさにたっぷりタルタルソース、まさにシャキシャキキャベツの山盛り一杯。


 へへへ、堪んねぇよ。

 さっさと受け取って堪能しよう。

 そうだ、そうするべきだ。


「はい、チキン南蛮定食。チキンは……揚げたてだよ!」


「ふぉぉぉ」


 ニヤリと笑う食堂のおばちゃんに告げられた言葉に、思わず魂からの叫び声があがった。


 はぇぇぇぇ。

 揚げたて!揚げたて!わっしょい、わっしょい!

 ヒャッハーーー! ふぉぉぉぉぉ!!

 イェーイ!!!

 

 脳内の俺、大歓喜の瞬間である。

 これは言語能力が低下するのも仕方あるまい?

 空きっ腹に揚げたて熱々チキン南蛮は、最高の組み合わせよ。

 ああ、鼻孔を擽る香りが溜まらんッ。

 さぁ、受け取って、すぐに席へ向かいましょう。

 高速で、テラス席を確保するのデスッ。

 俺は手を伸ばす。

 あと少しでチキン南蛮定食に触れられると言うところで____


 ____『生物の一定数の生息を確認しました。ただいまより、試練プログラムの生成を開始致します』


 唐突に、そんな声が頭の中に響いた。


「えっ……はぁ?」

 

 そして次の瞬間には急に目の前が薄暗くなって来て___暗闇が晴れた先で、俺は武骨な洞窟の中に一人で立っていたのだ。


 ___分け解らん


 冷たい空気が頬を撫でる。

 洞窟の癖に明るいと言う不思議空間は、汚れた白い石で出来ていた。

 混乱する頭の中を整理するために、キョロキョロと視線を動かしていると、俺は気づきたくない衝撃の事実に気づいてしまった。


「な……い」


 手元にあるはずの物がない。

 香ばしい薫りもなくなっている。

 結論から言おう。

 我らがチキン南蛮定食さんが、絶賛行方不明となった。


「ああぁぁぁ、あぁぁぁぁぁ」


 あの熱々の。

 あの肉厚の。

 あのシャキシャキの。

 チキン南蛮定食は、どこに行ったのだ?

 あ゛ぁ??


「消えた??? え、は? なんか、え? ……消えたんですけど」


 どこかに飛ばされた、とか言うヤバそうな事実は二の次だ。

 今はただ、楽しみにしていたチキン南蛮定食の行方だけが大事なことで、それ一点にのみに底深い絶望を感じる。

 

 ああ。

 さっきまで、確かにそこにあったのだ。

 この手の先で、熱々の、揚げたての、タルタルソースたっぷりの、肉厚チキン南蛮を確保していたはずなのだ。

 なのに……。


「ない、ない、ない……」


 どこを見渡してもチキン南蛮定食はなかった。

 ツーっと一筋の光が頬を伝う。

 勝手に流れて来た涙の止める術を、俺は知らなかった。


 ポツン、ポツンと遠くから水滴の音が聞こえてくる。

 ゴゴゴッとでも言うような洞窟の闇は、余りに不気味過ぎた。

 それでも探せど、探せど、チキン南蛮定食はどこにもない。

 ついでに食堂もない。

 さらに二年、三年の先輩の姿も見当たらない。

 ただそこには空虚で武骨な洞窟だけが存在していた。




___グゥゥゥ




 嫌に虚しいお腹の音だけが、嫌に洞窟内に響いた気がした。

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