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「……エドナちゃん?今日は 随分とおとなしいようだけれど、どうしたのかしら?」


「えっ、そっそんな嫌ですわアハバ様ぁ、わ、私はいつだっておとなしいですよぉ?」


「いつもだったら顔合わせた途端にもっといろいろ話してくれるじゃないの。いつ、誰と、どこに遊びに行ったとか……それこそ一から十まで、ぜーんぶ♡」


「そそそそそうでしたっけぇ……」


 思い切りどもりながら目を泳がせたエドナ美女は、セドライ少年をからかって遊んでいた時とは打って変わり、その美しいかんばせを屍人のように真っ白にしている。寒さなど感じる場所ではないはずなのに、小刻みに唇が震え、歯をガチガチと鳴らしながら目の前のアハバ女性の言葉に付随する重圧にどうにか耐える。


 そんな状況に巻き込まれてたまるかと、他の三人は音もなく円卓を離れて部屋の四隅に移動した。


「それにしても、おかしいわねぇ? 【箱庭】にあるはずのものが一つ、見当たらないの」


「は、はひっ」


「セドライにはお勉強としてこの【箱庭】の維持を任せてはいたけれど、あれこれする権利はまだ与えていないのは知っているはずよね? 維持以外のことをするのはまだまだ早いから……だからエドナちゃんを含む皆さんにサポートをお任せしたはずなのに、どうして結界に穴が開く事態にまでなっているの?」


「そ、それは……そのぅ」


「確か、魂の管理はエドナちゃんに任せていたはずよね? 是非任せてほしいって、立候補してたじゃないの」


「あ、あうぅ……」


 そう言って朗らかに笑うアハバの目には、表情とは別の冷々れいれいたる仄暗さが宿っており、その場にへたり込んだエドナを瞬きもせずに凝視している。

 口調は変わらずお淑やかなままだが、普段の温和さは鳴りを潜めていて、彼女らしからぬ冷え切った声色に怒りの度合いが相当であることが窺えた。

 自身よりもはるかに格上の神であるアハバの怒りに、エドナは考え続けていた言い訳さえも言葉にできず、もはや全身を震わせながら意味のないうめき声をあげることしか出来なくなっていた。


「わたくしたちがセドライにここを任せたのはね、ここがセドライが生まれるきっかけになった大切な【箱庭】だからなの。わたくしたちが長いことお世話をして、安定している【箱庭】だからこそ、初めてのお仕事にぴったりだと思って……それなのに、サポートをお願いしていたあなたがこんなことをするなんてね」


「わ、私……そんな……」


「そもそもどうしてわたくしたちが予定より早く帰ってきたと思うの? この【箱庭】に何かしらの重大な障害が起きた時、わたくしにわかるようにしてあるからよ。さっき詳細は全て見たわ。セドライや他の皆さんが言われるまで気づかないのも当然よね。あなたお仕事はできる子だもの。でなければセドライのサポートは任せなかった。あなたの持つ性質上、多少羽目を外してしまうのは仕方がないことだと思っていたわ。それでも今まで仕事に対しては真摯な子だと信じていたの」


「あ、あぁ……」


 部屋中に漂うアハバの怒気が重圧となり、すでに心身ともに息も絶え絶えな状態となっているエドナを見て、部屋の隅で固まっていた男たちは矛先がこちらに来ないようにと必死になって息を潜める。

 自分が怒られているわけでもないのに、肌を刺すような殺気に全身に鳥肌がたった。あのような強烈な怒気を真正面から受けたら、おそらく誰もが今のエドナと同じようになるだろう。

 滅多に怒らない温厚な者を怒らせてはいけない。それをエドナはたった今、身をもって知ったのだ。


「本当に……とっても残念」


 アハバは小さくため息をつくと、いつの間にか手にしていた錫杖で床をトンと突く。

 その瞬間、複雑な文様がエドナの足元に現れ彼女を覆う。そして文様から発せられる光の円柱があっという間に彼女を隠すと、何か言葉を発する間も与えずにその場から消してしまった。

 そしてそのまま錫杖を一振りして部屋の扉を修復すると、隅でコソコソしていた男性陣に視線を向けた。男たちはアハバの視線を受けて思わずピンと背筋を伸ばしてしまうが、その瞳に先ほどまでの激情は見られず、ひとまずはホッと息をつく。


「とりあえず、あの子はしばらくわたくしが預かるわね。……セドライ」


「は、はい」


「パパも、龍の子を連れ戻したらわたくしとしばらくここを離れるわ。一番厄介だった結界はパパが直したし、【箱庭】を軋ませていた原因もとりあえずはなくなったから、後はあなたとレカ、ヌロノスでなんとかなるでしょう。【箱庭】の龍脈を整えなおして、あちこちで起こっている異常気象をどうにかすれば大丈夫。もし、さっきの穴から【外来種】が入っていたらわたくしに報告してちょうだい。モノによってはわたくしとパパが直接対処するわ。……二人とも、セドライをよろしくね」


 アハバはそういうと、セドライをもう一度強く抱きしめてから部屋を出ていく。

 残された男たちは、彼女が扉の向こうへと消えるまでを見届けると、大きく息を吐きだした。


「正直、生きた心地がしなかった……」


「ちょいとちびるかと思ったぞい」


「僕も……母様がこんなに怒るの初めて見たよ。まぁ当たり前だよね。だって自分の生まれ故郷がエドナのやったことで崩壊寸前になったんだもん……あいつもどうなることやら」


 互いにそう零しながらも、殺気の余波で緊張しきっていた体を引きずるようにして歩き、ドカリと椅子へと腰かけ脱力する。


 数え切れぬほどの【箱庭】を管理しながらも、その強大な力故に一か所に留まっていられない創造神ガルヤーンが、果て無き旅の中で出会い、唯一愛して神へと召し上げた存在であるアハバ。

 寿命を迎えたと同時に、この【箱庭】からガルヤーンによりすくい上げられ神となった後、数多くの【箱庭】で【慈愛の神】として信仰されている彼女の力もまた絶大だ。人から神になったという稀な経緯を持ちながらも、その力は創造神であるガルヤーンを妻として支えることができるほどである。多くの者に愛され、必要とされる神は純粋に強い。その神が大切にしている物に手を出したエドナは、はたして今後神として存在できるのかも定かではない。

 エドナ自身もそれなりに力を持ち、それでいてけして悪い神ではないのだが、自身が司る【欲】というものに随分と流されがちなところがある。享楽的な考えにより善神にも悪神にもなり得る彼女にはここいらでお灸をすえる必要があるのだろう。

 預かるという言葉を口にしていたことを考えれば、おそらく消滅するなどということは無いだろうが、これを機にあの考えなしな部分が少しでも矯正されればいいと、セドライは考えずにはいられなかった。


「まぁ、こういっちゃあなんだが面倒ごとが一気に片付いてよかったかもなぁ」


「そうじゃのう。儂らだけで事を収める段階をとうに過ぎておったし、あのままお二人が来なければ、いったいどれほどの被害が出たことか。……坊も、すまんかったなぁ」


 レカがそう言いながら円卓にへばりつく様にして顔を伏せ、ヌロノスは心底申し訳なさそうにセドライを見つめる。そんな彼らの姿は珍しく、その姿にセドライは思わず苦笑した。

 ほんのわずかな時間に色々と起こりすぎて、頭がついていけないのはセドライも同じだが、他の二人に限ってはセドライのサポートを任せられていたにもかかわらず、エドナのしでかしたことに二百年もの間気づけなかったという罪悪感でいっぱいのようだ。


「ううん、母様は僕たちには怒ってなかったし、母様も気づけなかったのは仕方がないって言ってたじゃん。レカとヌロノスはそれぞれ担当が違うし、僕のサポートはちゃんとやってくれたでしょ? 本当なら、僕が気づかなきゃいけなかったんだと思う。迷惑かけてごめんね」


「謝んな。セドライ、お前の母さんだってお前を褒めてたじゃねぇか。初めての仕事なんてもんはある程度失敗ありきで進めてくもんなんだよ。これから巻き返せばいい」


 互いに慰め合い、謝りあいつつも、元の色に戻っていた球体へと目を向ける。

 ガルヤーンにより結界自体は張り直されたものの、その中は今頃大変なことになっていることだろう。

 あちこちで天災が起き、龍脈の歪みによって魔物が狂暴化しているかもしれない。それを新しい人員が補充されるまではここにいる者たちだけでどうにかしなければならないとなると眩暈がしそうになる。

 神といえども、ガルヤーン以外は決して万能ではない。ただ定命の者と違い寿命というものが随分と長く、仕事も規模が大きいというだけでその生態も実のところあまり変わらないのだ。

 考え方もまた似たり寄ったりなのである。

 今回のこともあってか、アハバがセドライにかけていた制約はある程度緩和されており、できることが増えていた。そう、増えているということは、その分仕事も増えるということ。

 しばらく徹夜続きになりそうだと眉間を揉みながら、自分たちに課せられたうずたかい課題の数々にげんなりした。


「今回の後始末はあるにしても、当分は平穏じゃろうて。問題はあの龍神族じゃが……」


「そこはたぶん、父様がいいようにしてくださるはずだよ。彼は今後必要な人材だからね。それに……僕にとっても彼は必要な存在だから」


【外】へと飛び出してしまった黄金の龍。創造神と同じ龍の姿をした彼は、セドライにとって様々な感情を呼び起こすきっかけにもなった人物だ。

 その彼が同じ神の心無い所業で狂う姿は見たくない。父神であるガルヤーンがいいように取り計らってくれるだろう。


「……久しぶりの両親だったろうに、残念じゃったのう」


「まぁ、そのうちまた会えるでしょ。顔見れただけでも満足したよ」


 慌ただしく出ていってしまった両親に対しては、久々に顔を見たことでホッとした半面、心寂しい気持ちにもなる。

 強大な力故に一か所に留まってはいられない夫婦は、子供を心配しながらも離れるしかないのだということはセドライ自身も理解していた。

 ただ、いくらセドライが少年の見た目をしているとはいえ、定命の者たちに比べれば遥かに永い時を生きている。心まではいつまでも子供のままではいられないことぐらいはわかっていた。

 与えられた部下を御せなかったことに泣き言を漏らした挙句、懐かしい呼び方まで披露してしまったことに関しては羞恥のあまり蹲りたい気分であったが、両親が駆けつけてきてくれたことにしっかりと愛情を感じられたことだけでも良しとしよう。

【箱庭】の危機を察知して飛んできたと言っていたが、実際のところは違うのだとセドライは知っていた。彼らのことだ、おそらく何かしらセドライが苦境に立たされた時に、すぐにでもわかるようにでもしていたのだろう。彼らはなんだかんだとセドライのことをキチンと考えてくれているのである。


「さて、早速復旧作業にかかるかのぅ。あぁ、いやだいやだ。これ以上腰が曲がったらどうしてくれるんじゃ」


「まぁまぁ。とりあえず僕とレカが龍脈を整えるから、天災後の大地の修復をお願い」


「時間がかかりそうじゃのぅ……」


「ほら、さっさとやるぞ」


 互いにそう軽口を叩き合いながらも、三人はそれぞれにスクリーンを出して指を滑らせ始める。

 そうして【箱庭】の現状を嘆きつつも、騒動の罰とばかりに無心で修正し続けた。

 セドライの両親が出会った場でもあるこの【箱庭】を、少しでも元の姿に戻せるように。


 その頃には飛び出した龍神族が瀕死の状態で両親に捕獲され、あれこれと世話を焼かれた挙句にをされることになるのだが、それをセドライが知るのは少し先の話である。











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