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「無理やりじゃなきゃどうにかなる……?」



 そんな重い空気を動かすようにそういったのは、元凶である美女。

 彼女はゆるゆると頭を上げると、何かに納得するように小さく頷きながらさらに続けた。


「うん、そうよ、自分の意志でこっちに帰りたいって思うようにすれば、何とかなるんじゃないの?」


「はぁ?」


「ちゃんとした自我があるから、無理に連れてこれないんでしょ? だったらその自我に納得させればいいだけの話じゃない」


「そんなこと、どうやって―――」


「神託よ!」


 戸惑う青年の言葉を遮りバンッと円卓を叩きながら立ち上がった美女は、その場で意味もなく両手を広げながら、さもいい案を出したとばかりに自信に満ちた笑みを浮かべる。


「……とりあえず続けて」


 どうにも嫌な予感がするが、とりあえず話だけでも聞いてみようと、少年がうんざりした顔をしつつも続きを促す。


「地球ではね、今『異世界転生』とか『異世界転移』っていうのが書かれた物語が流行ってるの。だからぁ、地球の神友に頼んで神託を直接その子に下ろしてもらえば、納得するんじゃないのかなーって」


「いや、しねぇよ。そんなん、どう考えても他人任せのガバガバな案だろうが。そもそもどんな理由で納得させんだよ」


「えっとぉ、そこは『あなたの運命の人は地球には居ません。異世界に居るのです』的なこと言えばよくない?」


「阿呆か! そんなクソみたいな理由で納得するわけないだろーが!」


「えぇ? 前に地球の神友がその作戦で何人か異世界に送れたーって言ってたわよ?」


「うっそじゃろ……さすがにそれはチョロすぎやしないかのぅ」


 地球という場所は、そもそも数ある【箱庭】の中でもかなり異色である。

 魔法という技術がなく、神という存在も信じられてはいるものの、けして身近ではない。

 他世界では神託というものが本当に神からの啓示であるということが周知され、世間にも浸透しているが、地球でそんなことを言おうものなら最悪精神に異常をきたしているとでも言われかねない。

 けれども、最近日本という国に関しては、異世界を取り扱った書物が多く出版され、さらにそれが様々な形となって浸透しているらしい。

 その影響か、かの国の者たちは非常に順応力が高く、場合によっては無駄に異世界へ行ったらああする、こうするという荒唐無稽な想定をしている者もおり、挙句の果てにはそんな妄想力の突き抜けた本まで出版されている始末。この国の民は、ある一定の神からすれば鴨が葱どころか必要な道具一式からその他具材まで背負っているように見えることだろう。地球で言う超常現象というものに対して、随分と大らかなようだ。


 とはいえ、今のところ対象の者が冗談めいた神託をご丁寧に聞いてくれる者であるのかもわからないし、何より地球のどこにいるのかも把握していない。

 どちらにしても早々に何かしらの手段を講じることは出来なさそうである。

 青年がそれを指摘すると、美女は心底がっかりしたような表情を浮かべたが、またしても閃いた!という顔をすると、今度はとんでもないことを言い出した。


「だったら先祖帰り君に神託下ろせばいいじゃない!」


「待て、なんでそうなる」


「だってぇ、先祖返りだけあって力が強いんでしょ? 本人に言えば自力でどうにかするんじゃないかと思ってぇー。うんうん、なかなかいい案じゃない?」


 彼女はそう言いながら、いつの間にか握っていた小型の端末に指を添えると、ものすごい速さで操作し始める。

 つい先ほどまでは雨に濡れた子犬のようにしょんぼりとしていたはずが、今はいっそすがすがしいほどの晴れやかな笑みを浮かべている。

 その異様なテンションの上がり下がりに、さらに嫌な予感が加速し、その場にいた者全員が思わず立ち上がった。


「……いやいやいや、そんなことしたらお前―――」


「そうと決まれば早速やっちゃいましょ!」


「ちょっ! まっ―――」


「ポチっと神託♡」


 すっかり変なスイッチが入り瞳孔が開ききった美女の、あまりに流れるような暴挙に、咄嗟に周囲が声を上げて止めようとしたが、言い終わる前に彼女がひと際大きく端末をタップしてしまう。

 そして、手元の端末からあまりに場違いなピローンという電子音が空しく響いた。


「はいっ! 神託完了! あぁ、いい仕事したわぁー」


 皆が止めようと手を伸ばした格好のまま硬直する中、彼女はかいてもない額の汗を拭いながら、それはもうやり切ったと言わんばかりのドヤ顔を披露している。


「うわぁぁぁっ! こいつ本当にやりやがった!」


「こっ……んの馬鹿女ぁぁっ! いったい何してくれてんのさー!」


 慌てて大声を上げながらその手から青年が端末をむしり取るも後の祭り。すでに為されてしまったことはどうしようもなく、その場で呻きながら崩れ落ちる。

 きちんとやることをやったはずなのに、周囲から一斉に罵倒され、なぜとばかりにキョトンとする美女は、自分が何をやらかしたか全く理解していないようだ。


「ただでさえ【箱庭】の結界が軋んでおるというに、この事実を当人に伝えたらどうなるか、そんな簡単なこともわからんのか……」


「え? なに、なんなのよ?」


 そんなヌロノスの呟きの後、円卓の中央に浮かんでいた球体に突如として異常が現れ始めた。ヌロノスはやはりか、と続けて深刻な状況を物語るように眉を顰める。

 浮かんでいる球体は、この【箱庭】の全体を把握するものであり、その球体を分厚く覆っている膜が、【箱庭】を【外】からくる異形の者、【外来種がいらいしゅ】から守る結界であった。

 その分厚い結界がジワジワと真っ赤に染まり、まるで皮膚がめくれあがるように、一部だけがどんどんと薄くなっていく。


「ヤバッ! 結界に穴が開いちゃう……! レカ!早く立て直しをっ!」


「わかってるっ!」


 レカと呼ばれた青年は、焦る少年の言葉に頷くと、すぐさま自身の目の前に無数のスクリーンを立ち上げて手元のボードで球体を動かし操作し始める。

 しかしどんなに修正を試みても状況は悪くなるばかりで、ついには結界に小さな穴が開いてしまった。

 そこから這い出るようにして大きな腕が一本。それは鋭い爪を持ち、金色の鱗を纏っただった。それは小さく空いた穴に手をかけると、力任せに結界を引き裂きながら姿を現す。


 そうして、破れた結界から【外】へ……一頭の龍が飛び出した。

 体から迸る金粉きんぷんを流星のように一筋撒き散らしながら、龍は【箱庭】からどんどんと離れていく。


「うわぁぁぁんっ! 結界がぁぁ!」


「行かせてはならん! 坊! ガルヤーン様とアハバ様に今すぐ連絡を―――」




 ヌロノスがそういうと同時に、部屋の扉が盛大に吹っ飛んだ。

 ひしゃげた扉がものすごいスピードで円卓の方に飛んでくるが、ヌロノスが咄嗟とっさにサッと手をかざすと、瓦礫がれきと化したそれはピタリと空中で止まる。そしてそのまま滑るように部屋の端へと移動し、そっと床へ置かれた。

 濛々もうもうと砂埃が上がる中、扉から差す後光を背負い仁王立ちして射殺すような目を向けているのは、世紀末覇者のような肉体を惜しげもなく晒す大男であった。


「帰ったぞ息子よぉぉっ! 」


「あらあら、お久しぶりねぇ、皆さん」


 実に男臭い笑みを浮かべながらのっしのっしと部屋の中へと入ってくる大男の後ろに連れそうように歩くのは、ふわりと柔らかく微笑む女性。彼女はたおやかに口元へと手を当てながら、楚々そそとした足取りで円卓までくると、室内の緊迫した空気をものともせず、少年の隣の椅子へと腰かけて彼を優しく抱きしめる。

 生憎と大男に合う椅子が無かったため、彼は床へとドスンと座ったが、泣き腫らした顔でポカンと大男と女性を交互に見つめる少年に気づくと、またしても彼は体に似合わない俊敏さで立ち上がり、覇気を振りまきながら力の限り咆哮ほうこうする。


「どうした息子よぉぉぉぉっ!! なぜ泣いておるのだぁぁぁっ!」


「え、えっ? パパ……ママ……なんで? 帰ってくるのはまだまだ先って……」


「えぇ、本当はもう少し旅行を楽しみたかったのだけど……ちょっとパパ、とりあえず吼えるのは後にしてちょうだい。【箱庭】の様子がおかしいわ」


「うむ? ……これはいったいどういうことだ。結界に穴が開いてるじゃないか。危ないだろう」


 大男はそういうと真っ赤に染まった球体をサッとひと撫でする。それだけであれほど苦労していたものがあっという間に修復されていった。

 一気に窮地を脱し、呆気に取られていた面々だったが、母の懐に収まっていた少年がすぐに我に返り、事の次第を伝えようとする。


「龍神族が一人、無理やり結界に穴をあけて【外】に出ちゃったんだよ!」


「む、【外】に出た? そんなことができる龍神族が……あぁ、先祖返りの者か。どちらにしろそのままにしておけば死ぬな。それは困る」


「そうねぇ……。パパ、ちょっと回収に行ってきてくれる?」


「あぁ、わかった」


 大男はそういうやいなや再度咆哮し、筋肉の鎧を纏った巨体を揺らして砂埃を立てながら壊れた扉の向こうへと消えていった。

 先ほどまでの緊迫感はどこへやら、一気に静かになった室内にわずかな沈黙が落ちる。


「ガルヤーン様は相変わらず喧しいのぅ」


「見た目も言動もめちゃくちゃ脳筋っぽいのに、仕事は一番できるんだよなぁあの人。さすが創造神……うるさいけど」


「まぁまぁ、そう言わないであげて? それにしても坊や、可愛いお目目がパンパンよ? いっぱい泣いたのねぇ」


「マ……か、母様、僕は泣いてなどおりません! それに、坊やとか可愛いお目目とか……いったい僕が何歳になったとお思いですか! 」


 少年は思わずママ呼びしそうになった、というかもう口にしてしまった恥ずかしさから藻掻くように女性の腕の中から抜け出ると、涙で潤んでいた瞳を擦り、赤らめた頬をそのままに勢いよくそっぽを向く。


「ふふふ、坊やはいくつになってもわたくしの可愛い坊やよ、セドライ。それはそうと……わたくしとパパの大切な【箱庭】に、いったい何があったのか、詳しく教えてくれるかしら?」


 女性が朗らかな笑顔を崩さないままそう言うと、その場にいた者が一瞬にして凍りつく。


 彼女は片手を上げてスイと空中に滑らせると、それに合わせて大小いくつものスクリーンが眼前に出現した。そして的確に指を滑らせながらスクリーンに映った映像や文書を切り替え、物凄い早さで何かを確認し始める。


「いいのよ、だってセドライは今回初めてのお仕事だもの。勝手がわからずに失敗してしまうのも当然だわ。それに……うんうん、よく出来てるじゃない。ちゃんと皆さんを頼ったのね。【箱庭】もバランスよく維持できているわ。……でも、ちょっと目が行き届かなかったところがあったみたいね」


 女性はそう言いながら早々にすべてを把握すると、ゆっくりと画面から目をそらして順々に固まったままの面々を見つめていく。

 そして目が合った途端明らかに挙動不審になった美女にピタリと焦点を当て、一際美しく微笑んだ。















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