1-2 内藤修斗は幼なじみの少女から忠告を受ける

 僕が下頭げとう高校へ進学した最大の理由に、家から高校まで、電車一本で行けるという要因がある。早朝のせわしない駅構内を、乗り換えのために歩き回るなど、それだけで一日ぶんのHPを使い切ってしまいそうだ。


 高校の最寄り駅から塔丈とうじょう線に揺られ、芝田しばた駅で降りた僕は、改札を出てすぐ横の券売機に見知った女子高生が立っているのを見つけた。やはり、彼女はもう帰っていた。


「メグ姉、どっか行くの?」


「わ!」メグ姉が大げさに驚く。「もう、驚かせないでよ。シュウ」


 動揺の表れか、彼女の手から切符がハラハラとこぼれ、僕の足元に落ちた。


「池、袋?」僕は拾い上げた切符を見て尋ねる。「どうしてあんなとこ行くのさ」


 すでに池袋は、まとも人間であれば近づくことさえ避けるような、無法の街と化していることで知られていた。ここ芝田駅も、池袋から五駅とんだ場所にあるという理由だけで、一年前と比べ明らかに利用者が減少している。


「もしかして、お姉ちゃんを心配してくれてるの? ふふ、嬉しい」


 メグ姉が屈託のない笑顔を見せる。ストレートロングの黒髪が揺れ、ついドキッとした。


「茶化さないでよ、本気で心配してるんだ」


「ごめんごめん」メグ姉が小さく笑う。「単に、ボタンを押し間違えちゃっただから。それ、よかったらあげる」


「ええ。なんか持ってるだけでヤバいやつに思われそう……」


 帰ったらソッコーで捨てることを決意して、をポケットに入れた。


「じゃあ、僕は帰るから」


「ストップ!」メグ姉が僕の学ランを後ろからつまむ。「寂しがり屋な弟のために、お姉ちゃんが一緒に帰ってしんぜよう」


「え。でも、電車でどこかに行こうとしてたんじゃないの」


「あ、うん。そのつもりだったんだけど……シュウの顔を見たら心配になっちゃって」


「心配? なにを?」


「ううん、気にしないで」メグ姉が、僕の前に右手を差し出す。「ほら、行こ?」


「や、手をつなぐのは……」僕は眼をそらす。「さすがに恥ずい」


「ちぇっ、昔は素直だったのになあ。お姉ちゃん寂しい、くすん」


 メグ姉は一瞬だけ泣きマネをした後、すぐにまた笑顔に戻って歩き出した。僕はその背中を慌てて追いかける。


 彼女はいつも、僕の一歩前を歩いてくれた。これまでも、これからも……。本当に、それでいいのだろうか──。


   *


 僕はメグ姉と歩くとき、必ず少し後ろにつくようにしている。ずっとメグ姉にの人生を送ってきた僕に、彼女と対等に歩く権利は無いと思っているから。


「あれ? 考えてみれば今日って文系部がある日じゃなかったかしら」


 商店街に差し掛かったあたりで、不意にメグ姉が振り返って言った。


「あ、うん。今村部長が休みでさ」


「ふーん。そういえば、シュウってほとんど休んだことないわね」


「うん、まあ。学校を休むって、けっこう思い切っただから……」


 僕は昔から、優柔不断な人間だった。じゃんけんの手でさえも決めるのに十秒はかかるくらい、決断が苦手な男。


 原因はわかっている。僕はどうしようもなく臆病なのだ。間違った決断をして、その責任を取らされることが怖い──だから決断を恐れる。


 そんな僕が人生という、一歩進むたびに分岐が現れるようないばらの道をどうにか歩いてこられたのは、メグ姉がそばにいてくれたからだった。


「あーあ。来週の中間テスト、憂鬱だなあ。テスト前ってこう、勉強してないときでも、心のどこかに重しがついてる感じがしない?」


「ああ」うなずきかけて僕は口をつぐむ。「いや……テストはそんな嫌じゃないかな」


「うわ、嫌味ぃ。まったく学年一桁の秀才クンはこれだからもう」


「秀才て……メグ姉だって成績はいいでしょ」


「ふーんだ」メグ姉が口を尖らせる。「シュウは私になんでも相談するくせに、正解のある問題はすぐ解いちゃうんだもんな」


 確かに僕は、これまで数えきれないほどの相談をメグ姉にしてきた。些細なことから重要なことまで、なんでもだ。


 道で財布を拾ったとき、数少ない友達とケンカをしたとき、事故で大好きな祖母を亡くしたとき。


 それほど依存が深まってしまったのは、もちろん僕が優柔不断であることは大前提として、メグ姉がいつも正しい答えをくれるからだった。


 メグ姉の判断に従って悪い結果になったことは、一度たりとも無い。


「なんか、こうやって一緒に帰るの久しぶり」メグ姉が笑顔で言う。「最近のシュウ、考えごとしているときが多いから。もしかして、悩みごと?」


「え!」思い当たる節があった僕は、焦る。「気のせいだよ……たぶん」


「むー、怪しい。ま、悩みがあれば必ず私に相談してくるか」


「そ、そうだよ。いまさらメグ姉に隠しごとはしないって」


 僕は嘘をついた。確かに僕は今、悩んでいることがある。だけど、こればっかりは言えるわけがない。、なんて。


 僕は多分、メグ姉のことが好きだ。彼女と肌を触れ合うことを考えるだけで、胸のドキドキが止まらなくなる。


 でも、今のままでは駄目だ。メグ姉に頼ってばっかりの、今のままでは。


 片方に傾いたシーソーが早急に老朽化するように、一方に偏った関係性は破綻も早い。


 僕はいつか、メグ姉にする。それはきっと、僕が生まれて初めて自分の力だけで成し遂げた決断であり、彼女からのを意味する決断となるだろう。


 そんな思いを胸に、僕はメグ姉の一歩後ろを歩く。まだ、何も決まってはないけれど。


   *


「それじゃあ、またね」メグ姉が自宅のドアを背にして言う。


 彼女の家は僕の帰り道の途中にあるため、いつもこうして道なかばで別れるかたちになる。


「うん、また明日」


「危ない人についていったらダメよ」。


「年齢的には、僕がなりうるのは危ない人の方じゃないかな」


「そういう問題じゃないの」メグ姉が真面目な顔になって言う。「最近、物騒な噂を聞くでしょう?」


「噂……小沢先生が恋人と別れたってやつ?」


「違うわよ。それはそれで気になるけど……ほら、白スーツを着た男たちが駅の周りを徘徊してるっていう噂」


 僕は首をひねる。噂話には精通している自負があっただけに、小耳にはさんだこともないのは違和感があった。メグ姉が嘘を言っているとは思わないけど、本当にそんな噂が流れているのだろうか。


「白スーツか。少なくとも、カタギじゃなさそうだね」


「私思うんだけど」メグ姉がひと呼吸置いて言う。「そいつらきっと、メン・イン・ブラックじゃないかしら」


 突拍子もない発言に僕は戸惑う。「よくわかんないけど、強いて言うならメン・イン・ホワイトでしょ。白い服を着てるんだから」


「ちがーう。映画よ、映画」


「……銃弾を避けるシーンが有名なやつ?」


「はあ。たしかに見た目は似ているけど」メグ姉がため息をつく。「もう、一緒に観たのに忘れちゃったのね」


「一緒に?」僕は記憶を掘り起こす。「あーいや、思い出した……」


 中学生時代、メグ姉が僕の家に遊びにきたとき、リビングで一緒に観た映画のことを言っているのだろう。記憶が正しければ、MIBメン・イン・ブラックは、宇宙人の存在を隠すことを目的とした組織だったはずだ。


 正直、彼女と同じ屋根の下にいることにドギマギし、内容がほとんど入ってこなかったとは言えない。


「じゃあメグ姉は、エイリアンが芝田に住んでいるとでも言いたいの?」


「エイリアンかは知らないけど、とにかく何か危険なモノが近くに潜んでいるんじゃないかって」


「まさか」


「むー、生意気」メグ姉が頬をふくらませる。「とにかく! 変なヤツがいても近寄っちゃダメよ。いいこと?」


「う、うん」僕は気圧けおされてうなずく。「わかったよ」


「……気をつけてね、シュウ」


 僕は手を上げて理解の意を示し、颯爽さっそうと帰路につく。


 このときのメグ姉の言葉を少しも理解できていなかったことに気づいたのは、すでに手遅れになってからであった。

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