箸休め 鳳梨酥≪パイナップルケーキ≫(店主のひとりごと)

前編

 はじめまして。


 わたしは都内の惣菜店「はなのごはん」の店主、兼料理人兼売り子です。ドキドキとワクワクではじめたお店は、オープンしてから半年が経ちました。あたたかなお客さま方に恵まれて、本当に幸せです。


 そうそう。お客さまのなかには、わたしを「はなちゃん」と呼んでくださる方もいます。店員さんと呼ばれるよりも心地よくて、くすぐったくて。だからでしょうか。私の名前が「はな」ではないことを、まだ誰にも言えていません。言いそびれてしまいました。


 でも、そんなことは、どうでも良いのかもしれません。「はなのごはん」を美味しく食べていただけるなら。

 そう、美味しく食べていただきたい。そのために、今日もわたしは研究をしています。

 けっして、ふらっと現れた友人のお土産をもっと食べたくなったから、なんて不純な理由ではありませんとも。


 ……嘘をつきました。二割くらいは不純な理由です。でも、お客さまと美味しさを共有できたら嬉しいと思っているのは本当です。


 わたしの友人は、ちょびっとだけ変わり者です。

 彼女との付き合いは十年を超えましたが、いまだに知らないことばかりです。

 彼女は、「そうだ、京都に行こう」の感覚で、日本中を飛びます。わたしが聞くのは、いつも帰ってきてから。


「パイナップルを食べに沖縄を日帰りした」とか。

「梅を食べに、紀州に行ってきた」とか。

「日本一美味しい水を探してみた」とか。

「鱧を食べたくて、四国をドライブした」とか。


 彼女にとっては、日本全国が行動範囲圏内なのでしょう。

 おかげで、わたしは行ったことのない地域にも少しずつ、詳しくなっている気がします。主に、食べ物についてばかりですが。それでも、愛着が湧いてくるので不思議ですね。


 しかし、油断していました。

 少し前に、一年ぶりにふらっと連絡をしてきた彼女は、言いました。「本場のパイナップルケーキが食べたくて、ちょっと台湾に行ってきた」と。そうして、置いていったのです。十五種類以上ものパッケージが異なる鳳梨酥パイナップルケーキを!

 彼女のことです。色々な店舗のものを食べたかったのでしょう。彼女は、試さずにはいられない人ですから。

 問題は、パイナップルケーキが日持ちしないことです。その日から、私のおやつの時間は二回に増え、毎日、パイナップルケーキを二つずついただく生活が始まりました。


 パイナップルケーキのつくりは、至ってシンプルでした。少しポソポソ感のある四角く分厚いビスケット(これがケーキの部分です)のなかに、こってりとしたパイナップルジャムが入っている、といえば良いのでしょうか。

 四角い一口サイズのタルトケーキのなかに、パイナップルの餡を詰めたような印象かも知れません。もっと簡単にいえば、プレーンのカロリーメイトのなかに、パイナップルジャムが入っているような、そんな感じです。


 最初に食べたのは、とくにモサッとしていました。あの、口のなかの水分を持って行かれる感じです。そこに、ねっとりとした甘酸っぱいパイナップルがいきなり主張をはじめるので、びっくりした覚えがあります。


 食べ比べていくと、違いは鮮明になっていきました。

 まず、ケーキの部分が違いました。ケーキ自体に風味があるものと、ないもの。しっとりしているもの、パサついているもの。


 わたしも料理人の端くれです。

 この「風味」や「食感」というものがいかに難しいかを知っています。風味や食感は引き立て役にもなれば、メインを霞ませてしまう主役殺しにもなる、非常に手強いものです。

 カレーくらい強い子なら、アクセントにちょびっとくらい癖があっても、構わないでしょう。しかし、たとえば、淡泊な白身魚はそうもいきません。ほんの少しのユズが邪魔になる。


「お料理は、味覚のみならず」


 味覚、嗅覚、触覚、視覚、聴覚。全ての五感を満たし、味わわせるのが良い料理人。「はなのごはん」を導いた師匠せんせいは、そう言っていました。


 ところで、もっとも主役を引き立てるのは、なんだと思いますか?

 脚本? 演出? 音響? 衣装? メイク?

 すべて、なくてはならないものです。でも、主役を引き立てるのは名脇役だと、わたしは思っています。

 影なくして、光なし。主役に寄り添うものは、名脇役であれと。


 パイナップルケーキでいえば、なかの餡が主役だと思っていました。まわりが脇役。ところが、パイナップルケーキは脇役と主役が一対一。それどころか脇役の方が、分量が多いものすらあります。


 わたしは考えました。メモをし続けました。

 それほどに、奥深かったのです。

 ケーキの食感、香り、味。どれをとっても、日本のものと微妙に違います。タルトケーキのようにしっとりとしているものから、モサモサ、パサパサ、ボソボソ、ポロポロしているものまでありました。


 餡にいたっては、カオス。

 研究し甲斐のあるものでした。パイナップルの食感を残しているものから、完全にペーストにしているものまで。パイナップルの割合も違うのでしょう。甘酸っぱいものから、こってりとした甘みのあるもの。かすかに雑味や香料を感じられるものと、

 本当に、多岐に富んでいました。

 原料を知りたくても、パッケージに書かれた漢字は見たことのないものばかり。相棒のスマホにたくさん助けられました。


 そうして、食べ続け、ついにパイナップルケーキは食べ終わってしまいました。

 わたしの手元に残ったのは、異国情緒のあるカラフルなボックスたちのみです。

 不思議ですよね。もう食べられないのだと思うと、もっと食べたくなる。

 だから、わたしは自分でつくってみることにしました。

 鳳梨酥風のパイナップルケーキを。


 幸いにも、台湾パイナップルはなんとか手に入れることができました。

 問題は、次です。

 餡をどうするか。


 わたしの好みでいえば、パイナップルの食感を楽しめる、こってり甘めのタイプです。けれど、「はなのごはん」のお客さまはどうでしょうか。お客さまのなかには、年配の方もいらっしゃいます。できれば、喉に引っ掛かりにくく、繊維にも気を付けたほうが良いかも知れません。それに、乳幼児連れの方もいらっしゃいますので、ハチミツも避けたほうが良いでしょう。

 わたしの料理で、悲しむ人など、もう見たくもありませんから。



「餡は、これで大丈夫かな?」


 銀の片手鍋には、琥珀色のもったりとした液体が、呼吸をするようにプクプクと泡を出しています。熟したパイナップルをさらに濃くしたような、甘くて幸せな香りです。お腹が、ギュルウと鳴りました。


 ああ、味見をしたい。


 でも、我慢です。今食べたら、猫舌のわたしは火傷してしまうでしょう。そうしたら、「はなのごはん」に支障が出てしまいます。それは、ダメです。絶対に。


 鼻を膨らませて、香りをお腹一杯に吸い込みます。今、バターをたっぷり塗ったトーストがあれば、目の前の琥珀色をこんもり乗せてかじりつけたのに。次につくるときは、ちゃんと用意しましょう。

 今は、冷めて味が落ち着いたころを想像して、胸を膨らませるだけにします。


 さて、煮沸消毒をした瓶を二つ用意して、木べらでジャムを掬います。トロッとした黄金の液体が、ボトッボトッと空っぽの瓶を満たしていきます。透けそうで、透けない。ちょっとした宝石みたいで、うっとりです。


 おっと、ゆっくりしてはいられません。

 瓶の蓋を閉めたら、別の鍋を引っ張り出して、八センチほど水を入れて沸騰させます。殺菌処理のためです。わたしが食べるだけなので、ここまではいらないのですが、食品を扱う者に油断は命取り。ちゃんとしておきます。


 お鍋がフツフツいうまでに、ケーキの用意をします。そう、あの四角く分厚い、タルトケーキのところです。でも、わたしは侮っていました。

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