5-4:

(エルの間合いは十メートルを超える。太刀を振るうスピードは時速二百キロ超。まともに戦えば数十秒と持たない)


 トオルが四、五回戦を戦っている最中。スーパーシードとして三日目の決勝トーナメントに備えるアキラは、サブの練習場でクラブの同輩であった清水を見下ろしていた。


「ぺっ。なあ、これで満足だろ? 強え、やっぱ強ぇよ、お坊ちゃん。認める、ああ認めるよ。俺なんかじゃ到底相手にならん。だからもういいだろ。そもそも、誰かの模倣ってのは得意じゃないしな」

「まだです。もう一度、さっきのパターンを」


 清水が助けを乞うようにして視線を彷徨わせるが、コーチ陣も死屍累々といった様子で力なく首を振るっている。

 アキラが泊まり込みでエル対策に及んで早三日、事実上の引退試合と知って馳せ参じたチームメイトたちも、すでに胡乱気な瞳で虚空を眺めるばかりだった。


「大体よ、こんな学生大会に出て来んのか? 映像で見るかぎりELエルは歴戦の猛者だ。いっちゃ悪いが、あの技が高校生にできるとは思えねえな。それも地区大会ごときで」

「そ、そうだよ。これといって戦術も思い浮かばないし」


 朝来野家のお許しが出たからか、早々に駆けつけたアシスタントマネジャーが闇雲な猛特訓に苦言を呈する。

 猛特訓を諌める意味合いもあるのだろう。額から大量に流れ出る汗は、前日調整であると考えられない強度だった。


「エルは必ず、ボクの前に姿を見せます」


 アキラは迷いなく断言した。


「そして、分の悪い戦いだともわかっています。あの練達な技は一朝一夕の努力で打ち破れない。

 ですが、諦めた時点で負けは決まります。もういちど、最初から徹底的に見直しましょう。明日、すべてを出し切るために」


 汚れきった防刃衣を揺らしながら、よろばうようにして再び歩きだす。

 そのとき、ふと、乾いた拍手が鳴り響いた。


「結構、結構ですアキラ様。その勇猛さ、感服いたします」


 壁際に挨拶もなく佇立していたのは、朝来野家の事務を一手に取り仕切る、慇懃無礼な家人――佐武だった。


「か、勝手に入られては困ります!」

「おや、これはおかしなことを。私は、大会来賓である主人の代理で視察に来ているのです。それとも一市民の分際で、朝来野に意見するのですかな?」


 まるで虫ケラのようにアシスタントマネジャーを追い払いながら、彼は革靴のままコートに入ってきた。


「佐武」

「なんでしょう?」

「用があるのは、ボクだろ。邪魔しないでくれ」

「おお、これはお言葉です。私はただ、アキラ様の体調を案じて激励に来ただけだというのに」


 凄絶な形相で睨みつける。男は応えた風もなく、むしろ愉快だとばかりに嘲笑を浮かべると囁くよう言った。


「ですが、どうにも上手くいっていないご様子。突破口はいまだ見当たらず、暗中模索とはその勇名が泣いておりますな」

「お、御言葉ですが相手はっ!」


 アシスタントマネジャーが泡を吹きながら食ってかかった。


「名もなき下賎な犬、でしょう。少しばかり遊んでやれば息も切れましょう」

「労いにきたのか。それとも、邪魔しにきたのか、どっちだ」

「ふふ、それでは。後悔が残らぬようお祈りしております」


 その去りゆく背中を見ながら、アキラは血が滲むほど強く唇を噛んだ。

 この男はそれほどまでに憎いのか。この身に流れる血が。

 だが、どうしてここまで貶めるのだ。いくら憎かろうと、家の恥を晒すような真似を。

 あの清水でさえも、どこか気まずそうに顔を逸らしている。

 なんのために? どうして? いまさら?


 そんなアキラの眼が、遠景に一人の男をとらえた。

 何のことはない。そうか、すべてはお前の差金か。

 それは最愛にして唯一の家族である姉を奪った、おぞましき男の姿だった。


「息も切れる、か」

「どうしたよお坊ちゃん」

「いえ、少し試したいことがあるのですが」


 戦う理由がまた一つ増えた。

 すっと頭は冷え、けれど胸の奥は熱が溜まってゆく。カチカチと打ち鳴らされた火花は、やがてすべてを焼き尽くす炎となっていった。




 § § §




『しっかしあの女、眼鏡で歳上、それにマッドでオタクって属性重ねすぎだろ』


 決勝トーナメントまで残り一戦。予選六回戦を控えたトオルは、腰に柴田から借り受けた刀を帯びて参加者控え室に向かっていた。あれからさらに声援は増えた。たぶん、柴田の協力が流れを変えたのだろう。基本、クラスが応援の母体となるため、発言力のある彼が助力姿勢をみせれば大半の生徒が右に倣った。

 同時に、競技場の空気が変わるのをヒシヒシとトオルは感じていた。二日目の空は闇が降り、月明かりに照らされた競技場は今か今かと選手たちを待ち構えている。頻繁にメディア関係者が駆け抜けていった。

 一方、試合の一挙手一投足で満ちる万雷の拍手喝采とは打って変わり、あれほどの大勢の参加者で賑わっていた通路はもぬけの空だった。


「あー、トオルいたー!」


 関係者用通路を降りようとすると、歳若い少年が叫びをあげた。

 振り返るとそこには、こっちを指差して喚く一樹少年のほか、古賀家の家族たちの姿があった。


「トオルってホントにまだ勝ち残ってんの? あの吉兄でも午前中で負けちゃったのに。やっぱ城附ってレベル高いんだな」

「一樹、邪魔しないの」


 無邪気にジロジロ見つめていた一樹少年を母由里子が引っ掴む。代わりに父将典がゆったりとした歩調で進み出ると、謝罪の言葉を述べはじめた。


「すまなかった、夏目くん。何の関係もない君を、私たちのゴタゴタに巻き込んでしまって。と、もう今更だな。もう遥菜から聞いているだろうが、直接お礼を言いたかったんだ」


 父将典は頭を垂直まで下げると、どこか晴れやかそうに歯を見せて微笑んだ。


「あの子がもう言ったかもしれないが、私たちは地元を頼ることにするよ。娘たちを助けてくれた件、本当にありがとう」


 三者は皆、一様に澄んだ表情をみせた。トオルは知っている。彼らが職や店を失くしていることを。

 だというのに、それを気にした様子もないことに、激しい苛立ちを覚えた。

 それを察したのか、彼はトオルの肩に手をおくと優しい目で語った。その手は大きかった。拒絶するように身震いして、一歩二歩と退いていた。


「本当を言うと、私は君の申し出を受けようと思っていたんだ。娘は高校中退になってしまうし、一樹も高校を出してやれるかわからない。一時の恥など飲み下すのが大人というものだろう」

「なら、どうして……」

「君が思う以上に、いや、今だから思う。君はそのお金を自分に使うべきだ。君は、まだ子供なんだ。少なくとも私は、あの子の眼を見た瞬間、君の助けを借りるという選択肢はなくなったよ」

「なっ――そんな! そんなくだらない理由で。彼女のことを考えるなら、あなたは頬を張ってでも言い聞かせるべきだ!」

「聞きやしないさ。言っただろう、娘はひどく頑固なんだ。

 試合前の大切な時間を使って悪かったね。これに勝てば、決勝トーナメントなんだろう。久しぶりの観戦だから楽しみだよ」


 古賀父はトオルの肩を優しく叩くと、まだ話足りないような一樹の手を引いて去っていった。


「ごめんなさいねぇ、あの人口下手で。

 言い争うつもりはなかったのよ」


 一人残っていた古賀母は、苦笑いをしながらたおやかに口元へ手をやる。

 怒鳴り散らしたバツの悪さで、トオルは気まずげに顔を逸らした。


「いえ、僕も口が過ぎました。試合もあるので、これで失礼します」

「ああ、少し待って。ハルにはもう会ったかしら? もしまだなら、一目だけでも声をかけてあげてほしいの」

「すみません、今は少し……彼女に、ひどいことを言ってしまいましたから」


 目を伏せたまま踵をかえそうとすると、彼女が言った。


「そんなこと、気にしなくていいのよ。だって、今日のためにたくさん準備していたのよ。

 でも、ごめんなさい。お節介なのはわかっているんだけど、あの子、自分から言い出せない子なの。一樹と違って抱え込む子だから」

「それは、わかるような気がします」

「やっぱり、そう? でも昔はもっと、たくさん友達を連れてくる活発な子だったのよ。だけど城附は学費がかかるでしょう。だからあの子、“奨学金を受けるために”勉強ばかりして」

「えっ……!」

「日に日にやつれていくあの子を、私たちは何もしてあげられなかった。だから、今度ばかりはなんとかしてあげたいの。高校ではじめて連れてきた友達と、悔いのないようにしてほしい。何度も何度も、私たちの不甲斐なさを押し付けてしまってごめんなさい。でも、これが最後の機会なの」


 娘のことを思ってだろうか。古賀母は微笑みながらも、どこか寂しげに瞼をまたたかせて去っていった。

 呆然と立ち尽くすトオルの中で、壊れたオルゴールのようにその言葉が繰りかえされた。


 ――奨学金を受けとるため。


 なんだそれは。素直にそう思った。話が違う。彼女はたしかこう言った。舐められないように勉学に励んだと。半ば見栄を捨てきれずにいれば、それが長じて、お嬢様という仮面を被ることになってしまったと。

 親の欲目か。そう思い込むこともできた。だが、そんな予兆がなかったか。彼女のふとした言動、その仕草に嘘がなかったか。そう思えば、心当たりなどすぐ行き当たった。


 彼女はたぶん、他人を悪く言うことができないのだ。近在では珍しい完全給付型奨学金の城附を選んだのも、いつしか自らの望みであったと思い込む。

 すべては自分のせい。そうやって抱え込み、けれど天使のように笑っている。その彼女が、金田を苦手と称した。考えるまでもない。手を差し伸べた古賀家を道連れにする。そんな男が、到底まともなはずがない。なのに、それでもいい人と枕詞をつけ、そのうえ自らの将来を天秤にかけた。

 イカれている。そんな人間が存在しうるのか。

 今ならば、わかる。

 彼女の家で歓待を受けた時、どうして尻込みしたのか。

 だってそうだろう。少しでもまともならば、こんな彼女とまともに付き合うなど思い上がれるはずがない。

 遠目に仰ぎ見るしか、トオルには許されないのだ。


『凄まじい女だな』

「……うん」

『会って、やれよ。じゃなきゃお前、一生後悔すんぞ』


 トオルはしばし立ち尽くし、そして駆け出した。

 肩で息をしながら、城附校生が集まる観覧席にまで戻ってくる。心配そうに駆け寄ってきたクラスメイトを手で制した。


「こ、古賀さんって居る!?」

「彼女はたしか……おい、誰か知ってるか」

「はいはーい、ハルがどうしたって?」


 と、どこかいやらしげに瞳を波打たせながら現れたのは、学校のTシャツを来た女子生徒だった。


「今ちょっと出てるけど。それより、ハルに何か用事なの? 簡単なことなら、私が伝えておこうか」

「あ、えっと、直接じゃないと」

「ふーん。やっぱ脈なしかぁ。ま、ハル相手じゃしょうがないか」


 彼女はどこか気落ちしたように声のトーンを下げると、おもむろに取り出した端末でメッセージを送った。


「一階の更衣室にいるから。あ、あとそれからサイズ合ってるか聞いといてね」

「サイズ?」

「はいはい。早く行かないと試合時間になっちゃうよー」


 そうしてトオルは回れ右させられると、そのままなんとなしに走るしかなかった。言われたとおり、女子更衣室の前までたどりつく。

 ちょうど出てきた人に伝言を頼むと、やがて一人の少女が扉から顔だけだした。


「なおみ? よかった。これ胸がキツくて」


 ひゅっと無防備に顔を出した遥菜と目があう。

 固まってしまう彼女を尻目に、トオルはドアの隙間から覗くそれに眼を奪われていた。

 すなわち、やけに露出の多いオレンジカラー衣装からはみ出す、それを。

 いつかの焼き直しのよう。彼女の耳が、林檎のように赤くなる。

 それをトオルは、どこか他人事のように見ていた。


「ご、ごめんなさい!」


 そして彼女は、バンと扉を閉めるとか細い悲鳴をあげる。

 凍り付いたままのトオルに、アークが軽く口笛を吹いた。


『何色だった?』

「……白」


 トオルは、呼び出しを頼んだ女子生徒に思いっきりビンタされた。



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