4-2:

 アキラは控え室で瞑目したまま静かに頭の中で呼吸を数えていた。

 逸る心とは対照的に、心音は常日頃と変わらぬ速度を保っている。身体は素振りをして適度にあたためておいた。

 すぐ側の控え室に仇敵がいる。考えれば、これほどまでに高揚した試合はなかったかもしれない。

 かつての日々は、すべてが既定路線だった。武とは己を高みへ誘うものであり、感情のまま振るったことはない。ある意味では、アキラは大人すぎたのだろう。子供のように甘えることができなかったゆえの、感情の発露だ。それに気付かされれば、より心は弾んでゆく。ともすれば緊張すら伴って。

 ヘッドギアのベルトが、手の震えで締められない。呼吸を深くして、平静になれと言い聞かせた。スタッフが呼びに来ると、アキラは椅子から立った。全身の筋肉は煮えたち、骨という骨がゴリゴリ音を立てている。延々と続く闘争にすら耐えうる、高い境地での極まりだった。

 廊下を渡ると知らず拳が軋んでいた。帯刀した双剣が鞘の中で揺れ、血を吸えと叫んでいるようにさえ聞こえた。


 ゴム樹脂製のハードコート。スポットライトの彼方に、白仮面が影を伸ばしている。

 細身の体躯、すらりと立つ姿勢。どこまでもあの夏目トオルに似ている。

 が、それは一度飲み込む。相手に倣い、首筋に刃を叩きつけることだけが望みだ。

 柄を握る手に、剛力を篭める。怖がる膝を奮い立たせ、一歩一歩と歩みを進めた。

 急に空気が変わる。深い闇に溶けるような、悪く言えば薄く儚い仮面の男から、日の輪のような輝きが放たれた。SNPの思念、闘気と呼ばれる力の発露だった。

 気圧され、アキラは咄嗟に構えをとる。怯えをごまかすよう、口を開いていた。


「キミの正体を聞こうとは思わない。

 だが、一つ教えてほしい。あのときの相手はキミなのか」


 しんと会場に染み渡る。不敵に外套をはためかせた仮面は、掌を大きく広げた。


「私は、三界の覇王エル。現世と異世、そのまた彼方は、この私の手の中にある。

 ならばこそ、どこにでも現れるだろう。障害となるものがあるかぎり。

 私は虚構、欺瞞、その他一切の偽りを破壊する。このまやかしで塗り固められた世界を」


 理解不能なポエムとは裏腹に、ヒリヒリと身を焼くようなプレッシャーがアキラを突き刺した。負けず、背に刃を舞わせる。

 そして、凄絶に笑んでみせた。

 勝つのだ。細事などもはやどうでもいい。言葉を交わすのもやめだ。引き裂き、壊し、血肉の海に沈む肉体を踏みしだき、その頂上で詩を吟じよう。それこそ、まさしく世に遍く武の本懐なのだから。


 ――自分はたぶん、こんなときを待っていた。


 強烈な燐光が発される。女と見紛うかんばせは、凶相へと転じていた。

 アキラは鞘から刃を抜き放ち、構えを取った。刀身には、炎のように燃え立つ双眸がくっきりと映じられている。それは光の加減で影が走り、どこまでも歪んでみえた。

 じゃん、と一つ、銅鑼が鳴らされる。そうして、二つの光は激突した。




 § § §




 ――そうして、戦いの火蓋は切って落とされた。


 トオルは青眼に構えると、降臨アドベントと叫び主導権を入れ替えた。

 アークはいつもと変わりないが、相手とて望んで闘うのだ。準備や研究に余念はなく、またこれまでの相手とは力量も桁違いだろう。幽体となったトオルは、他人事でありながら瞬きを忘れていた。

 向かい合う朝来野、刀身がわずかばかり震えている。激しく呼吸すると右手を掲げ、潰された白刃に光を照り映えさせた。


「行けっ!」


 瞬間、彼の背後で輪のように回転していた五本の刃が意志を持ったかのように打ち出された。

 きらりと光が走る。右半円に駆けながら、最小限の動きでアークは刃を躱した。四つ目で弾き、五本目と衝突させる。右脚の大臀筋を軋ませ、飛翔するように駆けた。

 読んでいたのか、カウンター気味に朝来野が双剣を振りまわす。

 かち合った瞬間、凄まじい火花が散った。拮抗は一瞬だ。矮躯気味な朝来野は、膂力に押されて吹き飛んだ。

 追い討ちを掛けようとするアークに、再び五本の刃が襲い掛かる。苛立たしげに舌打ちを漏らしている間に、朝来野は体勢を立て直していた。


 アークの身のこなしは傑出しているが、計七本の刃で食らいついてくる朝来野相手には手を焼いている。

 一太刀一太刀で彼が痛みに喘ぐのは初戦と変わらないが、挑戦者と意識を新たにしているせいで、中々打開策が見当たらなかった。


『アーク右!』

「うっぜーな、このドラグー○!」


 後ろから見ていて、アークの歯痒さのようなものをなんとなしに感じ取っていた。

 というのも、本来の得手である分厚い大剣と、切り裂くことに特化した刀の違いに戸惑っているのだろう。

 そのうえ、他人の身体を使うという根本的な違和感だ。男女差もある。想像する可動域が違えば、筋力量や視点まで違う。それに恐らく、アークの利き手は右だ。左利きであるトオルとでは、極端に左右のバランスが異なる。思い描く通りの動きを実現できないのだ。


 それでも、凄まじいステップワークで的を絞らせない。

 感覚拡張系ESPの賜物なのだろうが、無軌道に見えてひたすらに右側に自由を与えないよう舞う白刃。それを逆手にとるようやりすごす。

 びょう、と耳元で激しく音が鳴るほどの至近で躱し、ガラ空きの脇腹に回し蹴りを叩き込んだ。

 朝来野は大きく転がって咳き込む。その隙に、飛翔する二本の刃を両断する。残り三本ともなると、仮面の下に笑みを浮かべる余裕さえあった。


『す、凄すぎる……』


 ひどく当然の話だが、同じ肉体を使っている以上、トオルとアークを分けるのは純然に技量のみだ。

 パワー、スピードはもちろん、能力も等しい。トオルなら飛翔する刃一本で右往左往しそうな強敵相手に、アークはその本体へ攻撃を叩き込むこともできる。

 使い方の問題だということは理解できるのだ。足全体を強化するのではない。筋肉の一部、地面への反発、すべてが驚くほど滑らかに行われている。そのうえ、往年の師範を思わせる読みの確かさが併されば、たちまちエルのような怪物へと変貌させた。


「へえ、中々悪くねえな。お坊ちゃん」


 ガッ、と金属の噛み合う音が鳴り響く。

 すべての刃を叩き落としたアークは、朝来野渾身の一撃を軽々受け止め、口笛を吹いた。


 飛び退いた朝来野が総毛立つ。地力が違いすぎることに気付いたのだ。

 乗用車とスポーツカーが競争するようなものだ。いい勝負になるのは並んだ序盤だけ。一度真価を発揮されれば、文句なく引き離される。

 そうなってしまえば、もはや凄まじいまでの差に戦慄するしかない。

 思考をまとめる暇を与えず、アークは追撃した。

 双剣を打ち払い、手首を掴んで投げ飛ばす。背から地面に打ち付けられ、朝来野は肺の空気を残らず吐き出した。起き上がる前に脇腹を蹴りつける。なんとか立ち上がるも、刀を担ぐアークは開戦当初のように余裕綽々としていた。


 短期間の間に無酸素運動を繰り返したからか、朝来野の防刃衣はぐっしょりと汗をかいていた。垂れた前髪はへばりつき、頬は傷が数本走っている。

 そもそも、鉄塊を振り回すのに並大抵の体力では持たない。胆力とて要る。いくらセーフティがあるとはいえ、鉋で精神を削るような修羅場なのである。尋常の精神では五分とて呼吸をつなげまい。


 けれど、その燃えるような眼差しは一点の曇りもなかった。

 それに、トオルは眩しさすら感じた。勝てるわけないのに、なぜ挑むのだ。そんな疑問すら湧いてくる。

 勇気と蛮勇は違う。

 不屈と諦めの悪さは違うのだ。

 なぜ戦えるのか。そんな風にさえ、トオルは感じていた。


 彼の何がその身体を支えているのだろう。理解できない、そんな恐怖が気だるく全身を包む。

 アークにはわかるのだろうか。傲岸不遜に歩く勇者ならば。


 朝来野が剣を杖に立ち上がる。ギャラリーが沸き立った気がした。なぜだ。我を張る必要などないだろう。こんな、練習試合同然の仕合で。

 それでも朝来野は構えた。

 それが、何よりも恐ろしいものに思えた。


「なあ、ちょっといいか」

『……なに』


 気まずそうに、自分アークが振り返った。


「悪いんだがよ、時間切れだ」


 キーン、と世界が音を失う。強制解除でトオルは自分の身体に吸い寄せられた。

 視点が変わり、朝来野の姿が大写しになる。彼は疲労困憊の状態で太刀に手をかけると、腰だめに構えた。


「う、嘘でしょアークっ」

『心配すんな。どうせロクに動けやしねえ』


 剣先を震わせながら構える。それを合図に、朝来野は襲いかかってきた。

 二人ははじめて、己の意志で剣をうちあわせた。

 技量で勝てるはずがない。

 トオルは鍔迫り合いに持ち込むと、力任せに押し込んだ。


(たしかに。なんか、いけそうかも)

『バカっ、油断すんな!』


 至近で覗き込んだ朝来野の瞳は、たびたび線が走り、瞳孔も開いて閉じるを繰り返している。

 もはや、まともに意識を保つので精一杯なのだろう。

 トオルは遮二無二押し込むと、大気を裂いて得物を振るった。


「うあぁぁぁぁぁ!」


 五臓六腑から怒号を放ち、連撃をお見舞いする。刀は肩を裂き、頬を掠める。休ませるわけにはいかない。畳み掛けるのだ。

 そんな技量の欠片もない本能のままの動きに、朝来野は眉をしかめ、しだいに眦へ涙を溜めていった。

 顔を振ると、雫が宙を舞う。必死に抗いながら絶叫した。


「なぜ、なぜ遊ぶ! ボクじゃ相手にならないっていうのか!」

(そりゃ僕は、アークじゃないからねっ)

「答えろ! キミに士道はないのか!」


 刃先が振られると同時に、朝来野最後の足掻きが放たれる。

 大気が歪むと、一陣の影が激しく走った。

 隠し刃!

 彼の代名詞、飛ぶ斬撃が袖から飛翔した。

 トオルは理解する前に、反射的に転がった。

 音もなく、静かに外套の端を掠めてゆく。


 それを朝来野が苦々しく見つめる。さっきまでの舞踏のような動きではない。地面を這いずり回るような、みっともない動きである。

 しかし、彼の身体もすでに限界だった。

 怒気で身体を奮い立たせているが、視点は定まらず、一寸先さえも霞んでいるような状態だ。

 かすかに血の匂いがする。さっきアークが打ち込んだ蹴りが、体内を壊したのだろう。


 立つのも精一杯。

 時間は相手に利するのみだ。

 決着のしらべは鳴った。


 トオルは身体をねじると、腰から肩まで斜めに切り上げた。

 一直線に放たれた袈裟斬りは、無防備な朝来野の胴を切り裂いた。

 彼は肺の空気を残らず吐き出しながら、虚空を舞う。

 どさりと静かな音をたて、砂埃がかすかに舞った。

 納刀し、静かに外套をひるがえす。

 脳裏に焼き付いた彼の恨み節を思い返しながら、トオルは深く息を吐いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る