第3話 這い上がることができますか?

 結局、光太郎とは休みが合わない。二人で偵察、の予定は立たなかった。

 土日のうち、どちらかでも休みにしたかったけれど、いまは人手が足りない。

 由佳子がいたところで戦力にはならないけれど、数字上、自分を一人分、としてカウントし、混雑時にはレジフォローするようにしていた。ただの数合わせだ、と自嘲しながら。

 ヘルプで入ってみても、逆に迷惑をかける始末だ。社員バッジのおかげで、やたら問い合わせを受けるけれど、研修マークをつけておきたい。大きく、目立つように。

 アルバイトを募集しようか考え中だった。人件費を考えたら正直厳しい。しかし店長の仕事をこなすことがままならない。自分より戦力になる、救世主が突然現れてくれないものだろうか。

 由佳子はため息をついた。

「ご飯を食べているときに、ため息をついていてはいけませんねえ」

 事務所のテーブルで、ずっと本を読んでいる森が話しかけてきた。

「そうですね」

 片手にサンドイッチを持ったまま、由佳子はスマホをいじっていた。

「とりあえず食べちゃえば」

「ですね」

 ながら、は良くないとわかっているのに、別の書店のベストセラーリストを眺めていた。どの店のランキングも、だいたい同じ本ばかりで変わりばえがない。

「でも、うちのベストセラーはちょっと変ですね」

 由佳子は売れ筋のリストをひっぱり出した。

「ほう」

 森が由佳子の隣に座った。

「どういうふうに?」

 興味深げに覗きこんだ。

 これは、図らずもクイズになってしまったのだろうか。

「うちの店の売れている本、とくに文庫。もちろんその時々の新刊やメディアミックスのものが入っているんですけど、半分くらい全然よそにないタイトルですね」

 由佳子は慎重に答えた。

「仕掛けていますからね」

 森は当然だ、という顔をした。文芸を総括している自負心のようなものが窺える。

「どういうことですか?」

 クイズの答えはでた。でももう少し詳しくお願いしたい。

「もちろん、売れているものをどう売るかは大事だよ。お客さまが見つけやすい、一番いいところでどかんと売る。これはもう本屋としては、晴れ舞台みたいなものです。人気コミックなんて、凄まじいでしょう」

「ああ……」

 由佳子は初出勤の朝を思い出した。

 その日は少年コミックと付録付きの女性誌の発売が重なり、朝から大忙しだった。紐切カッターなんて初めて持った。雑誌の棚にかけられた紐を切ってはかかっているビニールを次々と剥いでいく。

開店前の店内では、全員が黙々と作業をしていた。

 手伝います、と腕捲りをして乗りこむと、じゃあコミックに特典ペーパーを入れて、シュリンクしておいて、と頼まれた。

 すべてを終わらせることなく店はオープンし、開店早々、人々が飛び込んできてコミックを買っていく。

 レジのマニュアルは事前に読んでおいたものの、いきなりの実戦になってしまった。助けを呼ぼうにもスタッフは忙しそうだ。

 あまりにもとろくさかったものだから、長い列ができた。並んでいたおやじが、

「別のやつがレジしろ!」

 と怒鳴り散らした。

 思い出して、由佳子が沈んでいるのを森は嬉しそうに眺めた。なにが楽しいんだ、と顔をしかめると、

「美しい誤読」

 と森は言った。

「なんですか?」

「僕がポップ作りで心がけていることです。人は完璧に理解することはできません。意図を読み違えているかもしれない。でも恐れずに、誤読したとしても美しくあろう、ってね。読書というのはこの世で一番ロマンティックな行為ですから」

「いいですね」

 由佳子は感心した。

 誰かの言葉でなく、本当に、森自身の経験から生まれた言葉。力強く、心地よく響く。まるで一輪、花を差し出されたみたいに。

「僕も全部が全部できているわけではありませんがね」

 森は不思議だ。店長マニュアルにはアルバイトのこれまでの経歴や仕事ぶりも書かれていた。他のスタッフのことはある程度由佳子は把握することができた。

 けれど、森に関してはほとんど書かれていなかった。


『注意 森さんにはよっぽどの事態でない限り、レジ・その他雑務を頼まないこと。基本フリーで動いてもらう。』


 とあった。

 森は創業からいるスタッフだ。普通だったら定年退職となるところを、こちらが頼んで相談役としてきていただいている、らしい。だからといって、人の仕事をあれこれ指図したりしない。相談されるまでは放っておくのが信条のようだった。

 そういえば、「考えて。間違ったとしても構わないんだから」と言われたっけ。まるで自由な校風の女子校の先生、といったところか。

 幸田凛を弟子、としていて、あれこれ作戦会議をしているのを見かけるが、ほぼ、任せっぱなしだ。

 いつも事務所の椅子に座って、本を読み、いまは「バズりポップ職人」となっている。

 先日も、スマートフォンを器用にいじりながらSNSをチェックしていた。動画作りにも挑戦するつもりらしい。とんでもなく勤勉だ。

 自分が森の年齢になったとき、そんなふうに自分の仕事を追求し続けていることができるのだろうか。

 仕事を超えて、本を誰かの手に届けることは、森の人生を賭けたテーマ、なのだろう。

「売れているものはたくさん売る。しかし新刊だけが売れているわけではないんです。新刊に頼り切りになると、目玉商品がないときに地獄を見ます。むしろ、売上の大部分は既刊が作っているんですよ。話題作や定番をきちんと棚に置かなくてはいけません。なので棚のチェックは面倒がらずに、こまめにしておかないと。文庫は取次に自動発注を頼んでおけば安心、なんてことはありません。注文書にあるランキングもくるたびに確認しておき、シリーズものの抜け巻を作ったまま放置、なんてことのないようにしなくては」

 森は流暢に語った。ほんとうに、先生みたいだ。

 本部が作ったマニュアル用パワポにもあったので、頭ではわかっているつもりだった。

「まず、この本屋に行けば、必要としているものが必ずある、と思っていただかなくてはなりません。お客さまが求めているものを、ちゃんと手渡すこと。それが第一。そして第二に、なにか面白いものがないかな、とやってくる人に、例えばこんなものはどうですか、と提案をする。それは現場にいないとできません。本部が提案してくる商品やフェアは、ありゃあ、机の上で数字を眺めて決めて、出版社との取引だのと、まあ、ざっくり言えば、政治ですよ。もちろん乗っかりますが、僕はね、自分が面白いと責任を持って……」

 森の顔はぐっと真剣味を帯びた。表情が豊かな人だ、と由佳子は思った。

 レジ呼び出しのベルが鳴った。

 防犯カメラのモニターを見ると、レジが混雑していた。他のスタッフもお客さま対応真っ最中だった。

「行ってきます」

 由佳子は立ち上がった。

 森の話の続きは気になるが、またいずれ。事務所で作業をしているときは、いつだってそばにいるのだ。機会はいくらでもある。

「現場にいれば、すぐに身に付きますし、僕が言わなくても気づきます」

「はい」

 由佳子は頷いた。

「這い上がったとき、いつもいた場所が違うように見えたなら、きっと、爽快でしょう」

 這い上がる? 由佳子は森の言葉の真意を掴めぬまま、事務所から飛びだした。

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