第2話 相思相愛なんですか?

「由佳子!」

 ファミリーレストランに入るとすぐに、耳に声が届いた。

 鷹村光太郎が立ち上がって手を振っている。

 その大柄な身体は悪目立ちする。まわりの人々がジロジロ眺めていて、いつものことながら由佳子は少し恥ずかしかった。

「待った?」

「いや、俺もきたばっか」

 隣の女の子二人組が、幸太郎と由佳子を盗み見しているのに気づいた。

 由佳子は知らないふりをして、注文用のタブレットを操作した。

 女の子たち、きっとがっかりしたろう。なんでこんなたいしたことのない女を待ってるんだよ、って。

 いつだって由佳子は光太郎といると、周りの目が気になる。わたしたちは付き合っていません、と拡声器を使って宣伝して歩く必要があるのだろうか。

「光太郎なににするの?」

「うーん、からあげのセット」

「いつものやつね」

 深夜のファミリーレストランは、それぞれが勝手気ままに過ごしていた。

 ノートパソコンを開いている者、読書をしている者。ぱんぱんに膨らんだ鞄を脇に置いてんぼんやりしている者。

 夜を持て余し、明けてくれるのを待っている。

 注文を終えると、トイレ、と光太郎は立ち上がった。

 隣の女の子二人のおしゃべりが嫌でも聞こえてきた。

「そりゃいないよねー」

「ああいうのはさ、ティンダーじゃ出会えないでしょ」

 マッチングアプリを開いているらしかった。もしアプリに光太郎の顔を見つけたら、彼女たちはメッセージを送るつもりだったのかもしれない。

「お待たせ」

 光太郎が水を持って戻ってきた。

 食事が運ばれたあたりで、隣の女の子たちは名残惜し気に幸太郎を見やりながら席を立った。

「光太郎」

 由佳子は味噌汁を飲んで一息ついて切り出した。

「なんだ?」

「彼女できた?」 

 その問いを、光太郎は無視して、唐揚げを口に運んだ。ゆっくりと噛み、飲みこんでから、

「いや」

 と簡潔に答えた。

「由佳子は?」

 そう訊き返され、ご飯を口に入れた。何回噛めばいいんだっけ、と思ったものの、すぐに飲みこみ、

「いや」

 と真似をした。

 二人は会うたびにこの問答をする。

 まるで、お互い「抜け駆けすんなよ」「勝手にパートナーを作るなよ」と牽制しあっているように見えなくもない。

 二人は大学の同級生だった。

 はるか昔だが、飲み会で酔っ払った光太郎が、

「まあ結婚するなら由佳子だなあ。俺に彼女ができなかったら、そのときはもう偽装結婚でもしようか」

 と由佳子に軽口を叩いたことがある。

「絶対嫌なんだけど、あんたみたいなごついの。佐藤健がいい」

「佐藤健のほうからお断りだろうよ」

 由佳子は光太郎のおでこを叩いたことがあった。酔っ払いのやりとりだった。なのに、その場面を由佳子は鮮明に思い出すことができた。

 二人は大学を卒業しても、月に一度は飯に行く仲だった。

 幸太郎は彼女ができてはすぐに別れるを繰り返していた。いまはちょうどいない閑散期だ。どの人も、由佳子とは正反対の、ちょっと派手目な女の子だった。光太郎が学生の頃、「どっぷりハマった」あの娘とも似ていなかった。

「告白されたら断れない」

 と光太郎は困った顔を拵える。

 照れ隠しなのか本心なのか。

 自分がそういうそぶりを少しでも見せたなら、どんな態度を取るのだろうか。由佳子は考えることもあった。

 困らせたくなかったし、いまの距離感で楽しくいるのが一番いい、と思う。


 食事を終え、今日あった散々な出来事を語った。

 光太郎は爆笑した。手を叩くの我慢しているらしく、胸を抱えこんで震えていた。図体同様、リアクションも大袈裟だ。

「面白いじゃん職場の人たち」

 光太郎の言葉の一つ一つが、あまりにも混じりっ気がなく、心の底から言っているのがわかった。

「そりゃ関わらなけりゃ、面白いでしょうよ」

 目の前で笑いを堪えている大男を、冷たい目で眺めた。

 いまどきの女子高生は箸が転がったくらいで笑わない。だが、光太郎はおかしがる。そういう何事も笑い飛ばすところは、彼の長所だ。

 しかしいまはファミレスで、ただ恥ずかしい。

「深刻に受け取りすぎなんだよ。そこがいいところでもあるけどさ」

「光太郎はポジティブでいいねえ。そこがいいところなんだけどね」

「お互い賞賛し合っているんだが」

「相思相愛だね、わたしたち」

「だな」

 即答されると、少しにやけた。相談相手には向かないが、気持ちを切りかえてくれる人、として大変好もしいと思う。

 そう、いい友達だ。

 好きなタイプはスポーツマン、という人がいる。

 光太郎は、そういう意味では身も蓋もないくらいだ。明朗明快。

 屈託の一つでも見せてくれたらいいのに。これまで付き合ってきた女子たちには見せたのか。あの子にはーー。

「面白そうだし、営業の途中で寄ってみようかな、店。五反田だろ」

「別にわたしの店じゃないよ」

「だって店長じゃんか」

「なにもわかっちゃいないから、どうせ陰で『店長がバカすぎて』って陰口を叩かれてる。『書店ガール』の皆さんにさ」


 由佳子はオープン前から勤務することが多い。人気コミックや雑誌の大量入荷のときには、頭数として自分を入れた。

 現在早番は、森を抜かして三人の女性で回している。いつだって人手が足りない。

 由佳子がなにかやらかすと、勢いこんで注意をしてくる幸田凛。

 彼女は高校を卒業してすぐに、『さかえブックス五反田店』にアルバイトとして入った。本が好きで、お客には親切で、と周囲からの信頼が厚い。現在は森のアシスタントとして文庫棚の担当をしている。

 ただ、社員に対しては敵意丸出しだった。

 ここしばらく、店長が二人交代した。どれもこれも、ダメなやつ、だったらしい。なので自分がなんとかしなくては、と息巻いている。

 やる気のあるバイトは大歓迎だけれど、それにしても言い方ってものがあるだろう。きたばかりの由佳子の無知を、とにかく小馬鹿にしてあげつらう。

「ハヤカワ文庫にカバーするのに、普通の文庫カバーをかけたらはみ出しますよね?」

「図書カードは包装前にお客さまに最終確認してください。もし違うカードを間違えて入れたりしていたらどうするつもりですか」

「コミックにシュリンクをかけるときは丁寧にかけてください、スピードを落とさずに」

 とにかく強い口調で指摘する。

 本屋とは、こんなにスパルタなものなのか? と由佳子はとにかく慌てふためきながらメモを取った。

『ようこそさかえブックス江』と表紙に書かれた、歴代店長がアップデートさせていったマニュアルが、アルバイトには内緒で虎の巻のように伝承されている。

 由佳子は家に持ち帰って一読したのだが、現場に入ってみると、慣れていないので凡ミスをしでかす。すかさず幸田が突いてくる。

 明日、自分はなにを起こしてしまうのか。

 考えれば考えるほど、暗くなる。とにかく店舗というのは毎日イレギュラーなことだらけだ。仮病を使いたくなる。入社してから無遅刻無欠勤を貫いてきた自分が!

 由佳子は先月まで、サカエグループのファッション通販部門に所属していた。

 株式会社サカエは、五反田で書店を開店したところからスタートした。本が売れなくなった世の気配を事前に察知し、雑貨事業を始めた。

 オリジナルキャラクター商品が大いに売れ、アパレルにまで広がり今に至る。いまではメインはそっちだ。

 書店は関東に数軒あるのみ。

 五反田の面々は、さすがに会社もこの店を潰すことはないだろうと安心しきっている。

「うちの店を潰したら、サカエはオワコン呼ばわりされて破滅よ」

 アルバイトの誰かが言っていた。

 だが、これからどうなるかはわからない。

 何度も閉店が議論になったという。実際、会社は書店事業から撤退したいと考えている。

 由佳子はアパレルを希望し入社した。

 自分の願いの叶った職場でやりがいを持って働いていた。

 だが先月、突然内示を受けた。さかえブックス五反田店の店長に、と。

 部署替えは当たり前にある。サラリーマンの宿命だ。

 ほぼ社内では不良債権と化している書店事業、創業からの伝統を守るためだけに存在する見込みのない店舗に出向くというのは、完全に出世コースから外れた、と由佳子は認識している。

 再び自分のやりたい仕事に舞い戻るためには……。

「売上をアップさせて、またもどってこいよ!」

 かつての上司に、そう言われた。


「頑張らないと」

 とにかく、チャレンジあるのみだ。

 年々売り上げが落ちているあの店を、なんとかせねばならない。

「コジマくんからラインきた。終わったって」

 窓際のボックス席で声が聞こえた。

 さっきからずっと、スマホでゲームをしている大学生らしき三人組である。ゲームを中断し、まるで周りに教えるみたいに大きな声だ。若いって、しょうもない。

「ショーノさんくるって?」

「くるわけねえじゃん。そういや就活のエントリーと一緒に読書感想文出せっていうからさ、本読んだんだよね」

「え、ヨシユキくんのくせに?」

「うるせえ」

「なに読んだの?」

「『コンビニ人間』」

「有名じゃん、どんな話」

「コンビニの話」

 聞きたくもないのにやりとりを耳にしてしまい、吹き出してしまった。なんていう感想だ。しかし、彼らを由佳子は笑うことができるだろうか? しばらく落ち着いて読書なんてしていない。

「どうすれば、うちの店が変われると思う?」

 由佳子は訊ねた。

 やっぱり、餅は餅屋、なのか。ベテランバイトたちに任せておけばいいのだろうか。彼女たちは毎日創意工夫を繰り返している。森に助言を求めている。

 書店のことがわからない自分のアイデアは、ベテラン陣からすれば、鼻で笑われてしまうものなのかもしれない。でも、なにか。

「今度の休み、デートしようぜ」

 光太郎の言葉に、由佳子は驚いて、グラスをあやうく落としかけた。

「本気で言ってるの?」

 どこか遊びに行ってリフレッシュしようということだろうか。疲れている時に、心臓に悪い。

「よその店、偵察しよう。やはり敵を知らねばならんよ」

「ああ」

 そういうことか、とほっとしたような、残念なような。

 光太郎と過ごす時間は楽しい。しかし複雑でもある。

「第一に、まず由佳子が本を好きにならなきゃな」

 光太郎は、好感度百点満点の笑顔を由佳子に向けた。

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