第5話 入院前 5

 結局思いついたのは誰でもが考え付きそうな「べた」な言い訳だった。

 金曜日、僕は病院に出かけると、受付の事務員に、

「実は食道ガンと診断されているんですけれど・・・身内のものと相談しましたら、同じガンに罹った叔父がぜひx病院にしろ、自分はそこで治してもらった、と強く勧めてきまして。こちらで相談できないかと思いまして」

 と告げた。女子事務員は、ああ、と頷くと、

「ではあちらでご相談ください」

 と、目の前にある部屋を指さした。そこへ行き、同じようなことを今度は男性の事務員に説明した。

「なるほど、そうですか。ではY先生に紹介状を書いていただけるか確認しなければなりませんね」

 その男性事務員は僕にガンに罹患した叔父がいることを全く疑っている様子ではなかったし、そういう相談が特別なものではないという態度であった。

「ちょっと待っていてくださいね。今日はY先生は在院しているかなぁ?」

 そう言いながら男性事務員はてきぱきとコンピューターを操ると、

「いらっしゃるみたいなんでちょっと確認しますね」

 そう言って席を外した。この病院でもっとも効率的でかつ良心的な動きだった。もし、彼がこの病院で最初に接触した人間だったら、この病院全体に対する印象もだいぶ違っていただろう。


 さて、叔父の話だけど・・・正直な話、僕には叔父はいない。というより身内でガンに罹ったのは脳腫瘍で亡くなった従兄弟一人きりで、それも五十年以上前の話である。そのせいか、二人に一人は罹患するというガンも自分にとってあまり現実的な話ではなかったともいえる。その空想の叔父に登場してもらったのはいわゆる白い噓(white lie)というものだと僕は内心で弁解していた。

 おそらく病院の見立ては間違えないだろうし、その病院がガン治療で実績があることもホームページを見ればわかる。でも、岐路にあたっては僕は自分の直観を常に重視してきた。大学を決めたのも、受験当日晴れた日にツタに覆われた図書館を見て、その荘厳さに

「ここにしよう」

 と決心したのだ。上級職の公務員試験後に霞が関を回りながら最後に学閥の違和感を感じて民間に就職を決めたのも直観だった。そして30年以上勤めたその会社が最初に早期退職者を募集した時に辞めたのも直観であった。そうした直観が結果的に正しかったのかどうかは分からない。でも、今まで直観に従ったことを後悔したことはない。

 僕の直観はこの病院で手術をすべきではない、そう告げていた。

 男性職員はすぐに戻ってきて、

「大丈夫だそうです。少し日にちがかかりますけど、取りに来られますか?」

「はい」

「では、準備ができたらお電話します。一週間以内にはできあがります。所定の費用が掛かりますの来た時にお支払いください」

「あ、そうですか。ありがとうございます」


 面倒な話になるのではないかというのは杞憂だった。一週間後、僕は大学病院の紹介状を手にx病院に予約の電話を入れた。

 x病院と書くのは本来、その病院は名前を挙げたいと思うくらいまともな病院なのだが、どうしても一点だけ許せない話があって、それは病院にとっては盲点かもしれないただひとりの看護士の話であるからである。それにその看護士が病院の職員であるのか、臨時のバイトのような人間であるのかもわからない。いずれにしろその経緯はあとで書くことにしたい。

 病院の予約が取れたのは3月の初旬、診察の後すぐにいくつかの検査を受けた。この病院のシステムはその前の病院よりはるかに進んでいて、患者はいったん病院に入ったら、配布される通信端末に行動を順次告げられるというものであった。時折その順序が先方の都合で重なったり逆になったりということはあるが、少なくともただ不安な感じで待たされるよりはだいぶましだった。

 最初の診察は消化器外科のIという名の医師で、僕が末梢神経の薬を飲んでいることを知ると痺れの原因が血栓にある恐れがあるので、その検査を勧められた。標準治療は外科手術、同等の治療方法として放射線と化学療法の併用、ただしステージによっては変化する可能性があるので再度内視鏡検査を受け、併せて体全体のスキャンをする検査を行うと言われた。がん細胞は成長にあたって糖分を消費するのでその状況を確認するらしい。(ここらへんの科学的説明は僕の知識の範囲を超えているが)

 x病院はどちらかというとガンに特化した病院でガンに関する限り各科の連携は極めて緊密に見えた。前の病院でも、消化器外科までいけば同じようなことが起きたのかもしれないけど少なくとも僕が話した医師で判断する限り、こちらの病院の方が遥かにプロフェッショナルな動きのように思えた。

 検査を受け、放射線科の医師の話を聞き、少なくとも二つの選択肢がここでは与えられた。もちろん場合によっては治療を受けない、というのも選択肢の一つであるがこの段階においては医師には承服しがたい選択肢であろう。

 I医師は柔和な表情で、

「もう一度内視鏡の検査をして本当に内視鏡の手術では取れないかも見てみましょう」

と言ってくれた。その可能性は低いのだろうが、そう言ってくれたことに感謝して僕は二日にわたる診察と検査を終えた。検査の結果は一週間後ということだった。

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