第4話  入院前 4

  検査の結果を聞きに病院に行ったのは五日後のことだった。

 カウンターで手続きをしてからエスカレーターで二階に上がり、待合の廊下に座ってあたりを見回す。どこの病院でもそうだろうけど、圧倒的に老人の数が多い。もちろん60を越えた自分自身ももう老人と言って差し支えないのだけど、自分より一世代上の老人が僕よりちょっと若いくらいの人(子供と表現するのは憚られる)に付き添われて廊下に座っている姿が目立つ。

 老々介護は現実の存在なのだ。病院にやってくるのでさえ、自分にとっても一苦労になる日々が近いのだ、と思うとため息が出る。

 やがて掲示板に自分の番号が出る。それに応じて部屋に入ると医師はちらりと僕を見やった。そこに格別の表情はない。

「それでは説明しますけど・・・。結論から言うと内視鏡の処置では無理ですね。これをご覧ください」

 と言ってモニターの画面を操作した。

「ここからがガンです」

 素人が見てすぐわかるものではないけど、やはり色や表面の形状が違っている。色は鮮やかさがなく、表面がざらついたようで、ガンはもともと「岩」の意味なのだという俗説が少し分かる気がする。

「内視鏡で何とかするには範囲が広すぎて無理ですからね、手術が必要です」

 医師は威厳をたたえたような口調で宣告した。

「・・・そうですか」

 CEA5.7の数字はやはりダテではなかったわけだ。

「ですね。この結果は消化器外科に伝えますから、手術のために改めて受付で手続きを行ってください」

 どうやら選択肢なしで手術という見立てらしい。

 部屋を出て言われた通り、階下の受付に行く。と言っても様々なカウンターがあって分かりにくい。空いていたカウンターの一つで尋ねると、一番奥にある受付で手続きをして下さいと言われた。

 そこへ行って番号札を取って待っていると、患者と看護士が内視鏡の検査について話をしている。僕も内視鏡検査を最近やったばかりだから看護士が何を伝えたいのかは分かる。まあ、尾籠びろうな話なんだけど・・・。だが患者の方はどうも要領を得ないようでちっとも話が進まない。話が進まないと順番が回ってこない。それをずっと待ちながら聞いているうちに突然、なんだか嫌になって来た。嫌になって来たというのはこの病院全体に対してだった。そうした感覚というのはどこか本能的なもので、説明がつきにくい。

 やっと来た順番で看護士(なのか事務員なのか区別がつかない)と話すと、どうやらその”消化器外科”の予約は午前中にしか取れず、もう一度来院しないといけないということらしい。

「そうですか・・・。わかりました」

 そう言うと僕は病院を出た。その日のうちに予約が取れなかったという事でむしろ僕はほっとしていた。この病院に命を預けるか、どうか?手術するしないを含め、よく考えなければならない、そう思った。


 行きつけのクリニックの医師が血液検査の結果の詳細を説明してくれると言っていたことを奇貨きかに、僕は予約をするとクリニックへと赴いた。

「どうでした?」

 さすがに、その結果の報告までは肛門科のクリニックからは届かなかったらしい、(肛門科のクリニックには病院から伝えると言っていたから、恐らく病院間の連携は一つ手前までの紹介元というレベルに留まるんだろう)医師は僕を見るなり尋ねた。

「手術でないとだめだと言われました」

「ああ・・・それは」

 少し気の毒そうな顔をした医師の表情が、誰かに似ているような気がして僕は首を傾げた。あ、そうだ、石丸謙二郎さんという役者さんだ。ちょっとくせのある、刑事さんや犯人役でよくドラマに出てくる人。いい声をしているから声優さんもやっている役者さんだ。

「それで、ちょっと相談なんですけど」

 僕は「石丸謙二郎さん」に話しかけた。

「もしよかったら他の病院を紹介して頂くことはできませんか?」

 「石丸謙二郎さん」は主役の刑事が「犯人は他にいる」と告げた時の管理官のような顔になった。

「え、でもあそこの病院は食道の手術では結構有名らしいですよ」

「でも、なんとなく一方的な説明で、とにかく手術一本やりみたいなことで説明するんで・・・」

 僕の言葉に「石丸謙二郎さん」はドラマの中で刑事部長から「主役の刑事に勝手なことをさせるな」と言われていることを思い出したような表情をした。

 僕が手術一本やりに抵抗を感じていたのは事実だ。様々な選択肢の中で手術が最も妥当な選択肢である確率は高いと思う。でも「手術」或いは「代替的手段」の他に「場合によっては何もしない」

 という選択肢は僕の心の中にあった。僕がまだ現役で家族を養わなければいけない時期だったらそんなことは思わなかったかもしれないけど・・・

 そんな僕の気持ちをどう忖度したのか、うーん、唸ると「石丸謙二郎さん」は

「どなたか紹介をしてくれるような知り合いのお医者さんとかは身内とか知り合いにいらっしゃらないですか?」

 と僕に尋ねた。

「いえ」

 僕は即答した。

「うーん、それはねぇ。その病院を紹介したのは肛門科のクリニックの方なので、そこで尋ねてみたらどうですか?あそこの先生はどこの大学だったっけ?あ、T大ですか?T大卒の先生なのに別の大学をわざわざ奨めるんだから信頼しているんじゃないのかなぁ?」

 医師はそう言った。医師の世界というのはなかなか難しいこともあるらしい。まあ、いきなり誰かをすっ飛ばして紹介状を書くというのは難しいのだろう。でも紹介状なしにいきなり別の病院に行くというのも難しいのは知っているので、

「何とかなりませんかねぇ。僕は先生のことは信頼しているんですけど・・・というかお医者さんの中では今のところ先生以外に信頼しているお医者さんはいないんですよ」

 半分というか、ほとんどそれは事実だった。医師は少し困ったような、それでいてちょっと嬉しそうな複雑な表情をすると、

「うーん、もし、勧めるとしたらX病院なのかなぁ。でも・・・どうしてもという事なら、今行かれている病院で説明して紹介状を書いて貰うのが一番いいですよ」

 意外だった。

「そうですか、そこの病院にしたいって・・・どういえばいいんですかね?」

 僕は更に尋ねた。

「まあ、正直にどこそこの病院で手術を受けたい、と言えば、今はそんなに揉めないと思いますけどねぇ。どこの病院にも今は医療連携室のような病院間の調整をする組織があるからそこで相談すればいいんじゃないですか?」

「あ、わかりました」

 僕がそう言うと「石丸謙二郎さん」はわがままな刑事が突き付けた難問を解決した管理官のような顔になった。

 とは言え、「正直に」言うのはなかなか難しいものである。それをどうするか?クリニックを後にして、僕は家路を辿りながら考えていた。



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